ガイラディーテ遠征試験
その翌週――
デルゾゲード、第二教練場。
集まった生徒たちは皆、沢山の荷物を持ってきていた。
武具や魔法具はもちろんのこと、大きめの皮袋や鞄には食料や着替え、水などをふんだんに詰め込んでいる。
さながら、旅支度といった様子だ。
授業開始の鐘の音がなると、窓からフクロウが飛び込んできた。
「みんな、おはよう」
聞こえてきたのはメノウの声だ。
魔法でフクロウを媒介にして、話しているのだろう。
「それじゃ、いよいよ今日、学院交流のためにアゼシオンへ出発するわよ。目的地は王都ガイラディーテ。事前に知らせた通り、今回の遠征では学院側の引率はないわ。3回生のみんなはもう知ってると思うけど、1回生のために、改めて説明しておくわね」
別のフクロウが3回生の教室の方にもいて、同じようにメノウの声が聞こえているのだろう。
「デルゾゲードでは、こういう遠征のとき、引率がないことが殆どなの。魔皇を目指すっていうのに、自分の力で目的地にも辿り着けないんじゃ話にならないもの。ああ、でも、もちろん生徒同士で助け合うのは全然構わないわよ」
目的地に辿り着くのも授業の一環というわけか。
「ここからアゼシオンへ行くには様々な障害があるわ。海を渡るなら、エルーガ海峡が、陸路ならデルテスト山脈を超えるか、迂回してトーラの森を抜けないといけない。空を飛んで行くにしても、アゼシオンの空域は魔力場が乱れているから、簡単なことじゃないわ」
どのルートから行くのが早いか、というのはもちろんのこと、自分に適したルートを選ぶ知恵も試されているのだろう。
「アゼシオンはディルヘイドとは違うわ。きっとみんな、見たこともないようなものに沢山出会うでしょう。学院で教えられていることだけじゃなく、未知のものへの対処方法を、今回の遠征で学んで欲しいと思う」
これまでの授業に比べ、なかなか面白そうではあるな。
惜しむらくは、エルーガ海峡も、デルテスト山脈も、トーラの森も、何度か行ったことがあるという点だ。
まあ、二千年前とはまた様子が違っているのだろうがな。
「期限は一〇日。それまでに、ガイラディーテにある勇者学院の第三宿舎に来られなかった生徒は、今回の学院交流の参加資格はないわ。もちろん、何番目についたか、どのぐらいの期間でついたかは成績にかかわるから、がんばってね。3回生はこういう遠征になれてるから、1回生がそれよりも早く着いたら、ポイント高いわよ」
一〇日か。まあ、妥当なところではあるな。
陸路を行ったとしても、それなりの速度で走り続ければ、余裕を持って到着できる。
「ちなみに先生は二日で着いたわよ。3回生はこれぐらいを目安にしてね」
二日か。教師だけあって、まあまあ速いな。
3回生を教えていることもあってか、エミリアよりも魔力は高そうだな。
「それじゃ、只今より、ガイラディーテ遠征試験を始めるわよ。よーい、どん!」
その合図で、第二教練場にいた生徒の半数ほどが、一斉に外へ飛び出して行った。
残った連中は地図を確認したり、どのルートで行くか相談をしている。
「ねえ、アノス。さっきから気になってたんだけど、あなた、なにも持ってきてないわね」
サーシャが話しかけてくる。
そういう彼女も荷物は少なめだ。二、三日で辿り着くつもりなのだろう。
「なに、昔はよくガイラディーテに日帰りでいったものだ」
人間どもが小賢しい動きを見せれば、それをいちいち潰さなければならなかったからな。
「日帰りって……相変わらず、無茶苦茶だわ……」
「どのルートで行く?」
ミーシャが言った。
「空がいいんじゃない。アゼシオンの空域は魔力場が乱れてるからって、なんとかなるでしょ。というか、魔力場を乱されるのは誰かさんに自習で嫌ってほどやられたわ……」
サーシャは<飛行>の魔法を好んで使うため、自習では少々飛びにくくしてやったのだ。その甲斐あってか、<飛行>を使うのに適していない状態でも、なかなかうまく飛べるようになった。
「レイとミサは?」
ミーシャが二人を見る。
「あははー、あたしは飛べないんですけど、<雨霊霧消>を使えば、ぎりぎりついていけると思います」
<雨霊霧消>の範囲内にミサは自由に移動できる。効率は少々悪いが、連続して使えば移動速度はそれなりになるだろう。
「僕はどちらかと言えば、走った方が速いんだけどね。<飛行>はあんまり得意じゃないんだ」
「じゃ、陸路の方がいいかしら? 低く飛べばいいだけだし。そしたら、みんなで行けるもの」
サーシャが魔法でその場に地図を描き、遠征ルートを赤い線で三つほど示す。
「最短ルートのトーラの森を抜ける場合、この三つの道が考えられるわ。その中で一番早いのは、こっちのミレイヌ砂漠を抜けることね。もちろん、何事もなく通れればの話だけど、うまくやれば一日で着くわ」
メノウが3回生は二日を目安にしろと言ったから、張り合っているのだろうな。
サーシャらしいことだ。
「歩いていくつもりなら、なかなか的確だがな、サーシャ。ガイラディーテへ行くのに、地図など広げてどうするつもりだ?」
「……え?」
サーシャがきょとんした表情を浮かべる。
「行ったことがあると言っただろう。自宅に戻るときに、俺が使っている魔法はなんだと思っている?」
あ、とサーシャは声をこぼす。
「<転移>……?」
ミーシャが言った。
「こんな長距離でも使えるの?」
「今風に言えば<転移>は、日に何度も長距離移動をしなければならない、忙しい魔族のために開発された魔法だからな」
「……わかったけど、今風に言わなくていいわ」
わかりやすく説明してやったというのにな。
「まあ、そういうわけだ。一日もかからん。一秒で着く」
俺はサーシャに手を伸ばす。
全員で手をつなぎ、<転移>を使った。
真っ白になった風景が色を取り戻し、俺たちの目に映ったのは広大な湖である。反対側には城壁があり、門の奧には街並みが広がっている。
王都ガイラディーテは湖の中心に作られた要塞都市だ。
聖水が湧き出ると言われるこの聖明湖はそれ自体が自然魔法陣の役割をなし、魔を封じる力を持つ。
二千年経った今も変わらず、聖水が湧いてきているようだが、しかし、今の時代にこれを使いこなせる者がいるかどうか?
「こんなにあっさり来ちゃうと、味気ないわね」
「勇者は剣が得意だって言うし、学院交流の前に会えそうなら、面白いけどね」
そう口にしたレイに、サーシャが呆れたような視線を返す。
学院交流前に会ったからといって、どう剣の勝負を挑むつもりなのか、とでも考えているのだろう。
「レイは、いつも剣のことばっかりだわ」
すると、彼は爽やかに笑う。
「そうかもね。君が魔王のことばかり考えているぐらいには」
「な……なに言って……」
サーシャがかーっと顔を赤くする。
「別に魔王学院の生徒が、魔王のことばかり考えていても問題ないと思うけどね。君は優等生のようだし」
悔しそうにサーシャはきっとレイを睨む。
「…………覚えてなさいよ、この剣フェチ……」
珍しく、サーシャとレイがそんな小競り合いをしていた。
俺たちはそのまま城門へ向かった。
入り口に立っていた兵士は俺たちが身につけた制服と校章を確認すると、すぐ中へ通してくれる。城門を抜ける途中、背中から、今日はまだ来ないって話だったんだけどなぁ、と不思議そうな声が聞こえた。
「ところで、勇者学院の第三宿舎ってどこだろうね?」
「勇者学院から真東にある。防壁のそば」
ミーシャが言う。
「ふむ。勇者学院はどれのことだ?」
「アノスも知らない?」
「二千年前はなかったからな」
すると、ミーシャは遠くに見えている高い建物を指した。
「あれ。勇者学院アルクランイスカ。もらった資料に載ってた」
ふむ。二千年前の王城アルクランイスカを、勇者学院にしたのか。
平和な世になり、不要になった軍事施設だが、その魔法設備を失うには惜しい。教育の場として、有効活用しているのだろう。デルゾゲードも魔王学院となっていることだし、不自然な点はあるまい。
もっとも、一見不自然な点がないというのが、逆に怪しく思えてしまうのだがな。
「とりあえず、行きましょ。せっかく一番に着いたんだし、メノウ先生に会わないと」
「でも、いらっしゃいますか? さすがに今日は来ないと思ってるでしょうし」
「……確かに、そうね……」
とにかく行ってみようと、俺たちは勇者学院の第三宿舎へ足を向けた。
見慣れぬ街並みを見物しながら、しばらく歩けば、やがて、目の前に美しい装飾が施された石造りの建物が見えてきた。
かなりの大きさで、ざっと二百名近くは入れる部屋がありそうだ。
門には、アルクランイスカ第三宿舎と書いてあった。
「いた」
と、ミーシャが指さす。
ちょうどメノウが宿舎から出てきた。
「ふむ。メノウ、着いたぞ」
「え……?」
メノウが俺たちを見て、まるで時間が止まったかのように体を硬直させた。
「まあまあの記録だろ」
俺の言葉を、しかし、メノウは呆然とした様子で聞き流す。
そして数秒後、ようやく彼女は口を開いた。
「ちょ、ちょっと……嘘、よね……? だって、まだ一日も……一日どころか、一時間も経ってないわよ……いったい、どうやってここまで来たのっ……!?」
信じられないといった調子でまくしたてるメノウ。
フクロウの目を通して、俺たちがディルヘイドにいたことは確認済みだろうからな。
不正を疑う余地もない。
「<転移>を使った。ガイラディーテには来たことがあったからな」
「……失われた魔法を使えるのは聞いてたけど、でも、こんなに離れた場所の空間をつなげるなんて、信じられない……」
メノウは言葉通り、心底驚愕したような表情を浮かべている。
「……魔法の才能があるのはわかったわ……。わたしも教師だから、これまで天才って呼ばれた子は何人も見てきた。混血でも魔法に優れた生徒だって沢山いるわ。でも、あなたは、そんな天才なんてありふれた言葉で片付けられるような次元じゃない」
まっすぐ俺の顔をその魔眼で見つめ、メノウは尋ねた。
「アノス君、あなたは……いったい、何者なの?」
「何度も言ってはいるのだがな。自分の魔眼ではなく、他人の言葉を信用しているようでは、一生真理には辿り着けぬぞ」
暴虐の魔王。
その言葉が頭をよぎったか、メノウは黙り込むしかなかった。
一瞬で片付けられてしまう遠征試験……。