価値
パブロヘタラ宮殿。購買食堂『大海原の風』。
「えええええーーーーーー、ミーシャちゃんとサーシャちゃんのお母様が会いに来るぅっ……!!」
話を聞くなり、母さんはそう大声を上げた。
庭園で希望パンを食べていた学院同盟の生徒たちが、何事かとこちらを振り返る。
「落ち着け、イザベラ」
努めて冷静に父さんは言った。
「そ、それは、それはだな、あ、あああああああああアノスッ」
努めて冷静にはなりきれず、その声は震えに震えている。
「父さんも落ち着いた方がいい」
「お、おう……!」
すー、はー、と父さんは深呼吸をする。
「そ、それでだな……ミーシャちゃんとサーシャちゃん、二人と一緒に来るのか?」
「その方が話しやすいだろう」
父さんと母さんの顔に衝撃が走った。
「会いにくる理由が父さんたちにはわからぬと思うが、話せば少し長くなる」
「いや……」
真剣な表情で父さんは言った。
「返したいものがある……って、言わなかったか?」
意外な台詞だった。
「なぜわかったんだ?」
「……なんとなく、そんな気がした……そんな予感が……」
父さんに記憶はないはずだが、その心はなにかを覚えているのやもしれぬ。
これまでも、そうだったように。
「よし。わかった。大丈夫だ」
「それじゃ、おもてなしの準備をしないとね」
母さんが笑顔で言い、父さんは力強くうなずいた。
「ああ、そうだなっ! とびっきり美味いパンを焼こうっ!」
「うんっ。お母さん、腕によりをかけて頑張っちゃう!」
父さんと母さんは唐突にやる気を見せ、いそいそとパンを焼く準備を始めた。
「来るのは夜だ。俺は所用がある」
そう踵を返すと、
「アノス」
父さんが俺の背中に声をかけてきた。
「父さんに任せとけ。絶対、大丈夫だ!」
親指をぐっと立てて、父さんは歯を光らせていた。
ふむ。なんのことかわからぬが、まあ、いつものことだろう。
問題あるまい。
「行ってくる」
そう短く告げて、俺は庭園を後にした。
パブロヘタラ宮殿から外へ出ると、すぐに<転移>の魔法を使う。
転移した場所は、樹海船アイオネイリアの内部である。この船は現在、第四ハイフォリアの黒穹の隅に浮かんでいる。
仮面をつけ、二律僭主に扮する。
そして、ゆっくりと樹海船を降下させていく。
二律僭主はパブロヘタラに対抗するため、その宮殿のある銀泡にこのアイオネイリアを置いていた。
これまでのところ、パブロヘタラの学院同盟は行き過ぎた決定を下そうとする場面もしばしばあった。
魔弾世界を牛耳っていた大提督ジジと神魔射手オードゥスはその最たるものだろう。
だが、決して話のわからぬ者ばかりではない。
二律僭主はパブロヘタラのなにを最も警戒していたのか?
魔弾世界と二律僭主は戦ったことがある。
順当に考えれば、序列一位であった魔弾世界を警戒していたのは間違いなさそうだ。
そして、その主神が力をなくした今、脅威は減ったはず。
しかし、どうもそうは思えぬ。
始めて銀水聖海に出たときに、俺が戦った二律僭主――根源はロンクルスのものだったが、彼は強かった。
大提督ジジに後れを取るかといえば、想像しがたい。
二律僭主の敵は他にいた。そう思えてならぬ。
ロンクルスに聞こうにも、どういうわけか、<融合転生>が一向に進む気配がない。今頃は話ぐらいはできるつもりでいたのだが、戦闘が続きすぎたのやもしれぬな。
災淵世界イーヴェゼイノの主神イザーク、隠者エルミデの絡繰神、そして大提督ジジ。
短い間隔で大きな戦いが続き、俺の根源にも少なからずダメージを受けた。
<融合転生>の最中であるロンクルスにとっては、あまり良い状況ではなかっただろう。
ただでさえ、俺の根源に適応するのに苦労していたようだしな。
待っているだけではなく、なにか手を考えた方がいいやもしれぬ。
『ねえ。ちょっと!』
アイオネイリアの外から声が響く。
『ちょっと、入れてっ! 入れてよっ、ねえっ!』
結界の外に張り付いているのは、日傘を手にした少女――コーストリア・アーツェノンである。
彼女はガンガンと日傘で結界を叩いている。
苛立ったのか、コーストリアは結界から少し離れた。そして、勢いをつけて飛ぶ。そのまま思い切り日傘を突き出す。
その瞬間、結界の一部に穴を空けてやれば彼女は勢い余って、ズドンッと地面に落下した。
勢い余り、樹海船の大地には大きな穴が空いている。
「こりぬな、コーツェ。少し待てば開くことはわかるだろうに」
「私が結界を叩く前に開けない方が悪い。絶対、気がついているくせに」
「そう殺気が丸出しでは、歓迎する者などいないぞ」
「なにそれ。むかつく」
苛立ったように言いながら、コーストリアはこちらに飛んでくる。
そうして、俺に手を伸ばして、要求した。
「<填魔弾倉>。約束したのに、渡さないで帰った」
「お前が呼びかけても返事をせぬからだ。なにをしていた?」
「だって」
不服そうな顔で、コーストリアは俯き、二度地面をつま先で蹴る。
「主神と元首がやられたのに、魔弾世界の奴らはちっとも悔しそうじゃなかった。新しい創造神がつまんないこと言ってるのを真剣に聞いてて馬鹿みたい」
「つまらぬことか?」
「魔弾か月かなんてどっちでもいい。両方とも、ぶつければ死ぬでしょ」
嗜虐的な顔で彼女は言った。
「だが、お前はそれが欲しいのだろう?」
一瞬、きょとんとした表情を浮かべ、彼女はその義眼を俺に向けた。
「なにそれ?」
「お前はわからなかったのだ。魔弾か月か、創造神エレネシアの言葉をまるで理解できなかった。だが、あの世界の住人は皆、それを大切なことだと思い、真剣に耳を傾けていた。わからない自分が、仲間はずれにでもされた気分になったのだろう」
ムッとした表情で彼女は言い返す。
「そもそも魔弾世界は仲間じゃない。どうでもいい」
「どうでもよいことを殊更に馬鹿にしたりはせぬ」
コーストリアの言葉を、俺は即座に否定する。
すると、ますます彼女の顔が怒りに満ちていく。
「まして、すねて出てこなくなるなど、悔しいと言っているようなものだ」
「私は悔しくない!」
「お前が他者を貶めたいのは、自分が持っていないものを持っている者たちが羨ましいからだ」
「小突かれただけで死ぬような奴らのなにが羨ましいの?」
今にも襲いかかってきそうな顔でコーストリアは言う。
「コーツェ、力がそんなにも必要か?」
「必要でしょ。だって、ないと舐められる。大提督が舐められなかったのは力があったからだし、それを倒したのは僭主の方が強かったから。強ければ、誰も私に文句を言えない」
「それが事実なら、お前は俺に逆らわぬはずだ」
一瞬、コーストリアは言葉に詰まる。
「別に……逆らってない……」
「口答えをしているだろう。お前の言っていることが正しければ、強者の言葉を素直に聞くはずだ」
コーストリアは無言で、ばつが悪そうにそっぽを向いた。
「どれだけ強くなろうと文句を言ってくる輩はいる。それにいちいち腹を立てるのは、お前が本当に欲しいものを手に入れていないからだ」
「じゃ……僭主は……」
顔を背けながら、それでも彼女は聞いた。
「私が、なにを欲しがってるって言うの……?」
「それはお前にしかわからぬ」
「なにそれっ、いい加減なこと言ってっ!」
「コーツェ、力など誰が見ても一目瞭然だ。戦ってみれば、どちらが強いかはわかる。だが、この海には、お前にしか価値のわからぬものがある。お前だけが大切に思うものがあるだろう」
怪訝な顔をするコーストリアに、俺は言う。
「それが、お前の言う『ざまあみろ』よりも上のことだ」
「……わかんない……言ってること」
「そうか」
そう応じれば、彼女はまたうつむいた。
しばらくした後、コーストリアは呟く。
「……もらえるなら、ぜんぶ欲しいけど……別に本当に欲しいものなんてない……」
「誰しも初めはわからぬものだ。己と向き合い、よく考えるがよい」
「……君は?」
コーストリアが俺に問う。
「僭主は……なにがあるの……? ざまあみろより上のこと……」
「ふむ。そうだな」
一瞬考えると、彼女は妙に真剣な眼差しをこちらを見てきた。
「お前のように食らうことしか知らぬ獣が、アーツェノンの滅びの獅子と呼ばれ、銀水聖海の災厄として、多くの者に忌み嫌われる。滅ぼせば、それが平和か?」
「平和でしょ」
「違う。滅ぼさずに済む道へ進むこと、それこそが平和だ」
「滅ぼさなかったら、滅ぼされるでしょ。銀水聖海じゃ、弱い者は強い者に奪われるだけ。パブロヘタラだって綺麗事を言いながら、泡沫世界の火露を奪ってる。ハイフォリアだって、やってることは変わんない。この海は浅い方から深い方に沈むようにできてるんだから」
「その理を変えればいい」
思いも寄らぬ答えだったか、コーストリアが絶句する。
「それが俺の求めるものだ」
「……そんなの、どうやって手に入れるの……?」
「さて、そう簡単には手に入らぬな。だからこそ、求める価値がある」
俺は魔法陣を描き、そこから<填魔弾倉>を取り出した。
「約束のものだ。持っていけ」
<填魔弾倉>を差し出すが、コーストリアは受け取ろうとしない。
ただじっとうつむいたまま、沈黙を続けている。
「どうした?」
「……なんでもない……」
コーストリアは<填魔弾倉>を手にすると、そのまま何も言わず、飛び去っていった。
その胸に去来するのは――?
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新連載『魔法史に載らない偉人』を
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面白いものになるよう、全力で書いています!
もうあと少しで月間ランキングもいいところまでいけそうですので、
どうか一度、お読みいただけましたら、本当に嬉しいです。
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何卒、よろしくお願い申し上げます。




