王の凱旋
無神大陸。現在。
俺はヒースの体に指先をねじ込み、その中にいるロンクルスの手をつかんだ。
はっと気がつき、第三魔王は魔法陣を描こうとしたが、それよりも先に俺は手を引き抜いた。
ロンクルスをヒースから引き剥がすと、奴の顔面に蹴りを叩き込む。
吹っ飛んだ奴は、魔力を放ち、途中で押しとどまった。
「……馬鹿……な……なぜ……」
第三魔王はその魔眼で二律僭主ノアの深淵を覗く。
その体の中にある俺の根源を――
「融合世界の元首たる独王マルクスとて、使いこなすことのできなかった二律僭主の体を……ここまで……!!」
再び奴は突っ込んできて、俺に櫂を突き出した。
それを俺は素手でわしづかみにした。
ぐぐぅ、と俺とヒースは櫂を手に力を込めた。持ち手を握っているヒースの方が押し合いでは有利だ。
その櫂は彼が研鑽を積んだ得物で、なによりヒースは第三魔王である。
にもかかわらず、いとも容易く押し負ける。それが不可解でならないといったように、第三魔王ヒースは声を上げた。
「なぜ汝にそれが出来るっ!! 泡沫世界の元首如きにっ……!!!」
瞬間、ヒースの手が打ち払われ、奴は俺に櫂を奪われた。
信じられないといった顔で第三魔王はこちらを見ていた。
「二律僭主に扮していたからといって、本物でないと思ったか?」
櫂で奴の顔面を殴打する。派手に吹き飛んだ奴は地面に激突して、砂煙をまき散らした。
その隙に俺はロンクルスに回復魔法をかけた。
「……僭主……なのですか……?」
「傷は深い。奴を片付けるまではじっとしていろ」
奪った櫂をゆるりと振りかぶり、ヒースめがけて投擲した。
風を切り裂き、押し迫る高速の櫂に対して、奴は水流の魔法障壁を展開した。
「己の武器でやられる者がどこに――」
「《背反影体》」
俺が魔法陣を描けば、櫂の影が出現する。それは無数に増えていき、本体の櫂とともに突っ込んでいった。
ザバァァッと水飛沫が舞う。
水流の魔法障壁を影の櫂が貫き、第三魔王ヒースの五体を串刺しにした。
「がっ……うぶっ……」
全身から血を吹き出し、ヒースは吐血する。
「それぐらいにしておくのだな。お前たちでは勝てぬから、大魔王ジニアは俺を不可侵領海としたのだ」
「魔王如きと一緒にするな」
口元の血を拭いながら、ヒースは言う。
「我は正帝――」
第三魔王を中心に水が噴き出し、無神大陸を覆いつくすほどの無数の水流が溢れかえる。
奴の体に刺さった影の櫂が跡形もなく消え去った。
魔力の流れを操作し、《背反影体》を無効化したのだ。
「完全なる正義を実行する者なりっ!!」
ヒースが自らの腹に刺さった櫂を抜き放ち、魔法陣を描く。
そこから出現したのは一滴の水だ。いや、水のようでもあり、光のようでもある。
つまりは源流の極光――それを水一滴のサイズまで凝縮してあるのだ。
ヒースが魔力を放てば、一滴、また一滴とその水滴は増えていく。
それがみるみる増える毎に、ヒースの魔力が膨れ上がる。
無神大陸を超えて、この海域全てを飲み込むほどに強く、広く、大きくなる。水滴はやがて水溜まりになり、水溜まりはやがて小川に変わり、幾本もの小川が交わり、大河となった。
一滴で、聖川世界における魔法秩序全ての源流となるほどの力だ。
それが川となるほど束ねられた深層大魔法――かつてないほどの力であることは疑いようもあるまい。
さすがは第三魔王……いや、さすがは正帝といったところか。
「《聖川流水深極光界船》!!」
俺の周囲に、極光の聖川がいくつも走る。
そして、その流れに乗り、第三魔王ヒースが乗るゴンドラが向かってきた。
絶大な魔力に反して、その速度は遅い。
「《深源死殺》」
黒く染め上げた指先を、ゴンドラに乗るヒースに突き刺し、その根源を握りつぶした。
だが――
「無駄なことだ」
別の聖川にゴンドラと第三魔王ヒースがいた。
幻影魔法? 隠蔽魔法? いや、どちらでもない。
握り潰した根源の感触は本物だった。
「我は無数に流れる支流にして、その大元である源流」
また別の聖川に現れたのは二つ目のゴンドラと二人目の第三魔王ヒースだ。
「すなわち、この大河の水滴一粒一粒が我だ」
俺の周囲に張り巡られた無数の聖川、そこに現れたのは同じく無数の第三魔王ヒースである。
深淵を覗けども、その全てが本物であり、確かに根源を有している。
「《黒七芒星》」
俺は目の前に黒の七芒星を描く。
二律僭主の時代に使っていた魔法の記憶も、全てこの体に残されている。
「《覇弾炎魔熾重砲》」
黒七芒星を纏った蒼き恒星を乱れ打ち、向かってきたゴンドラと第三魔王四体を撃ち抜いた。
奴の根源は燃え尽きる。しかし、鮮血が散った。
俺の胴体と右肩、左足が切り裂かれている。《|黒七芒星覇弾炎魔熾重砲》を直撃するのを覚悟で、俺に相打ちを仕掛けたのだ。
この雑な攻撃の理由は一つ。
「無駄なことだと言ったはずだ」
再び聖川に滅びた数と同じだけ、四体の第三魔王ヒースが復活した。
奴は源流にして支流。支流の水を涸らそうとも、源流がある限り再び水は流れてくる。そして、源流を涸らそうとも、今度は支流が源流となる。
「我は決して涸れることなき、聖なる川。飲み込まれ、溺れ死ぬがいい、二律僭主っ!!!」
無数のゴンドラが川の流れに沿い、めまぐるしく動き回る。《聖川流水深極光界船》の魔法が続く限り、奴は無限に湧いて出てくるだろう。
「なかなかどうして、大した力だ。第三魔王」
数多の第三魔王ヒースに、俺は言う。その刹那、一五体の奴がゴンドラとともに突っ込んできた。
《|黒七芒星覇弾炎魔熾重砲》にて、全員を焼き払う。奴らは一瞬たりとも怯まず、燃えたままのゴンドラにて特攻をしかけてきた。
「《流水根源爆発》!!」
滅びる寸前、奴らの魔力は一気に増大し、その力を使い、ヒースたちは自爆した。
根源爆発の光が、無神大陸を真白に染め上げる。
一五体のヒースは跡形もなく消滅した。
しかし、多少の出血はしたものの、俺に致命傷を与えることはできない。
この二律僭主の体は銀水世界リステリアの《淵》、《追憶の廃淵》にて生まれ、更に混沌に染め上げられた。極めて強靭な肉体だ。
「小出しにしていては勝ち目はないぞ。俺を滅ぼしたくば、お前たち全員でかかってこい」
周囲を取り囲む無数のヒースに俺は言い放つ。
だが、奴は慎重にこちらの出方を窺い、攻めてこようとはしない。
「《二律影踏》」
一番近くの第三魔王に飛び掛かり、その影を踏みぬいた。《二律影踏》の効果により、影を踏まれたヒースの根源が木っ端微塵に弾け飛ぶ。
そのままの勢いで次の第三魔王に接近を果たし、影を踏む。
片っ端から、踏んで、踏んで、踏みつくし、第三魔王を次々と滅ぼしていく。
「我はわかっているのだ、二律僭主」
頭上から飛んできた第三魔王が櫂を振り下ろす。それを避けて、黒き《深源死殺》の手を突き刺した。
「汝は転生した。転生してしまったのだ。泡沫世界のか弱き魔族へとな」
背後から特攻をしかけてきた第三魔王が根源爆発を引き起こす前に、《二律影踏》にて踏み抜き、塵に変える。
「転生前に残したその前世の体……いったい後何分使える?」
時間稼ぎをするように次々と第三魔王は波状攻撃をしかけてくる。貫き、踏みつけ、燃やし尽くして、その悉くをはね除ける。
「体はやがて、根源の形に戻っていく。汝はその前に我を倒したいのだ。だからこそ、全員での特攻を誘った。危険を冒してでも、その体が使える内に勝負を決めなければならないからな」
クククク、と見透かしたように奴は笑う。
「思惑が外れたな、二律僭主。我は汝を滅ぼす必要がない。こうして、ただ時間を稼いでいるだけで、勝敗は決する」
周囲のヒースたちが魔法陣を描く。
そこから、溢れ出した水流が竜の姿となって、襲いかかる。
「汝の負けだ、ノアッ!!!」
バシュンッと水が弾ける音が響いた。一斉に襲いかかってきた水の竜が、俺の魔力に押し返され、霧散したのだ。
「ふむ。さっきから、なんの話だ、ヒース?」
第三魔王が僅かに狼狽の色を覗かせる。
「先程、小出しにしていては勝ち目がないと言ったのはな。そのままの意味だ」
俺は三種類の魔法陣を描く。
一つ目――
「《黒七芒星》」
それは魔法の力を底上げする黒七芒星。二律僭主が得意とした深化魔法の一つ。
黒七芒星を纏わせる魔法は、二つ目の――
「《涅槃七歩征服》」
禍々しい魔力がこの身から溢れ、激しく渦巻く。
刹那、俺の周囲に流れている聖川――第三魔王の《聖川流水深極光界船》が朽ちていき、黒き灰へと変わり始めた。
根源にて凝縮した滅びを解放し、俺の力を瞬間的に底上げする深化魔法。
全てが深淵へと迫りゆく《涅槃七歩征服》、黒七芒星の力にて、更に深さを増していた。
俺はゆるりと足を踏み出し、一歩目を刻む。
三つ目――
「《二律影踏》」
対象としたのは、周囲に流れる聖川だ。
無数に現れた影は無神大陸全土にまで行き渡っている。その広大な影を、俺は一踏みで踏み潰した。
弾け飛んだのは、第三魔王ヒースだ。
奴は言った。聖川の水滴一粒一粒が自分自身だ、と。だが、今、俺の《二律影踏》の一歩によって、広大かつ無数の聖川が、水の一滴すら残さずに滅び去ったのだ。
《二律影踏》によって踏み潰された聖川は、黒い灰へと変わり果てた。
残ったのは、本体の第三魔王一人のみ。
「お前に聞きたいことがある」
「……大提督ジジとの関係をか?」
そう言って、第三魔王はニヤリと笑みを覗かせる。
瞬間、カッと目映い光が弾け、耳を劈く轟音が響いた。無神大陸の一部が爆ぜ、大穴が空けられている。
見たことのある魔弾だ。
「《銀界魔弾》か」
「刻限だ」
ヒースが指をさす。
俺の体が淡い光を放っていた。
そうして、少しずつその光の輪郭が変化を始めた。二律僭主の体が転生した俺の根源に合わせ、元の姿に戻っていくのだ。
魔王アノス・ヴォルディゴードの姿へと。
「これで汝は混沌の力を十全に使いこなすことはできない。そして――」
すっと第三魔王が手を上げる。
すると、無神大陸の空に、夥しい数のゴンドラや船が姿を現した。乗っているのは仮面をつけた者たちだ。装いは第三魔王によく似ている。
「……第三魔王の配下です……」
そうロンクルスが言った。
「彼らは全員、《銀界魔弾》で武装している。我の合図で、この無神大陸は海の藻屑となるだろう」
第三魔王ヒースは勝ち誇ったように、俺を指さした。
「汝には祈る神さえいない。いい加減、認めるのだな」
無神大陸の空に浮かぶ、数多の船、数多のゴンドラから魔法陣が描かれた。
それは《銀界魔弾》発射のための魔法術式だ。
「汝は、裸の王様だ!」
空が目映く輝いた。星のように瞬くそれらは《銀界魔弾》の光である。
「だそうだ――」
数多の敵、数多の弾丸が無神大陸に襲い掛かる。それらを見上げるロンクルスに、俺は含みを持たせて言った。
「まだ見えるか、ロンクルス。俺の着ている服が」
静かに笑みを見せ、彼は答えた。
「我らは何者にも支配されない自由の民」
それはかつてこの地にて、この大陸の民たちが口にした言葉。
「秩序も、死も、滅びも、我らを縛る枷にはならない。ただ一つ。ただ一つだけ」
《銀界魔弾》の弾丸が無神大陸に着弾するその刹那、ロンクルスは言った。
「なにが起ころうと、最後の瞬間まで、我らはあなたの勝利を確信し続ける。それだけは揺るぎようのない事実です」
自然と笑みがこぼれる。
俺は《銀界魔弾》を無視して、まっすぐ第三魔王ヒースへと突っ込んだ。
無神大陸に幾本もの目映い光の柱が立った。無数の《銀界魔弾》は確かに、無神大陸に着弾した。
だが――その前に歌が聞こえていた。
「な……に……!?」
ヒースのゴンドラを《二律影踏》で踏みつけ破壊すると、俺は更に上昇した。
そこに降りてきたのは二つの船。
魔王列車と飛空城艦ゼリドヘヴヌスだ。エールドメードには界間通信にて凡その情報が伝わっている。奴ならば、この状況を察知して、駆けつけてくる頃と踏んでいたのだ。
「カーカッカッカッカ! グッドタイミングゥ!!」
エールドメードが高笑いを上げながら、そう言った。
魔王列車の上にはファンユニオンが乗っており、神詩ロドウェルを歌っている。
それが降り注ぐ《銀界魔弾》を無効化したのだ。
「さてさて、敵は第三魔王の配下だそうだ。カカカ、銀水聖海の魔王と転生世界の魔王。どちらが上なのか、知らしめる時が来たではないか!」
ゴンドラと船の大船団に、エールドメードは杖を向けた。
「殲滅、殲滅、殲滅だぁぁぁーーっ!!!」
その号令を合図に、レイとシンが先陣を切った。
巨大な船をいとも容易く、二人はその聖剣と魔剣にて一刀両断した。
ミサ、エレオノール、ゼシア、エンネスオーネがそれに続き、後方から二人の援護をしつつ、第三魔王の配下たちを撃破していく。
ゼリドへヴヌスは縦横無尽に戦場を飛び回り、敵を攪乱し、陣形が乱れたところを魔王列車の歯車砲が狙い撃った。
ナーヤをはじめ、魔王学院の生徒たちも、強大な敵にいつもの決死の表情で立ち向かう。
瞬く間に、彼らは第三魔王の配下を殲滅していった。
「二律僭主っ……!!!」
第三魔王ヒースが怒りの形相でこちらに突っ込んでくる。
「《黒七芒星》」
黒七芒星を描き、俺は真っ向からヒースを迎え撃った。
「《深源死殺》」
黒七芒星を纏った黒き指先が、第三魔王ヒースの胸を貫き、根源に達する。
そして、それを握りつぶした。
「がっ……おの……れ……」
第三魔王の体が崩れていく。奴は忌々しそうに俺を睨む。
「……我を滅ぼしたところで……正帝は滅びぬ……この海の正義は、汝には渡さない……」
灰に変わるように第三魔王ヒースは完全に崩れ、消滅したのだった――