魔眼世界
無神大陸。古城の中庭。
「……うむ。やはり、覚醒に至らせるのは難しいか」
大岩に同化しているホルセフィが言う。
彼は停滞世界の住人、第五魔王といえども得手不得手はあるのだろう。
《融合転生》は進んだが、完了には至らず、ロンクルスの覚醒はまだ遠い。
「残念だが、融合世界の住人は無神大陸にはいない。彼らは各々の目的のため、旅立った。今はどこにいるのかもわからん」
「だが、お前たちの事情はわかった」
ホルセフィに俺は問う。
「大魔王ジニア・シーヴァヘルドはどこにいる?」
「ええっ……!?」
驚いたように声を上げたのはサーシャだ。いきなりなにを言い出すのかといった顔で彼女は俺を見ている。
「大魔王ジニアがいるのは魔眼世界ゴーズヘッド。深層十二界の中心に位置する」
そう口にして、ホルセフィは魔法陣を描く。
深層十二界の海図が空中に現れた。ゴーズヘッドの位置が赤く光っている。
「行くぞ」
俺は《飛行》で浮き上がり、滞空している樹海船アイオネイリアを目指す。
「え、ちょっと、アノスッ?」
慌てたようにサーシャが、そして平然とした様子でミーシャが追ってくる。
「どこへ行くのだ?」
地上からホルセフィが問う。
「大魔王ジニアに会ってくる」
ホルセフィの魔力が揺れる。動揺の証だろう。
この男とて、並の力量ではない。少なくとも第二魔王ムトーと同格。それがこうまで恐れるとはな。
「なんのためにだ?」
「ロンクルスと約束してな。二律僭主を演じ、自由なる風を吹かせると。二律僭主が健在だということがわかれば、この無神大陸を襲う魔王はいない」
「止めておいた方がいい。大魔王の魔眼を欺くことなど不可能だ」
大魔王は魔眼世界ゴーズヘッドの住人なのだろう。ならば、誰よりも魔眼の力に優れていると考えるのが妥当だ。
「確かに、二律剣があろうと、正体は見抜かれるだろうな」
「……では、どういうつもりで?」
「押し通せばいい」
「は……?」
思いも寄らない回答だったか、ホルセフィは疑問の声を上げた。
サーシャからは、また始まったといった視線が送られてくる。
「俺が二律僭主だと力尽くで押し通す。中身が多少変わっていたところで問題はあるまい。要は無神大陸を奪うのは危険だと理解してもらえばいい」
力を示せば、本物だろうと偽者だろうと奴らにとっては同じことだ。
「理屈の上ではそうだが……」
「なに、どちらかが滅びるまでやり合おうというわけではない。軽く遊んでくるだけだ」
そう言うと、俺は樹海船の大地に着地した。
それ以上、ホルセフィからの反論はない。奴は俺の記憶を読んだ。止めても無駄なことがわかったのだろう。
「結局、こうなるのね……」
隣でサーシャがぼやき、
「アノスらしい」
淡々とミーシャが言った。
軽く笑みで応じ、俺は樹海船に突き刺した二律剣に魔力を通す。
勢いよく樹海船は上昇していき、無神大陸の領海から離脱する。
先程見た海図に従い、魔眼世界ゴーズヘッドに進路を向けた。
銀海を斬り裂き、樹海船アイオネイリアは高速で飛んでいく。
「海図からすると、そんなに遠くないわよね?」
サーシャの問いに、ミーシャはこくりとうなずく。
深層十二界自体はその名の如く、十二からなる小世界で構成されている領海だ。それぞれの小世界同士はかなり近く、密集している。
この樹海船ならば、さほど時間はかかるまい。
「もう見える頃だ」
ミーシャが神眼を光らせ、銀海をじっと見る。
それから、ぱちぱちと瞬きをした。
「なにもない……?」
不思議そうにミーシャは小首をかしげる。
「もうちょっと先なんじゃないかしら?」
サーシャがそう言ったが、ミーシャは首を左右に振った。
「海図だとすぐそこ」
ミーシャが樹海船の進行方向を指さす。
相変わらずそこにはなにもない。
ただただ深い海の闇が続いているだけだ。
「ふむ。魔眼世界だからな。その世界の魔眼でなければ、見えぬ銀泡なのやもしれぬ」
「じゃ、どうするのよ?」
「なに、見えぬだけならそこにあるのだろう。船を降ろせばいい」
二律僭主に扮するため、俺は仮面をかぶり、外套を纏う。二律剣に魔力を加え、銀泡へ入る操船を行った。
樹海船アイオネイリアが光り輝く。その一瞬、薄い膜のようなものを通過した。
辺りは相変わらず暗い。
いや、微かだが遠くに光が見える。
それは星の瞬きだった。つまり、黒穹に入ったのだ。そのまま、アイオネイリアを降下させていけば、黒穹は空に変わった。
「なにここ……?」
サーシャは思わず言葉をこぼす。
辿り着いた魔眼世界――その空が異質だった。
「赤い空……」
ミーシャが呟く。
そう、魔眼世界の空は血のように赤い。更には、空に輝く太陽までも真っ赤に染まっていた。
「なんだか、あれ、人の目みたいで不気味ね」
魔眼世界の太陽を見ながら、サーシャが言う。
「あれは赤眼神ゼムズガルド」
声が響いたのは樹海船の外からだ。
張られた結界の向こう側に、ゴンドラがあった。櫂を使い、それを操っているのは、第三魔王ヒースであった。
「出てくるがいい、二律僭主。大魔王様の世界に何用だ?」
眼光鋭く、ヒースは問うたのだった。




