大魔王
樹海船の外で、第三魔王ヒースは眼光鋭くこちらを睨めつけてくる。
外からは俺たちの姿は視認できぬが、まるで見えているかのようにピタリと目があった。
「お前たちは隠れていろ」
「……どうするの?」
「二律僭主ならば、出て行かぬ理由はあるまい」
俺は飛び上がり、結界の外に出た。
「不可解な仮面だな」
「そういうお前の仮面もなかなか不可解だ」
第三魔王ヒースの鳥仮面を俺は指さす。
「魔力を隠してどうするつもりだ?」
訝しむように第三魔王ヒースが問うてくる。
「魔力を知られてよいことなど一つもあるまい」
「汝らしくもない。二律僭主といえば、真っ向から全てを叩き潰す力の化身だ。そのような小細工を弄するか?」
「くはは」
そう笑い飛ばしてやれば、奴はムッとしたようにこちらを睨んでくる。
「なにがおかしい?」
「お前が俺の底を見たことがあるように言うのでな」
ますますヒースは視線を険しくした。かんに障ったというのがありありと見て取れる。
「この仮面の意味がわからぬなら、お前はその程度なのだ」
「……なぜ樹海船を直さない?」
「直す? 見てわからぬのか?」
一瞬の空白、ヒースは言った。
「なにがだ?」
「この船は万全だ。多少、木は枯れたがな。お前の攻撃など効いてはおらぬ」
ギリッと奥歯を噛む音が聞こえた。
「ミリティアの元首、アノス・ヴォルディゴード」
確信めいた口調でヒースは言う。
「二律僭主に扮し、大魔王様の膝元までなんの用だ?」
「なんのことだかわからぬな、第三魔王」
カマをかけているのか、すでに気がついているのか。まあ、この際どちらでも構わぬ。やることは一つだ。
「本物だというなら、その仮面を外せ」
「俺が偽者だというのなら、力尽くでやればよい。お前たちにとっての不可侵領海ではないのだからな」
言った瞬間だった、ヒースの姿がゴンドラから消えた。
奴は一瞬で俺の背後をとっており、その櫂を仮面めがけて横薙ぎに振るった。
破滅の魔眼で睨みつければ、それはバジィッと弾かれた。
思った通り、この世界では魔眼の力が強く働く。
「本気を出せ。偽者とて、この程度では馬脚を現さぬ」
「……フン」
奴は櫂を収め、再び消えた。
そうかと思えば一瞬にしてゴンドラの上に移動した。
「それでなんの用だ、二律僭主」
ヒースはそう問うた。
俺を二律僭主と認めたわけではないだろう。深追いして来ないのは、万が一本物だったときのリスクが大きいからだ。
ホルセフィの言った通り、なかなかどうして慎重だ。
「大魔王ジニアに謁見をしようと思ってな」
「なんのためにだ?」
「お前に言う必要があるか?」
殺気だった視線が俺に突き刺さる。
「ついてくるがいい」
大魔王ジニアならば、俺の正体がわかると踏んだか、ヒースはゴンドラを地上へ向けて飛ばした。
『そこで待っていろ』
サーシャとミーシャに《思念通信》を送り、ヒースのゴンドラの後についていく。
しばらく飛ぶと、見えてきたのは空に浮かぶ巨大な球である。その周囲をドーナツのように輪が覆っている。
近づいて見てみれば、その球は城だった。
ヒースは輪の部分に降り立った。
そこから城に向かって橋がかけられている。橋を渡れば、城門があった。
ヒースが手を触れると、音を立てて城門が開く。
広いエントランスを通り抜け、奥まで歩いていくと、再び豪奢な門があった。
開け放てば、そこは玉座の間である。
最奥には禍々しい玉座があり、一人の老人が座っていた。
ゆったりとした白い装束を身に纏っており、長い白髪と長い白髭を生やしている。
「二律僭主が謁見をしたいとのことです。大魔王ジニア様」
片膝をつき、丁寧な口調で第三魔王は言った。
「おぉ。そうか」
大魔王と呼ばれている人物とは思えぬほどに穏やかな声であった。そうと知らなければ、とても闘争など好むような類いの人間には見えぬ。
しかし、この老人が深層十二界の法を定めているのだ。
「ノアよ」
大魔王ジニアは俺を視界に収めると、自然な口調で問いかけた。
「その仮面は外さぬのかのう?」
「なにか問題か?」
「二律僭主。大魔王の御前だ。あまり粋がるようなら、我が相手をすることになる」
口を挟んできたのは第三魔王ヒースである。
「よいよい」
軽く手を上げて、ジニアは第三魔王を制す。
「お前が謁見とは珍しいこともあるものじゃ」
柔らかい口調で言い、大魔王ジニアは俺の仮面を改めて見た。
魔眼を発動してはいない。魔力を発したわけでもない。にもかかわらず、根源の底まで見抜かれそうな視線であった。
「なにか理由があるのかのう?」
俺が二律僭主ではないとすでに見抜かれているのか。そんな予感を覚えるほど、落ち着いた声音である。
この老人は、久しく見ぬ強者だ。魔眼を凝らしても、力の底がまるで見えぬ。銀水聖海の名だたるものが、大魔王と恐れるだけのことはある。
「無神大陸を深層十二界の外に移そうと思ってな」
単刀直入に俺は切り出した。
「な……に……!?」
驚きの声を発したのは第三魔王ヒースである。
「貴様……それがどういう意味を持つか、わかっているのか……!?」
「ああ。無神大陸は元々融合世界、大魔王ジニアの支配下にあった。一応、挨拶をしておくのが筋だと思ってな」
「図に乗るなっ!!!」
ヒースが声を荒らげた途端、凄まじい魔力の奔流が彼を中心に膨れ上がった。
ゴゴゴゴゴとけたたましい音を立て、大魔王の城が震撼する。
「無神大陸は今も昔も大魔王ジニア様の所有物っ! それを奪い取ろうというのを、黙っている見過ごすと思うなっ!!」
「ヒース」
ジニアは一瞬、目を光らせた。
「儂が話そう」
「……は」
不服そうな顔を見せながらも、ヒースは矛を納める。その眼光は先程よりも鋭く、俺を睨み殺さんばかりだ。
「ノアや」
ジニアは柔らかく笑った。
「話をする前に、一分だけでこの老体の相手をしてくれるかのう?」
穏やかに彼は言う。
「若い者の成長が老人には一番の楽しみでのう」
ふむ。
無神大陸を外に出したければ、力を示せということか?
あるいは、俺が偽者だと勘づいてのことか?
「それは――よからぬことを考えている顔じゃな?」
「我が世界に古くから伝わる金言がある」
ジニア・シーヴァヘルドへ俺は言った。
「老いては子に従え、と」