三つの問題
コツ、コツ、と杖を床につく音が響いた。
沈黙の最中、エールドメードは人を食ったような笑みで、バルツァロンドの様子を窺っている。
やがて、彼は言った。
「貴公の言う通りだ。確かめるべきだろう」
「んーと、じゃ、とりあえず今、大きく分けて問題は二つあるってことだ」
それまでぼんやりと聞いていたエレオノールが口を開く。
「聖王レブラハルドが別人かもしれないっていうことと、大提督ジジが<銀界魔弾>を持ってるってこと」
言いながら、エレオノールは指を一本ずつ立てた。隣でゼシアが真似するように指を二本立てていた。
「もう一つ」
ミーシャが小さく手を上げる。
全員がそちらに注目した。
「レイが聖王になる約束をした」
「あー、そういえばそうだぞ。レイ君、どうするつもりだったんだ? どうやって聖王になるのかな?」
なにか考えがあるのかといった風にエレオノールが訊く。
苦笑気味にレイは答えた。
「それだよね」
「それだよねじゃないんだぞ。ミサちゃんだって困ってないかな。だって、全然知らない世界の元首だぞ。もしなれたとしても、じゃ、ミサちゃんは王妃様になるの?」
「え、えーっ。きゅ、きゅきゅ、急になにを言ってるんですかーっ!?」
ミサが真っ赤な顔で声を上げる。
「んー? ミサちゃんハイフォリアに住むの平気なんだ?」
「え、ええと、だから、済むとかじゃなくてですね、いきなりすぎて困っちゃうと言いますか……」
「止めるなら今のうちに止めないと。なってからじゃ遅いんだぞ」
「で、でもですよ? 止めたら、災人イザークはどうするんですか? あの人、絶対また来ますよ?」
「そこはやっぱりアノス君になんとかしてもらって――」
「そういうわけにはいかないよ」
柔らかい口調で、けれどもはっきりとレイは言った。
「ごめんね。勝手に決めて」
謝る彼に、ミサは不意を突かれたような顔をした。
「え、あ、いえ……」
「僕たちの世界を巻き込むことになるかもしれないって、わかっていたんだけどね」
申し訳なさそうにレイは微笑む。
「それでも、目の前で、すれ違っているだけの争いが起きていて、僕は見過ごすことができなかった」
青白い光が発せられ、そこに霊神人剣が現れた。
レイはその柄にそっと触れる。
「何度も僕に力を貸してくれたこの聖剣が、今度は僕に力を貸してほしいって言っているような気がしたんだ。オルドフと、バルツァロンドと、災人イザーク。いや、聖剣世界ハイフォリアと災淵世界イーヴェゼイノには、きっともっと、みんなが納得する道があるはずだって……そう思ったんだ」
すると、バルツァロンドが前へ出た。
彼はエレオノールとミサ、そして最後に俺を見た。
「すべての責はこのバルツァロンドに。今私にはなんの後ろ盾もない。ゆえにどうか、この偉大なる勇者の力を貸してほしい。他の世界に生まれながら、霊神人剣に選ばれ、虹路にさえ導かれるレイは、我が父オルドフが夢見た真の虹路に辿り着く存在に他ならない」
跪き、頭を垂れるようにしてバルツァロンドは嘆願した。
「聖王が別人だとすれば、我が聖剣世界にとって彼こそが唯一の希望。いや、そうでなくとも、狩猟貴族の誇りを失った今の聖王にハイフォリアを統べる資格はない」
はっきりとバルツァロンドは現聖王への不信を告げる。
「何卒今しばらく、ハイフォリアに新たな道が見つかるまでで構いはしない。それまでは私が身命を賭して、この誇り高き勇者を守護し、必ず魔王学院に返すと誓おう! 転生世界ミリティアに火種は飛ばさない。ゆえにどうかっ!」
困ったようにエレオノールが俺を見る。
どうすんのよ、といった風にサーシャが視線を向けてきた。
「どうあがこうが、火種は飛ぶぞ」
俺がそう口にすると、バルツァロンドは奥歯を噛んだ。
「だが、この身命に変えて……」
「先の争いに魔王学院が介入したのは、ハイフォリアやパブロヘタラを敵に回す行為に他ならぬ。銀水聖海の凪を目指す学院同盟の理念からして、こちらの言い分も多少は聞いてもらえるやもしれぬが、ミリティアの立場は厳しいだろうな」
あの介入について、今のところ、音沙汰はない。パブロヘタラ宮殿への立ち入りも特に禁じられてはいない状況だ。
だとすれば、恐らく近い内に、六学院法廷会議があるだろう。
そこでそれなりの裁定を下すつもりと考えるのが妥当なところか。
「その状況で、ミリティア世界のレイがハイフォリアの聖王になろうとすれば、思惑がないなどとは決して考えまい」
ハイフォリアに対する明確な敵対行動と見なされるだろう。
聖上六学院の二つを抑え、パブロヘタラの実権を握ろうとしていると思われたとて不思議はあるまい。
「天主ならば、耳を傾けてくれるはず。そうすれば……」
「そうではない」
バルツァロンドは真顔になった。
俺の言葉の意味が、わからなかったのだろう。
「気にせずともよいと言っている」
「……は?」
若干間の抜けた声が上がった。
「どの道、火種は飛ぶ。穏便に済まそうなどと考えるだけ無駄だ」
「しかし、それではミリティア世界に……」
「自分で決めたことの責を、他者に押しつけるようなふとどき者が我々魔王軍にいるはずもありません」
鋭い口調で述べたのはミサの父、シン・レグリアである。
「まして、そのような輩に娘をやるわけにはいきませんからね。災淵世界と聖剣世界のわだかまりも解けぬ男に、家庭を守れるとは到底」
「え、ええと……」
困ったようにミサが、シンを見る。
先程、レイが聖王になれば、ミサが王妃になると言われたことに対して、釘を刺しておきたかったのだろう。
「も、もっと深刻な話だった気がするんですけど……」
「これ以上に深刻な話などありません」
ぴしゃり、とシンは断言する。
娘の嫁ぎ先に比べれば、聖剣世界の王位継承など些末なことだと言わんばかりであった。
「違いますか、レイ・グランズドリィ?」
その問いに、レイはふっと微笑んだ。
「それは僕が聖王になったら、少しは認めてくれるってことかな?」
ギロリ、とまるで射殺すような視線がレイの顔面に突き刺さった。
かつてないほどの重圧を放ち、シンは告げた。
「なってから言いなさい」
二人のやりとりを、バルツァロンドは半ば戸惑いながら見つめている。
彼にとっては、レイの命を、ひいては転生世界ミリティアの行く末をも左右するかもしれぬ一大事だ。
これほど緩い空気で決められるとは、思ってもみなかったに違いない。
「今更そうかしこまることはないぞ、バルツァロンド。目に映る範囲の平和ぐらいは守らねば寝覚めが悪い。お前とて、そうだろう?」
すると、僅かに頭を上げ、バルツァロンドは苦笑した。
「確かにそうだが、元首アノス。貴公らの視野は広すぎる」
苦笑する彼に、俺は笑みを返してやる。
「それはそうとして、<銀界魔弾>のことはどうするの?」
話が一段落したところで、サーシャがそう切り出す。
「銀滅魔法については、パブロヘタラ全体の問題となるだろう。無論、先王オルドフに魔弾を撃ち込んだジジを、放っておくことなどできはしない」
バルツァロンドはそう言って、ゆっくりと立ち上がる。
「<聖遺言>は兄に宛てて遺された。しかし、兄が別人かもしれない以上、私がやらなければならない」
「そのことだがな、バルツァロンド。魔弾世界とは、こちらにも少々因縁があるようだ」
目に疑問を浮かべ、彼は俺を見た。
「魔弾世界の創造神エレネシアは、かつてミリティア世界の創造神だった」
バルツァロンドがその表情を驚きに染める。
ミーシャとサーシャを指し示し、俺は続けて説明していく。
「この二人は彼女の娘だ。創造神エレネシアはミリティア世界に従者を寄越したことがある。すでに滅びたはずだった。本物かは定かではなかったが」
「助けてくれたわ。アーツェノンの滅びの獅子から」
サーシャが言い、ミーシャが続く。
「雪月花。わたしと同じミリティア世界の創造神の権能だった」
バルツァロンドは目を丸くする。
「そのようなことが……転生世界の秩序ゆえか……?」
「わからぬ。だが、直接顔を見せぬのも不思議でな。創造神が<銀界魔弾>に関係しているというのが事実ならば、よからぬことに巻き込まれているのやもしれぬ」
大提督ジジが彼女の自由を縛っているとも考えられよう。
「亡き父が遺した言葉、なにより大提督ジジはその仇だ。譲れるものではないだろうが」
「承知した」
俺が言うよりも先に、バルツァロンドは承諾を示す。
「元より、貴公らには返せぬ恩がある。我が父、先王オルドフの<聖遺言>も、貴公らにならば託すことができる」
「銀水聖海に平和を。先王オルドフの遺志を継ぐ者として、相応しい振る舞いをすると誓おう」
そう口にすれば、バルツァロンドは丁重に礼をした。
「エールドメード」
待ってましたと言わんばかりの表情で、奴はこちらを向いた。
「お前は吟遊世界へ迎え。<聖遺言>の意味を調べてこい」
「カカカ、吟遊詩人たちの桃源郷か。では、ついでに生徒たちと魔王聖歌隊を連れていっても構わないかね?」
「許す」
ニヤリと笑い、奴は慇懃にお辞儀をする。芝居がかった調子で言った。
「仰せのままに」
<銀界魔弾>への対抗手段を求め、吟遊宗主のもとへ――