深層十二界
融合世界ボルムテッド。
かつて、樹海船アイオネイリアがあった大穴の中に俺は立っている。
ロンクルスの記憶が通り過ぎていき、しばらく経ったが、新たな記憶が蘇る気配はない。
俺の中の彼の根源も沈黙していた。
「……大丈夫?」
心配するようにミーシャが俺の顔を覗き込んでくる。
「ロンクルスの記憶を見た」
ミーシャとサーシャに俺は説明した。
「二律僭主は神無き世界、無神大陸を作った。そこには二律僭主を慕う者たちが集ったようだ」
「じゃ、そこに行けば……?」
サーシャの問いに、俺はうなずく。
「融合世界の住人もいるやもしれぬ」
「場所はわかる?」
ミーシャが淡々と聞く。
「問題ない」
樹海船アイオネイリアに戻り、融合世界を離脱する。そうして、進路を無神大陸へと向けた。
「どの辺りにあるのかしら?」
「深層十二界だ」
「はあっ!?」
サーシャがびっくりしたように声を上げた。
「深層十二界って、大魔王ジニアの領海でしょっ?」
「そうだ。第五魔王ホルセフィを救い、二律僭主はそこに無神大陸を築いた。世界の秩序が救わなかった者を救うためにな」
「えーと、じゃ、二律僭主と大魔王は仲が良かったってこと?」
「そこまではわからぬ。パブロヘタラと敵対しながらも、その近くに幽玄樹海を作っていたぐらいだ。大魔王と小競り合いをしていたとしても不思議はあるまい」
頭が痛いといった風にサーシャは額に手を当てる。
「最悪、大魔王とやり合うことになるってことよね……」
「あちら次第だ」
「無神大陸の人は、ロンクルスの味方?」
ミーシャが聞いてくる。
「ああ。事情を話せば、協力してもらえるはずだ」
「あなたがロンクルスになにかしたって思われなきゃいいけど……」
心配そうにサーシャがぼやく。
「なに、誠心誠意話せばわかってもらえる」
「いっつもそう言うけど、アノスがそういうこと言うときって、大体争いになってるわ」
くはは、とサーシャの苦言を笑い飛ばす。
「一理ある」
「そこは否定してほしかったわ……」
呆れたようにサーシャが言う。
樹海船アイオネイリアは、ロンクルスの記憶にあった道を飛び続ける。
やがて、銀海の様子が明らかに変わった。
銀水が異様に濃く、先が殆ど見通せない。
その海には夥しいほどの魔力が充満していた。あたかも、ここから先は大魔王ジニア・シーヴァヘルドの領海だと主張するかのように。
「絶対、普通じゃないわね……」
魔眼を凝らしながら、サーシャはごくりと喉を鳴らす。
「災人イザーク以上の魔力……」
そうミーシャが言った。
「ふむ。大魔王ジニアは、存外平和主義なのやもしれぬな」
「なんでよ? 馬鹿みたいな魔力を誇示してるじゃない」
サーシャは険しい視線を、目の前の銀海に向けている。
「つまり、知らぬ者が間違って領海に侵入してしまうといったことはないということだ」
「あ……」
気がついたといった風に彼女は声を上げる。
「無駄な争いを避けたいってことかしら?」
「まあ、立ち入れば言い訳は利かぬがな」
「だめじゃない……」
そう口にしながら、サーシャは肩を落とす。
「暗いけど、平気?」
ミーシャが言う。
道がわかるのかという意味だろう。
「記憶ではこの方角をまっすぐだ」
俺が指さした方角へ向け、樹海船はまっすぐ進んでいく。
すぐに銀水が濃い領海に入り、外は暗闇に包まれる。目印となるようなものはなにもなく、左右も上下もわからない。
ただ己の感覚だけを頼りに、樹海船を進ませた。
小一時間ほど経った頃、神眼を光らせていたミーシャがはっと気がついたように言った。
「光が見える」
暗い海の中、おぼろげながら淡い光を放つ物体がある。
進めば進むほどその光は大きくなり、やがてそこに巨大な大陸が姿を現した。
銀泡ならば、中に入るまでその世界の内部は見えぬが、その大陸は違う。銀水聖海からでもはっきりとわかるほど剥き出しの大地であった。
神無き世界、それゆえに他の小世界とは違い、秩序が働いていないのだろう。中に入るのも容易いはずだ。
「降りるぞ。あの古城が二律僭主の城だ」
「っていきなり、本拠地に乗り込んで大丈夫なのっ!?」
「どうせ挨拶に行くのだ。ここが一番手っ取り早い」
無神大陸の古城へめがけ、みるみる樹海船は降下していく。
黒穹も、雲も、太陽も月もない。
無神大陸からは、暗い銀海しか見えなかった。内部が明るいのは、この大陸自体が光を放っているからだろう。
「……でも、おかしいわね。これだけ近づいたのになんの反応も――」
サーシャが言い切るより先に、古城から幾条もの光が走った。
「……!?」
はっとして、サーシャが頭上を見上げる。
樹海船アイオネイリアを包囲するように、六〇人ほどが空に浮かんでいた。
「お久しゅうございます」
声が聞こえたのは前方からだ。
法衣と帽子を纏った男が樹海船の大地に立っていた。喉に呪いのような文様が刻まれている。
夢で見た男だ。聖句世界アズラベンの無聖者ラグーか。
「体を変えられたのですか、ロンクルス殿」
どうやら、俺の根源の中にいるロンクルスの存在を見抜いたようだな。
ならば、話が早い。
「悪いが、俺はロンクルスではない」
そう口にすると、空を飛んでいた者たちが警戒の色を覗かせる。
「奴が死にかけていたのでな。体を貸してやったのだ。だが、《融合転生》が思うように進まぬ。融合魔法を熟知した者に会うため、ここまで来た」
「……無神大陸の場所は、ロンクルス殿から聞いたのか?」
「直接聞いたわけではない。《融合転生》によって流れてくる奴の記憶から知った」
ラグーは無言で、俺の目を見返した。図りかねているのだろう。
今説明したことを裏付ける証拠はない。しかし、俺の根源の中にロンクルスの根源があることは事実だ。
「……少し待て」
そう言うと、ラグーは《思念通信》で誰かと話し始めた。
数度の相づちの後、彼は言う。
「わかりました」
ラグーは俺たちの方を向いた。
「ついて来るがいい」
《飛行》を使い、ラグーは古城へ降りていく。すぐに俺たちも彼の後を追った。
正門をくぐり、城内に入る。
ラグーが向かった先は中庭だった。立ち並ぶ木々と、色とりどりの花が咲いた花壇。その中央に設けられていたのは巨大な岩だ。
ラグーはその大岩の前で足を止めた。
『よくぞ来た』
声が響いた。大岩からだ。より、正確にはその大岩から《思念通信》が発せられた。
『我は第五魔王ホルセフィ』
目の前の大岩、そこには石化した第五魔王ホルセフィが埋まっている。いや、埋まっているというよりも、同化しているといった方が正しいか。
『我に触れよ。お主の記憶を読み取る』
「なるほど」
俺は数歩、前へ歩み出てホルセフィの大岩に触れた。
すると、指先と大岩の間が光り輝く。光はみるみる膨れ上がり、そしてぱっと弾けた。
記憶の読み取りは終わったのだろう。ラグーやサーシャたちが、固唾を呑むようして、ホルセフィの言葉を待っている。
静かに、彼は口を開いた。
『まずいことになった』