思惑
コンコン、と室内のドアが叩かれる。
「客人だ」
イージェスの声が、ドアの向こうから響く。
「通せ」
と、俺が口にすると、ドアが開かれた。
入ってきたのは銀のドレスを纏い、大きなねじ巻きを手にした少女。裁定神オットルルーである。
「元首アノス。先のイーヴェゼイノ襲来につきまして、本日これより六学院法廷会議を行うことが決定しました。ご同行いただけますか?」
「構わぬ」
歩き出しながら、俺は言う。
「シン、この場は任せる」
「御意」
オットルルーに続いて、魔王学院の宿舎を後にする。宮殿の通路を進み、四方を柱に囲まれた場所に辿り着く。
設けられた固定魔法陣の上に乗ると、オットルルーは言った。
「聖上大法廷」
視界が真っ白に染まれば、六角形の一室、聖上大法廷に転移した。
見れば、すでに三名の元首が着席している。
序列一位。
魔弾世界エレネシア。深淵総軍一番隊隊長ギー・アンバレッド。
序列二位。
聖剣世界ハイフォリア。元首、聖王レブラハルド・ハインリエル。
序列三位。
鍛冶世界バーディルーア。元首、よろず工房の魔女ベラミー・スタンダッド。
「レコルはまだだよ。そろそろだと思うけどねぇ」
砕けた口調でベラミーが言う。
俺は魔王学院の席に座った。
「ハイフォリアの被害はどうだ?」
「災淵世界が相手だったことを考えれば少ないね。獣たちが街まで来なかったのが大きい」
穏やかな口調でレブラハルドが答えた。
被害が少なかったことに対する安堵の色が見て取れる。
「うちの弟子たちも無事に済んでなによりだよ。まあ、あんな混戦は二度とご免だけどねぇ。一歩間違えてりゃ、ここにいるメンツも総取っ替えさ」
冗談交じりといった具合でベラミーが言う。
「それほどやわではあるまい」
「よしとくれよ。何度でもやるって言ってるように聞こえちまう」
ベラミーと軽口の応酬をしていると、傀儡世界ルツェンドフォルトの席に転移の魔法陣が描かれる。
現れたのは闇を纏った全身鎧、人型学会の軍師レコルだ。
「揃ったようだね」
レブラハルドが言う。
すると、オットルルーが法廷の中心に歩み出た。
「それでは只今より、六学院法廷会議を行います」
いつもと変わらぬ調子で、彼女は事務的に説明する。
「今回の議題は先のイーヴェゼイノ襲来について、事後の処理が中心となります。まず序列五位、災淵世界イーヴェゼイノの元首にパブロヘタラへの再加盟の意思を確認しましたが、応答がありませんでした」
「そりゃそうだろうさ。訊くまでもないことじゃないか」
ベラミーが言う。
オットルルーはそちらを向いた。
「パブロヘタラの前例に則って対応を行いました。再加盟の意思を確認できなかったため、災淵世界イーヴェゼイノをパブロヘタラの学院同盟から正式に除名します。反対の者は挙手を」
誰の手も挙がらない。
「反対〇。全会一致により、パブロヘタラは序列五位、災淵世界イーヴェゼイノを学院同盟から除名します。以降、イーヴェゼイノの再加盟は六学院法廷会議の決定に従うものとします」
六学院法廷会議で可決されることはまずないだろう。そもそも、イザークからしてパブロヘタラに興味などあるまい。
「それでは次に、イーヴェゼイノ襲来における転生世界ミリティアの条約違反について。元首アノス率いる魔王学院は、バーディルーアのよろず工房、ハイフォリアの狩猟義塾院、エレネシアの深淵総軍に敵対行動を行いました。これは学院条約第三条並びに第五条に違反します」
オットルルーは俺に向き直り、そう口にした。
「元首アノス。弁解はありますか?」
「攻撃はした。敵対したわけではないがな」
「どういうことでしょうか?」
「言葉より先に剣を向けるのは俺の流儀ではないと言ったはずだ。話し合いの途中で、周りが騒がしくなったのでな。なだめてやったまでだ」
ふー、と静かにレブラハルドが息を吐く。
「そんな方便が通じると思うかい? イーヴェゼイノは銀泡ごと聖剣世界に食らいついてきた。応戦しなければ、こちらがやられていただろうね」
「ゆえに双方とも無力化してやったのだ。被害は少なかったのだろう?」
「結果としてはね。たまたま危険な綱渡りを成功したということだよ。魔王学院の判断は間違っていたと言わざるを得ない」
「綱から落ちる者など、我が配下には一人もおらぬ」
静かに聖王は俺と視線を交換する。
「試してみるか?」
レブラハルドはその手には乗らないとばかりに、呆れたような笑みを返してくる。実力行使はせず、あくまで話し合いで決めたいということだろう。
「まあ、レブラハルド君の言う通り、生きた心地がしなかったのは確かだけどねぇ。そこはそれなりの落としどころが必要さ」
頭の後ろで手を組みながら、ベラミーが言う。
「ただ元首アノスがいなけりゃ、ハイフォリアからイーヴェゼイノを切り離すことができなかった。対話があっての結果だろう? 聖剣世界が救われたってことは、認めざるを得ないんじゃないかい、レブラハルド君」
レブラハルドは、すぐに否定はしなかった。
できなかったというのが正確か。鍛冶世界バーディルーアは少なくともミリティア世界に厳罰を求めるつもりはない。ベラミーの言葉はそういう意味だからだ。
「もちろん、頭ごなしに否定しているわけではない」
同盟世界の元首を立てるように、レブラハルドはそう言った。
本意ではないだろうが、この件でバーディルーアと真っ向から対立するのは避けたいといったところか。
「だが、イーヴェゼイノを切り離せなかったというのは語弊がある。魔王学院が立ち塞がらなければ、私たちは災人イザークを狩ることができただろう」
「多くの狩人の死と引き換えにか?」
覚悟の上とばかりにレブラハルドは静かに答えた。
「無傷で勝利を得られるとは思っていない」
「そもそも勝つ必要があったのか? 蓋を開けてみれば、イーヴェゼイノが動いたのは災人イザークの意思ではなく、<渇望の災淵>にあった絡繰神が原因だ」
机の上で、レブラハルドは手を組んだ。
「隠者エルミデか。そなたがパブロヘタラに上げた報告は聞いている。現時点では判断しようがない。絡繰神も綺麗に滅ぼしたとなってはね」
隠者エルミデの件を、判断材料に取り入れたくはないのだろう。確かに、まだわからぬことばかりではある。奴にとっては尚のことだ。
「レブラハルド君の言うとおりさ。だからって、まったく無視するわけにもいかないだろうしねぇ。レコル、ギー、あんたらはどうなんだい?」
これまで無言を保っていた両者に、ベラミーが水を向ける。
「ハイフォリアとイーヴェゼイノ対立の絵を描いていたのは隠者エルミデだった可能性はある」
レコルはそう口にする。
以前に、奴は俺に隠者エルミデがパブロヘタラに隠れ潜んでいると言った。
他の者には伝えていない様子を見るに、証拠はないのだろうな。
「その場合、災人イーザクを滅ぼしても災淵世界は止まらなかった。死力を尽くしたハイフォリアは共倒れになっただろう」
レコルの発言を、レブラハルドは黙って聞いている。
「元首アノスが得た情報には価値がある。隠者エルミデと接触した者は他にはいない」
傀儡世界はミリティア世界の肩を持つという意味だが、なんの思惑もないといったことはあるまい。
「規律が乱れれば、組織は成り立ちません」
実直な口調でギーが発言した。
「大提督ジジの名のもと、魔弾世界エレネシアは学院条約第五条に従い、転生世界ミリティアをパブロヘタラから除名するよう要請します」
これまでの会議の流れからして、さすがに除名要請とまでは思わなかったか、ベラミーが驚いたような表情を浮かべている。心なしか、レブラハルドも予想外といった様子だった。
「ふむ。オルドフの<聖遺言>を知られる前にパブロヘタラでの発言権をなくしておきたいということか?」
そう問いかけるも、軍人然とした表情を崩さず、ギーはまっすぐこちらを見返した。
「質問の意図がわかりません」
「お前はなぜそんなにミリティアを除名したい?」
「魔弾世界は第一に規律を優先するからであります」
その回答に、俺は思わず笑みを覗かせた。
「規律を第一に優先するのであれば、大提督は自ら除名を申し出ているはずだがな」
「なんの話だい?」
ベラミーが問う。
ギーの心中を見破るが如く、ゆるりと魔眼を光らせる。
突きつけるように俺は言った。
「魔弾世界エレネシアは銀滅魔法を隠している」
投じられた爆弾――