裸の王様
一万四千年前。樹海船アイオネイリア。
空気の破裂する音が幾度となく響いていた。
なにかがぶつかり合っている。だが、両者の姿は見えない。速すぎて、目に映らないのだ。
ただ時折、目映い光が弾けては消える。
そうして、幾度目の衝突か。左右から光の線を描き、両者は互いに真っ向から突っ込んだ。
大気を揺るがす衝撃が樹海船の大地に伝播する。
はっと息を呑み、ロンクルスは頭上を見上げた。
手掌を交えているのは二律僭主ノアと絡繰神だった。
「無意味な」
絡繰神が言う。
ノアは冷めた瞳で、そいつを見ていた。
「二律僭主。お前のすることは常になんの意味もない」
「卿にとってはそうだろう」
二律僭主が左手を振るい、その爪で絡繰神を斬り裂く。
ガシッと絡繰神は左腕を受け止めた。
「それだけの力を有しながら、お前のやっていることは児戯に等しい。あの大陸など最たるものだ。神無き世界? 秩序が救わなかった者を救う? ククククク」
絡繰神は不気味に笑った。
「秩序が支配するこの海で、そんなことが本気でできるとでも思っているのか?」
「できたからこそ、無神大陸が存在する」
「夢にすぎん」
ノアの言葉を、絡繰神は一蹴した。
「秩序が救わなかった者は、結局のところ救われないのだ。お前がしていることは、一時の儚い夢を見せているにすぎん」
「海は広い。この海のどこかに、儚い夢が叶う場所があってもいいだろう」
ククククク、と絡繰神は再び笑った。
「救われない救済、無意味な願い。理想だけはご立派な夢追い人。だが、その実、お前はその夢すら自ら描いたわけでもない」
まるでノアのことを知っているかのように、絡繰神は言う。
「臣下に祭り上げられたのだ。その夢は素晴らしいと。あなたにしか追えないと。馬鹿には理解できない尊い理想だとなぁ! 二律僭主、お前は裸の王様だ!!」
「僭越ながら――」
手四つで組み合う絡繰神の背後にロンクルスが転移していた。
「僭主こそ、この銀海に吹く、自由なる風にございます!」
怒りとともにロンクルスは、絡繰神の肩をつかんだ。
奴が振り払おうとするよりも先に、その手は絡繰神と融合した。
「ぬっ……!?」
「捕まえました。僭主っ!」
ロンクルスが声を上げると同時、二律僭主は目の前に黒の七芒星を描いていた。
「《黒七芒星》」
間髪を容れず、ノアはもう一つの魔法陣を描く。
「《覇弾炎魔熾重砲》」
撃ち放たれた蒼き恒星は黒七芒星を纏う。それは魔法の力を底上げする深化魔法。深淵に近づいた《覇弾炎魔熾重砲》がまっすぐ絡繰神の土手っ腹をぶちぬいた。
本来は再生するはずの絡繰神は、しかし黒く腐食し、崩れ去っていく。
《黒七芒星》にて強化された《覇弾炎魔熾重砲》が、絡繰神の再生力を上回ったのだ。
「卿の目的はなんだ? 隠者エルミデになりすまし、パブロヘタラでなにをするつもりだ?」
「いいや。私こそが、本物の隠者エルミデだ」
クククク、と崩れ落ちる絡繰神の体から、不気味な笑い声がこぼれ落ちる。
「そんなこともわからずに、理想を宣うか、二律僭主よ」
嘲るような言葉を残し、絡繰神は消滅した。
二律僭主はそれを確認すると、降下していく。ロンクルスは後に続いた。
降り立ち、彼は足下に魔法陣を描く。
樹海船アイオネイリアは旋回し、元来た海路を引き返して行く。
「お戻りになられるのですか?」
「そうだ」
アイオネイリアは全速力で飛び続ける。二律僭主が操船するその船の足は速く、瞬く間に目的地が見えてきた。
無神大陸である。
それは緩やかではあるものの、動いていた。
樹海船アイオネイリアは無神大陸に降下していく。下方に古城が見えると、ノアは船から飛び出した。ロンクルスはその後を追う。
二人が降り立ったのは中庭だ。大岩と同化しているホルセフィのもとへ二律僭主は歩いていく。
「ホルセフィ。無神大陸を止めてくれ」
「……承知した」
ホルセフィの体が光輝く。すると、ゴゴゴゴ、と音を立てて無神大陸が揺れ始めた。
一際大きく揺れた後、その大地は止まった。
「大魔王に目をつけられたか?」
「パブロヘタラだ」
ノアが言う。
「銀水学院……か。あれは悪しき階級制度の表れだ」
ホルセフィが言う。
「パブロヘタラに巣くう何者かが、恐らくエルミデを滅ぼしたのだろう」
「なぜ僭主を狙ったのでしょう?」
ロンクルスが疑問を向ける。
「まだわからない……恐らく奴の目的に、私か、この無神大陸が邪魔なのだろう」
あの絡繰神は無神大陸に執着していた。本当に取るに足らないと思っていたならば、殊更に否定することもない。
少なくとも、目障りには思っているのは確かだ。
「しかし、それならば僭主ではなく、最初から無神大陸を狙うはずでは……?」
「大魔王を敵に回したくはないのだろう。無神大陸は深層十二界の一部、攻め入れば魔王たちも黙ってはいない」
大魔王ジニアを敵に回すよりは、二律僭主を相手にした方が楽だと判断したということだ。
「だから、移動をおやめに?」
ホルセフィが問う。
「離れようと考えたが、このまま深層十二界に置いておいた方が安全そうだ」
二律僭主は魔王たちとって不可侵領海とされている。大魔王の命である以上、彼らは滅多なことでは襲ってこないだろう。
「奴は正体を隠しているがゆえに、大魔王の魔眼を恐れるだろう」
「確かに、大魔王ジニアの魔眼ならば、絡繰神越しでも、その正体が見抜かれる」
そう第五魔王ホルセフィは言った。
「では、これからどうなさいますか? この領海にあっては、奴も迂闊には動かないでしょう」
ロンクルスが聞く。
「パブロヘタラを見張る」
ノアはそう口にして、再び樹海船アイオネイリアへ向かった。