別れのとき
レイ、バルツァロンドに案内され、ベラミーはデルゾゲード深奥部の中央へ進んでいく。
そこには四名の神、樹理四神が立っている。
立体魔法陣が描かれており、中心は淡く光り輝いていた。
魔眼を凝らせば、その光の中にオルドフが横たわっているのが見える。
終わりは、もうすぐそこまで迫っていた。
生誕神ウェンゼルが盾を、深化神ディルフレッドが杖を、終焉神アナヘムが剣を、転変神ギェテナロスが笛を掲げる。
オルドフを包む光が更に力強く輝き始め、室内を目映く照らした。
深化神ディルフレッドが、厳かに口を開く。
「この者の根源は、終焉が転変へと変わる境へ誘われた。最後の輝きが放たれる。あるいは旅立つ彼と言葉を交える可能性が発生するだろう」
ベラミーがレイを振り向くと、彼はうなずいた。
彼女は数歩前へ出て、眠ったように目を閉じているオルドフを見つめる。
「……年を食ったもんだねぇ、お互い……」
ぽつりとベラミーは呟く。
「あたしがやっとこさ独立して、第三ハイフォリアに工房を構えたら、あんたがやってきた。あたしの剣を見た途端、船に乗って欲しいと誘われたときは面食らったねぇ。店を構えてまだ一月も経ってなかったんだから」
意識のないオルドフに、ベラミーは昔話を語り始める。
温かで、どこかもの悲しい、そんな声が室内に響いていた。
「自分の工房を持つのが夢だったんだと教えたら、あんたは聖王の剣を打たせてやると言った。自分が聖王になるってねぇ。ハイフォリアから出たばかりのひよっこが、よくもまあ大ボラを吹いたと思ったものさ」
昔を懐かしむような顔で、「けど……」と彼女は微笑んだ。
「あんたはそれを叶えちまった。初めて会ったときから、ずっと……無理なんて言葉をあんたは持ち合わせちゃいなかった。おかげでこっちは散々巻き込まれて、気がつけばバーディルーアの元首なんてもんになっちまったよ」
オルドフの体が光を増していく。
根源がその力を強く発揮するが、彼が口を開くことはなかった。
「まったくとんでもない話さ。あんたにゃ、散々文句を言ったけど、この話題になる度に逃げるもんだから。いつか、しっかり謝ってもらおうと思ってたんだがねぇ」
ベラミーが唇を引き結ぶ。
生気のないオルドフの顔をじっと見つめた。
「そんなところまで、逃げるこたぁないじゃないか」
オルドフは答えない。
ベラミーは悲しげに笑い、続けて言った。
「あたしの負けだよ。悪かない人生さ。人付き合いが苦手だったあたしが、山ほどの弟子に囲まれてるなんてねぇ。てっきり、武器を打ちながらくたばるもんだと思ってたよ」
いつものように、変わらぬ調子で話すベラミーの表情はとても穏やかだった。
「なんでだろうねぇ。最近、たまに思い出すんだ。あんたの船で一緒に銀海を旅したあの一年間。あのときが、妙に懐かしくてねぇ」
彼女の手が伸びて、オルドフの顔にそっと触れる。
「……まったく。偉くなんかなるもんじゃないよ……」
ベラミーはしばらく、旧友を見つめた。
その顔を心に刻みつけるように。
そうして、しばらくした後、ベラミーは静かに手を放した。
彼女が踵を返すと、バルツァロンドが丁寧に頭を下げた。
「きっと、父も喜んでいます」
「……あんまり思い詰めるんじゃないよ。レブラハルド君も、来たくないわけじゃないさ」
バルツァロンドを気遣うように、ベラミーは彼の肩をそっと叩く。
「…………兄は、きっと来ます……」
ベラミーは無言で見返した。
バルツァロンドは唇を真一文字に引き結び、頑なな目を向けている。
彼は兄が来ると信じている。
いや、信じたいのだろう。
「聖王陛下にも、立場ってものがあるのさ。ハイフォリアは、転生を認めるわけにはいかない。だから、あんたも無理矢理さらってきたんだろう?」
「…………それは…………」
バルツァロンドは返事に窮し、俯いた。
だが、すぐさまなにかに気がついたように顔を上げた。
地上へ続く水路から、人影が現れる。
ミーシャ、サーシャ、そしてミサが案内してきたのは、祝聖天主エイフェとレオウルフ男爵だ。
「天主、レオウルフ卿」
バルツァロンドが二人を出迎えた。
「よく来てくださいました」
レオウルフは一瞥しただけで、口を開こうとはしない。
この場に訪れたのは不本意だというのをありありと態度から発していた。
ハイフォリアの者ならば、先王オルドフをさらったことに、思うところがないわけもあるまい。それでも、主神の護衛のため、渋々ついてきたのだろう。
エイフェが言った。
「オルドフは?」
「こちらに」
オルドフのもとへ、バルツァロンドが案内していく。一瞬、彼は出口の水路に視線をやった。誰かを探すかのように。
それに気がついたか、静謐な声でエイフェが言う。
「聖王から言伝を預かった」
バルツァロンドが、エイフェを振り向く。
「葬儀には列席する、と」
「……それは、ミリティアには来られぬという意味でしょうか?」
エイフェは静かにうなずく。
「なぜ……?」
「なぜもなにもない」
沈痛な表情を浮かべるエイフェの代わりに、レオウルフがぴしゃりと言った。
「そもそも、だ。バルツァロンド卿、貴公は聖王陛下の命に背き、先王を転生世界ミリティアへ運んだ。その処罰がなかっただけ僥倖と思え」
「レオウルフ。私が彼に行けと命じたがゆえ、責は私に」
窘めるようにエイフェが言う。
一瞬口を閉ざすも、改めてレオウルフは言った。
「天主の口添えがあったからこそ、この件は不問となった。あくまで、今のところはな。聖王陛下は先王の移送を公にしたくないとのお考えだ」
「公にせずとも、来ることぐらいはできるはずだ」
バルツァロンドが食い下がる。
「不実の道を歩める御方ではない」
淡々と言い放ったレオウルフに、バルツァロンドは義憤を燃やして声を上げた。
「貴公は父を看取ることが、不実だというのかっ?」
「不服なら、聖王陛下に直訴しろ」
すげなく言われ、バルツァロンドは押し黙る。
「彼を連れてくることができなかったのは、私の責ゆえ」
エイフェがそう謝罪した。
「……いえ」
それ以上はなにも言えず、バルツァロンドは無言で歩を進ませた。
魔法陣の場所に到着する。
ベラミーと軽く挨拶を交わした後、祝聖天主エイフェは、オルドフの前に歩み出た。
「オルドフ」
優しい視線が、彼の体を撫でる。
「あなたと会って、確かめたかったことがあった。けれど、それは心配なきこと。私たちの勇者は、どのような強大な壁が立ち塞がろうと、決して諦めることはなかった。あなたと、その息子たちと、そしてあなたの息子が連れてきた異世界の勇者は、奇跡を起こし、私たちのハイフォリアを守り通してくれた」
別れを告げるように、彼女は言う。
「私も勇気をもって、前へ進む。だから――」
エイフェは両翼を広げる。
虹の光が、オルドフを祝福するように照らし出した。
「ありがとう、オルドフ。聖剣世界のために最期まで戦い続けた偉大なる勇者よ。あなたのこれからの旅路に、幸あらんことを」
オルドフを送り出すように、彼女は黙祷した。
やがて祝福の光が収まっていき、ゆっくりとエイフェは目を開ける。
彼女は踵を返して数歩下がり、また彼に向き直った。
俺たちは輪になって、中心にいるオルドフを見守っている。
もうまもなく、刻限だ。
「あんたが来りゃ、喋るかと思ったんだけどねぇ」
ベラミーが、エイフェに言った。
その声音には、一抹の寂しさがある。
「決して足を止めず、その正しき道を歩み続けたのが彼の人生だった。最後ぐらいは、ひとときの休息を」
「確かに、働きすぎだったからねぇ」
二人は悲しげに、旅立つ勇者を見守った。
「――時は満ちた。境を越え、今、終焉は転変へと変化する――」
深化神ディルフレッドが言い、樹理四神が<転生>の魔法陣に、各々の秩序を働かせる。
彼は死に、そしてこの転生世界ミリティアで新しく生まれ変わるだろう。
いつの日か、どこかで、また会うこともあるかもしれない。
それがこのミリティアの――優しい世界の理だ。
「…………だ……」
誰かが、そっと呟いた。
「…………まだだ…………!」
全員が振り向く。
バルツァロンドが訴えるように、樹理四神に言った。
「もう少しだけ……時間が欲しい。父は待っている。最期の言葉を、兄に伝えるために。だから……」
掠れた声を、彼は絞り出す。
「だから……喋らないのだ……もう少し……父が満足して逝けるだけの時間を――」
「境に長く停滞すれば、終焉に引き戻される」
ディルフレッドが淡々と告げる。
「この者の転生は不可能となるだろう」
言葉を失い、バルツァロンドは歯を食いしばる。
項垂れる彼の肩に、ベラミーが、手を回した。
「私は……まだ、なにも……父になにもしてやることが……」
「馬鹿言うんじゃないよ」
力強く、ベラミーはバルツァロンドの肩を抱く。
彼女の瞳に涙が滲んでいた。
「あんたはオルドフの名誉を守るために、死地へ飛び込んできた。大馬鹿野郎の夢を、命がけで守ったんじゃないかっ。こんな親孝行な息子はないよ。なあ。オルドフも満足してるさ」
オルドフから発せられる光がみるみる強くなる。
ベラミーに肩を抱かれながら、バルツァロンドは、大粒の涙をこぼす。
エイフェも、そしてレオウルフも、偉大なる勇者が消えゆく瞬間に涙を滲ませた。
「――辛気くせえ」
張り詰めた空気をぶち破るような、傲慢な声が響く。
底冷えする冷気とともにそこへやってきたのは、獣のたてがみのような蒼い髪の男。災淵世界イーヴェゼイノの主神にして元首、災人イザークであった。
警戒するようにレオウルフが祝聖天主の盾となり、聖剣を抜いた。間髪入れずそれが災人の体を薙ぐも、一瞬にして凍りつき、ポキンと折れた。
レオウルフが身構える。
だが、イザークはまるで眼中にないといったように歩を進めていく。
そうして、オルドフの前で立ち止まった。
「よう、老いぼれ」
イザークが言う。
「くたばっちまうそうだな」
彼はゆっくりと片手を上げ、握った酒瓶を見せた。
「持ってきな」
オルドフの傍らに、イザークが酒瓶を置く。
すると、彼のまぶたがピクリと動いた。
はっとしたようにバルツァロンドが目を見張る。
その場の誰もが、僅かに戻ったオルドフの魔力に見つめながら、固唾を呑んで見守った。
ゆっくりと、本当にゆっくりとオルドフが目を開く。
そうして確かに災人の顔を見たのだ。
彼は、小さく口を開く。
「……すまんな。私は下戸だ」
牙を見せ、災人はいつものように獰猛に笑う。
それでもいつもとは違い、どこか嬉しそうに。
「……イザーク……」
力の入らぬ唇を、オルドフは精一杯動かした。
「なあ……私の息子は……大したものだろう……」
弱々しい声で、それでも誇らしく彼は言った。
僅かにイザークは目を丸くする。
だが、一瞬の沈黙の後、理解したといった顔でイザークは答えた。
「ああ。てめえによく似てやがんぜ」
満足そうにオルドフは笑い、その姿が光の粒と化していく。
「もし……本当に生まれ変われるというのならば……次こそは……」
震えるオルドフの拳が災人に伸びる。
彼はそれを微動だにせず、眺めていた。
遅々として進まぬ拳を必死に伸ばし、それは確かにイザークの膝を打った。
「……お前と道を……違えることなく……」
ふっと風にさらわれたように、オルドフの体は完全に光の粒となり、流されていく。
遠ざかっていく光を見上げ、イザークは言った。
「あばよ、大馬鹿野郎」
<転生>の魔法陣とともに、オルドフの根源は完全に消滅する。
後に残された五本剣の勲章――ハインリエル勲章だけが、生前の彼の魔力を宿していた。
彼を慕う者たちに看取られ、偉大なる先王は旅立つ――
十三章も残すところ1話となりました。
十四章の開始は少々時間がかかりそうなのですが、
考えまして、またお知らせします。