1+1
槍から手を放さないビリジアを見て、不可解そうにイージェスは視線を鋭くする。
「要塞だ!」
そう彼は声を上げた。
散開した隊長たちと戦っている間、<銀界魔弾>の要塞は砲塔を修復し、氷の世界に照準を向けていた。
<銀界魔弾>の弾丸、疑似銀泡はすでに装填されている。
ディルフィンシュテインにて要塞の<銀界魔弾>を止めようとすれば、その瞬間ビリジアは手を放し、自分が持っている<銀界魔弾>の大砲を撃つだろう。
血槍は先ほどの<魔深流失波濤砲>で吹き飛び、魔法陣を次元に飲み込むこともできない。
ビリジアは相打ち覚悟で、なにがなんでも<銀界魔弾>を撃つ覚悟だったのだ。
「発射……!」
ビリジアの号令とともに、要塞の砲塔から膨大な魔力が迸り、<銀界魔弾>が発射された。
目には見えない、不可視の魔弾だ。
まっすぐ飛んでいるならいざ知らず、軌道が読めねばさすがのイージェスも、一突きで落とすというわけにはいかぬ。
<銀界魔弾>ならば一発で六つある氷の世界の半数は破壊する威力がある。
それなれば、これまでに吸収したマグマが一気に溢れ出してしまう。もう一度、氷の世界を構築して吸い込み直すには時間がかかる。
最悪、<銀界魔弾>の魔法砲台を封じる前に、主神装填戦が決着することになるだろう。
「見えた……」
そう呟き、飛び出したのはミーシャである。
見えないはずの魔弾に、迷いなくミーシャは突っ込んでいき、氷の盾を多重に展開した。瞬間、その盾は砕け散っていく。<銀界魔弾>が確かにそこにあるのだ。
<銀界魔弾>の弾丸は彼女の母、創造神エレネシアが創った疑似銀泡そのものだ。
その創造の権能は、ミーシャが有するものと殆ど変わらない。
これだけの至近距離、ミーシャの神眼には母の魔力が確かに映っていたのだろう。
しかし、瞬く間に氷の盾はすべて砕け散り、世界を撃ち抜く魔弾が氷の世界へ迫る。
ミーシャは己の体を盾にし、その両手で<銀界魔弾>を包み込む。
ガラス球がその魔弾を覆い、氷の世界に閉じ込める。だが、魔弾はそれを破壊しようと内側で荒れ狂った。
抑えきれぬ破壊の余波が外側に溢れ、ミーシャの体を傷つけていく。
「これが……もう……最後……」
魔力を振り絞り、根源を削る勢いで、ミーシャは<銀界魔弾>を封じ込める。
彼女が創った六つの氷の世界により、この場のマグマはほぼすべてが吸い込まれており、残りは<銀界魔弾>の要塞と化した分と、四人の隊長が手にした大砲のみだ。
それを吸収してしまえば、<銀界魔弾>の術式は働かない。
「お母さんに疑似銀泡を創らせない」
主神装填戦に挑んだ彼女の母は、オードゥスに<銀界魔弾>を使われれば、魔弾世界を守るため疑似銀泡を創らざるを得ない。
大きな魔力を消耗するため、劣勢を余儀なくされる。
主神装填戦は、彼女の母の戦いだ。
母と、その秩序を愛した彼の。
ゆえに、直接手を貸すことはできない。
できることは一つだけ。
<銀界魔弾>の砲台を必ず破壊する。
それが――
会えるはずのなかった母と交わした、彼女の初めての約束だった。
「世界を弾丸にする秩序は、世界を愛する秩序より弱い」
強く、明確に、彼女はその意思を表明する。
それは珍しい、けれども確かに怒りの声だ。
「命を使い捨てにするあなたたちは……魔弾世界は間違っている」
七つ目の氷の世界、<銀界魔弾>を封じ込めるそのガラス球にミーシャはありったけの魔力を注ぎ込む。
「我々こそが常に正しい」
ビリジアが言った瞬間、目映い光がそのガラス球から溢れ出し、空間が軋む。
「命を最大効率で活用することが、最大の成果を生む。小世界の運営においても、戦闘においても。それこそ命が獲得する利益であり、我々は常に最大効率で生存している」
耳を劈く轟音が鳴り響き、七つ目の氷の世界は粉々に砕け散った。
「無限の愛をもってしても、1+1は3にはならない」
<銀界魔弾>がミーシャに着弾し、そして大爆発を引き起こした。
しかし――
マグマを吸い込んだ六つの氷の世界は健在だ。
ミーシャが体とその根源を盾にし、<銀界魔弾>の威力をすべて押さえ込んだのだ。
爆炎が収まると、そこには傷だらけのミーシャがいた。
根源すらも重傷を負っており、下手に動けば滅びかねない。
ふらり、と彼女は浮力を失い、落下していく。
「一人撃破」
冷徹な声でビリジアが言う。
奴は己の銃砲に青き魔弾を集中させる。
「槍も対策が完了した」
<魔深流失波濤砲>が七番隊隊長ネロに向かって放たれた。
味方を撃つ行為にイージェスが訝しむ素振りを見せた次の瞬間、ネロがその魔弾に向けて<魔深流失波濤砲>を放った。
二つの青き魔弾が衝突し、大爆発を引き起こす。
そして、ディルフィンシュテインの血槍が吹き飛んだ。
<銀界魔弾>を封じるための血槍がなくなり、ビリジアはその大砲を構えた。
「<銀界魔弾>発――」
ぐじゅ、とディルフィンシュテインが、ビリジアの首を貫いた。
一瞬奴の表情が戸惑いの色を見せる。
魔弾世界でそんなことがあるわけがないと思ったのだろう。
その体に影が差していた。
不自然な影、あるはずのない剣の影が。
「おあいにくさま」
サーシャの声が響く。
瞳に浮かんでいるのは、<理滅の魔眼>。
彼女の手には理滅剣ヴェヌズドノアが握られていた。
その発動には時間がかかる。魔弾でとどめをさせと冥王が言ったのは、彼女が理滅剣を使うのを隠すためだ。
「魔弾世界だからって、槍が刺さらないと思ったかしら?」
魔弾世界の秩序が、次第に理滅剣によって滅ぼされ始めた。彼女の魔眼の届く範囲は最早、奴らの領域ではない。
一瞬の戸惑いを見逃さず、サーシャは地面を蹴った。
「槍は回避。まず男から確実に倒す」
首を貫かれながらも、ビリジアがそう指示を飛ばす。
三名の隊長は<銀界魔弾>の大砲をイージェスに向けた。
「緋髄愴、秘奥が壱――」
ビリジアから穂先が抜かれ、イージェスの魔槍が閃く。
彼が静かに構えをとったかに思えた次の瞬間、隊長の三名の腕が<銀界魔弾>の大砲ごと、ぼとりと落ちる。
その胸には、大きな穴が空いていた。
「――<閃牙>」
がっくりと三名の隊長が崩れ落ちる。
魔槍で穿った、深い傷だ。根源にまで及んでいる。
「言うたはずだ。ここが魔弾世界でなければ、とうの昔に全員串刺しよ」
「……自爆の魔弾だ」
ビリジアが端的に命令を発する。
隊長四名の魔力が、<銀界魔弾>の要塞に集中した。<根源光滅爆>、いやそれ以上の魔力だ。この動力部一帯ごと、イージェスらを吹き飛ばすつもりだろう。
四人全員の自爆を止めなければ、<銀界魔弾>の要塞は根源爆発以上の大爆発を起こすだろう。
だが下手に攻撃を加えても、その瞬間に暴発する。
「剣は一本、自爆の魔弾は四発。4-1は?」
サーシャの理滅剣がビリジアの胸を貫く。
赤い血が、どっと溢れ出した。
「答えは〇よ」
奴の自爆魔法が滅ぼされ、そして、残り三人の自爆魔法もピタリと止まった。
「……な……ぜ……? 斬られていない……魔法……ま、で…………」
ビリジアが、掠れた声で、驚愕を示す。
命と引き換えに最大の成果を生む。その魔法が、その理が、滅ぼされていた。
「最大効率とか最大の成果とか、それがどれだけ正しい計算だって、滅ぼすだけよ。1+1が3にならないなんて、わたしの魔王様が許さない」
最早、戦闘不能の隊長たちへ、彼女はそう言葉を突きつける。
「世界を愛する秩序の方が強いわ」
それはきっと、ここにいない母へ向けて。ミリティアとアベルニユー、二人の姉妹神が贈る、最大のエールであった。
魔弾の理を覆し――