レジスタンス
ボイジャーは俺を警戒するように身構えている。
鋭い視線を放つその瞳の奥には、僅かながら困惑の色が見てとれた。
深淵総軍の隊長だと思っていた相手が、見知らぬ別人だったのだ。事態を図りかねているのだろう。
「…………お前も、スパイだな? 何者だ?」
努めて慎重に奴は問うてくる。
「魔王学院のアノス・ヴォルディゴードだ」
そう名乗ると、ボイジャーは俺の制服につけられた二つの校章に視線を向けた。それが本物なのかどうか吟味するように魔眼を光らせながら、奴は更に問いを重ねた。
「転生世界ミリティアの元首が、なんの目的で魔弾世界の基地に潜入した?」
魔弾世界はパブロヘタラの学院同盟だ。聖上六学院に入ったミリティア世界、そしてその元首と見なされている俺の名はここまで知れ渡っているようだ。
「大提督ジジ・ジェーンズは銀滅魔法<銀界魔弾>を隠している。それを突き止めに来た」
ボイジャーは表情を険しくする。
そこに滲んでいるのは先程とは違い、俺に対する警戒心だけではない。
大提督ならばやりかねない、そんな顔に思えた。
「こちらも聞こう。お前たちはなぜ自らの元首に弓を引く?」
奴はじっと俺を見返す。
こちらの真意を図りつつ、この場から逃れる手段を考えているのだろう。ボイジャーの立場からすれば、俺が味方という保証はどこにもない。
「私たちの元首ではない」
時間を稼いだ方がいいと判断したか、それとも多少は話を聞いてみる気になったか、ボイジャーは俺の問いに答えた。
「この銀泡は、元は古書世界ゼオルム。一万と五千年前、魔弾世界に主神と元首を滅ぼされ、占領された」
主神を失えば、その銀泡は秩序を維持し続けることができぬ。大提督によって魔弾世界の秩序に上書きされ、第六エレネシアとなったか。
「我らレジスタンス・ゼオルムは、その生き残り。かつてこの世界で暮らしていた文人族だ」
レジスタンス・ゼオルムか。オットルルーからの情報にはなかった。パブロヘタラも、各世界の内情すべてを探ることはできぬだろうしな。
あるいは、これまでは表立って動かなかったということも考えられる。
「古書世界を取り戻すために戦っているのか?」
ボイジャーは重苦しい顔つきのまま、静かに首を横に振った。
「古書世界を取り戻すことは最早できない。我らが聖書神様は滅び去り、文字と古書が力持つ秩序は失われた。たとえエレネシアの主神、神魔射手オードゥスを滅ぼしたところで、この世界が元に戻ることはない」
そう口にして、ボイジャーは僅かに視線を伏せる。
「それに、神魔射手オードゥスを滅ぼせば、別の銀泡にいる我々の子孫が困ることになるだろう」
「どういうことだ?」
「この銀泡が第六エレネシアになった以上、我ら文人族が子を成そうとも、生まれるのは魔弾世界の秩序を宿した魔軍族のみなのだ」
新たに生まれる子は、その小世界の秩序の恩恵を受ける。
つまり、血よりも秩序が濃いというわけか。
恐らく文人族の特性も多少は受け継がれるだろうが、第六エレネシアの秩序ではそれを思うようには発揮できぬ。
結果、純血の文人族から魔軍族が産まれるという結果になるわけだ。
そうして、世代を経るごとに文人族の特性はみるみる失われていき、やがては完全に消えるだろう。
「我らの子は、我らの誇りであった古書を読むことができん。わかるか、ミリティアの元首よ。銀泡を奪われるというのは、そこで生きていた種の尊厳を奪われるということなのだ」
己が世界の主神を滅ぼした魔軍族は憎いだろう。
だが、銀泡を奪われてしまえば、生まれる子は皆その魔軍族なのだ。
いかに魔軍族憎しといえども、自らの子孫にまで害をなすことはできぬ。そうかといって、その子孫たちも、文人族として生きることはできぬだろう。文人族としての力がなくば、歪なアイデンティティを抱えることになる。
秩序に逆らえる、不適合者でもなければな。
いつしか奪われた世界の住人は死に絶え、奪った世界の住人だけとなる。
「おぞましい話だ」
すると、ボイジャーは意外そうな表情を浮かべた。
しかし、すぐに厳しい面持ちで言った。
「それがパブロヘタラのしてきたことだ。深き世界の住人は浅き世界の住人から、なにを奪っても構わない。銀水序列戦のルールに則れば、一つの世界を滅ぼすことさえ正当化される」
やりすぎれば聖上六学院からの風当たりは強くなるだろうが、逆に言えばその程度で銀泡が奪えてしまうということでもある。
「我らはすでに敗北している。最早、先などないのだ」
それでも、譲れぬものがあるのだと奴の瞳が物語る。
「では、お前はなんのために戦っている?」
「私の魂のためだ」
ボイジャーはそう主張した。銀泡を奪われた自分に、それが唯一残されたものだと言わんばかりに。
「古書世界の象徴、史聖文書ポポロ。我らが主様が愛されたあの書物だけは、大提督から取り返さなければならない」
主神と元首が敗れた。
秩序は書き換えられ、新たな戦力が増えることもない。
結果は火を見るよりも明らかだろう。
「お前たちは死ぬ。大提督のもとに辿り着くことすらできぬだろう」
「我らはすでに敗北していると言っただろう」
覚悟を決めた顔で、老兵は言った。
「それでも、まだ負け方を選ぶことはできる」
第六エレネシアで魔軍族として生きるぐらいならば、文人族として亡き主のために戦って死ぬ。それが、ボイジャーたちの望みだ。
「必ず主様の墓に、史聖文書を届ける」
それができたとしても、守り通すことできまい。ボイジャー自身、それは承知しているはずだ。恐らく、ボイジャーは史聖文書を焼くつもりなのだろう。
その後、文人族が皆殺しにされようとも。
「<銀界魔弾>を暴くついでだ。手を貸そう」
ボイジャーの腕から手を放す。
未だ警戒している奴に、俺は言った。
「もう少しマシな負け方を選ばせてやる」
すると、老兵は怪訝そうに俺を睨んできた。
「……ミリティアの元首になんの得がある?」
「損得の話ではあるまい」
俺がそう口にした次の瞬間、けたたましい爆発が巻き起こった。
窓の外からだ。
陽動に気がついた第六エレネシア軍の兵士が、隠れ潜んでいたレジスタンスに魔法砲撃を放ったのだ。
「構え」
一列に並んだ兵士が、魔法陣を描く。それは大砲を象った。
「<魔弾青砲>ッ! てーっ!!」
魔法陣の大砲から、一斉に青き弾丸が発射される。レジスタンスが張り巡らせた反魔法を次々と貫通し、派手に爆発を響かせる。
「守勢に回ってはやられるのみだ。応射しろぉっ!」
姿を現わしたレジスタンスは書物を開く。
「「「<雷光文字弾>ッ!!」」」
魔法書から雷の弾丸が出現し、それが第六エレネシア軍に向かって発射される。しかし、基地に展開された結界がそれを難なく防ぎ、兵士たちの陣形すら崩すことができない。
レジスタンスたちは文人族。魔弾世界の秩序に上書きされたここでは、その真価を発揮できぬのだろう。魔弾の撃ち合いは明らかに第六エレネシア軍が優勢で、彼らはあっという間に防戦一方となった。
数十秒間、魔弾の斉射に曝され、その反魔法がガラスのように砕け散る。
「<魔弾爆裂青砲>、構え」
とどめをさすべく、ひときわ大きな魔法陣の大砲がレジスタンスに照準を向けた。溢れ出した青き粒子が集まり弾丸と化し、ゆっくりと回転を始める。
「てーっ!!」
唸るような音とともに二〇発もの<魔弾爆裂青砲が、守りをなくした文人族の兵士に襲いかかった。
目映い閃光がその場を貫き、彼らは死を覚悟したように息を呑む。
しかし――<魔弾爆裂青砲は爆発しなかった。
「なんだ……? あれは……?」
レジスタンスの前に立つ俺を見て、第六エレネシア軍の兵が声を上げる。
アヴォス・ディルヘヴィアの仮面をつけ、<掌握魔手>にて奴らが放った
二〇発の<魔弾爆裂青砲を握りしめていた。
その魔弾を俺はゆるりと投げ返す。
「け、結界を全開にしろぉぉっ!!」
指揮をとる兵士が叫ぶ中、<掌握魔手>にて増幅された二〇発の<魔弾爆裂青砲>が結界に直撃し、青き爆発をもたらした。
耳を劈くけたたましい音を立てながら、結界は弾け飛び、基地の防壁が半壊する。
それでもまだ兵たちは健在だ。
「……なんだあの化け物はっ!? レジスタンスの兵かっ! 情報にないぞっ!」
「いや。待て。あれは……確か第七エレネシアからの報告によれば……まさか……!?」
蒼白き<森羅万掌>の右手を天に伸ばす。
それをゆるりと振り下ろした瞬間、第六エレネシア基地を影が覆う。反射的に兵士たちが空を見上げ、表情を驚きに染めた。
降りてきたのは、樹海船アイオネイリアだ。
「……に、二律僭主だ……!?」
「待避だ!! 全員、待避ーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
慌てて、兵士たちが基地の中に入っていく。
直後、樹海船がその上に乗った。屋根に亀裂が入り、数多の柱にヒビが走る。ガラガラと音を立てては防壁という防壁が崩れ落ち、その質量と勢いに耐えかねたと言わんばかりに第六エレネシア基地が押し潰された。
自由なる風が吹く――