枯れた樹海船
幽玄樹海。
その樹木の殆どが生気を失ったかのように枯れ始めている。土壌からも、これまで溢れていた魔力が薄れていた。
「これ……どういうこと?」
サーシャが俺に疑問を向ける。
「ふむ」
俺は二律剣を抜き、勢いよく飛び上がる。
空を抜け、黒穹を斬り裂き、《覇弾炎魔熾重砲》と《掌握魔手》にて銀水聖海へ出る。
《森羅万掌》にて銀水をつかみ、再びハイフォリアに戻ってくる。
そうして、銀水の雨を幽玄樹海に降らせた。
雨とともに、俺は降下していく。
銀水を養分に変える幽玄樹海の樹木。だが、その雨を浴びても、再生することはなく、立ち枯れは緩やかに進んでいる。
「養分が足りぬわけではなさそうだな」
幽玄樹海の大地に着地する。
以前、この森が吹き飛んだときは、銀水の雨を降らせることによってたちまち治った。
どうやら、なにかしら異変が起きているようだ。
と、そのとき、ジジジ、と大気の震える音がした。
瞬間、目の前が爆ぜた。
木々を薙ぎ倒していく大気の渦を、俺は魔法障壁で遮断して、ミーシャとサーシャを守る。
その発生源を、睨んだ。
幽玄樹海の端、渦巻き状に木々を薙ぎ倒したその中心に、男がいた。
帽子を被り、不気味な鳥の仮面をつけている。手には櫂を持っていた。
あの男は――ロンクルスの記憶で見た。第三魔王だ。
「お前がこの森を荒らしたのか?」
魔力を伴った声を、幽玄樹海の端まで飛ばす。
第三魔王はそれを耳にし、静かにこちらを振り向いた。
「我は第三魔王ヒース・トニア」
彼は言った。
「汝が二律僭主のフリをしている下郎か?」
ほう。
「面白いことを言う。今の二律僭主は偽物ということか?」
「問うているのは我だ。汝はただ答えたまえ」
脅すでもなく、それが当然かのようにヒースは言う。
「もう一つ問おう。転生世界ミリティアの元首、アノス・ヴォルディゴードはどこにいる?」
ミーシャとサーシャが視線を険しくし、身構えた。
「俺だ」
そう口にした瞬間、第三魔王ヒースの体がブレて、消えた。
ミーシャが驚いたようにその神眼を丸くする。
樹海の端にいたはずの奴が、一瞬にして俺の目の前に現れたのだ。
「暴虐の魔王を名乗っているそうだな?」
「そう呼ばれることもある」
率直に答えれば、僅かに語気強め、ヒースは言う。
「魔王とは、偉大なる大魔王ジニア・シーヴァヘルド様の継承者候補を指す。この銀海で、それ以外の者が魔王を名乗ることは許されない」
「ふむ。なにか不都合でもあったか?」
俺の問いに、第三魔王はこう答えた。
「それは大魔王様を打ち倒し、自らが大魔王に成り代わる意思があるという意味か?」
なるほど。
魔王というのは大魔王の継承者候補。それを名乗るということは、大魔王の座を狙っていると見られるということか。
「特に興味はない。我が世界は銀水聖海に出たばかりでな。たまたま魔王という名がかぶっただけのことだ」
「たまたま?」
鳥仮面の奥から、ヒースが俺を睨みつける。
「早い者勝ちというわけでもあるまい?」
奴の視線を、俺は真っ向から受け止める。
一触即発といった緊張感が漂い、サーシャとミーシャが息を呑む。
「くっくっく」
と、その男は笑った。
「くくく、まあ、それはその通りだ。いいだろう。かような浅き海にいる弱者が、魔王を名乗ったところでさしたる問題はない」
くるりと踵を返し、男は櫂を振るった。
魔法陣が描かれ、そこにゴンドラが出現する。ヒースがそれに乗ると、ゴンドラは静かに浮かび上がった。
「ヒース」
上昇していくゴンドラに俺は声をかける。
「なぜ幽玄樹海を荒らした?」
鳥仮面がこちらを振り向く。
「二律僭主の偽者を一目見ておこうと思ったのだ」
含みを持たせてそう言うと、第三魔王ヒースはハイフォリアの銀泡から飛び去っていった。
否定せぬ、か。奴がやったと見て間違いなさそうだな。
「……気がつかれた?」
危惧するように、ミーシャが言った。
「でも、わざわざ見に来たってことは、二律僭主の偽者になにか用があったのよね? なにもしないで帰るんだったら、わかってないんじゃないかしら?」
そうサーシャが言った。
すると、ミーシャが小首をかしげる。
「……偽者にどんな用があった?」
「うーん、それはよくわからないけど……魔王の名を使ってるのも、そんなに気にしてないみたいだったし」
確かに目的がよくわからぬな。
俺が二律僭主に扮していることは、ある程度わかっているような口振りだったが、確かめるわけでもなく、やったことと言えば、樹海船を荒らしたぐらいだ。
「俺たちに本当のことを言う義理があるわけでもなし。考えても仕方あるまい」
《飛行》の魔法で浮かび上がり、俺はそのまま前方へ低空飛行していく。
ミーシャ、サーシャも後ろに続いた。
「どうする?」
「奴がこの樹海船でなにをしていたのか見ておく」
第三魔王ヒースがいた樹海の端に辿り着くと、そこで足をつく。
魔眼を凝らし、辺りを見回す。
ミーシャもサーシャも注意深く、周囲の魔力を見つめている。
「ふむ。なにか仕掛けたわけではなさそうだな」
俺の言葉に、こくりとミーシャがうなずいた。
「それじゃ、本当にただ樹海船を壊しに来たってこと?」
意味がわからないといった風にサーシャが首を捻った。
今のところ、それぐらいしかわからぬな。
今朝の夢によれば、第三魔王とロンクルスには浅からぬ因縁がある。ロンクルスは融合世界の民の集合体。その中には第三魔王の友であった元首マルクスがいる。
ならば、二律僭主とも因縁があるだろう。奴からすれば、二律僭主はマルクスを奪っていったようなものだ。
それが奴がここへやってきた目的に関係しているといったことも考えられる。
彼らのことをなにも知らぬ以上、推測の域は出ぬがな。
「アノス」
背中から声をかけられ、俺は振り向いた。
そこにいたのは闇を纏った全身鎧。傀儡世界の軍師レコルだ。
「オットルルーの報告は受けたか?」
挨拶もなしに、レコルはそう聞いてきた。
「大提督ジジは隠者エルミデだった、という話ならな」
「その情報は誤りだ」
さらりとレコルは言い切った。
「絡繰神が見つかったそうだが?」
「少なくとも過去に五度、隠者エルミデは正体を暴かれたことがある。暴いた者はそれぞれ違うが、いずれも確たる証拠を見つけていたという点では共通している。今回と同じように」
五度正体を暴かれた?
「つまり、その五人とも替え玉だったということか?」
「そうだ。今回の大提督ジジが六人目だ」
「本物だと確かめる手段は?」
「次が現れなければ本物だろう」
確認する手段はないということか。
「隠者エルミデとは何者だ?」
「それを調べている」
ふむ。まあ、正体がわからぬのだから、当然と言えば当然か。
絡繰神や大提督ジジ、いくつもの替え玉を使い、自らの正体を隠している。隠者エルミデは、銀水聖海にいた頃の俺を知っているようだったがな。
「話は変わるが、《融合転生》を知っているか?」
「多少は」
レコルはすでに俺が二律僭主に扮していると知っている。
隠す必要はないだろう。
「死にかけていた男がいてな。俺の体に《融合転生》を使ってもらったが、魔法が完了せぬ。よい方法を知らぬか?」
すると、レコルがこちらへ歩いてくる。
手をすっと前へ出し、彼は炎の魔法陣を描く。
「《融合転生》を促進してみよう」
ゴォォッと勢いよく魔法陣が燃え上がる。その炎からこぼれる光が俺の体に照射される。
どくん、と心臓が鳴る。
どくん、と根源が嘶く。
沈黙を続けていたロンクルスの根源が脈打つように震え出し、俺の脳裏に様々な映像がよぎっていく。
それは彼の記憶だ――