迷子
シータは膝に顔をうずめ、身を小さくしている。
歌っているときはあれほど輝いていた彼女が、今はひどく弱々しい。まるで、迷子の子どものようだった。
ウィスプウェンズのために歌う。
それに相応しい吟遊詩人を選ぶのが吟遊神選だ。
この世界の秩序から考えれば、民たちが最も重視するのは、やはり優れた歌い手であることだろう。
歌だけを愛してきた少女は、確かに素晴らしい歌い手だ。序列一位というのも、派閥だけがそうさせたわけではあるまい。
だが、その肩はこの世界のすべてを背負うにはまだ幼すぎる。
まして、吟遊派は外との交流を持とうというのだ。当然、そこには他世界との折衝が待ち受けている。
聖剣世界ハイフォリアや、災淵世界イーヴェゼイノ、魔弾世界エレネシアなど、一筋縄ではいかぬ世界が銀海には多く存在している。
選ばれる前からこの様子では、とても吟遊宗主の重責には耐えられまい。
なにも言わずただうずくまるシータに、エレンは声をかけようとして、しかし途中で口を噤んだ。
彼女は思い直したように前を向き、静かに声を発する。
「カーカ、カカカ、カーカカカカ♪ カーカ、カカカ、カーカカカカ♪」
それはウィスプウェンズに入るときに歌った歌だ。
シータが僅かに顔を上げ、不思議そうにエレンを見た。
「全速前進♪ どんどん潰れる。どんどん潰れる♪ 圧縮、圧搾、圧砕だ♪」
その歌詞がおかしかったからか、シータはくすりと笑声をこぼす。
エレンが振り向き、笑いかければ、シータは彼女と一緒に「カーカ、カカカ、カーカカカカ♪」と歌い始める。
「「全速前進♪ どんどん潰れる。どんどん潰れる♪ 圧縮、圧搾、圧砕だ♪」」
人を食ったような歌が地下劇場に響き渡る。
愉快で、楽しく、悩みなど吹き飛ばしてしまいそうな、馬鹿馬鹿しい歌詞だ。エレンとシータは二人、ノリにノって、圧縮、圧搾、圧砕の歌を歌い続けた。
「あははっ。なにこれ? こんな歌詞つけた人初めてだよ」
曲が終わり、シータが笑顔でそう言った。
エレンはにっこりと笑い、それに応じる。
「あたし、聖歌隊の話が来たとき、最初は絶対無理だって思ってたよ」
その言葉を聞き、シータは真剣な表情になった。
「魔王の聖歌隊だったから。魔王って言っても、ミリティア世界の話で、大魔王ジニア・シーヴァヘルドとは関係がないんだけど……あたしにとっては、それよりもずっとずっとすごくて、雲の上の存在なんだ」
過去を振り返るように彼女は言う。
「あたしよりも歌が上手い人は沢山いて、あたしよりも相応しい人はいっぱいいて、あたしは聖歌隊になるべきじゃないと思ってた」
エレンの言葉に答えを探すように、シータは真摯な眼差しで耳を傾けている。
「でも、その人が言ってくれたんだ。その歌は俺に捧げよって。俺が聴きたいんだって」
誇らしそうにエレンは笑う。
「だから、あたしはなにがあってもその人のために歌うんだ。相応しくなるために一生懸命頑張るんだ。だって、その人はどんなことがあっても、自分の好きなものを曲げたりしないから」
ほんの少し照れながら、それでも真摯に彼女は打ち明けた。
「あたしはいつかあの雲の上にまで届くように、精一杯歌い続けなきゃいけない。それでこそ魔王聖歌隊だって、沢山の人に認めてもらうために」
重責に押し潰されそうだったシータに、エレンは語りかける。それはかつて、彼女が似たような経験をしたからこそ、できることなのだろう。
「ウィスプウェンズのことはわからないけど、でも、あたしたちに一番大事なのはなんのために歌うかだよ。それがわかれば、きっと、覚悟なんていくらでも決められる」
その言葉に感銘を受けたかのように、シータははっと息を呑んだ。
「シータはどうして歌ってるの?」
「…………わたしは――」
と、そのとき、足音が響いた。
何者かが階段を下りてくる。
「こっちに来て」
慌てたようにシータはエレンの手を取り、走り出す。
「ど、どうしたの?」
「みんなが戻ってきた。吟遊神選でみんなナーバスになってるし、他の候補者のスパイだと思われたら、ちょっと大変かもしれない」
言いながら、シータは壁に向かって簡単なメロディを歌った。それは魔法陣となり、壁に隠し通路を作った。
「ごめんね。ここをまっすぐ行けば、外に出られるから」
エレンは魔法陣を描き、そこに手を入れた。
取り出したのは楽譜だ。
「あたしたちの世界の歌。よかったら、気晴らしに歌ってみて」
シータはそれを大切そうに受け取る。
そして、頭につけた蒼い花を外すと、エレンに渡した。
「ありがとう。絶対、覚えるね。次はエレンの世界の歌を一緒に歌おう」
「うんっ。また会いにくるね」
ガタッと物音が響く。
「シータ? そこにいるのか? なにをしている?」
男の声が響く。
「行って」
「またねっ。ばいばいっ」
そう口にしてエレンは隠し通路を走っていく。
もしかしたら追っ手がくるのかもしれない、と彼女は何度か振り返る。だが、シータが上手くやってくれたのだろう。気がつかれた気配はなく、エレンはそのまま階段を上り終えて、街の外に出た。
目の前には大きな桃の木がある。
エレンはぐるりと周囲を見回した。
家がずらりと並んでいる。住宅街のようだ。
「「……ここどこ?」」
自分以外の声を聞き、驚いたようにエレンが振り向く。
すると、同じくびっくりした表情の女の子と目が合った。
後ろにまとめたお団子ヘアに、赤い花を挿している。
旅人が着る外套を纏っているが、どこか舞台用の衣装のように上質で、華やかだった。
「迷子の人いるじゃんっ!」
「あ、え……そ、そっちこそっ……」
唐突に話しかけられ、エレンはそんな返しをするしかなかった。
「や。違う、違うの。聞いて。あたしってさ、田舎から出てきたじゃん?」
「じゃんって言われても……知らないし……」
「そこはどうでもいいの。でね、一ヶ月経ったんだけどね、未だに道が覚えられないのね」
「やっぱりそれ、迷子だよね……」
すると、花が咲いたような笑顔で彼女は言う。
「大丈夫! 気持ちはまだ迷ってないから!」
「そうなんだ……」
エレンは呆れるしかない様子である。
「あのさ」
「はい」
「あたしはリンファ。こう見えて、赤星歌唱団のリーダーなんだ。吟遊宗主になるから、よろしく」
と、彼女は元気よく手を上げた。
エレンは呆気にとられる他なかった。
「……え、ええと……あたしはエレン……」
「エレンさ」
「はい」
「第三広場ってところに行きたいんだけど、知らない?」
「……あたしも迷子だけど……」
「あー!」
今思い出したというようにリンファが声を上げる。
「ごめんごめん。忘れてた。エレンはどこ行くの?」
「あたしも第三広場かな。そこまで行けば、なんとかわかりそうだし」
「偶然じゃん。一緒に行こうよ」
「え?」
エレンが疑問の表情を向けるも、リンファはすでに歩き出していた。
「行かないの? たぶん、こっちに行けば大きな並木道だから、そしたら人に聞こうよ」
「あ、え、えと、行くっ」
リンファの後を、エレンは早足で追いかけていく。
しばらくは黙って彼女についていったのだが、ふと周りの風景を見ながら、エレンは疑問の表情を浮かべた。
「ねえ。リンファ」
「なに?」
「……すっごく見覚えがあるんだけど、迷ってない?」
「この辺りって、同じ家が多いじゃん? だから、慣れてないとわかんなくなるんだよね。でも、大丈夫。ここを曲がれば――」
リンファが足を止める。
目の前には、大きな桃の木がある。
先程の場所に戻ってきていた。
「迷子じゃん」
「やっぱりじゃん!」
口調をつられながらも、エレンがつっこんだ。
「大丈夫。気持ちはまだもうちょっと頑張れるかも」
「さっきより折れかけてないっ?」
自分の頭に手をやり、リンファが苦笑いを返す。
「よし。じゃ、最後の手段」
「どうするの?」
リンファが数歩、前に出る。
「歌う」
「はい?」
すっとリンファが息を吸う。
「ちょ、ちょっと待って、歌ってどうす――」
言いかけて、エレンは言葉を切った。
響き渡ったリンファの歌は、彼女の周囲に赤い花を舞わせている。
「――迷子じゃん♪」
と、彼女は歌い上げる。
声量はさほど大きくはなく、シータに比べれば決して綺麗な歌声ではない。
即興なのか、歌詞もただ「迷子じゃん♪ 迷子じゃん♪」とひたすらに繰り返すのみだ。
けれども、エレンは耳を奪われ、目を丸くしていた。
どうしてか、どういうわけか、どうしようもなく心が弾む。そんな表情だ。
その歌はエレンの胸に深く突き刺さっていたのだった。
エレンが出会った二人目の歌姫――
いつもお読みくださり、ありがとうございます。
『魔王学院の不適合者』9巻がいよいよ今月4月9日頃発売ということで、
店舗特典のお知らせです。
※特典は、なくなり次第終了となります。
◆アニメイト様
SS『神の優しさ』
創造の月が輝く夜。空にかけられた暗闇の階段上で魔王は創造神へ告げた。
「――この世界を四つに隔て、平和を築く」
優しい神はこのとき、あることを確信したのだった。
◆ゲーマーズ様
SS『左手の約束』
破滅の太陽の中心にて、アベルニユーは魔王との再会を指折り数える。
そうして、遅れてやってきた彼とある約束を交わそうとするのだが――
◆メロンブックス様
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オルガン庭園にて、アノスはサーシャを待っていた。
珍しく、彼は約束を覚え違えていたようだったが――?
◆とらのあな様
SS『人の優しさ』
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編んだハンカチをみんなに配るミーシャを見て、
サーシャには心配事があるようだった。