約束
ガイラディーテ遠征試験は俺たち五人が一位となった。他の生徒たちはまだディルヘイドとの国境すら越えておらず、断トツになるとメノウは困ったように言った。
遠征試験は相対評価で成績を決める。一位の俺たちを一〇〇点とした場合、あまりに差がつきすぎていて、他の生徒の成績ががくんと落ちてしまうらしい。それはそれで仕方がないことではあるが、説明やフォローが大変とのことだ。
俺が気にとめることではないのだが、教師というのもなかなか難儀なものだと思った。
宿舎の部屋へ案内してもらい、そこに荷物を置いた。部屋は女性と男性で分かれており、俺とレイは二人部屋。ミーシャ、サーシャ、ミサは三人部屋である。
「一〇日後までは自由時間だっけ?」
早速とばかりにベッドに仰向けになりながら、レイが訊いてくる。
「そう言っていたな」
一○日後、ガイラディーテに辿り着けた生徒だけが勇者学院での授業や試験に参加できる。それまでは自由にしていていいらしい。
「少し街を回ってみるが、お前はどうする?」
「それもいいんだけど、食堂に行こうと思って」
宿舎の食堂は朝、昼、晩と開かれており、その時間なら、いつでも行って食べていいと言われている。
今なら、ちょうど朝食が食べられる時間帯だ。
「相変わらず、よく食べる奴だ」
デルゾゲードに来る前に、朝食は食べてきただろうにな。
「アゼシオンの料理にも興味があるからね」
「なら、また後でな」
レイは寝転んだまま手を挙げる。
俺は部屋を出て、宿舎の出口へ向かった。
「あ……」
ちょうどサーシャとばったり会った。
「どこか行くの?」
「街を回ってみようと思ってな。一緒に来るか?」
「え……? うん……いいけど……」
サーシャと一緒に宿舎を出た。
「ミーシャとミサはなにをしていた?」
「ファンユニオンの子たちと<思念通信>で連絡とってたわ。ガイラディーテまで来る道順をアドバイスしているみたいね」
なるほど。面倒見のいいことだな。
「どうせなら一緒につれてきてあげればよかったんじゃない」
「あいつらは弱い。真っ当に試験を受けるのも悪くはないだろう。成績だけ上げたところで、実力が伴わなければ意味はあるまい」
「ふーん」
意味ありげにサーシャは俺を見る。
「どうした?」
「いつも無茶苦茶してるくせに、意外とそういうことを考えてるのねって思っただけだわ」
「なにを言う。俺はいつでも真っ当なことを考えているぞ」
サーシャが能面のような顔になった。
「自習で何回も殺そうとしたくせに……」
「一度も死ななかったのだから大したものだ」
思わぬ反撃を受けたか、返す言葉に困ったようにサーシャはぱくぱくと口を動かす。
「……ほ、褒めたら誤魔化せると思ってないでしょうね? おあいにくさま。わたしはそんなに単純じゃないわっ」
ツンとした態度で、彼女はぷいっとそっぽを向く。
「なにを誤魔化す必要がある。俺が死ぬと思って放った魔法を、三度も凌いだのだから大したものだ。俺と同じ魔眼を持っているだけのことはある」
サーシャは照れたように俯く。
耳が赤くなっていた。
「だ、だから、そんなに褒めたって誤魔化されないわ。死ぬところだったんだから」
やれやれ、なにが気に入らないのか。
俺が褒めてやることなど、滅多にないというのにな。
「サーシャ。以前、お前の魔眼が綺麗だと言ったこと、あれは嘘ではないぞ」
「な……」
サーシャはゆっくりとこちらを振り向く。
「きゅ、急になに言っているのよ?」
「急にではない。ずっと思っていた。お前の魔眼は、静謐で穢れがない。昨日までの自習で、ますますそれを確信した」
魔眼というのは魔を見つめるもの。それを続けることで、練度は上がり、より深淵を覗けるようになるが、いつしかその魔眼は禍々しく染まっていく。
静謐で穢れのない魔眼は、それだけ魔力への耐性が強いということである。
禍々しい魔力に曝されても、それに染まらないほど確たる力を秘めているのだ。
「じ、自習中に、なに考えてるのよ……集中、しなさいよ……?」
「他に考えることなどあるか。お前の魔眼を、その深淵を覗くのに、俺は意識を傾けていた」
幾度となく俺の魔法を防ごうとすることで、彼女の<破滅の魔眼>には、更に磨きがかかった。
そしてなお、その魔眼が秘める力の底が見えてこない。才能だけで言えば、神話の時代の魔族さえも軽く凌駕するだろう。
「ねえ……」
恥ずかしそうに俯きながら、サーシャは言う。
「……あなたの魔眼も、見せてよ……」
ふむ。俺の魔眼を参考にしたいということか。
「これでいいか?」
<破滅の魔眼>を瞳に浮かべ、俺はサーシャをじっと見つめた。
「……あなたの魔眼の方が、わたしは綺麗だと思うわ……」
「俺はそうは思わぬ」
強く断言すると、サーシャが言葉を失った。
「お前の方が綺麗だ。一度しか言わぬからよく聞け、サーシャ」
「……えと…………はい……」
サーシャの視線が、まっすぐ俺の瞳に吸い込まれるようだった。
「俺は、お前の魔眼が欲しいと思った」
「……え…………?」
「俺がこんな台詞を口にするなど、滅多にあることではないぞ」
それだけ、サーシャには才があるということだ。
<破滅の魔眼>に関してだけいえば、その力は、いつか俺を超えるかもしれぬ。
努力を怠らず、魔法の深淵を見続けるならば、の話だが。
「意味はわかるな?」
「……えと……ちょ、ちょっと待って……考えるから……」
サーシャは戸惑いを見せる。
一部だけとはいえ、暴虐の魔王の力を凌駕できるかもしれないと言われたのだから、無理もないことだろう。
「そ、そういうことよね?」
意味ありげにサーシャは訊いてくる。
俺を超えるなどと、口にするだけでも憚られるのだろう。
「そういうことだ」
はっきりと俺は断言してやった。
「……あなたが……アノスがそんなこと言うなんて……」
「信じられないか?」
こくり、とサーシャがうなずく。
普段、あれだけ勝ち気な態度を取っておきながら、可愛らしいことだ。
「だって、わたしは、そんな風に言ってもらえるようなこと……なにもしてないわ……」
「表層などものの数に入らぬ。俺はお前の深淵を見ている。お前の内に、深く、深く、眠っている、なによりも荘厳に輝く光に、目を奪われたということだ」
サーシャは絶句した。
制御できるようになったはずの<破滅の魔眼>が、まるで暴走するかのようにその瞳に現れ、激しく周囲を震わせる。
「俺の目を見ろ」
「え……?」
「目を逸らすな」
「……は、はい…………」
「もっとだ」
「もっとって、言われても……」
「もっと近くに来い」
サーシャは言われるがまま、俺に接近する。
至近距離で暴走しつつあったサーシャの<破滅の魔眼>を、俺の<破滅の魔眼>で抑え込む。
ふむ。俺がこの距離でなければ完全に封じられぬとはな。
やはり、彼女の魔眼は、凄まじい力を秘めている。
「わかったか?」
サーシャは恥ずかしそうにうなずく。
「……だけど、あの、アノスは前、ミーシャとデートしてなかった?」
デート? 一緒に出かけたときのことか。
「それがどうした?」
「……その、だから、アノスは、ミーシャのこと……」
サーシャは言いづらそうに口を噤む。
「えと、そのね。ミーシャの魔眼は、欲しくならなかった……?」
そういうことか。
ミーシャの才を、サーシャも見抜いていたのだろう。
「確かにミーシャも良い魔眼を持っている。お前にも劣らない」
怖ず怖ずとサーシャは上目遣いで俺を見た。
「……アノスは…………どっちが、いいの……?」
「選べるものではない」
どちらが上か、というのは気になるだろう。
近しい存在であれば、尚のことだ。
しかし、二人の魔眼は資質が違う。優劣をつけられるものではない。
「……迷ってるってこと?」
ふむ。言い方が紛らわしかったか。
「二人とも欲しいということだ」
「ええっ……!? ふ、二人ともっ?」
びっくりしたようにサーシャは声を上げた。
「二人ともでは不服か?」
「……だって、おかしいわよね……?」
フッと俺は笑った。
「な、なんで笑うのよ? い、一番がいいって思うことが、そんなおかしい……?」
「いや、らしいことだと思ってな。いいぞ、サーシャ。頂点を目指すがいい。競い合ってこそ、いっそう輝くというものだ」
「……そっか……」
ほっとしたような、がっかりしたような、そんな呟きだった。
「あのね」
サーシャは思いきったように言う。
「……わたしも、一度しか言わないわ……」
その言葉を聞き、俺は真剣な表情でサーシャを見返した。
「あなたが欲しいなら、この魔眼をあげるわ」
ふむ。確かに魔眼は奪って奪えぬものでもないが、奪われた者に光は戻らぬ。そこまでの忠誠を見せるとは、健気なものだ。
だが、もらうわけにはいかぬな。
「ならば、約束するがいい」
サーシャが視線で問いかけてくる。
「いつか、俺の手に負えぬ事態が来るかもしれない。守りたいものを守れぬときがな」
「そんなことがあるとは思えないけど……」
「まあ、ないとは思うがな。しかし、絶対などという言葉は存在しない。だから、サーシャ、万が一のときはお前が守れ。お前の魔眼はそれだけの力を秘めている」
サーシャはじっと考え、それから言った。
「そうしたら、約束を守ったら、わたしの言うことも聞いてくれる……ってこと?」
「なんでも言うがいい」
彼女は嬉しそうにはにかみ、うなずいた。
それから、念を押すように言う。
「約束したわよ?」
「<契約>が必要か?」
すると、サーシャは首を横に振る。
「いらない。契約より、約束がいいわ」
「そうか」
<破滅の魔眼>は収まったようだ。
俺が体を離すと、サーシャは上機嫌といった風に歩き出す。
「ところで、どこに行くんだったかしら?」
「勇者の伝承がどうなっているのか調べにな」
「そ。じゃ、うーん、勇者学院の方へ行けば、なにかわかるかしら……?」
サーシャが前方の分かれ道を指した。
「行ってみましょ」
「ああ」
遠くに見える勇者学院アルクランイスカを目指し、俺たちは歩いていった。
えー、考えはすれ違ってるのに、会話は噛み合うってこと、ありますよね……。