流水魔法
聖川世界の源流は激しく交わり、荒れ狂う。
その水の一滴一滴が剣よりも鋭い刃であり、その流れの一つ一つが大槌よりも重たい鈍器だった。
複雑怪奇な源流の極光はこの身を裂き、打ちつけ、叩き潰し、押し流していく。
一言で言うならば、途方もない力の塊をぶつけられていた。
これがいかに流水魔法の習得につながるのか。皆目見当がつかなかった。
右腕を切り飛ばされるまでは――
「ふむ」
体の力を抜き、俺は全ての反魔法を解除した。
瞬間、荒れ狂う源流の極光がこの身をズタズタに引き裂いていく。
これほどの深層世界、これほどの力を前に、守りを放棄すれば、瞬く間に滅び去るだろう。
しかし、右腕を切り飛ばされた時、ほんの僅かだが確かに感じたのだ。
この世界の秩序――
この世界の流れを。
恐らく流水魔法を習得することとは、聖川世界の流れと一体となること。
つまりは流れに逆らわず、この源流の極光に身を委ねる。そうすることで、この体は聖川世界の流れに乗ることができる。自分自身が、川の流れそのものになるのだ。
切り離された五体が更に切り刻まれ、水の粒と化すまで細かく切断される。
川の流れを知るならば、水になるのが手っ取り早い。
そうして、川そのものとなった俺は幾重にも重なる複雑怪奇な流れの中、唯一穏やかな一点を見つけた。
それこそが、この流れの深淵にして始まり。すなわち、源流だ。
ゆるやかに手を伸ばすイメージで、俺はその源流をつかむ。
すると、水と化していたこの身が光を放ち、形を取り戻していく。
ぐっと手の平がなにかをつかんだと思ったその瞬間、流れに乗るように体が浮上した。激しく明滅していたオーロラをくぐり抜けると、そこに驚いたような顔があった。
アイシャだ。
「……え?」
と、サーシャが声を漏らし、俺の顔をマジマジと見る。
「なかなか変わった習得方法だったが」
俺が手を伸ばせば、そこに水流が溢れ出す。
そのまま空をなぞれば、それは魔法陣と化した。
「覚えたぞ」
「……相っ変わらず早いわね……」
サーシャは驚き半分、呆れ半分で言った。
「《融合転生》を?」
ミーシャの問いに、俺はうなずく。
「ああ。今すぐ完了させる」
描いた魔法陣は俺の根源に光を放つ。
「でも、《融合転生》ってお互いに融合するのよね? 完了させるのはいいんだけど、その場合どうなるの?」
「うまく共存できればと思っていたが、どうやら俺が引っ込まねばロンクルスが無事に転生できぬようだ」
「え……じゃあ……?」
「つまり、今と逆だ。俺の体をロンクルスが支配する形で《融合転生》を完了させる」
ぱちぱち、とアイシャが二度瞬きをする。
「アノスは?」
「しばらくはロンクルスの中で過ごす」
「その後どうするのよ? 体をあげちゃったら、そう簡単には元に戻れないでしょ?」
体をあげると言うが、正確にはロンクルスを主となるよう根源の形を変えるのだ。体が消滅しても《蘇生》を使えばいくらでも復元できるが、《融合転生》が完了すれば、ロンクルスの体でしか復元できぬ。
別の手を打たねばならぬだろう。
「なに、一応アテはある」
そうなの? といった視線を向けてくるアイシャをよそに、俺はもう一つ流水魔法の魔法陣を描き、遠くへ向けた。
「《流川操魔》」
光が空を駆け抜けていく。
「アイオネイリアを飛べるようにしておいた。俺が《融合転生》を完了させた後、この体はロンクルスのものとなる。彼とともにアイオネイリアで一度無神大陸に戻れ」
こくりとアイシャはうなずく。
「わかったわ」
もう一つ、俺は自らの根源に向けていた《流川操魔》を発動させる。
《融合転生》を川に見立てれば、それはいくつもの支流からなる大河である。されど支流のいくつかが涸れており、大河の水は十全ではない。流れが滞っているのだ。
《流川操魔》は涸れていた支流を補う形で、大河に水を流す。滞っていた流れがみるみる元に戻っていき、勢いよく大河の川が流れ出す。
俺の体が光り輝いた。その像が崩れるように、一度ぐにゃりと歪む。どうやら上手くいったようだ。《融合転生》が正常に進行し始めていた。
「任せたぞ」
言葉と同時に光が更に膨れ上がる。
そうして、ぱっとその輝きが消え去ったかと思えば、アイシャの前に目を閉じたロンクルスの姿があった。夢で見た時同様、燕尾服を纏っている。
息を呑んでアイシャは彼を見つめた。
だが、しばらく待ってもロンクルスが目を覚ます気配はない。
「あれ? 失敗かしら?」
サーシャの言葉に、アイシャは自ら首を横に振った。ミーシャだ。
「失敗なら、ロンクルスの姿にはならない」
「そうよね。ロンクルスが主体の根源になってるから、体もロンクルスのものになってるってことだものね……」
改めて確認するようにサーシャが言う。
「じゃ……なんで起きないのかしら?」
「たぶん、アノスの根源の中にいたから」
「消耗しすぎてるってこと?」
こくりとアイシャはうなずく。
「それなら、とりあえず無神大陸まで運びましょ」
アイシャはロンクルスの体に触れ、《転移》で樹海船アイオネイリアに転移した。
《分離融合転生》が解除され、アイシャはサーシャとミーシャに分離した。
「飛べるようにしておいたって言ってたけど……」
サーシャがそう口にした途端、ゴ、ゴゴゴと樹海船はひとりで動き始めた。
《流川操魔》に従い、二律剣が樹海船に魔力を伝え、聖川世界を離脱していく。
「……そういえば、第三魔王に挨拶していかなくてもいいのかしら? あんまり挨拶したくもないけど……」
「止め方がわからない」
「……あ……」
ミーシャの言葉に、サーシャは気がついたように声を上げた。そして、その頃にはもう遅かった。
樹海船アイオネイリアは考える間もなく加速し、銀水聖海を飛び抜けていく。
ロンクルスは目を覚まさない。
俺は彼の体の中で、ある過去を見ていた――