プロローグ ~勇者と人の王~
二千年前――
王都ガイラディーテ。
人間の大陸アゼシオンの中心に位置するこの首都は、聖剣に選ばれし勇者カノンを擁するガイラディーテ魔王討伐軍の本拠地である。
魔族の襲撃に備えた軍事都市でもあるガイラディーテには、街の至るところに魔を払う魔法陣や武装がある。並の魔族ならば、足を踏み入れた途端に消滅するか、さもなくばハチの巣になっているであろうその場所を、一人の魔族が堂々と歩いていた。
暴虐の魔王アノス・ヴォルディゴードである。
外敵に備えた結界など取るに足らぬとばかりに、まるで雑草を踏み折るかの如く、悠然と歩を進ませる。
彼の視線の先には二人の男がいた。
一人は聖剣を携えた勇者カノン。
そして、もう一人は、王都ガイラディーテを治める王にして、ガイラディーテ魔王討伐軍の総帥ジェルガ。
ジェルガは齢六○ほどの老体だが、その全身から発せられる気勢と魔力は並の人間を大きく上回る。彼はカノンの師にして、元勇者なのである。
カノンが生まれる前、アゼシオンを守るため、数々の魔族と死闘を繰り広げてきた。第一線を退いた今も、魔王討伐軍を指揮し、魔族側に多大な損害をもたらしている。
「カノン、私が行こう」
覚悟を決めた声でジェルガは言った。
「<聖域熾光砲>を至近距離で撃ち込めば、さすがに奴も躱せん。暴虐の魔王と言えども一瞬は足が止まるはずだ。その隙に、私ごとその聖剣で奴を貫け」
「先生……それは……」
「迷うな、カノン。勇気を持て。どのみち、私はもう長くはない。この老人の命が、平和な世界の礎となるなら安いものだ」
聖なる光を宿した魔法陣がジェルガの足元に描かれる。
それは勇者だけが行使することのできる<聖域>。
人々の心を一つにし、その希望や願いを魔力に変換することのできる大魔法だ。魔力に劣る人間が心でもって魔族に対抗することができる。
「ジェルガ様……カノン様……お願いします……」
「魔王を……今日こそ、あの暴虐の魔王を……」
「もっと願いを、ありったけの希望をジェルガ様に……」
「どうかこの世界に平和を……」
「俺たちの明日を、守ってくれっ……!!」
<聖域>の中で人々の思念が溢れかえり、聖なる光が街中からジェルガの元へ集い始める。
ここは王都ガイラディーテ。人間たちに残された最後の砦だ。なればこそ、その祈りはなにより強く、莫大に膨れあがった。
「行くぞぉっ、魔王っ! 貴様に殺された人々の無念、今日こそ晴らしてくれるっ!!」
<聖域>を纏い、ジェルガが暴虐の魔王へ突進する。
その後ろでカノンは聖剣を構えた。
魔王アノスは五○門の魔法陣を展開する。そこから、<獄炎殲滅砲>が雨あられのように発射された。
次々と漆黒の太陽がジェルガに直撃する。<聖域>の力を反魔法に変えているとはいえ、魔王の魔力は凄まじく、瞬く間に彼の命は削られていく。
「……効かぬっ……これしきっ……貴様に殺された、妻子の痛みに比べればっ……!!」
派手な爆発が鳴り響き、黒き爆炎に巻かれながらも、元勇者は進み続ける。
「う・お・お・お・おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉっっっ!!!」
ジェルガの手が暴虐の魔王に迫る。
しかし――
「……ぐ……ふ…………」
あと一歩というところで、魔王の右腕が先にジェルガの腹部を貫いていた。
「ふむ。自分たちだけ悲劇ぶっているようだがな、人の王。人間は俺を身籠もった母を殺したぞ。死体から生まれ落ちる気分は、なかなかどうして、最悪だ」
血を吐きながらも、ジェルガは笑う。
「……私と共に地獄へ堕ちろ、暴虐の魔王……」
体を貫かれながらも、ジェルガは魔王に腕を伸ばした。
「<聖域熾光砲>」
<聖域>で集めた人々の想いが、魔力が、砲弾と化し、一気に解き放たれる。
まるで大爆発を引き起こしたかの如く、二人は聖なる光に包まれた。
「今だっ! やれぇっ、カノ――」
言葉が途切れた。
肺を握りつぶされ、ジェルガの体から力が抜ける。
「……貴……様…………我らが同志を……」
<聖域熾光砲>の威力は不十分だった。
本来ならば、魔王の反魔法を貫けるだけの力があったのだが、祈りと願いが急速に減少したのだ。
「なに、今日は威圧しておいただけだ」
<聖域熾光砲>の力を削ぐため、アノスは手強いジェルガを殺すより先に、彼に祈りや願いを供給している魔王討伐軍を魔力で威圧したのだ。
彼がその気になれば、大した反魔法を持たない人間など、この街のどこにいようと造作もなく無力化できる。殺すことすら容易いだろう。
「……よくも……。許さぬぞ……貴様だけは、絶対に……!」
「ふむ。そのぐらいにしておくのだな。俺が見たところ、貴様の根源はもう限界だ。人の身でよくもまあそこまで戦い続けたものだが、あと一度死ねば、もう蘇生もできぬ」
そう口にし、アノスはジェルガのもう片方の肺を潰した。
「……が…………」
「もっとも、どのみち長くはないだろうがな」
ジェルガはその場に崩れ落ちる。
「さて、勇者カノン」
聖剣を構えたカノンに、魔王は言った。
「そろそろ平和が欲しいと思わないか?」
カノンは魔王を睨み返す。
「世界を混沌に陥れている張本人の言う台詞か?」
「お前たちから見ればそうだがな。俺とて、ディルヘイドの平和は欲しい。それが手に入るのなら、なにもアゼシオンをわざわざ滅ぼしはしない」
油断のない目つきでカノンは魔王を見つめる。
「俺の言葉に興味があるのなら、デルゾゲードへ来い。大精霊と創造神も招待してある。話が気に入らなければ、力を合わせて俺を倒すがよい」
用は済んだとばかりに、暴虐の魔王はカノンに背を向ける。
<転移>の魔法を使い、彼は去っていった。
「……先生っ……!」
すぐさま、カノンはジェルガに駆けより、<抗魔治癒>の魔法で彼を癒やす。魔王がつけたにしては傷も浅く、簡単に傷を治せた。
「……すまないな…………」
「いえ」
ジェルガが立ち上がる。
カノンは言った。
「……先生。根源を、お返ししましょうか?」
勇者カノンは七つの根源を持っている。それらは元を正せば、聖剣の力を使った大魔法により他者から譲り受けたものだ。
何人もの人間から少しずつ根源を集めることにより、魔王に対抗可能な七つの根源を手に入れた。
その中でも、自らの根源の大半を譲り渡したのがジェルガである。
「今更、そんなことは不可能だよ。いくら聖剣があっても、一度切り離した根源は完全に元には戻らん」
「それでも、幾分かは先生の根源を回復させることができます。今のままでは、先生は……」
「カノン。覚悟の上で決めたことだ。魔王を倒すために、私はお前に賭けたのだ。私だけではない。お前に根源を分け与えた者は皆そうだ」
揺るぎない意志でジェルガは言う。
「お前は希望だ。魔王を倒し、世界を救う。この暗闇に覆われた世界に輝くただ一つの太陽なのだ。たとえ今は叶わずとも、いつの日か必ず、お前の聖剣が我ら人類の悲願を果たしてくれるだろう。その希望を、我が身可愛さに失うわけにはいかぬ」
ジェルガの言葉を聞き、カノンは押し黙る。
しばらくした後に、彼は言った。
「……先生は、どう思いますか?」
「なにがだ?」
「先程、暴虐の魔王が口にしたことです」
ジェルガは即答した。
「信じるには値しない。魔族というのは生まれながらにして人間を殺す生き物だ。奴らを滅ぼすか、我々が滅びるか。二つに一つだ。共存など決してありえない」
カノンはうなずく。
その表情にはどことなく陰があった。
「カノン。お前は優しい。だがな、魔族というのはお前の優しさを与えてやるような生き物じゃない。この世にあってはならない、穢れた存在だ。奴らを殺すことになんら罪の意識を覚える必要はない。むしろ、屠ってやることこそが奴らにとっても救いなのだ。勇気を持て。お前は聖剣に選ばれた、勇者なのだから」
「…………はい」
カノンが答えると、ジェルガはふらつき、その場に膝をついた。
「先生っ……!?」
「……ああ。そう騒がなくともよい。少し疲れただけだ。私も、もう歳だからな……」
カノンは心配そうに彼を見つめる。
「しかし……」
「大丈夫だ。それより先に戻り、魔王が逃げ帰ったことを報せてくれ。皆不安に思っているだろう」
「……わかりました」
カノンは城の方へ走っていった。
その背中をジェルガは見つめた。
「………………もう限界か…………確かにな…………」
ジェルガはその場に魔法陣を描いた。
使ったのは、<転移>の魔法である。
彼の姿がその場から消える。
薄暗い部屋に彼は転移してきた。
地面と天井、壁に魔法陣がある。恐らくそれらが維持しているのだろう。大量の水の球体が、宙に浮かび上がっていた。
ただの水ではない。
神に清められたと言われる形をもたぬ魔法具、聖水である。
「……魔族は滅ぼさなければならない……」
ジェルガが聖水球へ視線を向ける。
「……たとえ、この身を、魔法と化そうとも……」
暗い表情で、彼はそう呟いた。
毎日更新は一段落つくまでと言いましたが、二章で一段落とは言ってませんぜっ。
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