勘
「――それから、あたしは色々考えたよ。色々考えて、吟遊詩人になるのは諦めた」
シータとの過去を語った後、大きな桃の木の前でリンファはそう口にした。
「え……そうなの……?」
半ば驚いたように、エレンが聞き返す。
諦めたようには、とても見えなかったからだろう。
「だって、なれないじゃん」
ごく当たり前のことのように、あっけらかんとリンファは言った。
「もしもあたしがシータよりすごい歌を歌ったとしても、唱歌学院の入学資格はないでしょ。それがウィスプウェンズの決まりなんだ。昔のあたしは、そんなことさえわかってない子どもだったの」
言葉だけを聞けば、まるで諦めたかのようだった。
けれどもそれとは裏腹に、彼女の瞳はどこまでもまっすぐ前を向いている。
「だから、吟遊宗主になって、決まりを変える。調べたんだよね。吟遊神選だけは種族を問わず、立候補できる。ウィスプウェンズに生きるすべての人々の中から、一番の歌い手を決める神聖なる儀式だから、誰も拒むことはできないんだ」
ふふん、と得意気にリンファは笑みを見せた。
「これが大人のやり方ってやつ」
吟遊詩人にすらならず、ウィスプウェンズの元首を目指すというリンファの発言に、エレンは驚きを隠せなかった。
大人のやり方どころか、ますます無茶が加速している。そう言わんばかりの表情で、歯を見せて笑うリンファを見返している。
「こういう人なのですよ」
気苦労が絶えないといった風に、イリヤが苦笑する。
「困っちゃうよね」
「リンファとつきあってると、ほんと大変」
「ねー」
同じような顔で、赤星歌唱団のメンバー、ナオ、ソナタ、ミレイが言った。
だが、それでも彼女たちはここまでリンファとともにやってきたのだ。これから歩もうとしている道にどれほどの苦難があるのか、この世界に生まれ育った彼女たちが、誰よりもよく理解していることだろう。
「皆さんはリンファが吟遊宗主になれるって信じてるんですか?」
真剣な顔でエレンが問う。
イリヤたちは微笑みでもってそれに答えた。
「エレンは、もしも自分が歌だったらって考えたことある?」
そうリンファが聞き返した。
「え、えーと、ないかな」
「この世界の主神はね、神詩ロドウェル、歌そのものなんだよ」
リンファが言う。
「あたしさ、考えたんだよね。もしも、あたしが歌だったら、この世界をどんな風に作るだろうって」
彼女は空を見上げる。
微かな歌と音楽がそこに響いていた。
「やっぱり、色んな人に歌ってもらいたいじゃん?」
「……そうかも」
リンファの言葉に感じ入るものがあったか、エレンは同意した。
「その方が楽しいよねっ、きっと。色んな人に歌ってもらって、色んなところで音と踊る感じ」
「そうそう。歌にとったらさ、種族の違いなんてどうでもいいじゃん。吟遊詩人も歌唱学院も、唱霊族のものだけだなんて、ロドウェルが言うとは思えない」
それは才がなくとも、歌を愛し続けたリンファが辿り着いた答えだったのかもしれない。
彼女は確信をもって言ったのだ。
「歌は誰にでも平等でしょ。それがこの世界の秩序だってことを、あたしは吟遊神選で証明するために来たんだ」
リンファが自信たっぷりの笑みをたたえる。
「穏健派とか吟遊派とか、外の世界に出るとか出ないとか、みんなつまらないことで諍い合ってる。だけど、今の吟遊詩人たちは人の都合しか見えてない。あたしたちはもっと、歌の気持ちになって考えなきゃいけないと思うんだよね」
「歌の気持ちかぁ」
感心したように、エレンが言う。
「なんだか、それいいね」
「そうでしょ」
まるで悪戯好きの子どもが自慢するかのようにリンファは言う。
そのとき、遠くから誰かの声が聞こえた。
「エレン~~~っ」
走ってきたのはジェシカたち、ファンユニオンの少女だ。
「よかった~。はぐれちゃったから、どうしようかと思ったよ」
彼女たちは、エレンのそばに集まってくる。そこで、ふとリンファたちに気がついた。
「あれ?」
「どちらさま?」
シアとマイアが、リンファたちを不思議そうに見た。
「えっと、赤星歌唱団の皆さんだよ」
紹介するようにエレンが手で指し示す。
「彼女はリンファ。吟遊神選に立候補してるんだって。穏健派でも、吟遊派でもなくて、でも、とても素敵な考え方を持ってて……」
エレンは途中で言葉を切り、考えるようにうつむく。
「エレン?」
「どしたの?」
ジェシカとヒムカが、エレンの顔を覗き込む。
「――あたし、決めた」
顔を上げて、力強くエレンは拳を握った。
「吟遊神選、リンファたちの応援しようよっ。絶対、オススメだからっ!」
「え、と……」
唐突に言われ、ジェシカは返答に困っている様子だ。
「でも、エールドメード先生に許可とらないとまずくない?」
「だよね。あたしたちで勝手に決めるわけにはいかないし……」
「大丈夫っ! 絶対、エールドメード先生も納得してくれるからっ!」
エレンの気迫に、他のメンバーはたじろいでいる。
「ええと、じゃ、じゃあ訊くけど、赤星歌唱団の応援をした方がいい理由ってなに?」
「勘!」
堂々と言い放ったエレンを、少女たちは呆れたように見るしかない。
「じゃなくて、勘は勘なんだけど、でも、リンファはあたしたちに協力してくれるって言ってるし、それに歌を聞いたら絶対みんなもそう思うからっ」
慌ててエレンが弁解していると、「あははっ」とリンファが笑声を漏らした。
「ありがと、エレン。あたし、喉が裂けたって歌うから」
「リンファが言うと冗談になりません」
と、イリヤが軽く言い咎める。
「でも実際、覚悟しなきゃじゃん。吟遊神選はウィスプウェンズ中に歌を届けなきゃいけないんだから」
「ウィスプウェンズ中って、<思念通信>とかを使わずに?」
エレンが訊く。
「そう、生歌で。って言っても、団体参加オッケーだし、伴奏も合唱もなんでもアリ。イリヤたちに手伝ってもらえば、ぎりぎりいけると思うんだよね」
「どうでしょうね。一流の吟遊詩人なら、一人でもそれぐらいはできますから、わたしたちが不利なのは変わりません。合唱魔法は負担も大きいですから」
イリヤがそう苦言を呈す。
「でも、有利じゃん。今までで一番」
リンファがニッと笑みを見せる。
「吟遊神選だけは歌う前から決まってる勝負じゃない。あたしを選ぶのは試験官でも、お偉いさんでもない。慣習でもしきたりでもない。ウィスプウェンズの全住人じゃん」
リンファはピッと伸ばした人差し指をイリヤに向ける。
「見ててよ。度肝を抜いてやるから」
「あなたの実力はわかっていますが、吟遊神選の一回で終わるわけにはいきません。喉が裂けてもなど、二度と口にしないように」
「そうは言うけどさ。これで負けたら、次なんて――」
「あのっ!」
二人の会話に、エレンが割って入る。
「声が遠くまで届けばいいんだよね?」
「……そうだけど?」
「あたしの、あたしたちの世界の魔法を使えば、今よりもっと負担が減るかもしれないっ」
一瞬目を丸くした後、すぐにリンファは笑った。
「へえ。いいじゃん」
感心したようにリンファは、イリヤたちに言う。
「そんな魔法があるんなら教えてもらおっか?」
「いえ」
すぐさまイリヤは否定する。
「お気持ちは嬉しいのですが、合唱魔法も限界ぎりぎりまで使いますから、余分な魔力はもう」
「大丈夫だよっ。あたしたちの魔法は心を魔力に変えるものだからっ。きっと、リンファなら、使いこなせると思うっ」
それを聞き、リンファとイリヤが顔を見合わせたのだった。
ファンユニオンの指導が始まる――