商談
「………………さらわれた……!?」
目を丸くして、エレンが声をこぼした。
「誰にっ!?」
「……わかんない……突然、襲われて……イリヤたちがあたしをかばってくれたんだけど、魔法で拘束されちゃって……」
リンファはぐっと拳を握り、唇を噛む。僅かに血が滲んだ。
「イリヤがあたしだけ、魔法で飛ばしてくれて……襲ってきたのは三人だったと思う。でも、顔も魔力も見えなくて……」
「蒼花歌唱隊の連中ではないかね」
さらりと熾死王が言う。
「ここでオマエが脱落して、得をするのはアイツらしかいないではないか。歌唱隊と言いながら、演奏も歌もシータ一人でやっていることだしな」
「シータがそんなことするわけない……!」
語気を強めてリンファは反駁した。
笑みをたたえながら、エールドメードは手を振って否定する。
「いやいや、いやいやいや。シータの仕業だとは言っていない。だが、彼女が勝てば、その恩恵に預かる者もいるだろう。独断で動いたとしても不思議はない」
熾死王の推測は妥当なところだろう。
実際、シータは蒼花歌唱隊のメンバーを不審に思っていたようだしな。
前評判では、彼女が吟遊宗主になることはほぼ確実視されていた。
しかし、ここにきてリンファが台頭してきたことにより、吟遊神選の行方はまったく読めなくなってしまった。
シータを確実に勝たせるため、リスクを承知で吟遊神選の真っ最中に仕掛けてきたというわけだ。
「とにかく、助けに行かないと……!」
立ち上がり、走り出そうとしたリンファの行く手を、熾死王が杖で阻む。
焦ったような顔で、彼女が見返してくる。
「居場所がわかるのかね?」
「それは……」
「そもそも今助けにいけば、吟遊神選は棄権するしかない。それでは、蒼花歌唱隊の狙い通りではないか? ん?」
「そんなのどうでもいいじゃんっ」
はっきりとリンファはそう言い切った。
「あたしたちはみんなで赤星歌唱団なの! 誰か一人が欠けたらそうじゃない。一人で歌うあたしの歌には、なんの価値もないっ!」
「ではなぜオマエの仲間は、オマエをかばったのかね?」
熾死王の問いに、リンファは一瞬言葉に詰まった。
「なぜ、イリヤはオマエを飛ばしたのだ? 咄嗟にそれだけのことができたならば、自分が逃げることもできただろうに」
熾死王がリンファの顔を杖でさす。
「オマエ一人残れば、吟遊神選を続けられるからだ。自分たちのことは構わず、吟遊宗主になってこいと言っているのではないか?」
「だけど……もし本当に犯人が蒼花歌唱隊なら……あたしが棄権しなかったら、あいつらはイリヤたちになにをするか……」
「どちらでも構わんがね。なあ、器霊族の歌姫。オレは別にどちらでもいいのだ」
ニヤリと笑う熾死王へ、リンファが疑問の目を向ける。
「しかししかし、だ。アイツらが覚悟を決めてオマエを送り出したのなら、吟遊神選をほっぽり出して助けに来たと知ったら、さぞガッカリするだろうなぁ」
彼女は僅かに目を伏せ、奥歯を噛む。
「ああ。それとも――」
挑発するように熾死王は言った。
「命も懸けられんほどの夢だったかね?」
「あたしの命なら、いくらだって懸ける! でも、イリヤたちは違うっ!」
咄嗟に口を突いて出た言葉に、熾死王は大仰にうなずいた。
「な・る・ほ・どぉ。彼女たちはオマエが吟遊宗主になるために命を懸けられないというわけだな?」
はっとしたように、リンファは目を見開いた。
熾死王は数歩前へ出て、彼女の耳元で誘うように囁く。
「オマエが吟遊宗主になったとき、一つだけ願いを聞いてくれると契約するのなら、このオレがイリヤたちを救おう」
熾死王は<契約>の魔法陣を描く。
「できるかね?」
「……助けられる自信があるの?」
「オマエと同じだけのものを賭けようではないか」
イリヤたちの救出に熾死王は命を賭けると<契約>に追記した。
「オマエが吟遊神選を負けたなら手を引くがね」
リンファは<契約>の魔法陣を見つめる。そうして、助けを求めるようにエレンに視線を移した。
「大丈夫だよ、リンファ。エールドメード先生は、こういうの得意だから」
「わたしも手伝おう」
エレンとアルカナが言う。
すると、覚悟を決めたようにリンファは力強い瞳で言った。
「お願い。絶対、吟遊宗主になるから、あたしにできることならどんな願いでも叶えるから、イリヤたちを助けてっ!」
リンファの声で、<契約>の調印が成される。
「商談成立だ」
熾死王が言うや否や、リンファは走り出す。
あっという間にその背中は遠ざかっていく。
「赤星歌唱団の子たちを救出するのに、<契約>が必要だっただろうか?」
アルカナが鋭い視線を熾死王に向けた。
リンファが負ければ救出から手を引く魔法契約を交わしたことが不服なのだろう。静謐な瞳は無条件で助ければよかった、と言いたげだ。
「一人では<狂愛域>も<合声拡唱法>も使えない」
カツン、カツン、と杖を突きながら、熾死王は言った。
「まともに挑んでは、シータとは勝負にならないではないか。ならば、せいぜい死に物狂いにならなければな」
アルカナが視線を鋭くした。
「そういう狂言はどうなのだろう」
「カカカカ、気に障ったかね、背理神。イリヤたちは助ける。リンファは命懸けで吟遊神選に臨む。問題ないではないか」
熾死王が肩をすくめてそう言った。
すぐに救出に向かわなかったのも、リンファを追い込んでまで吟遊神選を勝たせるためだろう。
果たしてそれが、彼女の歌にどんな影響を与えるかは博打だ。
そうでもしなければ勝ち目はないというのが、熾死王の見立てというわけだ。
「…………エールドメード先生って、シータが勝ってもいいのかと思ってましたけど……」
不思議そうに、エレンが言う。
「確かに吟遊派だが、オマエの話では、吟遊宗主になりたくないと言っていたそうではないか。蒼花歌唱隊のベルンという男。アイツが暗躍しているのだとすれば、吟遊宗主が決まった後、事実上の実権を握るということもあり得る」
だからこそ、ここまで強硬手段をとってきたとも考えられよう。
「そういう男だとすれば、いやいや、考えたくないことではあるが、魔弾世界についた方が旨味があると判断しても不思議はない」
銀滅魔法とその対策、両方を握っていれば銀水聖海を掌握できる。歌で元首を決める吟遊神選において、暴力にて覇権を狙おうとする者ならば、そんな考えに至っても不思議はあるまい。
「でも、ウィスプウェンズは外の世界とは交流がないんだし、<銀界魔弾>のことは知らないんじゃ……?」
「オレが大提督なら、<銀界魔弾>の対抗手段を有する世界を放置せんがね」
オルドフが吟遊世界に逃げ込んだのを、大提督は知っている。
<銀界魔弾>の対抗手段に行き着いていることも視野に入れるべきだろう。
吟遊世界に入らないまでも、すでに奴らはなんらかの手段でコンタクトをとっている可能性がある。
「あ……そっか……」
「じゃ、懲らしめなきゃっ!」
「ここで捕まえれば、エルム様が処罰してくれるはずだし」
「とにかく、まずは犯人の居場所を探さなきゃだよね……」
ファンユニオンの少女たちが口々に言う。
「ということだ。オマエら、探したまえ」
熾死王はナーヤや魔王学院の生徒たちに<思念通信>を送る。
『もうやってるってっ!』
『シータが勝ったら、銀滅魔法の対抗手段が手に入らないかもしれないって話だもんな』
『おめおめ帰ったら、どうなるかわかったもんじゃねえっ!』
つないだ魔法線にて、事態を把握していた生徒たちは首都シャルケーの捜索を開始している。
『でも正直、<転移>で他の街に行ってたら探しようがないぞ』
「安心したまえ。吟遊神選の歌の影響で、この街の魔力場はかなり乱れている。外に出なければ転移はできない」
吟遊神選の真っ只中に、わざわざ首都を出ようとする者などいまい。もしもいたとすれば、そいつがイリヤらをさらった犯人だ。
「街の外はわたしが見よう」
そう言って、アルカナは空高く舞い上がった。
彼女の神眼ならば、街の外に出た者がいればすぐさま捉えることができよう。
「……一番怪しいのは蒼花歌唱隊の拠点だよね……?」
「あたしわかるよっ! 案内するねっ!」
「そこはオレが調べておこう」
ファンユニオンが走り出そうとするのを、熾死王が止めた。
「オマエたちは吟遊神選の舞台へ行きたまえ」
「……でも、あんなに人が多いところには……」
「だからこそ、盲点となる。そもそも蒼花歌唱隊が、シータになにも仕掛けていないとは限らないではないか。追い詰められた奴らが馬鹿をやらかしたときの備えは必要だ」
その可能性もゼロではあるまい。
だが、恐らく熾死王の狙いは別にある。
「ついでに見てきたまえ。ウィスプウェンズの元首を選ぶ、吟遊神選の最終幕を」
ファンユニオンの少女たちがはっとした面持ちになる。吟遊世界の住人同様、彼女らは歌を力に変える者だ。
最高の歌い手による二度とは来ないその舞台で、学んでこいと奴は言っているのだ。
「「「……はいっ……!」」」
大きくうなずき、少女たちは駆け出していく。
二人の歌姫が雌雄を決する、運命の舞台へと――
イリヤたちをさらった犯人の末路やいかに――!?