落ちこぼれだった私は
転生世界ミリティア。ミッドヘイズ近郊。
降り続けていた赤い雪が止み、一面が赤く染まっていた大地に緑が見え始める。積もった雪が溶け始めているのだ。
「各地の状況はっ!?」
エミリアの声が響く。
「アゼシオンは雪が止んだそうです。アハルトヘルンも同じです」
レドリアーノが言う。
「ディルヘイドも、もう雪が降ってるところはないって」
「地底も問題ないみたいだぜ」
ハイネとラオスが言った。
その時、地響きに似た音が鳴った。
エミリアはミッドヘイズに視線を向ける。
デルゾゲードから天を突くように構築されていた赤い氷の柱。そこに亀裂が走り、ガラガラと音を立てて崩れ始める。
あっという間にデルゾゲードを覆っていた氷も雪も消え去り、普段の魔王城が姿を現していた。
ふう、とエミリアは胸を撫で下ろす。
「エールドメード先生、<絶渦>の構築は止まったみたいです」
そう彼女は<思念通信>を送る。
『カカカカ、奴らから奪った<深魔>を上手く使えるか不安だったが、上手くいったではないか』
「今はエールドメード先生が<深魔>を持っているんですか?」
『いやいやいや、アレは一人で扱える代物ではない。こんなこともあろうかと、無神大陸の連中に準備しておいてもらったのだ』
第五魔王ホルセフィやロンクルスを始めとする無神大陸の住人ならば、アムルの一派がそうしたように分割した<深魔>をどうにか制御することができたようだ。
『これで向こうの戦力は粗方片づけた。指揮官を失った絡繰神は、魔弾世界の敵ではないだろう。オレは願望世界に行ってくる。魔王と勇者に援軍が必要とは思えないがね』
「わかりました」
エミリアが返事をすると、<思念通信>が切断された。
彼女はすぐに生徒たちの方に向き直る。
「ミッドヘイズの被害状況の確認と、デルゾゲードの中にいた人たちの救出を行います。ラオス君、ここは任せられますか?」
「おうよ。安心して行ってき――」
言葉の途中、ラオスは口から血を吐いた。
彼の腹に魔剣を突き刺したのは、エミリアたちが避難させたミッドヘイズの魔族だった。
「な……ん、でだ……?」
「ラオス君っ!!!」
魔剣が引き抜かれ、ラオスがその場に倒れた。
駆け寄ろうとしたエミリアの行く手に、ミッドヘイズの住人たちが立ち塞がった。
「勇者は許さない。これは俺たち魔族の復讐だ」
憎悪に囚われた瞳で、一人の魔族が言った。
エミリアは警戒するような表情で、身構える。
「エミリア……」
レドリアーノが視線で問いかける。
「ええ。彼らを操っている敵はミリティア世界に侵入しています。恐らく、彼らの中に」
「答えが早い。なかなかの慧眼だ、女」
ミッドヘイズの住人たちの内、一人の老人がそう言った。
彼の体から光が発せられると、次の瞬間、老人は教育神ガーガリに変わった。
「まあ、所詮は余興だ。カルラがやられてしまったのでね。代わりにこの世界をもらい、新たな元首としよう」
執刀鞭ミラぜルが怪しく光り、魔法陣を描く。
「う……がぁ……な、んだ……?」
「が、ぁ、う……」
勇者学院の生徒たちが頭を押さえ、苦しみ始めた。
「従え」
ガーガリがそう命令すると、勇者学院の生徒たちは皆、彼のもとへ歩いていく。かろうじて抵抗できているのは、エミリア、レドリアーノ、ハイネの三人だけだ。
「……洗脳の権能……ですか……?」
「否、支配なり。教育神というのは仮の名。私は支配世界デビロアスが主神、支配神ガーガリである」
ガーガリは仰々しく執刀鞭を振り上げ、空に向かって振り下ろした。
みるみる伸びた鞭の刃は、空をバッサリと切り裂いた
その裏側から、ぬっと出てきた巨大な両手が、裂け目をつかみ、大きく広げた。
ミリティア世界の空に、真っ黒な空の裂け目と不気味に蠢く巨大な両手が作られたのだ。
「<掌握の黒穴>」
ガーガリがそう口にすると、空の両手がうねうねと指を動かす。
怪しい光が放たれ、照らされた大地が激しい地響きを鳴らす。
ダガァァンッと大地が割れて、長く巨大な腕が大地から生えてきた。
一本だけではない。次々と大地が割れては、いくつもの腕が生え、ミリティア世界が変貌していく。
「……これは……なにが……?」
困惑した表情で、エミリアたちは巨大な腕が立ち並ぶ大地を見渡す。
「我が支配の権能が最も力を発揮する対象。それが――」
支配神ガーガリは勝ち誇ったように言う。
「銀泡だ」
空の裂け目から巨大な両手が、うねうねと不気味に指を動かす。
「この銀泡は消えてなくなり、我が支配世界の新たな元首として生まれ変わる。支配が完了するまで、三分だ」
「させませんよっ!!」
エミリア、ラオス、ハイネは、聖なる魔法陣を描く。
しかし、それを執刀鞭が切り裂いた。
「残念ながら、君たちの命はそれよりも儚い」
ガーガリが手を上げれば、支配された魔族たちが前へ出た。
「滅ぼしなさい」
そう命令が下される。
いち早く動いた魔族の女が、剣を抜く。
エミリアたちが目を見開く中、彼女はそれを支配神ガーガリに突き刺した。
「な……に……?」
困惑の瞳で、ガーガリは自分に剣を突き刺した女を見た。
ナーヤだ。
突き刺さっているのは、神剣ロードユイエである。
「この女をやりなさいっ!」
「カカカカカカカカッ!!!!」
笑い声とともに、神の姿となった熾死王エールドメードが空に舞い上がり、神剣ロードユイエの雨を降らせる。
魔族たちは、その剣に串刺しにされ、地面に縫いとめられていく。
「オマエが教育を司る神には見えないと居残りが言うのでなぁ。本性を現す前に滅ぶようなマヌケにも見えなかった。それで出てくるのを待っていたというわけだ。まさか銀泡を支配する権能を持っていたとは、いやいや、想像すらできなかった!」
同朋の魔族たちを大地に磔にしていきながら、エールドメードは饒舌に語った。
彼は願望世界へ行くとエミリアに<思念通信>で伝え、潜んでいるであろうガーガリが行動を起こすように仕向けたのだ。
「今更!」
ガーガリはナーヤを振り払い、神剣が突き刺さったままの体で上空へ飛び上がった。
「もう手遅れなのだ。残り二分で貴様らの世界は消えてなくなる! 私を滅ぼそうと、止められはしない! あの<掌握の黒穴>を消さぬ限りは!!」
ガーガリはナーヤに向けて、執刀鞭を振るう。
エールドメードが魔法障壁を張り、それを防いだ。
「もっとも、そんな僅かな時間では私を滅ぼすことさえできんがねっ!」
執刀鞭を乱れ撃ち、みるみる魔法障壁が削られていく。
この鞭をかいくぐり、ガーガリを打ち倒し、そして<掌握の黒穴>を破壊しなければならない。確かに、奴がいう通りにあまりにも猶予がない。
「カカカカカカカ、正念場中の正念場ではないかっ! 伸るか反るかの大博打、賭けのチップはなんとぉ、我が愛しの故郷だぁっ! さあ、居残り、これが最後の大勝負だ。選びたまえ。オレたちは、なにに賭ける?」
この土壇場で、まるで授業でもするかのように、熾死王はナーヤにそう質問する。
いつもなら戸惑い、聞き返していたであろう問いに、しかし彼女は迷わず答えた。
「あの人からは嘘つきの臭いがしますっ!」
エールドメードが展開する魔法障壁の外へ自ら飛び出し、ナーヤは上空にいるガーガリに押し迫る。
「愚かな」
執刀鞭を構え、ガーガリはナーヤに冷酷な視線を向けた。
「乗ったぞ、居残り」
エールドメードが掲げたのは影珠である。
その魔力を解放すると、彼の周囲に影を纏った神剣ロードユイエが無数に現れた。
「オールインだぁぁぁぁっ!」
ありったけの魔力が注ぎ込まれ、影を纏った神剣がガーガリに向かって撃ち放たれる。
それを脅威と判断し、奴は執刀鞭の狙いをロードユイエに変えた。
無数の神剣を、次々と執刀鞭が撃ち落していく。その間に、ナーヤが距離を詰める。
ロードユイエが全て撃ち落されるのが先か、ナーヤがガーガリに接近するのが先か、ぎりぎりの勝負だった。
「残念だが、そちらが一手遅い!」
最後のロードユイエを撃ち落とし、ガーガリは執刀鞭をナーヤに振るった。
「読み違いだぁっ!」
ナーヤの前に出たエールドメードがその身を盾にした。
その鞭は彼の胸を貫き、根源にまで食い込んだ。否、食い込ませたのだ。その鞭を確実に押さえるために。
エールドメードは、一瞬動きの止まった執刀鞭を両手でつかんだ。
「やれ、居残り」
「<憑依召喚>・<飽食竜>!」
一瞬小さな竜が姿を見せたかと思えば、ナーヤの体に吸い込まれるように憑依した。
その口から竜の牙が除き、彼女はガーガリの首に食らいついた。
「ぐ……がぁっ……!!」
<飽食竜>は、神を食らう魔法。
ガーガリを食らったことで、ナーヤの瞳に怪しい光が宿った。
「なにを……考えている……?」
「カカカカッ!! こーおいうことだぁぁーっ!!」
突っ込んできたエールドメードがつかんだ執刀鞭をガーガリの体に突き刺した。
「あなたを支配して、この世界から追い出します!」
ナーヤの瞳が怪しく光れば、執刀鞭が反応した。ガーガリの体が自ずと、上昇していく。すでに半ば支配されているのだ。
「……愚……かな……泡沫世界の住人如きが、主神の力を食らうだと……? 逆に力に食われ、滅び去るのみであるっ!」
そう言いながらも、ガーガリは必死でナーヤを振り払おうとする。だが、完全に牙を食い込ませた彼女はまるで離れなかった。
「……私は、落ちこぼれでした……」
「なにを言っているっ!?」
ナーヤはガーガリの力を更に食らう。
三人の体はみるみる加速していく。
「魔王学院の中でもできそこないで……魔法も剣も苦手で……いつも、みんなに助けられてばかりでした……」
「妄言はいい。今すぐやめねば、貴様は死ぬと言っているのだっ!! やめろっ!!」
「みんな! この世界を守るために最後まで戦った! ゼシアちゃんも、エレオノールさんも、ファリス先生も、エレンちゃんたちも、みんな、戦ったんですっ! もう私しかいないっ! 私だって、魔王学院の生徒なんだからぁぁぁっ!!!」
ナーヤは影珠の力を使い、その竜の牙を強化した。
ガーガリの首筋から血がどっと溢れ、主神の力が一気にナーヤの体に流れ込む。
「出てけっ、出てけ、出てけぇっっっ!!」
「やめろ……やめろやめろやめろぉぉ、やめろ、女ぁぁぁぁぁっっ!!!」
「私たちの世界から出ていけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」
光の如く加速したガーガリは、ナーヤたちとともに、黒穹を通り抜け、ミリティア世界の外に押し出された。
その瞬間、ミリティア世界の地面から生えていた腕という腕が枯れるように崩れていき、<掌握の黒穴>もまた閉ざされた。
銀泡を支配する権能。それゆえ、その銀泡の中にいる時にしか効果を発揮しないのだろう。
それがガーガリのついていた嘘であり、ナーヤは彼の力を食らったことで、そのことを理解したのだ。
「……馬鹿……な……私が……」
ガーガリが銀水に魔力を吸われ、その体に亀裂が入る。
全ての力をナーヤに食われ、銀水にすら抵抗することができないのだ。
そのまま、彼は粉々に砕け散り、海の藻屑と化した。
そして、エールドメードとナーヤもまた、銀水の流れに飲み込まれ、漂っていた。
二人には最早、ミリティア世界に帰還するだけの力は残されていない。
「……先生……ごめんなさい……」
ナーヤがかすれた声で言う。
「私が……もっと優秀だったら、二人とも助かったかもしれないのに……巻きこんじゃいました……」
「まったくまったく。オマエほど不出来な生徒はいない」
エールドメードが言う。
「こういうときは笑うものだぞ、居残り。それさえ、できていれば今日は合格点だったのだがなぁ」
「え……? えと……今から、笑っても間に合いますか……?」
「やってみたまえ」
そう促され、ナーヤは笑った。満ち足りた笑みだった。
彼女は学友たちと同じく、最後まで故郷のために戦い、そして守り通したのだ。
エールドメードは言った。彼らしくもない、穏やかな笑みをたたえて。
「百点満点だ」
「……ふふっ……」
笑いながら、彼女は一筋の涙をこぼす。
「生まれて初めての百点満点です」
二人の体に亀裂が走る。
光の粒子となって消えていくその最中、影が魔法陣を描いていた――




