お伽噺の英雄
現在――
無神大陸。古城の中庭。
大岩の前にロンクルスは寝かされている。第五魔王ホルセフィはその魔眼にて、ロンクルスの深淵を覗いていた。
「問題ないだろう」
一通り魔眼で観察した後、ホルセフィは言った。
「《融合転生》は完了している。お主たちの見立て通り、少々根源が消耗しすぎただけだ。じきに目を覚ま――」
説明の途中に、ロンクルスは目を開いた。
彼はゆっくりとその身を起こす。
「おお……」
「ホルセフィ……」
「無事でなにより――」
「今すぐっ!!」
久しぶりの再会に、しかしロンクルスは血相を変えて詰め寄った。
「今すぐ無神大陸を深層十二界にお戻しくださいっ……!!」
「なに……?」
咄嗟のことでホルセフィは、彼の意図を図りかねていた。
「それはどういう……?」
「無神大陸を深層十二界から出したのは、銀水聖海の魔王に狙われないためよ。また深層十二界に戻したら……」
サーシャがそう口にすると、ロンクルスは首を左右に振った。
「僭主の体を借りた後、わたくしはずっとパブロヘタラを探っておりました。僭主の予想通り、奴は無神大陸を狙っております」
「奴って……?」
サーシャが疑問を向ける。
「あなた方にわかりやすくいえば、隠者エルミデ」
ロンクルスは言った。
「その正体は、正帝でございます。この名も、本物かどうかは定かではありませんが」
「正帝……? どこかで……」
サーシャが思い返すように頭を捻った。
「銀水世界リステリアの……お伽噺の英雄」
そうミーシャが言った。
《絡繰淵盤》を使い、オットルルーが追憶のパブロヘタラを見せた時に教えてくれたことだ。
銀水世界リステリアの住人が今際の際に追憶した正義の味方。それが正帝だ。
つまり、本来は実在しないはずである。
「どういうことかしら?」
ますますわからないといった風にサーシャは問う。
「説明している時間はございません。今すぐ無神大陸の移動を、ホルセフィッ……!!」
「……承知した。皆の魔力を貸してもらおう」
ホルセフィは上空に巨大な魔法陣を描く。
ロンクルスが手を上げれば、彼の魔力がそこへ吸い込まれていった。
次々と空の魔法陣には魔力が集まっていく。
ラグー、ノーズ、アガネ。無神大陸の住人たちが、魔力を放出しているのだ。
「サーシャ」
「わかったわ」
ミーシャとサーシャは空に手をかざし、魔法陣に魔力を放った。
集められた魔力は次第に球状に変化していき、無神大陸を覆いつくす。
その瞬間、無神大陸は急加速して、深層十二界めがけて直進した。銀海を駆ける一筋の彗星の如く、魔力に包まれた大陸が飛んでいく。
みるみる内に暗闇に覆われた領海が見えてきた。無神大陸は最短距離を突き進み、その暗闇の中へ入った。
「深層十二界に入った」
ホルセフィが言うと、ロンクルスはほっと胸を撫で下ろした。
「これでどうにか――」
その瞬間、ドゴゴゴゴゴゴゴゴォッと無神大陸に大爆発が巻き起こった。
「ホルセフィ……!!」
「弾き出された」
無神大陸の外が明るかった。深層十二界側から魔法砲撃を受けたのだ。その爆風により、深層十二界から弾き出された。
「滑稽だな、独王マルクス」
無神大陸の空に姿を現したのは絡繰神。そして、第三魔王ヒースであった。
「だが、これでわかったはずだ。汝の真の主は二律僭主ではなく、このヒースであると」
ゆっくりと降下してくるヒースを見据え、ロンクルスは言った。
「……ヒース。あなたが、正帝……なのですか……?」
「その通りだ」
無神大陸の大地に、ヒースと絡繰神は足をついた。
「二律僭主なき今、もはや正体を隠す必要もなくなった」
「なぜ……? あなたは……」
ロンクルスの声が震えていた。
「恨んでいるのですか? かつて独王と呼ばれていたわたくしが、あなたと袂を分かったことを……!!」
「恨む?」
フッとヒースは笑う。
「違うね。我が友マルクス、我は汝を許したよ」
迷いなくヒースは歩いてくる。警戒するロンクルスの前まで、無防備に。
「なにがあろうと、汝は我の友人。ゆえに、今度こそともに力を合わせよう。我を大魔王にしてくれ」
ロンクルスの目の前で立ち止まり、第三魔王ヒースは手を差し出した。
互いに手を取り合い、やり直そうと言わんばかりに。
ロンクルスは目を丸くするしかなかった。
まるで話が通じない。そんな感覚に陥ったのだろう。
「なにをおっしゃって……申し上げたはずでございます。わたくしは最早、あなたの友マルクスでは……」
「我も言ったはずだ。汝は我が友マルクス、と」
有無を言わさない、高圧的な口調だった。
「なあ、マルクス。正帝とは正義の味方なのだ」
鳥仮面の奥の瞳が不気味に光る。
「正義の味方は決して間違えない。正義の味方を裏切る友など、存在するわけがない」
「……左様でございますか」
短く言って、ロンクルスはホルセフィやサーシャたちと目配せをした。
「だとすれば」
ロンクルスが静かに片手を上げる。
その動きにヒースが視線を集中した瞬間、サーシャは《終滅の神眼》で第三魔王ヒースをキッと睨んだ。
視線をなぞるように黒陽が照射され、奴の体を灼いていく。
「氷の城」
ミーシャが《源創の神眼》を空に向ける。
巨大な氷の魔王城が構築され、それが真下にいるヒースめがけてズドンッと落ちた。
氷の魔王城はヒースを押し潰し、追撃で放たれたサーシャの神眼に灼かれて、黒く炎上した。
「だとすれば、あなたは正義の味方ではなかったということでございます」
燃え上がる魔王城に、ロンクルスは魔法陣を描く。
そこめがけて、無神大陸の石という石が雨あられの如く降り注いだ。
石は魔王城に衝突すると、融合する。次々と降り注ぐ石の雨は、すべてが融合し、次第にそこに山を構築していく。
黒く燃え続ける石の山だ。サーシャの黒陽をも融合させ、第三魔王ヒースを縛る枷を作ったのだ。
その巨大な石の山は、ヒースの体とも融合しているだろう。生半可なことでは指一本動かせない。
しかし――
「我は正帝」
声が響いた。
その瞬間、水流が石の山を駆け巡り、一気に弾けた。
すべての融合が解除され、無数の石と魔王城と黒陽に戻る。第三魔王ヒースが手にした櫂を振るえば、バシュンッと音を立てて、その三つが同時に砕け散った。
「完全なる正義を実行する者なり」