穴の跡
どくどくと脈打つように鳴っていた俺の根源が次第に落ち着いていく。
融合した記憶を旅していた意識が戻ってきて、俺の目には枯れた幽玄樹海が映し出される。
目の前にはレコルがいた。
「具合はどうだ?」
彼はそう問う。
「悪くない。俺の中のもう一つの根源も、先程よりは安定している」
《融合転生》の促進が成功したのだろう。先程、垣間見た記憶も、その証明だ。
恐らく二律僭主の出生を、ロンクルスが聞いたのだろう。
だが――
「一つ気になることがある。俺の根源の中で《融合転生》を使ったのはロンクルスというが、二律僭主の執事をしていた男だ」
「なるほど」
さして動じず、レコルは言った。
「たった今、その記憶が蘇った。二律僭主ノアは銀水世界リステリアの元首、隠者エルミデと面識があったようだ」
「どんな男だ?」
「金髪の青年だ。銀海クジラを操り、《追憶の廃淵》に精通していた。恐らくは……」
「最初の隠者エルミデか」
リコルの言葉に、俺はうなずく。
オットルルーの話では自らの主神を、乱心した隠者エルミデが滅ぼした。それが原因で銀水世界リステリアは滅びることとなった。
「主神が滅びた後、最初の隠者エルミデがどうなったのか知る者はいない。暗躍していたのは二人目以降だ」
「無関係ではないやもしれぬ」
二人目以降が、隠者エルミデの名を都合良く利用したということも考えられるが、乱心したというのが気になる。
あるいは最初の一人が黒幕といった可能性もある。
「《融合転生》を完了させ、ロンクルスの意識が戻れば、最初の隠者エルミデについての情報も得られるだろう」
そうリコルは言った。
二律僭主はパブロヘタラを警戒していた。彼らは隠者エルミデのことをなにかつかんでいたのやもしれぬ。
「とはいえ、《融合転生》が終わる気配はないな」
「融合世界の魔法は特殊だ。私もそれを促進させる術に長けているわけではない」
リコルは魔眼で俺の深淵を覗く。
体の内側にあるロンクルスの根源を。
「卿の根源の中は危険だ。早急に《融合転生》を終わらせなければ、ロンクルスの命はもたないだろう」
「なにか方法はあるか?」
「第三魔王ヒース」
俺の問いに、リコルは即答した。
「彼は聖川世界リブラヒルムの元首。その流水魔法は魔力の流れを操ることに長けている。融合魔法の魔力の流れすらも操り、正常化することが可能だ」
「第三魔王ヒースって、さっき会った奴よね。この樹海船の木を枯らしていった鳥仮面の。あんまり協力してくれそうには思えなかったけど」
考えながらも、サーシャが言った。
「魔王の中でも特に性格に難があると聞く」
リコルはそう説明した。
「ふむ。まあ、話してみるしかあるまい。誠心誠意頼めば、存外わかってくれるやもしれぬぞ」
俺の言葉を聞き、サーシャは苦虫を噛みつぶしたような表情でこちらを見た。
「本当に頼むだけなんでしょうね……」
彼女はそうぼやく。
「第三魔王はどこにいる?」
ミーシャがそう問う。
「大魔王ジニア・シーヴァヘルドが支配する深層十二界。そこが魔王たちの住処と言われている」
「言われているっていうのは?」
と、サーシャが聞く。
「大魔王ジニアは深層十二界への立ち入りを禁じている。今ではその領海に近づこうとする者すらいない」
銀水聖海の魔王は不可侵領海だ。そのことを詳しく知る者は、同じ魔王ぐらいだろう。
二律僭主は第一魔王と付き合いがあったようだがな。
「試しに行ってみるのも悪くないが」
隣にいるサーシャが俺の正気を疑っているような視線を送ってくる。
「そもそも、常に住処にいるとは限らぬ。少なくとも先程まではここにいたのだからな」
すると、サーシャは安堵した様子で言った。
「そうよね。用があるのは第三魔王だけなんだし、大魔王や他の魔王といざこざを起こしても仕方ないわ」
エレネシアの話では、第二魔王ムトーも魔弾世界の周辺に滞在していた。魔王たちは深層十二界に引きこもっているわけでもなさそうだ。この辺りの小世界を探した方が見つかる可能性が高いやもしれぬ。
「エールドメード」
《思念通信》にて呼びかけると、返事があった。
『なにか用かね。魔王』
「第三魔王ヒースを捜せ。この銀泡の周辺にいるやもしれぬ」
『カカカカ、第三魔王か。それは面白そうだ』
まだこの近くにいるのなら、これで見つけられるだろう。
「俺たちは融合世界へ向かう」
「わかったわ」
サーシャが言い、「ん」とミーシャがうなずく。
レコルの方を見れば、すでに彼の姿は消えていた。
サーシャがそこに訝しげな視線を送る。
「あのレコルって人……色々知ってるみたいだけど、何者なのかしら?」
「さてな」
俺は俺は二律剣を樹海船の大地に突き刺す。そうして、魔法陣を描いた。
ゴ、ゴゴゴ、ゴゴゴゴゴと大地が激しく震動を始める。
「え、って……こんな状態で飛べるの?」
「なに、多少木は枯れているが、二律僭主の船だ。原形が残っていて、飛べぬということはあるまい」
二律剣を通して、大地に魔力を叩き込んでやれば、一際大きく地面が揺れた。
ゆっくりと樹海船アイオネイリアが浮上を始める。次の瞬間、船は急加速して、あっという間に黒穹へ達し、銀泡の外に出た。
そのまま銀海を直進していけば、みるみる第一ハイフォリアが遠ざかり、見えなくなった。
「融合世界って遠いのかしら?」
「丸一日ほどで着くだろう。しばらく休んでいるがいい」
樹海船アイオネイリアはオットルルーに教えてもらった海図通りに飛んでいく。
サーシャとミーシャは先に休んだが、速度を維持するため、俺は一日中船に魔力を送り続けた。
やがて、目の前に銀泡のようなものが見えてきた。
「ミーシャ。サーシャを起こせ。そろそろだ」
「ん」
生い茂った草の上で眠っているサーシャを、ミーシャがゆさゆさと揺さぶる。
寝ぼけた目を開きながら、彼女は目を覚ます。
「ん……もう朝なの……?」
「寝ぼけている暇はないぞ、サーシャ。もう到着だ」
樹海船アイオネイリアはその銀泡の中に入っていく。
黒穹を抜け、日の光が差すと、融合世界が目の前に現れた。
「なにここ……あっちが昼なのに、こっちは夜だわ……」
そこは混ざり合った世界だった。
東の空には太陽が昇っており昼間なのだが、西の空は月が出ていて夜である。大地を見てみれば、陸地に珊瑚礁があり、海には雲があった。
すべてが混ざり合い、そして――
「秩序を感じない」
ミーシャが呟く。
「主神も元首もいない世界だからな」
むしろ、形を保っているのが不思議なほどだ。
「人の魔力も見えない」
神眼を光らせながら、ミーシャは融合世界を見渡している。
「やっぱり、誰もいないのかしら?」
「隠れているだけやもしれぬ。捜すぞ」
樹海船アイオネイリアを着地させると、俺たちは融合世界を隅々まで見て回った。
空の果てから、海の底、大地の中までくまなく捜してはみたものの、やはり人の姿はどこにもない。
動物や魚、魔物の姿すらなく、生命の気配がまるでしなかった。
「ふむ」
眼下には大穴が空いている。縦よりは横に広く、大地を抉り取ったような跡だ。
「あの穴が気になる?」
ミーシャが聞いてきた。
「見覚えがあると思ってな」
「穴に?」
不思議そうにサーシャが言った。
「穴の形にな」
俺はゆっくりとその穴の中に降り立った。ぐるりと見回し、記憶と照合させる。
やはり、間違いなさそうだ。
「アイオネイリアの形と同じだ」
「え……? じゃ、あの船って元々融合世界の物ってこと?」
サーシャが問う。
「二律僭主の所有する船だ。不思議はあるまい」
俺はその大穴の大地にそっと手を触れる。
すると――どくんっと根源が脈を打った。
先程と同じ現象だ。《融合転生》が進んでいるのか、脳裏にはある記憶が蘇った――