創造神エレネシア
細長い通路をミーシャとサーシャは走っていた。
「こっち」
分かれ道をミーシャは迷いなく右に入った。
広大な格納庫はいくつかの区画にわかれている。
どこで敵が待ち伏せしているかもわからぬその場所を、二人は大胆に突き進んでいく。
時間をかければかかるほど、深淵総軍の足止めをしているイージェスが危うくなる。すでに二人が基地に侵入していることも知られている。追っ手も来るだろう。
ゆえに、慎重さよりも速度を選んだ。それが幸いしたか、今のところ二人は敵に遭遇していない。
「不自然よね」
走りながらも、サーシャが呟く。
「魔軍族の気配が全然ない?」
即座にミーシャは言葉を返した。
「魔弾世界の本拠地でしょ。アノスが暴れてるから、大半はあっちに引きつけられてるにしたって、さすがに静かすぎない?」
ぱちぱち、と瞬きをしてミーシャは僅かに目を伏せる。
「……罠?」
「それ以外に考えられる?」
神眼を目の前に向けながら、ミーシャは答える。
「深淵総軍に遭遇しないように誘導してくれてる」
「……創造神エレネシアが?」
サーシャが振り向けば、ミーシャはこくりとうなずいた。
「基地に入る前よりも、魔力がよく見えるから」
そう口にして、ミーシャが足を止めた。
「どうしたの?」
サーシャも立ち止まり、不思議そうに彼女を見た。
「ここ」
と、ミーシャは壁に手を触れた。
その瞬間、なにもなかったはずのそこに魔法陣が浮かび、ドアが出現したのだ。ドアは二人を迎え入れるように開いていく。
「わたしたちを呼んでいるみたい」
淡々とミーシャがそんな感想を漏らす。
サーシャは表情を険しくして、開いたドアの向こうに視線をやった。
「……お母様っていっても、実感がないわ。アベルニユーのときだって一度も会ったことがないんだもの」
「わたしも一度。創世のときに、声を聞いただけ」
創造神エレネシアが、二人の娘を呼んでいる。それが喜ばしいことだと断定できるほど、彼女たちは母を知らなかった。
だが、なにが待ち受けていようと、今は進むしかない。
ミーシャとサーシャは再び走り出した。
「創造した声を残しておいただけで、そのときにはもう滅びていたんでしょ?」
「そのはずだった」
滅びたはずの創造神エレネシアが生きている。いかなる数奇な運命が彼女を救ったのか、今は予想することすらできない。
会って話を聞くしかないのだ。
通路を抜けると、その奥に巨大な戦艦が姿を現した。
ミーシャはサーシャと顔を見合わせ、こくりとうなずく。二人はそこへ向かって、まっすぐ歩いていく。
戦艦から魔力が放たれたかと思えば、床に魔法陣が描かれる。
サーシャが身構え、ミーシャはその神眼にて深淵を覗く。
「<転移>の魔法陣。たぶん、戦艦の中につながってる」
「入ってこいってことかしら?」
「罠じゃなければ」
サーシャがその魔法陣を睨む。
創造神エレネシアが味方という確証はない。
もしも罠なら、その魔法陣で転移した先には、大量の敵が待ち構えているだろう。
「どっちだと思うの? ミリティアは」
「あなたと同じ。アベルニユー」
静謐な声でミーシャが答えれば、サーシャは微笑した。
「行きましょ」
自然と手をつなぎ、二人はその魔法陣の上に乗る。
途端に視界が真っ白に染まり、次の瞬間、彼女たちは転移していた。
青を基調とした一室だ。
壁や天井はガラスでできており、目の前には階段があった。
その先で、豪奢な椅子に座っているのは、長い銀の髪と白銀の瞳を有した神。ミーシャに似ているその顔だち、そして魔力から、二人には一目で彼女が創造神エレネシアだとわかったことだろう。
「愛しい我が子」
優しい声が室内に響き渡る。
静かに彼女が立ち上がれば、青い装束がふわりと揺れた。
「よくここまで来てくれた。ミリティア、アベルニユー」
静謐な顔に慈愛をたたえ、その神は言った。
「私は創造神エレネシア。あなたたちに会える日をずっと待っていた」
静かに足を踏み出し、エレネシアは階段を降りてくる。
目的があって、ここまで来た。
聞きたいことも山ほどあろう。
それでも、いざ会ってみれば、二人の口からはなに一つ言葉が出て来ない。ミーシャもサーシャも、ただ黙って彼女の姿を見つめることしかできないでいた。
初めて会う母の姿を、ただじっと――
「転生世界ミリティアを」
柔らかい口調でエレネシアは言う。
「私たちの銀泡を、私たちが救えなかったあの愛しい世界を、あなたたちは救ってくれた」
足を止め、エレネシアは娘たちの顔をまっすぐ見返す。
そうして、優しく、柔らかく、微笑んだのだ。
「魔弾世界からは多くを知ることはできなかったけれど、あなたたちが過酷な運命に立ち向かったことはわかっている。あの世界が滅びることなく、今もなお美しく輝いていることこそ、なによりの証」
エレネシアの言葉からミーシャとサーシャは耳を離せないでいた。
その一言一言が、二人の胸にじんわりと染み入っていく。
どうしてだろう、と。
大きな疑問が離れない、そんな風な顔をしていた。
目の前で優しく語りかけるその人は、ただそうしているだけで彼女たちを優しく包み込んでいるかのようだ。
「ミリティア、アベルニユー」
戸惑う二人に、エレネシアは言う。
「あの世界は優しく、そして笑っている。あなたたちを誇りに思う」
同時にこぼれた涙は三つだった。
ミーシャも、サーシャも、創造神エレネシアも泣いている。
直接言葉を交わしたこともない母と子の、それでもそれは約束だったのだ。
彼女の母も、その母も、そのまた母も、転生世界ミリティアの創造神は滅びゆく世界を救おうと我が子に祈りを託し、そして同じ悲劇を目の当たりにしてきた。
唯一それを成し遂げたミリティアは、滅びた母に約束を果たしたことを伝えることすら叶わなかった。
そのはずだったのだ。
「会えないと思っていた」
ミーシャが言う。
だが、今目の前にいるのは紛れもなく彼女の母、創造神エレネシアだ。
魔力のつながりがある。ミリティア世界のはじまりを知っている。そして、なにより、共鳴する三人の根源が、彼女たちが親子であることを物語っていた。
「わたしは頑張った。お母さん」
「ええ。とてもよく」
「……なによ」
唇を震わせて、少しすねたようにサーシャが俯く。
「お母様はわたしには……声を残してくれなかったわ……」
「ごめんなさい、アベルニユー。なにも残してあげられなくて」
エレネシアはそっとサーシャの手を取る。
ぎこちなく固まった彼女の頭を撫でて、エレネシアは優しく抱き寄せた。
「ごめんなさい。なにもしてあげられなくて。それでも、あなたの幸せを毎日祈っていた」
母の胸に抱かれたサーシャの瞳から涙がはらりとこぼれ落ちる。
気丈な少女が、まるで幼子に戻ったかのようだった。
「あなたほど、破壊の秩序を抑えられる破壊神はいない。主神のいない転生世界が、あれほど整合を保っているのはあなたのおかげ。ありがとう」
「…………褒められるようなことじゃ……ないわ……それぐらい、やらなきゃ……」
そう照れくさそうに言ったサーシャの頭を、愛おしそうにエレネシアは撫でる。
「訊きたいことがたくさんある」
ミーシャが言った。
なぜ創造神エレネシアは滅びなかったのか。そして、なぜ魔弾世界の創造神となっているのか。銀滅魔法や大提督のこと。エレネシアに教えてもらいたいことは数多くある。
その中でミーシャは最初に、こう尋ねた。
「会いに来られなかったのは魔弾世界に囚われているから?」
「ええ」
はっきりとエレネシアは答えた。
すると、彼女が抱いていたサーシャが顔を上げ、真剣な面持ちで言った。
「それじゃ、まずは一緒にここを出ましょう」
「話は後で」
ミーシャとサーシャがエレネシアに視線を向ける。
しかし、彼女はうなずかなかった。
「ごめんなさい。私は魔弾世界から出るわけにはいかない」
「どうして?」
「大提督だろうと、神魔射手だろうと関係ないわ。わたしとわたしの魔王様が、お母様を縛りつける鎖を滅ぼしてみせる。魔弾世界のすべてを敵に回したって」
ゆっくりと創造神エレネシアは首を左右に振った。
「あなたたちが転生世界で戦ったように、私もこの世界で戦わなければならない。私自身の力で」
そう口にしたエレネシアの瞳には揺るぎない決意が見て取れる。
「すべてを語る余裕はないかもしれない。あなたたちは、<銀界魔弾>を止めにきたはず」
「大丈夫」
ミーシャが言った。
「ぜんぶ聞かせてほしい。わたしたちの母の戦いを」
「……いつここに深淵総軍が来るかは私にもわからない」
エレネシアの言葉に、フッとサーシャは微笑んだ。
「危険だからって大切なことを後回しにしていたら、わたしたちの世界は救えなかったわ」
彼女は言った。
「転生世界ミリティアは、<銀界魔弾>を止めに来たんじゃない。ぜんぶ助けにきたの。わたしたちが守りたいものを、ぜんぶ」
エレネシアは目を丸くした後、優しい視線を向けた。
我が子の成長を嬉しくも、寂しくも思うそんな瞳で二人を見つめた後、彼女はそっと口を開く。
「愛しい我が子。あなたたちはとても強い。すべてを話そう。私が滅び去ったはずのあの日のことから――」
語られるのは、彼女が過ごした遠い日のこと――