二人の再会
吟遊世界ウィスプウェンズ。庭園劇場。
観客席には熾死王を始め、魔王学院の生徒たちが座っていた。そこには多くの人々が詰め寄せている。皆一様に、高揚した面持ちをしていた。
中央に位置する舞台の下には吟遊詩人たちが整列している。
吟遊神選の立候補者たちだ。
その数、一二四名。
中にはリンファやシータの姿があった。
舞台上に立っているのは吟遊宗主エルム。
彼女はそっと口を開く。
「まもなく、わたしたちの世界の在り方を定める吟遊神選が始まります。ここに集った一二四名の歌い手の中から、ウィスプウェンズの新しい元首が誕生します。選ばれた彼女の歌は、この世界に豊かさをもたらし、更なる繁栄を呼ぶことでしょう」
歌うような声は遠く、どこまでも響き渡る。遠くの人にも、近くの人にも等しい音量で。それが吟遊宗主エルムの力であり、そしてこの世界の秩序だった。
「今回の吟遊神選はロドウェルの導きに従い、デレン式にて行われます。第一神選は、首都セネルセンズにあるそれぞれの拠点にて。第二神選は噴水劇場。舞台の数は八つ。そこへ進むべき候補者にのみ、舞台に上がる資格が与えられます」
吟遊神選の説明を聞き、観客席のアルカナが言った。
「一二四人から、八名に絞り込むということだろうか?」
「うん。リンファがそう言ってたよ。一二四人で一斉に歌って、沢山の心を動かした人から順番に次の舞台に進めるんだって」
エレンが答える。
アルカナは不思議そうな顔をした。
「声が大きい人が有利ということにならない?」
多くの人の心を動かすということであれば、まず歌を聴いてもらわなければ話にならない。アルカナの疑問はもっともだろう。
「立候補者はみんな世界中に届くぐらいの声量が出るんだって。だから、声の大きさの差はそこまでないんじゃないかな?」
「吟遊の子たちが同時に歌うと、歌が混ざってしまう」
アルカナが率直な意見を述べる。
「うーんとね、その辺りよくわからないんだけど、その人が聞きたい歌だけがちゃんと聞こえるから大丈夫なんだって」
「同時に歌ったら聴けなくないって訊いたら、逆にきょとんとされちゃったもんね」
横から顔を出し、ノノが言った。
アルカナは僅かに考え込み、そして口を開く。
「吟遊の歌は空に響かず、心を鳴らす。ウィスプウェンズの尊き秩序か」
その言葉に「たぶん、そんな感じ。さすがカナッち」とエレンが同意した。
実際、首都でも多くの吟遊詩人たちが歌っていたが、歌が混ざり、不協和音になることはなかった。
吟遊世界の秩序が働いているのだろう。
「――そして、やってくるのは最終神選、並木道に設けられた桃の木の式場。これまでの神選を勝ち抜いた二名の候補者はここで雌雄を決します」
アルカナとエレンが話している間も、吟遊宗主エルムの説明は続いていた。
とはいえ、殆どの者はルールを承知しているはずだ。
どちらかといえば儀式としての側面が大きいのだろう。
太古より、彼女たちはこの方法で吟遊神選を取りしきってきたのだ。
「ウィスプウェンズと神詩ロドウェル、それから歌を愛するすべての民に選ばれた一名のみが、この場所に帰ってきます。彼女は庭園劇場の舞台に上がり、そしてウィスプウェンズを大いなる歌で満たすでしょう」
その一人が新たな吟遊宗主として、ウィスプウェンズに君臨する。
なんとも平和的な元首の決め方だな。
「それでは一時間後、吟遊神選を開始します。新しい歌い手の誕生に、どうか大きな拍手を」
エルムが丁寧にお辞儀をすると、劇場内から盛大な拍手が鳴り響いた。
光の幕が下りてきて、舞台を覆う。すると、候補者たちは一斉に歩き出す。劇場を出て、首都セネルセンズにあるそれぞれの拠点に向かっているのだ。
エルムの説明にあった通り、そこが第一神選の舞台となる。
だが、立候補者たちがみるみる劇場から姿を消していく中、一向に歩き出そうとしない少女たちがいた。
リンファとシータである。
二人は距離を保ったまま、互いに視線を向けようとはしない。
意識しないように務める様が、逆に互いへの関心を強く示している。
やがて、シータが歩き出す。
劇場の外へ向かう彼女の背中に、リンファが声をかけた。
「楽しみじゃん」
シータは足を止める。背中越しに彼女は言った。
「……久しぶり」
「ごめんね、手紙も出さないで。なんか、恥ずかしかったんだよね」
「どうして?」
「シータはすごい吟遊詩人になったじゃん。序列一位でしょ。あたしは、全然だったから」
無表情を崩さず、けれどもシータは下唇を噛んだ。
「雲の上の人に、なんて声をかけたらいいのか、わかんなかった」
自らの想いを包み隠さず、リンファは話す。
「……友達でしょ」
「違うよ」
リンファが即座に否定すると、シータが目を丸くする。
「友達じゃなかった。友達じゃ、シータの隣に立てないじゃん」
燃えるような熱い瞳でリンファは彼女を見つめた。
「そのための九年だった。あたしは歌ってたよ。ずっと、歌ってきた。今日は、約束を果たしに来たんだ」
「わたしは待ってない」
冷たい声で、シータは言った。
「待ってなかったよ。九年間、一度も思い出したことなんてなかった。言ったでしょ、約束は忘れてって」
「うん。聞いた」
「リンファは吟遊詩人になれないよ。立候補者の中で、他に器霊族はいない。もう大人なんだから、無理だってわかるでしょ」
淡々と突き放すように言葉だった。
シータは頑なに彼女の方を向かなかった。
「大人になるって、諦めることなの?」
「どうにもならないことはどうにもならないって、受け入れることだよ。わたしたちは、できることをやるしかない。やりたくなくても」
「やってみなきゃ、わかんないじゃん」
憂いのない笑顔で、リンファは言う。
「シータを送り出した日、なにも言えなかった。なにも言えなくて、なにもしないで諦めそうになったのは、あたしが子どもだったからだ」
吟遊詩人にはなれない、と告げられたことを語っているのだろう。
そのときとは違い、リンファはまっすぐ前を向く。
「子どもの頃は手が届かなかったことに、今はやっと手が届く。それが大人になるってことじゃん」
「リンファは第二神選にも進めない」
現実を突きつけるようにシータは言う。
「喉を傷つけて第二神選に通っても、それじゃわたしの歌には敵わない。庭園劇場の舞台に立てるのは一人だけ。わたしの隣には立てないよ」
シータは決して吟遊宗主を目指しているわけではない。
なりたくないとさえ思っている。
ゆえに、その判断はこの上なく冷静なものであろう。自分が歌えば、吟遊宗主になってしまうのだと、彼女は現実を見ているのだ。
「久しぶりに会った友達にひどいこと言うじゃん」
すると、そこで初めてシータが振り向く。
「あなたが違うって……!」
ムッとする彼女に、リンファはにんまりと笑う。
それを見て、シータはまたそっぽを向いた。
「シータは待ってなかったかもしれないけどね」
温かな声で、リンファは語る。
宝箱にしまった大切な思い出を、そっと見せるように。
「あたしはずっと追いかけてきた」
その小さな背中に、彼女は敬意を抱き、語りかけた。
「なによりも綺麗な歌を歌う、あたしの歌姫を。今日ここに立つことが、吟遊詩人になれないあたしにできる精一杯だった。雲の上にいるあなたをずっとずっと追いかけてきて、ここだけが唯一あたしの歌があなたに届く場所」
リンファは力強く歩き出す。
立ち尽くすシータを追い越すと、振り向いて彼女は笑った。
「ちゃんと聴いててよね。あたしのぜんぶを懸けるから」
そして、舞台の幕が開く――