銀泡の弾丸
一万四〇〇〇年前――
それは魔弾世界がまだテルネスと呼ばれていた頃の話だった。
暗い部屋に、銀の髪の少女が横たわっている。
創造神エレネシアだ。
彼女はゆっくりと意識を覚醒させ、目を開いた。
ぼんやりとした光が、視界に入ってくる。
室内には六方晶形の青いクリスタルがいくつも浮かんでいた。
見覚えのない場所、そしてあるはずのない時間だった。
「どうして……?」
エレネシアの口から、ぽつりと漏れたのは自問の声。
彼女は最期の創造を行った。<源創の月蝕>は彼女の子、新たな創造神ミリティアを産んだ。
創造した声のみを我が子へ遺し、エレネシアは滅びた。そのはずだったのだ。
今ここに、自らが存在していることが彼女には不思議でならなかった。
「生きているのはワガハイの権能ダ」
硬質な声が、室内に響き渡った。
はっとしたエレネシアは振り向く。
そこに直立していたのは、九つの尾を持つ男だ。その尾は無機物であり、よくよく見ればマスケット銃のようでもあった。
全身にみなぎる魔力は、神のものに相違ない。
「キサマの根源に撃ち込まれた<鹵獲魔弾>は、滅びをきっかけにその力を発揮スル。根源の消滅を遅らせ、火露を鹵獲するのダ」
エレネシアは胸に手を当て、自らの根源を見つめる。
男が口にした通り、彼女の根源には丸い宝石のような弾丸が食い込んでいる。そして、それが本来ならば滅び去っているはずのエレネシアに力を供給していた。
「つまり、キサマはこれにて、魔弾世界の住人となったのダ」
エレネシアの瞳が疑問に染まる。
「……魔弾世界というのは?」
「キサマは泡沫世界の住人、戸惑うのは無理もナイ。キサマが生きていた世界の外には、果てしない海が広がっていル。それこそが銀水聖海。そしてそこには数多無数の小世界が存在するのダ」
すぐには信じがたいことだった。
されど、目の前の男は神族であるにもかかわらず、エレネシアには見覚えがなかった。
そして、その力は彼女の常識を遙かに超えている。エレネシアの神眼にはその片鱗が確かに映っていた。
「あなたは何者?」
エレネシアが問う。
「ワタシは魔弾世界が主神、神魔射手オードゥスであル。説明しよウ。キサマたちが知る由もなかったこの銀海の理を――」
オードゥスはエレネシアに銀水聖海のことを説明した。
主神や元首、適合者、不適合者、火露、そして彼女が創造したその世界が不完全な泡沫世界であることを。
それがどうやら本当のことらしいと判断するのに、さほど時間はかからなかった。
エレネシアは滅びを避けられない運命だった。彼女の世界の理だけでは、彼女が生き延びた説明がつかない。
「……話は理解した。では一つ問おう」
エレネシアはその神眼をまっすぐオードゥスに向ける。
「なぜあなたたちは、あなたたちが不完全と呼ぶ泡沫世界の創造神を鹵獲した?」
「足りナイ」
エレネシアが疑問の表情を浮かべると、オードゥスが続けて言った。
「我が魔弾世界の創造神テルネスでは創造の力が足りないのダ。元々、この世界では創造の力が弱い。伸びしろがないといった方が正しいカ。今のキサマよりはマシかもしれないが、その力は上限に達しているのダ。滅びと新生を繰り返しても、期待するレベルには到達しナイ。最も効率的なのは、外から持ってくることダ」
オードゥスの尾が一本動き、青いクリスタルを指し示す。
「見るがイイ。これがなんであるか、創造神たるキサマにはわかるはずダ」
エレネシアが神眼を凝らし、そのクリスタルの深淵ぞ覗く。
「……創造神の創った世界。とても小さな、根源が一万ほどの世界。あなたたちの言葉でいうなら、小型の銀泡でしょう。けれど、本来の世界以外にこれを創るのなら、創造神もただでは済まない。恐らくは根源を削っている」
その答えに満足したようにオードゥスがうなずく。
「我が世界では、これを弾丸に使ウ」
一瞬、エレネシアは眉をひそめる。
世界を弾丸にして撃つなど、彼女には想像しただけで怖気が走ることだ。
「銀滅魔法<銀界魔弾>。小世界を弾にし、小世界を撃ち抜く魔弾ダ。目下、魔法実験の最中だが、弾丸に足る水準の小型銀泡が作れナイ」
厳しい面持ちでエレネシアは問うた。
「……私にそれを創らせる、と?」
オードゥスが尾を一本動かし、魔法陣を描く。
転移してきたのは、手枷をはめた小さな女の子だ。
エレネシアははっとして彼女に駆け寄った。
「彼女は創造神テルネス。我が世界の創造神は育ちが悪いのダ。小型銀泡を創るために、根源を削りすぎタ。お察しの通り、まもなく滅ブ」
エレネシアがその神眼で、創造神テルネスの根源を覗く。
雪月花を使い、彼女を癒やそうと試みるが、もうとっくに手遅れだ。テルネスは自らの創造の力を駆使して、かろうじて形を保っているにすぎない。
「……けて……」
創造神テルネスは、掠れそうな声で言った。
「助けて。わたしの世界を、わたしの世界を生きる人々を……」
同じ創造神として、エレネシアにはテルネスの気持ちがよくわかった。彼女もまた世界を救おうと己の身をけずってきたのだろう。
創造神が滅べば、この魔弾世界がどうなるかは想像に難くない。
「力を貸そう。私の創造の力を」
これがオードゥスの企みなのはわかっていた。
だが、このとき、エレネシアにそれ以外の言葉をかけられるはずもなかった。
創造した世界が滅びゆく様を、彼女は悠久の時をかけてずっと見守り続けてきた。
もしも、創造神が二人いたなら、選べた道があったはず。
きっとそれは、テルネスも考えていたことだろう。
エレネシアは彼女の手をぎゅっと握る。
瞬間、幼い神の体が崩れ始めた。
終わりの時がきたのだ。
「……ごめんなさい……」
申し訳なさと感謝が入り交じったそんな表情だった。
エレネシアは息を呑む。
そうして、その慈愛でもって彼女を優しく抱き締めた。
「世界を愛するあなたの気持ちは、わたしにはよくわかっているから」
「……ありがとう……」
風にさらわれるようにテルネスの体は消え去り、彼女にかせられていた手枷が今度はエレネシアにはめられていた。
「継承は済んダ。たった今より、この魔弾世界はエレネシアと名を変えル。キサマが代わりダ。テルネスと同じく、滅び去るまで小型銀泡を創るがイイ」
毅然とした神眼で、エレネシアはまっすぐ神魔射手を見返した。
「弾丸になるための世界を、私が創ると? 滅びるための根源を、まして世界を撃つ弾丸を」
「キサマの意思など関係ナイ」
神魔射手オードゥスはその指先をエレネシアへ向ける。
彼女の根源に。
「キサマも長くはナイ。本来、滅びるはずの根源が<鹵獲魔弾>により延命にしているだけダ。キサマは滅び、そしてその火露は我が魔弾世界にて新生スル。新たな創造神にキサマの記憶はナイ」
「では、なぜ私にそのことを話す?」
「取引ダ。ワガハイにはキサマを救う手立てがアル。魔弾世界の創造神としてキサマが任務を全うするならば、そうしてもヨイ。その方が新生よりも効率がヨイ」
悪い話ではないといった風にオードゥスは言う。
「勘違いしてもらっては困るガ、<銀界魔弾>の開発は防衛のためダ」
「……世界を撃つ魔弾なのでしょう?」
「そうダ。かつて発生した銀水聖海の大災厄――絶渦。それにより、多くの小世界が被害を受けタ。我が魔弾世界も例外ではなく、甚大な損害を被っタ」
理路整然とオードゥスが説明を続ける。
「絶渦を未然に防ぐには、<渦>の時点で消さなければならナイ。そのための<銀界魔弾>であル」
当たり前のことのように、その主神は言った。
「そのためには小世界を撃つのもやむを得ナイ。小型銀泡により失われる命より、助かる命が遥かに多いのダ」
「魔弾世界の主神よ。犠牲を作らない方法で災厄を防ぐと約束するなら、力を貸そう」
「夢物語ダ。犠牲を払わない方法などナイ。そんなこと言っているから、キサマの創った世界は泡となって消えゆくのだ」
静かにエレネシアはまぶたを閉じる。
「もしも、その<銀界魔弾>という魔法が開発されたなら、あなたはいつか私たちの世界を撃つかもしれない。私の子が創った世界を」
再びまぶたを開き、はっきりと彼女は告げた。
「協力はできない。たとえこの身が滅び、記憶を忘れて生まれ変わるときがあったとしても、私は弾丸になるための世界など創ることはない」
「いいや、キサマは必ず協力スル」
確信めいた口調だった。
脅すでもなく、ただ事実を告げるようにオードゥスは言う。
「キサマが小型銀泡を創らなければ、弾となるのは魔弾世界が鹵獲した本物の銀泡だからダ」
エレネシアが目を丸くする。
神魔射手の尾が蠢き、魔法陣を描く。
そこに映し出されたのは火山要塞デネブとそこに駐屯する軍人だ。魔弾世界の住人の暮らしが無数の<遠隔透視>に次々と映っていく。
「一〇〇日待とウ。見るがヨイ。この魔弾世界を。銀泡を奪われ、魔弾世界の住人となって生きる人々を。キサマは彼らを弾丸にはできナイ。だからこそ、数多の泡沫世界の中から選んだのダ」
そう言い捨てると、神魔射手オードゥスはその場から転移していった。
一人残されたエレネシアは、室内を見回す。
どうにか逃げられないか考えたが、張り巡らされた結界は彼女の世界では考えられないほど強固で、その外側には指一本出すことができない。
もしも出られたとしても、彼女の寿命は長くない。どこで滅びようと、魔弾世界にあるその火露をもとに彼女は新生される。
逃げ場所などありはしないということはすぐ理解した。
エレネシアに出来たのは、そこに残された<遠隔透視>から魔弾世界を眺めることだけ。
銀泡を奪われ、植民地となった無数の世界では、かつて自分が創造した世界と同じく、人々が暮らしていた。
エレネシアが小型銀泡を創らなければ、彼らは弾丸となり、命を散らす。
だが、エレネシアが小型銀泡を創れば、その根源は滅び、そしていつか、どこかの世界が撃たれるのだ。
どちらが正しい選択なのか。
いや、正し選択などありはしない。
答えを出すことができず、ただ月日が流れていく。
そして、ちょうど一〇〇日目。
覚悟を秘め、エレネシアが神魔射手オードゥスを待っていると、突如足下が揺れた。立っていられないほどの震動に、彼女は床に伏す。爆音とともに結界が脆くも崩れ去った。
「見つけた」
無理矢理こじ開けられた入り口に現れたのは、一人の男だった。口元に不気味なマスクをつけている。
「創造神エレネシアかい?」
「……あなたは誰?」
「ムトー。第二魔王と呼ばれている」
そう言って、ムトーはエレネシアの手をつかんだ。
「今から君をさらう。早い話、人質だ」
エレネシアは即座に手を引く。だが、びくともしなかった。
彼女は手の平から雪月花を放ち、氷の矢をムトーに飛ばす。だが、それはたちまち折れ、何事もなかったかのように彼は笑った。
「抵抗しないで。自由は保証するよ。今日から楽しい人質生活の始まりだ」
そんなわけのわからないことを言って、ムトーは強引にエレネシアを抱き寄せる。一気に飛び上がり、あっという間に大提督の基地を脱出したのだった。
突如現れた第二魔王、銀水聖海において絶対的強者たる彼の目的とは――?