子爵
「レイ。あなたはこれでハイフォリアの住人となった。同じ道を歩む同志として、この世界はあなたを歓迎する」
優しい声でエイフェが言う。
目映い虹路の光が収まっていき、やがて消えた。レイの外見に変化はない。しかし、その魔力にはハイフォリアの祝福属性が感じられる。
さして問題はないだろう。相反する魔力を持つイーヴェゼイノの住人でもなければ、その祝福はプラスにしか働くまい。
影響が大きそうなのは、<転生>か。
ミリティア世界以外の住人が転生するとき、なにが起こるのかはまだ未知数だ。少なくとも、そのときには、このハイフォリアの地に生まれ落ちるだろう。
「これで聖王継承戦の申し入れはできる。フレアドールが来るまで待とうか」
レブラハルドが言う。
ちょうど、そのときだった。
「聖王継承戦?」
聞き返すように、女性の声がそこに響く。
虹の柱の向こう側から歩いてきたのは、マントを羽織った男装の麗人である。この場に現れたということは、彼女が五聖爵最後の一人、フレアドール子爵だろう。
「どういうことです、父上?」
彼女はレブラハルドに問う。
「バルツァロンドが彼、レイ・グランズドリィを聖王継承戦に推薦した。これより、五聖爵にて審議を行う」
すると、フレアドールはレイに鋭い視線を向けた。まるで値踏みをするように、魔眼を光らせている。
「狩猟義塾院では見たことのない顔ですね。所属はどこですか?」
詰問するようなフレアドールに対して、レイは柔らかく応じた。
「あいにく僕は転生世界ミリティアの出身なんだ。ハイフォリアの住人になったのはついさっきだよ」
「ミリティア……では貴公が例の……」
レイのことはハイフォリアでも噂になっているのか、思うところがあるといったように彼女が呟く。
そして、すぐさまバルツァロンドに顔を向けた。
「叔父上、なぜ五聖爵でもない男を推薦したのですか?」
「相応しいと思ったからだ、フレアドール卿」
「父上は偉大なる先王オルドフの血を引く正当なる聖王。なんの不満があるというのですかっ?」
「そう思うなら、審議で反対すればいい。そなたの権利であり、務めだ」
バルツァロンドは率直に述べる。
「元よりハイフォリアの元首は世襲ではない。霊神人剣に選ばれ、正当なる継承の義にて祝福されたものが即位するのだ。問われるのはただ一つ、我らの揺るぎなき良心だ」
「……叔父上が挑まれるのでしたら、わかります。叔父上は父上同様、霊神人剣に選ばれ、そしてそれを持つことを許された偉大な御方です。我々五聖爵は聖王になるための道を日々邁進してきました。しかし、この者は狩猟義塾院にすら入っていないではありませんか」
「フレアドール卿。貴公は私の目が節穴だと侮るのか?」
バルツァロンドの言葉に気圧され、フレアドールは一瞬顔を背ける。
「そういうわけでは……しかし、正しき道を歩んできた者に対して、そうでない者が疑義をつけるのは正当ではないと……」
「聖王継承戦がない場合、次期聖王の選定には現聖王の意向が強く左右されるんだってね」
レイがさらりと横から口を挟む。
「それがどうしたのです?」
「イーヴェゼイノ襲来のとき、君は最前線に来ていない。万が一のことを考えて、聖王陛下が次期聖王に考えている者の安全を確保したのかな?」
キッとフレアドールはレイを睨む。
「ハイフォリアの窮地に戦わなかったわたしは聖王に相応しくないという意味ですか?」
「ああ、ごめんね。現聖王の意図が知りたかっただけで、そういうわけじゃ――」
「父上っ!」
レイが言い終えるより先に、フレアドールはくるりと振り向き、聖王レブラハルドに詰め寄っていく。
「だから、言ったでしょう。災人イザークが迫る中、五聖爵が狩りに出なければ、そしりを受けるのは明らかと! これでは、わたしが臆病風に吹かれたみたいではありませんかっ!」
「何度も説明したはずだよ、フレアドール。災淵世界と真っ向から戦えば、全滅の危険がある。なにをさしおいても、天主だけは守らなければならないからね。しかし、聖王とその継承者、全員を失うわけにはいかない」
聖王がいなければ世界の進むべき道がわからない。五聖爵の一人だけは、最前線に出すわけにはいかなかったのだ。
「わたしでなくともよかったでしょう! 力だけならば、ガルンゼスト卿にも劣りません!」
「そなたが一番若い。その若さと力があれば、万が一の事態にもハイフォリアを導くことができる。そう判断した」
レブラハルドがそう諭す。
しかし、フレアドールはまるで引かなかった。
「ですからっ、その判断が間違っていたと言っているのですっ! 戦わなかった臆病者の言葉が、民に届くものですか! 現にわたしはこの不適合者にさえ、聖王失格と言われたのですよっ!」
レイを指さして、フレアドールは声を荒らげる。
言ってないんだけどね、とレイの顔に書いてあった。
「フレアドール。聖王への道を歩むつもりならば、場にそぐわない言動は慎むことだ。いいね?」
物腰柔らかく、けれども威厳をもってレブラハルドは言う。不服そうな顔をしながらも、彼女は「はい……」と引き下がった。
「でも、どのみち、無駄なことですけどね。叔父上以外に、この男を聖王継承戦の舞台に上げようという五聖爵はいません」
「そうかな?」
何食わぬ顔でレイが言った。
「君は僕に賛同する気がするな、フレアドール」
「ありえません」
そう言い捨てて、フレアドールは他の五聖爵に並んだ。
「すまないね。彼女は少々正義感がいきすぎるきらいがある」
レブラハルドが言う。
「始めようか」
レイはうなずく。
バルツァロンドが目配せをすると、彼は立ち上がり、霊神人剣をその場に突き刺した。聖剣は大地にそうするかのように、水面に突き刺さっている。
レイが霊神人剣から離れると、続いて祝聖天主エイフェが言った。
「五聖爵が一人、伯爵のバルツァロンドより聖王継承戦の申し入れがなされた。挑みし勇士はレイ・グランズドリィ。彼の道を正しきと信じる者は、その剣と良心にて指し示さん」
バルツァロンドが剣を抜く。
それを水面に突き刺したかと思えば、剣先から真っ白な虹路が伸びていき、レイを照らした。
それが今回の聖王継承戦への賛同を意味するのだろう。
「ほら、結果は明らかです。叔父上しか――」
フレアドールが言いかけたそのとき、一人の男が剣を抜いた。
レオウルフ男爵である。
「どういうことです、レオウルフ卿?」
彼女は怪訝そうな表情で追及した。
「見ての通りだ。おれは現聖王レブラハルドの示す道に疑問がある」
フレアドールには取り合わず、レオウルフは聖王に視線を向けた。
「聖王陛下。恐れながら、進言させていただきたい。あなたが正しき道を示すのならば、おれはこの剣を収めよう」
「聞こう」
許しが出ると、レオウルフは言った。
「<聖遺言>により、先王オルドフを亡き者にしたのは魔弾世界エレネシアが元首、大提督ジジ・ジェーンズと判明した。民に義を見せるため、臣下に覇を示すため、聖王陛下におかれましてはこの仇敵を討つべきと」
「レオウルフ卿。よく言ってくれた。そなたの進言ありがたく思う」
形式的とばかりにレブラハルドは感謝の意を告げる。
「だが、魔弾世界に表立って侵攻するのは得策ではない。今はまだ。わかってくれるね?」
「……いいや。承服できない。聖王の道は利にあらず、常に義を走るべきだ」
レオウルフは踵を返す。
「レイ・グランズドリィ。貴公が即位した暁には、先王オルドフの仇を討つと誓うか?」
「大提督は罪を犯した。それは償ってもらわなければならないことだ。たとえ、一人で魔弾世界に乗り込むことになろうとも」
「違えれば、おれがお前を殺す」
レオウルフは聖剣を水面に突き刺す。
彼の虹路がまっすぐ伸びて、レイの体を指し示す。
これでレイの賛同者は二人。
もう一人が味方につけば、聖王継承戦への資格を得られる。
「ガルンゼスト卿、レッグハイム卿。フレアドール卿。貴公らはそれでいいのか? 父の仇を前に、怖じ気づくような聖王の歩む道が本当に正しいと言えるのか?」
レオウルフは三人を挑発するように言った。
「レイ・グランズドリィが必ずしも正しいとは言わん。だが、彼は災人イザークと戦い、生き延びた男だ。現聖王は少なくとも継承戦にて勇気と力を見せる必要がある。怖じ気づいたわけではないということをな!」
レイを認めたというよりは、レブラハルドへの牽制の意味が大きいのだろう。聖王として正しい道を歩んでいるのならば、聖王継承戦を堂々と受けて立ち、それをはっきりと示すべきだ。そうレオウルフは言いたいのだ。
しかし彼らが賛同することはなかった。
「結果は出たようだね」
レブラハルドが言う。
「レイ。聖王継承戦への申し入れは生涯に一度きりだ。賛同を得られなければ霊神人剣を持つ資格は失われる」
「知っているよ」
「では、バルツァロンド。これまで通り、そなたが所有するといい」
そう口にして、聖王は踵を返す。
「断る」
足を止めたレブラハルドに、バルツァロンドは言った。
「聖王継承戦への申し入れが叶わないならば、最早私に資格などありはしない。聖王陛下。霊神人剣はお返しします。次に相応しい者が現れるまで、どうぞその手にお持ちください」
ゆっくりと振り返り、レブラハルドは霊神人剣のもとまで歩いていく。
足を止めると、彼は言った。
「それは本気の言葉か? 霊神人剣を自ら返すのなら、そなたは聖王の継承者となる資格を失ってしまう」
「失いはしない」
バルツァロンドはそう断言する。
理解できないといったようにレブラハルドは眉根を寄せた。
「話が見えないね」
「あなたが真に相応しき聖王ならば、この聖剣はお返しすることができるだろう。しかし、そうではないのだ」
レブラハルドとバルツァロンドの視線が交錯する。
「意味がわからないとおっしゃるか? いつまでも誤魔化し続けるのは不可能だと、すでに気づいておられるはずだ!」
燃えるような瞳が、レブラハルドを睨みつける。
それは時間にして数秒、しかし彼らには長い時間に感じられたことだろう。
問いには答えず、聖王は霊神人剣に手を伸ばした。
そうして、その柄をゆっくりと握る。
小さく吐息が漏れた。
「…………そなたの言う通りだ……」
霊神人剣をつかみながら、聖王レブラハルドは言ったのだ。
「私はエヴァンスマナを抜くことができなくなった」
認めた聖王。彼が語るのは――?