精霊の真体
魔法の門をくぐり抜けると、そこは同じく床に巨大な魔法陣の描かれた闘技場の舞台だった。
しかし、レイもメルヘイスもいない。別次元につながっているのだ。
視線を巡らせると、赤い宝玉が四方に散らばっているのが見えた。
「まんまと出し抜いた、とお思いでしたら、大間違いでございますよ、アノス様」
メルヘイスの声が響く。だが、姿はない。
ここは奴が作り出した<次元牢獄>の中だ。
次元が違おうが、声だけを届けることも容易いだろう。
「罠というものは二重三重に張り巡らせるものでございますので」
魔法の門が俺の四方に現れる。それが開くと、中から出現したのは、黒いオーロラだ。
凶悪な光を放ち、底知れぬ魔力を秘めた、滅びの牆壁。
それが牙を剥くように舞台全体を一気に覆っていく。
俺は床に散らばった二一個の宝玉と自分自身に反魔法をかけた。
バチィィッと激しい音を立て、黒いオーロラと反魔法がしのぎを削った。
瞬間、反魔法の第一層が弾け飛ぶ。
すぐさま俺は反魔法を張り直して補強する。
しかし、その途端に反魔法が弾け飛ぶ。
この黒いオーロラは、時の番神エウゴ・ラ・ラヴィアズと融合したアイヴィスの魔法よりも、格段に強い。
宝玉を守るには、絶えず反魔法を展開し続けるしかない
「ふむ。ずいぶんと見覚えのある魔力と魔法だな」
黒いオーロラから発せられる魔力の波長には懐かしささえ覚える。
そう、確かにこれは、二千年前の俺のものだ。
「俺が世界を四つに分けた"壁"か」
「左様でございます。あなた様が命懸けで行使した魔法。創造神、大精霊、勇者、魔王の魔力を合わせることによって初めて成し遂げた<四界牆壁>でございます」
どうりで強力なわけだ。
<四界牆壁>はすべてを拒絶し、滅ぼす。
オーロラの壁の中に飲み込まれては、ただではすまぬ。
「壁が消える前に、<次元牢獄>の中に取り込んでおいたか」
魔力を与え続け、<四界牆壁>が消えぬよう保存しておいたのだろう。
壁を越えるだけの力を持ったメルヘイスならば、できないことでもあるまい。
「ええ。ですが、さすがに<四界牆壁>は維持するのがやっとで、わしにも制御は適いませんでした。ですから、あなた様の魔力が必要だったのでございます」
なるほど。
<吸魔の円環>で俺の魔力を吸い取っていたのは、力を削るだけではなく、<四界牆壁>を制御する魔力を手に入れるためか。
本来は動かせる魔法ではないのだが、<次元牢獄>の中にあるのなら、魔法の門を使い、自由に転移させることができる。こうして、攻撃魔法として使えるというわけだ。
「しかし、さすがはアノス様でございます。転生したての魔族は、通常ならば、その魔力の十分の一も使えぬもの。転生後、僅か一、二ヶ月でかつてのお力を取り戻しているとは恐れ入ります。そうでなければ、<四界牆壁>を防ぐことすらできなかったでしょうに」
「ずいぶんと口が滑らかなようだが、メルヘイス、俺が俺の魔法でやられるとでも思っているのか?」
「万全ならば、そうはいきますまい。しかしながら、あなた様は左腕を失い、魔力の半分以上を消耗しております。その上、御身のみならず、二一個の宝玉も反魔法で守らなければなりません。いくら暴虐の魔王と言えども、分が悪いのでは?」
「そう思うか?」
「ではもう一手、打たせていただきましょう」
<遠隔透視>の魔法により、目の前に映像が現れる。
別次元の闘技場だ。シーラを抱き抱えるレイの姿が映った。
「<四界牆壁>」
メルヘイスがそう口にすると、レイの周囲に黒いオーロラが立ち上った。
彼は咄嗟に手を腰の辺りにやるも、そこに剣はなかった。
イニーティオは俺が折った。
金剛鉄の剣はさっき投げてしまったのだ。
「彼はあまり魔法が得意ではないご様子。丸腰では、ただでは済みますまい」
漆黒のオーロラがレイたちに襲いかかる。
剣を持たないレイに、それを防ぐ術はないだろう。
だが、<四界牆壁>から二人を守るように反魔法が展開されていた。
「さすがは、アノス様。<遠隔透視>の魔力を辿り、別次元に反魔法を展開するとは恐れ入ります」
慇懃な口調でメルヘイスは言う。
「しかし、そこまで魔力を使っては他になにもできますまい。あなた様が力尽きるのは最早、時間の問題でございます」
ふむ。まあ、一理あるがな。
このまま反魔法を使っているだけでは埒があかぬ。
「レイ、聞こえるか?」
レイのいる次元へ<思念通信>を飛ばす。
「……アノス? この反魔法は君が?」
「ああ。だが、少々魔法を使いすぎていてな。その黒いオーロラ、<四界牆壁>をどうにかできるか?」
レイは真剣な表情でうなずく。
「剣を出せるかい?」
「長くはもたんぞ」
<創造建築>の魔法を使い、レイの目の前に魔剣を創る。
レイはそれを握った。
神経を研ぎ澄まし、彼は鋭く眼前のオーロラを見据えると、その術式の急所をつくかの如く、一閃した。
「……ふっ……!」
一瞬真っ二つに割れた黒いオーロラは、反発するように元に戻っていき、レイに襲いかかる。
それを迎え撃つが如く、彼はもう一閃した。
しかし、<四界牆壁>と衝突した瞬間、剣身はボロボロと砕け散ってしまう。
さすがにこれだけ反魔法を使い続けながら、<四界牆壁>の中でまともな魔剣を創るのは難しい、か。
「どうやら、そこまでのようでございますね、アノス様。<四界牆壁>は更に密度を増しておりますよ」
勝ち誇ったようなメルヘイスの声が響く。
反魔法が破壊される速度がみるみる加速していた。
<四界牆壁>を次々とこちらへ送り込んでいるのだろう。
奴が言った通り、黒いオーロラの密度が増し、その分威力が上がっているのだ。
「……この魔法、<四界牆壁>、だったかな? 君の魔力を感じるけど」
「詳しい説明はおいておくが、二千年前に俺が命懸けで使った魔法だ。メルヘイスはそれをうまく取り込んだようだ」
「どうりで、手強い魔法だと思ったよ」
レイは自身を包み込んでいる黒いオーロラを睨む。
「アノス。僕の反魔法を解いて、もっと強い魔剣を作れるかい?」
「それはできるがな。反魔法なしに<四界牆壁>に身を曝せば、お前でも死ぬぞ」
レイは爽やかに微笑んだ。
「どうせこのままなら、死ぬからね。その前にこれを斬るよ」
壁に当たれば当たるほど、成長するのがこの男だ。
先程の一刀で、すでにコツをつかんだのかもしれぬ。
「0.5秒で斬れ。それ以上の保証はできない」
俺は再びレイの目の前に魔剣を創っていく。
彼はその柄を握った。
「いいか?」
「いつでも」
「では、いくぞ」
レイの反魔法を解き、その魔力を一気に魔剣に注ぎ込む。
剣身により頑強さが加わった。
「……はぁっ……!!」
刹那、剣閃が煌めく。
反魔法が消え、同時に襲いかかってきた闇を斬り裂くように、レイは魔剣を振り下ろした。
漆黒のオーロラが二つに割れる。
しかし、すぐにそれは反発するように元通りに戻っていき、レイの体に牙を剥く。
「……ふっ……!!」
レイは剣を走らせると、二つに割れたオーロラが戻る前に四つに割る。それを八つに割り、一六に割り、どんどん細かく切り刻んでいく。
だが、どれだけ細かく刻んでも<四界牆壁>の魔力は一向に衰えず、逆に元に戻ろうとする反発力が強まっていく。
「……く…………」
一つ、レイがオーロラを切り損ねた。
その瞬間、一気に形勢が逆転し、漆黒のオーロラが魔剣にヒビを入れる。
再度振るった刃はあえなく折れ、レイの全身から血が溢れる。
「……か……はぁ…………」
彼がその場に膝をつき、俺は反魔法を張り直した。
「……もう少し、だったんだけどね……」
荒い呼吸を刻みながら、レイは体を起こそうとする。
「あれ……?」
力がすっと抜けるように、彼は崩れ落ちた。
「……おかしいな……体が……」
俺とまともに戦った後にこれだからな。
「気を緩めるな。お前自身の反魔法が弱まっているぞ」
「……わかってるんだけどね……」
仰向けになったまま、レイは身動きひとつとれない様子だ。
「……もう、力が……入らない……」
拳を握ろうとして、しかし、レイはそれさえできなかった。
ふー、と彼は息をはく。
「アノス」
宙を見つめながら、レイは言う。
「……僕はここまでだ。母を頼めるかい?」
レイに使っている反魔法の魔力を別に回し、この窮地を脱しろという意味だろう。
「泣き言を言うのはまだ早い。立て」
「もう体が動かないよ。それに立ったところで、<四界牆壁>は斬れない。君には、やっぱり敵わないみたいだよ」
諦めたように、レイは目を閉じる。
ふむ。さすがにこの男とて限界か。
いや――
「……できるわ……」
俺が言葉を口にするより先に、微かな声が聞こえた。
「……母……さん……?」
「……できるわ……レイ……わたしは信じてる……だって、あなたは剣が大好きなんだもの……」
まるで譫言のようにシーラは言う。
噂と伝承を消され、精霊病が進行しているはずだ。
それなのに――
「……ごめん。母さん、もう体が……」
「大丈夫よ、レイ。大丈夫。お母さんが守ってあげる。あなたの、力になってあげる」
「……僕の力に……?」
シーラの体が淡い光に包まれる。
すると、人の輪郭がぐにゃりと歪み、みるみる別の姿へと変わっていった。
精霊は仮初めの姿と真体を持つ。
半霊半魔に真体があるのかは定かではなかったが、どうやら、これは真の姿を現そうとしている、か。
精霊病を患い、シーラの魔力は今にも消えそうだった。
真体を見せられるほどの力など、普通に考えればどこにも残っていまい。
それでも、彼女はその根源から力を振り絞っている。
愛する、息子のために。
そうして、シーラが完全に真体を現した。
刃を持つ、剣の姿を――。
水の大精霊リニヨンの真体が八つ首の水竜なら、シーラの真体はその剣なのだろう。
外見は、父さんが作った金剛鉄の剣にひどく似ている。
だが、そこから発せられる魔力は比べものにならないほど大きい。
なるほど。そういうことか。
ならば、手出しは必要あるまい。
「立てるはずよ、レイ。あなたはまだ戦える。お母さんは、あなたを途中で諦めるような弱い子に育てた覚えはないわ」
ゆっくりと、レイは体を起こす。
「……母……さん……」
力の入らぬ全身に鞭を打ち、必死に手を伸ばして、彼はシーラの剣をつかんだ。
剣から発せられた光が彼を覆う。
まるでその身を守るように。
「……できるわ……レイ。お母さんは知ってるもの。あなたに、斬れないものはないのよ」
うなずき、レイは完全に立ち上がった。
そうして、シーラの剣を<四界牆壁>に構える。
「よろしいのですか、レイ・グランズドリィ。その剣を使えば、精霊病などという生やさしい代償ではすみません。あなたの母親は確実にこの世から消滅するでしょう」
脅すようにメルヘイスの声が響く。
それは事実だろう。精霊魔法でさえ、使えばただではすまぬのが半霊半魔だ。弱っているシーラが真体になれば、結果は明らかだ。
「根源が不安定な半霊半魔が真体の力を発揮できるのは、生涯で一度きり。母親をその手で殺すのですか、あなたは」
メルヘイスが何度も脅すのは、シーラが変化した精霊の剣の力を警戒しているからに他ならない。あるいは、<四界牆壁>を斬り裂くことができるのではないかと。
だが、静かに、シーラの声が響いた。
「違うわ。わたしが守るのよ。可愛いこの子を。そのためなら、この命、何度捨てても惜しくはないの」
シーラの剣の輝きが、よりいっそう増す。
まるで消えゆく前の彗星のように、強く、激しく、瞬いた。
「ねえ、レイ。覚えてる?」
まるで思い出話をするように、シーラは優しく話しかける。
これが最期の会話と言わんばかりに、本当に優しい声で――
「なにをだい?」
「子供の頃、料理を教えていたら、レイったら急に包丁でお鍋を斬ろうとしたのよ」
レイは薄く微笑んだ。
「そんなこともあったね」
「絶対に斬れないってお母さんは言ったわよね。でも、レイは聞かなくて、何度も何度もお鍋を包丁で斬ろうとしてた。それで突然、スパッてお鍋を真っ二つにしたのよ。お母さん、本当にびっくりしたわ」
姿は剣になっていても、シーラが笑っているのがよくわかった。
「怒ろうと思ったんだけど、あなたは本当に嬉しそうにしててね。レイはきっと、剣とか、そういうことが好きなんだなって思ったの」
「そっか」
レイが優しく相槌を打つ。
「ねえ。大きくなったレイが、どんなものを斬れるようになったのか。お母さんに、見せてくれる?」
ゆっくりと、レイはうなずいた。
「いいよ、母さん。見せてあげる」
意識を集中するかのように静かに彼は目を閉じる。
そのまま自然な所作で剣を構えた。
なぜか、まるで剣はおもちゃのように思え、薄く微笑むレイからは子供のような無邪気さを感じる。
彼は今、幼い頃に帰っているのだろう。
母との思い出を辿るように、剣に惹かれた子供の頃に。
すっ、と息を吸い、呼吸を止める。
一歩、彼は足を踏み込み、短く息を吐く。
それと同時に手の中の剣を煌めかせた。
闇を払う一筋の光の如く、その輝く剣は<四界牆壁>を斬り裂いていく。
黒いオーロラが元に戻るよりも速く、徹底的にそれを切断し、細切れに変え、霧散させる。
いったい一呼吸の間に何度刃を繰り出したのか。
まるで無数の流星を振らせているように見えるほどの恐るべき連撃の前に、<四界牆壁>が斬り伏せられ、消滅した。
それでも、なおレイは止まらない。
「……アノスッ!」
レイの声を聞き、俺はこの次元と彼の次元を魔法でつなげた。
「はああぁぁぁっ!!」
閃光が煌めく。
流星の如き刃が、こちらの次元に降り注ぎ、黒いオーロラを払っていく。
僅か数秒で、俺の次元にあった<四界牆壁>も消滅した。
「…………」
静かにレイが息を吐く。
見れば、彼が手にしたシーラの剣は、今にも消えそうなほど弱々しい輝きになっていた。
「……どうかな、母さん?」
彼がそう口にすると剣の輪郭がふっと歪んで、シーラの姿に変わる。
その体は今にも消えそうなほど、薄く透明になっており、僅かに地面から浮かび上がっていた。
彼女はその手をレイの頬に当てた。
「……立派になったわね、レイ……ありがとう、わたしの子供になってくれて……」
シーラの体が光の粒に変わっていく。
最後に彼女は満面の笑みを見せた。
「……愛してるわ……」
彼女を抱きしめようと、レイが手を伸ばす。だが、その手はなにもつかめず、空を切った。
ふぅっと風にさらわれるようにレイの母親は消滅したのだった。
「……母さん……」
僅かに残った光の残滓を見つめ、レイは目に涙を溜める。
「……まだしてあげたいことがあった……」
心から叫ぶように彼は言う。
「……まだ一緒にやりたいことがあったんだ……」
俯き、消えそうなほどか細い声で、彼は呟く。
「……ごめんね…………もう、なにもしてあげられない……」
一筋の雫がレイの頬を伝ってこぼれ落ちる。
「気持ちはわかるがな、レイ。泣くのはまだ少し早い」
俺の言葉に彼は顔を上げた。
「その涙は感動の再会の後にとっておけ。親孝行ならその後、存分にするがいい」
相変わらず即行で悲劇をぶち壊そうとするアノス。
累計290位超えまして、286位になりました。
皆様のおかげです。ありがとうございます!
うーむ、どこまで上げられるでしょうねぇ。