禍々しき仮面
「……………が………か……は…………」
メルヘイスが苦しげな呼吸を漏らす。
ヴェヌズドノアは頭を貫通しているが、彼はまだ滅びず、その体をたもっている。
「ふむ。どうやら厄介なものを埋め込まれていたようだな」
メルヘイスの脳に刺さっているのは、隷属の魔剣。
思考さえも所有者に支配される魔法具だ。
「滅べ」
理滅剣によって、メルヘイスの脳に刺さっていた隷属の魔剣が消滅した。
ヴェヌズドノアを頭から抜くと、メルヘイスは虚ろな瞳を俺に向ける。
次第にその目は確かな色を持ち始めた。
「正気に戻ったか、メルヘイス?」
恐縮したように、彼は頭を垂れる。
「……申し訳ございません、アノス様……不覚を取りました……」
ユニオン塔で調べたとき、メルヘイスには確かに俺の記憶がなかった。
にもかかわらず、長年俺を殺すのを待ちわびていたというのは妙な話だ。
無論、何らかの方法で、うまく記憶を隠したということも考えられた。
しかし、俺にそう思わせ、味方であるメルヘイスを殺させるというのがアヴォス・ディルヘヴィアの狙いだったのだろう。
あの時点でメルヘイスには確かに俺の記憶はなく、その後、隷属の魔剣によって操られていたというわけだ。
レイの体内に契約の魔剣が刺さっていたのだから、こういう可能性もあるだろうとは思っていた。
「誰にやられた?」
メルヘイスは心苦しそうに頭を振った。
「……わかりません。顔も、魔力すら見ておりませぬ。アノス様に会ったその夜のことでございます。わしは何者かに襲われ、気がつけば、隷属の魔剣を刺されていたようです。二千年前のことをふまえ、<四界牆壁>を貯蔵することで備えをしておったのですが、それを使う隙すらございませんでした」
二千年前、壁を超えることでアヴィス・ディルヘヴィアの配下から逃げおおせたメルヘイスは、次の襲撃に備え、<四界牆壁>を蓄えていたというわけか。
それが今回は、俺を殺すために利用された、か。
向こうもメルヘイスが手強いことを知り、入念に準備をしていたのだろうな。
俺はヴェヌズドノアを地面に刺す。
すると、剣の本体が消え、俺の足元に影だけが残った。
言わば、鞘に納めた状態だ。
「そろそろ繋がるだろう」
メルヘイスの肩をつかんでいた左手を放す。それを右手で持ち、左腕の切断された部分にぐっと押しつけ、接合する。
軽く指を動かしてみる。
ふむ。支障ないな。
「ガイオスとイドルをここに」
「承知しました」
メルヘイスは魔法の門を二つ作り出す。
それが開くと、ガイオスとイドルの死体がこの場に転移してきた。
「どうなさるおつもりでしょうか?」
「お前以外の七魔皇老は根源を融合され、体を乗っ取られている」
メルヘイスは神妙な顔で思考する。
「アヴォス・ディルヘヴィアの配下にでございましょうか?」
「ああ」
アイヴィスのときは根源を消滅させるしかなかったが、今回は違う。
「ここに、アヴォス・ディルヘヴィアの配下の根源が二つある」
俺はガイオスとイドルの死体に魔法陣を描く。
そして、<根源分離>の魔法を使い、二人の根源と融合している二つの根源を切り離していく。
「お前たち七魔皇老の体を乗っ取らせるほどだ。アヴォス・ディルヘヴィアの配下の中でも、それなりに事情に通じているはずだ」
七魔皇老は、暴虐の魔王の伝承について直にコントロールできる立場だ。なにも知らない者にただ命令だけをしていたとは思えない。
そうでなくとも、<蘇生>で復活させてみれば、案外見知った顔かもしれぬがな。
<根源分離>の魔法で根源の分離が終わると、俺は血を二滴そこに垂らした。
「蘇れ。俺に弓引く愚か者よ。正体を見せよ」
魔法陣が描かれ、<蘇生>の魔法が行使される。
そのときだった――
空間を斬り裂くような二つの衝撃波が飛来する。
それは蘇生途中だった根源を両方とも両断し、跡形もなく消滅させた。
「な……!」
メルヘイスが驚きを発した頃には、俺は攻撃が飛んできた方向へ視線を向けていた。
そこに、禍々しい仮面をつけた男が立っていた。
漆黒の全身鎧に体を覆われている。
仮面はなんらかの魔法具なのか、魔眼を凝らしてみても、その男からは魔力が感じられない。
どうりで、攻撃が来るまで気がつかないわけだ。
「……ありえないことでございます……<次元牢獄>に外から無理矢理入ってくるなど……」
狼狽したようにメルヘイスが言う。
確かに、入ってしまえば、その中を転移することは案外なんとかなるが、外からこじ開けるとなると簡単なことではない。
「ふむ。お前がアヴォス・ディルヘヴィアか?」
「…………」
仮面の男は答えない。
「喋りたくないか。なら、その気にさせてやろう」
足元に手をかざす。
剣の影がゆっくりと浮かび上がり、俺はその柄に手を伸ばす。
「…………」
仮面の男の手元がブレた。
すると、<次元牢獄>に裂け目ができ、奴はその中へ消えていった。
「メルヘイス」
「……魔力を感知できないため、追うのが難しいのですが、<次元牢獄>の中には姿が見当たりませぬ。恐らく、逃げたのでしょう」
ヴェヌズドノアには敵わぬと踏んだか。
俺とメルヘイスの戦いを見ていたのだろう。
あと一秒あれば理滅剣の錆にしていたところだが、なかなか賢明なようだな。
目的は、ガイオス、イドルと融合していたアヴォス・ディルヘヴィアの配下を始末することか。根源さえ消滅させてしまえば、情報が漏れることはない。
「いかがいたしましょうか? 今ならまだ追うことができるかもしれません」
「いい。放っておけ」
今は追っている場合ではないしな。
あの仮面の男にしてみれば、それも計算尽くなのかもしれぬ。
「後ほど指示を出す。ガイオスとイドルを蘇生しておけ」
仮面の男が始末した根源は、アヴォス・ディルヘヴィアの配下のものだけだ。
ガイオスとイドルの元々の根源は無事である。例によって記憶はないだろうが、正常な状態で蘇生できるだろう。
「御意」
ヴェヌズドノアを床に突き刺し、影に変える。
そして、その影もすっと消えた。
目の前に魔法の門が開き、そこに金剛鉄の剣が現れる。
「こちらでよろしゅうございますか?」
「ああ」
俺は金剛鉄の剣を手にした。
「どうぞ、そのままお入りください。闘技場の舞台へつなげます。レイ・グランズドリィも同じく外へ出しましょう」
うなずき、俺はそのまま魔法の門へ入っていく。
ぐちゃぐちゃに歪んでいる通路らしき場所を歩くと、やがて、声が聞こえてきた。
「……おい、どうなったんだ……?」
「わかんねえ。さっきから、魔法で舞台の様子が全然見えないし、音もなにも聞こえねえよ……」
「運営からもなんの連絡もないし、いったいどうなってやがんだよ……?」
「あ、おい、待てよ。見ろ、あそこっ! 人影じゃないか?」
「……ああ、本当だ……魔法の効果が切れたのか……立っているのが一人、倒れているのが一人いるぞ……」
「決着がついたってことか」
「いったい、どっちが……?」
舞台の魔法陣がなくなり、<次元牢獄>が完全に消滅する。
そこに見えてきたのは、金剛鉄の剣を携えた俺と、折れたイニーティオのそばで仰向けになっているレイの姿だ。
フクロウの声が響く。
「レイ・グランズドリィ選手の剣の破壊を確認しました。勝者、アノス・ヴォルディゴード選手!」
わああぁぁぁっ、と会場から大歓声が溢れた。
「やったわっ! ねえ、あなた、アノスちゃんが勝ったわっ!!」
「ああ……そうだな。大したもんだ、あいつは……」
父さんと母さんの声が聞こえる。
「やっぱり、アノス様が世界一っ!」
「うん、さすがアノス様、もう超格好いい……ぐす……うっ……」
「ちょ、ちょっと、なに泣いてるのっ?」
「だ、だって、感動しちゃって……皇族派の大会で、アノス様に不利なルールばっかりだったのに……文句も言わずに勝っちゃったんだもん……」
「も、もう。急に真面目になって」
「あ、あたしはいつだって真面目だよぉっ!」
ファンユニオンの少女たちは皆涙ぐんでいる。
観客席からは盛大な拍手が鳴り響く。その殆どが混血のものだったが、よほど嬉しいのだろう。いつまでも興奮冷めやらぬといった調子で、手を打ち鳴らし、声が枯れるほど叫んでいた。
歓声や拍手が一段落すると、再び上空からフクロウの声が響いた。
「後ほど閉会式を行いますが、まずはこの場で、優勝者のアノス選手に記念品の魔剣が授与されます」
すると、闘技場へドレスを纏った少女が魔剣を両手に持ちながらやってくる。
金髪碧眼、髪を下ろしているが、その顔には見覚えがあった。
少女は俺のそばまでやってくると、にっこりと笑う。
「おめでとう」
彼女は記念品の魔剣を差し出す。
「ふむ。なにをやっているんだ、サーシャ?」
途端にサーシャは気まずそうな表情を浮かべた。
「し、心配しなくてもイザベラのそばにはミーシャがいるわよっ。それに試合が終わったんだから、あなたなら、どうとでもできるでしょ」
「別にそんなことは訊いてないがな」
サーシャは不服そうに俺を睨んでくる。
「あなたは知らないと思うけど、ネクロン家はそれなりに名家なの。あんまり剣が得意な家柄でもないから、魔剣大会の優勝者を称えるにも都合が良いのよ」
優勝者に箔をつけようということか。
サーシャは七魔皇老の直系だから、ちょうどいい身分というわけだ。
「ほら、いいから受け取りなさいよ」
サーシャがずい、と魔剣を差し出す。
「俺を称えに来た者の態度ではないな」
俺は魔剣を無造作に手にした。
「……ちゃんと、それらしくするわよ……」
彼女は顔を赤らめ、俺の顔をじっと見つめる。
「おめでとう、アノス・ヴォルディゴード。あなたの剣に、祝福を」
きゅっと目をつぶり、サーシャは俺に向かって背伸びをする。
その唇が、そっと頬に触れた。
俺の勝利を祝福するように、観客席からはまた拍手が溢れた。
「い、言っとくけど……」
俺の目をまともに見られない様子で、俯きながら、サーシャは言う。
「こういう決まりなのよ? わたしがしたくてしたわけじゃないわよ」
「わざわざ言わずとも、それぐらいわかっているぞ」
すると、サーシャは肩すかしを食らったような顔になる。
それから少々不満そうな顔をしつつ、俺から視線をそらした。
「……勝つと思ったから、引き受けたわ……」
弱々しく、サーシャが呟く。
まるで俺に響く言葉を探すように、彼女は辿々しく言った。
「あなた以外を……あなた以外の魔王を、称えるつもりなんてない……」
なかなか可愛らしい言葉を口にするものだ。
俺は思わず笑みを浮かべた。
「いい心がけだ」
「……な、なによ……相変わらず偉そう……」
そうばやきながらも、サーシャの口元は緩んでいた。
「あ」
と、思い出したように彼女は声を漏らし、それから、俺の前に魔法陣を描いた。
<思念通信>の魔法だ。この観客席全体と、魔法放送に伝わるようになっている。
「アノス・ヴォルディゴード。今の気持ちを教えてくれるかしら?」
「ああ」
言うべきことは決まっている。
「優勝できたのは、この剣のおかげだ」
金剛鉄の剣を見せつけるように、俺は頭上に掲げた。
「父さんが想いを込めて鍛えたこの金剛鉄の剣には、魔剣イニーティオにも劣らない力が宿った。魔力とは違うなにかが、心が宿った。父さんこそ、真の名工だ」
観客席に視線を向け、俺は言う。
「ありがとう、父さん」
視線の先で、父さんはぐっとなにかを堪えるような顔をしている。
耳をすませば、声が聞こえた。
「……な、なに言ってるんだろうな、あいつはよ……。なあ、イザベラ。そこはほら、学校の恩師とかに言っとかないと……大体、あんな剣、大したことないよなっ。ぜんぶ、あいつの力だ、あいつががんばったから――」
感極まったように、父さんは涙を流す。
隣で母さんはにっこりと微笑み、やはり涙ぐんでいた。
「……本当に、あいつは、大した奴だ……俺ぁ、こんなに嬉しいことはないよ……イザベラ……」
震える父さんの背中を、母さんが優しく撫でていた。
「それでは、これより閉会式の準備を始めます。観客の皆様は玉座の間に移動してください」
フクロウの声が響き、観客たちは次々と立ち上がり始めた。
レイの方に視線を向ければ、彼は数人の医者に囲まれている。
だが、どうにも手に負えない傷なのだろう。回復魔法をかけているが、なかなか癒えない様子だ。
「下がっていいぞ。俺がやろう」
レイに<抗魔治癒>の魔法をかける。
みるみる彼の傷は癒えていき、うっすら目が開いた。
「…………終わったのかい?」
しばらく意識を失っていたのか、呆然とした様子でレイは訊いてきた。
「いい勝負だったな」
倒れたままのレイに手を差し出す。
彼はその手をつかんだ。
「負けてよかったっていうのが一番悔しいところだけどね」
レイは立ち上がり、俺に言った。
「でも、次は勝つよ。それで、今度は君のすべてを守ってみせる」
「楽しみにしていよう」
俺とレイは笑顔を交わす。
「……レイさんっ、アノス様っ……!」
切迫したような声が響いた。
見れば、ミサが観客席からこの場へ駆け下りて来ている。
目には涙をいっぱいに溜めていた。
顔面は蒼白く、とても俺の勝利に感極まったという様子ではない。
「ミサさん……大丈夫かい?」
レイが心配そうに、彼女に声をかける。
「……ごめ……」
喋ろうとして、ミサは声を喉に引っかける。
「ん?」
「…………ごめん、なさい……」
辿々しくミサは言う。
その表情は申し訳なさと自責の念で溢れていた。
「……レイさんのお母さんを……あたし……あた、し……もう少し……だったのに……元気になったのに、守……守れなくて……気がついたら…………」
「なに、そのことなら心配するな」
そう言うと、ミサは目を丸くし、表情に疑問を浮かべた。
「シーラの精霊病は治った」
俺はその場に血を一滴垂らし、<蘇生>を使った。
二章もいよいよ次回で終わりです。
なんとか、ここまで毎日更新で来られました。
皆様に応援いただいたおかげです。
本当にありがとうございます。
少しでもお返しできているようでしたら嬉しいです。