勇者学院の伝承
目の前には、勇者学院アルクランイスカがあった。
美麗かつ荘厳な城であり、なにより強い魔力を有している。中にはさぞ古い魔法具や魔法陣があるのだろう。
外から感じるその力は、二千年前と比べても遜色はない。
「そういえば、勢いで来ちゃったけど、勝手に入っていいのかしら?」
「いいか悪いかは知らないが、俺に入れない場所などないぞ」
サーシャは呆れたような表情を浮かべる。
「……あのね……学院交流の前に問題起こそうとするのやめてくれる?」
「そう心配するな」
まっすぐ歩いていき、勇者学院の門の前に立つ。
軽く押してみるが、門は開かない。
「<施錠結界>の魔法ね。許可された人物以外は入れないようになってるわ」
生徒や教員など、勇者学院の関係者以外は門が開かないようになっているのだろう。しかし、大した魔法ではないな。
「無理矢理入ろうとしたら、たぶん、通報が行くようになってるだろうし、やっぱり無理なんじゃ――」
「開け」
そう命令してやると、カチャと魔法の鍵が外れた音が響く。魔力を宿した言葉は、かけられた<施錠結界>の魔法に俺の通行を許可するよう強制したのだ。
「ふむ。通してくれるようだぞ」
「……<施錠結界>を魔法も使わず開けるなんて……相変わらず、どうかしてるわ……」
いったい、どうやったのだろうとサーシャは門に魔眼を向けている。
俺はそのまま門を開けた。
「ちょっと、本気で行く気? 見つかったらどうするのよ?」
「俺の得意分野を教えてやろうか?」
「……なによ?」
「口封じだ」
サーシャがものすごく嫌そうな顔をした。
「そんな顔をするな。半分冗談だ」
「半分本気なのやめてくれるかしらっ? そんなことしたら、二度と学院交流の機会がなくなるわ。勇者の伝承を調べるにしたって、なにも今、勇者学院に行かなくてもいいじゃない。どうせ一〇日後には来ることになるんだから」
「そう騒ぐな。堂々としていれば意外となんとかなるものだ」
俺はもう一度門に手をかける。
そのとき、背後から声が聞こえた。
「はーい、そこの二人、大人しくして」
びくっとサーシャが体を震わせ、俺を睨んだ。ほら、見なさいよ、と言わんばかりである。
特に気にせず、後ろを振り向けば、そこにいたのは、緋色の制服を身につけた女だった。黒い髪は腰よりも長く、余裕のある柔和な表情を携えている。なによりも、俺の興味を惹いたのは、制服がはち切れんばかりの二つの膨らみだった。
ふむ。でかいな。
これほどの巨乳の持ち主は二千年前にもいなかった。
人間の食料事情や睡眠時間の変化から来るものか?
二千年前の人間は過酷な状況にあった。一部の人間を除き、食べるものも満足に食べられず、安心して夜眠ることすらおぼつかない。
だが、現在の人間には栄養のある食事と安心して眠れる環境が用意されている。成長を妨げられるようなことがなくなっていると言えよう。
つまり、これが人間本来の生態。
俺が求めた平和の証というわけか。
「だめだぞ。勇者学院は部外者立ち入り禁止なんだから」
少々のんびりとした口調で、女は言った。
「ふむ。それは知らなかった。あいにくディルヘイドから来たばかりでな」
「ディルヘイド?」
なにかに気がついたように、女は俺とサーシャの制服を見つめる。
「あー、もしかして、魔王学院の人たちなのかな?」
「ああ」
「そっかそっか。初めまして。ボクは勇者学院3回生のエレオノール・ビアンカ。学院交流も一緒にすることになると思うぞ」
そう言って、エレオノールは気さくに手を差し出してくる。
「アノス・ヴォルディゴードだ」
「魔王学院1回生、サーシャ・ネクロンよ。アノスもそうだわ」
簡単に名乗り、握手を交わす。
「ところで、アノス君とサーシャちゃんはなにをしに来たの? 学院交流はもう少し後じゃなかった?」
「少々、勇者の伝承に興味があってな」
「わお。勉強熱心なんだ、アノス君は。じゃ、中入ってく?」
エレオノールは門の方を指さす。
「部外者は立ち入り禁止って言わなかったかしら?」
「うん。部外者だけならね。ボクと一緒ならお咎めなしだぞ」
返事をするより先に、エレオノールはもう門に手を当てている。
「あれ?」
彼女は不思議そうに魔眼を凝らした。俺が<施錠結界>を突破し、魔法の鍵を開けたことに気がついたのだろう。
エレオノールはこちらを振り向く。
サーシャが気まずい表情を浮かべた。
「こーら。今日は黙っといてあげるけど、もうやらないんだぞ?」
まるで子供を窘めるように彼女は言う。
「ふむ。サーシャには言って聞かせておこう」
「は、はぁっ!? なに人のせいにしてるのよっ! わたしは止めたでしょうがっ!」
くはは、と俺は笑った。
「ほんの戯れだ。たまにはいいかと思ってな」
「なんでたまの戯れで、わたしを陥れようとするのよ」
「エレオノールとは初対面だからな。この俺の茶目っ気をアピールしたつもりだったが?」
「な・に・が・よっ! あんなナチュラルに責任転嫁するなんて、ドス黒さしかアピールできてないわ」
俺たち二人のやりとりをエレオノールは呆気にとられたように見ている。
だが、その表情は、すぐに笑顔に変わった。
「くすくすっ、アノス君、いけないんだぞ。女の子には優しくしてあげないと」
「あいにく魔族にはそんな価値観がなくてな」
「あるわよっ」
間髪入れず、サーシャは言った。
「なに?」
「なに、じゃなくて。あるわ」
「ふむ。だが、人間と違い、魔族には性別による能力差などないぞ。なぜ、そんなものがあるんだ?」
「人間がどうとかは知らないし、なんであるのかなんてもっと知らないけど、そういうマナーは当たり前でしょ」
ふむ。二千年前はなかったのだが、時代は変わるものだ。
「もしかして、あれなのかな?」
門を開き、勇者学院の中へ進みながらエレオノールが言う。
「アノス君って、転生者とか?」
「ああ」
彼女の後についていきながら、俺はそう返事をした。
「わーお。やっぱり、魔族にも転生者がいるんだっ」
軽い調子で彼女は言った。
この様子だと、転生者はさして珍しくないようだな。
人間は<転生>の魔法を知らなかったはずだが、ガイラディーテでは様子が違うのか。それとも、勇者学院に限ってのことか。
「ここでは、転生者は珍しくないのか?」
「選抜クラスの『ジェルガカノン』はみんなそうだぞ。あ……!」
しまった、といった風にエレオノールは声を上げる。
「どうかしたか?」
「あー、一応、転生の話は部外者にはするなって口止めされてるんだ。ほら、やっぱり普通の人間から見たら、気味が悪いって思うから」
なるほど。
しかし、それだけが理由とも思えぬが。
「で、でも、いっか。魔王学院とは学院交流もするんだし、それにそっちにも転生者がいるんだもんね。大丈夫だぞ。大丈夫っ」
エレオノールはぐっと拳を握る。
まるで自分に言い聞かせているかのようだ。
「まあ、別段、他の者に言ったりはしないがな」
「ほんとっ? ありがと。嬉しいぞ」
花が咲いたような笑顔で彼女は言った。
「魔王学院でもあれかな? 誰々の生まれ変わりとか言って、盛り上がったりしてる? うちだと、勇者カノンの生まれ変わりっていうのが、一番人気があるんだけどね」
人気というのが、なんとも人間らしいことだ。
「転生した勇者カノンがいるのか?」
「うん、四人いるぞ。あ、これも秘密だぞ」
サーシャが不思議そうに首をかしげた。
「四人……?」
「勇者カノンは七つの根源を持っていた。その一つ一つが別々の体に転生したのなら、四人いても不思議なことはあるまい」
俺の言葉にエレオノールはうなずく。
「そういうことだぞ。でも、勇者のことって魔王学院でもけっこう知られてるんだ。あ、それとも、アノス君が転生者だから?」
「まあ、魔王学院でもそれぐらいはな」
実際は知らぬだろうが、適当にそう答えておく。
「あ、そうだ。さっきの続きで、魔族の人に訊いてみたかったんだけど、やっぱり魔王学院だと魔王の転生者が一番人気があるのかな? ほら、あの人」
エレオノールは指をぴっと立てる。
「暴虐の魔王、アヴォス・ディルヘヴィアとか?」
サーシャが無言で俺を見てくる。
ふむ。勇者学院の伝承まで、その名に変わっているか。
まあ、まだなんとも言えぬが、どうにも、人間だけがなにかを企んでいるといったわけでもなさそうだな。
ようやくと言うべきか、勇者学院の生徒が登場ですっ。
ちなみにですが、俺が求めたのは『平和』であって、『平和の証』の方ではないですよ?