国盗り
ホルセフィの言葉を聞き、ラグーは怪訝な表情を見せる。
「ホルセフィ様。まずいこと、というのは?」
『この者の口にしたことは事実だ。転生世界ミリティアが元首、アノス・ヴォルディゴード。この者はロンクルスを救うため、《融合転生》を受け入れ、また彼に代わって僭主が健在であることを銀海に知らしめている』
すると、ラグーの怪訝な顔つきに疑問が加わった。
「だとすれば、我々にとっても恩人。問題はないはずでは……?」
『この者は第三魔王ヒースと接触している』
「な……!?」
ラグーの顔が驚愕に染まる。額には脂汗が滲み、その手が僅かに震えていた。
話が見えぬな。
ここは深層十二界、ホルセフィがそうであるように、彼らにとって銀水聖海の魔王は名前だけで怯えるほどの存在ではないはずだ。
『順を追って説明しよう』
俺の疑問を察したようにホルセフィは言った。
『深層十二界はその名が表わす通り、無神大陸を入れて十二の小世界から成る。それを魔王たちが奪い合っているのだ』
「なんのためにだ?」
俺の問いに、ホルセフィは答えた。
『継承者争いだ。大魔王ジニア・シーヴァヘルドが到達した魔法の極致、深淵魔法。それを受け継ぐ資格を与えられるのは魔王の中で最も優れた者なのだ』
なるほど。つまり、
「国盗りで決めるというわけだ」
『左様。己の魔法にて、小世界を所有物とする。保有する小世界が過半数……すなわち七界以上に達したものにこそ、大魔王を継承する資格が与えられる』
大凡の話は見えてきた。
「つまり、この無神大陸が狙われているという話か?」
『無神大陸には主神を始め、神族が存在しない。この世界は、我が魔力を与え続けることで維持されている。他の小世界に比べて、奪い取るのは容易だ』
世界を維持し続けているのは、彼が有する停滞世界の魔法によるものだろう。だとしても、秩序に頼らずにそれをするのだから、並大抵の力ではない。
さすがは第五魔王といったところか。しかし、その代償も大きいのだろう。
「お前は戦えぬというわけだ」
『左様。我はこの世界を維持するために殆どの力を使っている。ここから動けば、無神大陸は崩壊するだろう』
大岩に埋まっているのは、無神大陸とつながり、魔力を供給し続けているからか。
『この無神大陸が他の魔王に襲われることがなかったのは、僭主の存在があったからなのだ』
「二律僭主は魔王と同格ということか?」
俺が問えば、ホルセフィはこう言った。
『深層十二界で行われるのは魔王同士の争いだ。他の者がこの領海に入ろうとすれば、大魔王ジニア・シーヴァヘルドの手によって排除される』
他の世界の者の力を借りることは禁じられている、といったところか。
「あれ? だけど、二律僭主は魔王じゃないわよね?」
不思議そうにサーシャが首を捻った。
『その通り。僭主が停滞世界へやってきて、この無神大陸を築いたことは、大魔王ジニアが定めたルールに反する。しかし、大魔王ジニアは魔王たちに釘を刺した』
第五魔王ホルセフィは言った。
『二律僭主とは戦うな、と』
「それって……大魔王は二律僭主のことを知ってるってことなのかしら……?」
考え込むようにしながら、サーシャは言葉をこぼす。
『不明だ。以前から知っていたのか、その時初めて会いに行ったのか。大魔王は二律僭主とのことを語ろうとはしなかった。僭主も然りだ。はっきりしていることは一つ。二律僭主は魔王たちにとって、唯一の不可侵領海だということだ』
不可侵領海、か。
銀水聖海において、決して手を出してはならぬといわれる存在。そもそも、魔王がそうなのだ。
その魔王たちですらも手を出せぬのが二律僭主。それが力によるものなのかは定かではないが、大魔王がそう釘を刺した以上、迂闊な真似はできまい。
『僭主がパブロヘタラの近くにいることは魔王たちもわかっていた。それでも、無神大陸に手を出すことはできなかった』
無神大陸が襲われれば、二律僭主がやってくるのは明白だ。
相手が魔王とはいえ、時間を稼ぐことぐらいは、ここにいる住人たちでもできるのだろう。
『しかし――』
「第三魔王ヒースに二律僭主がいないことがバレてしまった、か」
『左様』
重苦しい声でホルセフィは同意した。
「バレたって……こないだ、幽玄樹海に来たときに……?」
サーシャが聞く。
『ロンクルスが僭主の体を使い、代わりを演じていた時から疑問に思っていたのだろう。その後、仮面をつけ始めたため、更に疑問が増した。確かめるために、ハイフォリアを訪れ、そして幽玄樹海を攻撃した』
ホルセフィはそう答え、補足するように言った。
『二律僭主ならば、どれほど幽玄樹海を荒らされようと修復することができる。それがされないということは――』
「偽者というわけか」
第三魔王ヒースが、幽玄樹海を枯らしたのはそれが理由か。
奴は二律僭主にも、その偽者にも用があるわけではない。だから、あの場ではなにも仕掛けて来なかった。
狙いは元よりここ、無神大陸だ。
ぱちぱち、とミーシャが瞬きを二回した。
「どうして、すぐ来ない?」
「……確かに……二律僭主がいないことがわかったんなら、あの後、すぐにでも無神大陸を襲撃しそうなものだけど……」
俺たちは一度、融合世界に行った後、ここへ来ている。
第三魔王より先に着くといったことは考えがたい。
『慎重なのだ、第三魔王は。あらゆる可能性を考慮し、この無神大陸に僭主の力が及んでいないと確信を得たとき、奴はやってくるだろう』
偽者の二律僭主がいたからとて、本物がいないとは限らない。
その可能性を疑っているとも考えられる。とはいえ、ここまでピースが揃ったならば、時間の問題だろう。
『ヒースは強い。策を講じねば、我々は滅び去り、無神大陸は奪われる』
ホルセフィの言葉には覚悟が見て取れた。無神大陸と運命をともにする覚悟だ。
恐らくは、言葉以上に分の悪い勝負なのだろう。
「…………」
『気に病むことは無い、アノスよ。元より、我々も僭主が健在と見せかけていただけなのだ。ロンクルスも限界が近かった。お主がいなければ、もっと早く、第三魔王は行動を起こしていたかもしれん』
「一つ教えてくれるか?」
ホルセフィに、俺は問うた。
「この無神大陸を捨てれば、お前は第三魔王と戦うことができる。深層十二界ではなく、別の場所に無神大陸を築くことができるのではないか?」
ホルセフィは第五魔王。そして、この無神大陸の要だ。二律僭主がいなくとも、彼さえ健在ならば、この大陸自体を守らずともいいはずである。
『不可能だ。それは不可能なのだよ』
言葉通り、ただできぬというわけではあるまい。
「どういう意味だ?」
『再び、我に触れるがいい、アノスよ』
俺の問いには答えず、ホルセフィは言った。
『ロンクルスの覚醒を促す。彼の記憶により、知るといい。我々がここに留まり続ける意味を』
俺は手を伸ばし、ホルセフィに触れる。
眩い光が指先から体内に入ってきたかと思えば、どくんっと根源の中でなにかが蠢いた。
どくん、どくん、とそれが脈打てば、頭の中に知らぬ記憶が蘇る――