絡繰神
銀水世界リステリアは、オットルルーの世界。本来のパブロヘタラがあった場所だ。
それを俺が滅ぼした、か。
さて、どこまでが事実なことやら?
「どうやら、お前は俺の前世を知っているようだ」
その絡繰神――隠者エルミデに言葉を投げる。
「俺がお前を探していた、と言ったな」
奴は微動だにせず、ただこちらを見返すばかりだ。
「どういうことだ?」
「知らぬよ。我が貴様になにをしたのか、露ほどの興味もない。ただ互いに邪魔だと思っていた。それだけの関係だ」
なるほど。
それが事実だとすれば、問うたところで答えぬだろうが、
「前世の俺の名は?」
「かつての力を取り戻したいか、魔王」
エルミデは嘲笑うようにそう口にした。
「貴様は弱くなった」
銀水の体から、神々しい光が発せられる。
その魔力は、奴が吸収した祝聖天主エイフェのものに他ならない。
「深淵なる力を捨て去り、その記憶もまた忘却の彼方に――」
神の光が一直線に集まり、絡繰神の手に天道剣アテネが現れた。
「――我が銀水世界を滅ぼしたときの脅威は見る影もない」
ゆらりと天道剣アテネが持ち上げられる。
「最早、我と対等に渡り合うことはできまい」
天道剣アテネがブレ、無数の剣閃が水中に走った。
それをかわした直後、更に数倍の剣閃が襲いかかる。一瞬にして、全身が斬り刻まれ、俺の左腕が切断された。
「<極獄界滅灰燼魔砲>」
右手を軽く捻り、終末の火を七発撃ち出す。螺旋を描く滅びの魔法に対して、隠者エルミデは真っ向から突っ込んできた。
その背中から、虹の輝きを持った両翼が現れる。祝聖天主のものだ。
「<浄化の祝光>」
絡繰神の両翼から光が放たれ、それが<極獄界滅灰燼魔砲>を優しく照らす。
世界を滅ぼす終末の火は祝光に当てられ、あたかも浄化されるように消え去っていく。
その光を切り裂くようにして、絡繰神が眼前に迫った。
突き出した黒き<深源死殺>の指先は天道剣アテネで打ち払われ、そのまま剣先は俺の胸を貫通する。
狙いは根源。本来ならば、魔王の血が溢れ出すはずが、天道剣の祝福により、それは沈黙している。
霊神人剣エヴァンスマナを食らったときと同じように。
「貴様の深淵へ迫ろうかというその力だけは、このエルミデと通じるものがあった」
哀れみの声が、耳朶を叩く。
「それさえ捨て去り、またのこのこと我の前に姿を現そうとは。相も変わらず、理解に遠い男よ」
ぐぐぅと天道剣が押し込まれ、俺の根源を深く抉る。
アーツェノンの滅びの獅子であるこの身に、その祝福の力は絶大な威力を発揮する。
「こちらは一つ、気がついたことがあるぞ、隠者エルミデ」
二律剣を抜き放ち、<深撃>とともに絡繰神を斬りつける。奴は咄嗟に剣を引き抜き、素早く後退してそれをかわした。
「<極獄界滅灰燼魔砲>」
七重螺旋の黒き粒子とともに終末の火がエルミデに迫る。奴は高速で後退しながらも、両翼を広げ、<浄化の祝光>によってそれをかき消した。
同時に奴の正面に六つの魔法陣が描かれる。
「<聖砲十字覇弾>」
十字の砲弾が連射される。それは囮だ。弾幕に紛れ、奴は再び天道剣にて無数の剣閃を走らせた。砲弾をかわしつつ、斬撃を二律剣にて斬り払い、後退する奴に押し迫った。
上段から振り下ろした二律剣を、絡繰神は天道剣にて受け止める。バチバチと魔力の粒子が弾け飛び、天道剣の刃が僅かに欠けた。
「エヴァンスマナほどでないとはいえ、祝聖天主は滅びの獅子の弱点となる祝福の権能を使うことができる」
そう口にしながらも、俺は七重螺旋の黒き粒子を右腕に纏わせ、二律剣を更にぐっと押し込んだ。
「<極獄界滅灰燼魔砲>を容易く消し、滅びの根源にすら致命的な損傷を与えることができるだろう」
二律剣と天道剣の鍔迫り合いで、魔力の火花が水中に舞う。
滅びの獅子とは無関係のこの剣が相手では、祝聖天主の神剣は真価を発揮できぬ。その刃は衝突に耐えきれず、更に欠けた。
「俺がここへ来たタイミングで、たまたま祝聖天主を吸収したと考えるにはあまりに都合がよい」
<深撃>を使い、天道剣を叩ききる勢いで押し込めば、エルミデはその力を抜き、刃を受け流した。
奴の蹴りが素早く俺の土手っ腹に飛んでくるも、そこに<波身蓋然顕現>の二律剣を突き刺す。
傷口からはまるで血のように水銀がどっと溢れ出した。
「最初から、お前はこれを狙っていたのではないか? <渇望の災淵>に虹路を使わなければ見破れぬカラクリを仕掛け、俺が祝聖天主や狩猟貴族を連れてくるのを待っていた。虎視眈々と、遙か太古の昔から、気が遠くなるほど長くここに隠れ潜んでいた」
鋭く走らせた二律剣の連撃を、エルミデは天道剣にて打ち払っていく。
「俺が来ることを警戒していたのだ。つまり――」
エルミデの右手を二律剣にて斬り落とし、天道剣ごと分断した。そのまま、横薙ぎに剣を振り抜いた。
「――この人形では、俺に敵わぬということだ」
張られた魔法障壁ごと<深撃>にて斬り裂いて、絡繰神を上下真っ二つに両断する。
その額へ、まっすぐ二律剣を突き刺した。
水銀が血のようにどっと溢れ出す。
「お前の目的はなんだ、隠者エルミデ? 呆れるほど長い時をかけた仕掛けだ。ただ俺をおびき寄せるのが目的ではあるまい。なぜ災淵世界を聖剣世界に食らいつかせた?」
「かつての貴様ならば、勘づいただろうに」
絡繰神の上半身に魔法陣が現れる。
「力を失ったその体で、我と出会ってはならぬことを」
「<深撃>」
額に突き刺した二律剣を、そのまま真下へ振り下ろす――その寸前で絡繰神の手が刃をわしづかみにした。
動かぬ。
先程は容易く真横に両断してのけた<深撃>の二律剣が、絡繰神の手に押さえつけられ、びくともしなかった。
斬り離された絡繰神の右腕、下半身が反液体状になりぐにゃぐにゃと上半身にくっついていき、再び元の姿を取り戻す。
奴が描いた魔法陣に、途方もない魔力が集った。
「<渦>」
一言、エルミデが呟く。
散り散りになって周囲を回転していた虹路の渦が、更に勢いを増した。
やがてそれは水流の渦と魔力の渦を作り出し、<渇望の災淵>をかき混ぜ始めた。虹路にしか影響を与えていなかった渦が、水流と魔力場に干渉し、ようやく魔眼にはっきりと映る。
途方もない力で、この水底を震撼させているものの正体は――渇望だ。
この<渇望の災淵>に溜められた人々の心、それが激しく渦巻いている。
深層世界においてなお、尋常な力ではなかった。
「<涅槃七歩征服>」
絡繰神の体を蹴りつけることで一歩目を刻む。二律剣を素早く鞘に納め、派手に吹っ飛んだ奴めがけ、<掌握魔手>にて圧縮した紫電を放つ。
「<深掌魔灰燼紫滅雷火電界>」
滅びの暴雷が唸りを上げ、水底を紫に染め上げた。
だが――
奴は無傷。<渦>が絡繰神の体を守るように飲み込み、<深掌魔灰燼紫滅雷火電界>を一方的に消滅させた。
「<渦>に干渉できるは<渦>のみ」
エルミデは言った。
自らを飲み込んだ<渦>を操るように、奴は片手を軽く突き出す。瞬間、掌から<渦>が放出される。
真っ向から向かってくる不干渉の現象を見据え、俺は<掌握魔手>の右手を突き出す。
だが、つかめぬ。
秩序や権能すらもつかむ、夕闇の手を<渦>はすり抜け、俺の体を激しく揺さぶった。
魔王の血が溢れ出し、滅びの根源が暴れ出すように、俺の全身から黒き粒子が滲み出る。
急上昇し、その<渦>から身をかわす。
「貴様が思うほどの猶予は最早ない」
エルミデの言葉と同時に、<渇望の災淵>が激しく揺れた。
なにが起きたかは明白だ。この災淵世界が再び動き出している。
「祝聖天主が絡繰神に取り込まれた今、ハイフォリアはその秩序を弱めている。まもなく聖剣世界は災淵世界に食らい尽くされる。あの若き聖王には防ぎ切れまい」
淡々と言い、エルミデは指を三本立てる。
「残り三〇秒だ」
「エルミデェェっ……!!!」
声とともに絡繰神に突っ込んできたのはレオウルフだ。<渦>が暴雷の壁を打ち消し、その穴から抜け出たのだろう。
「天主を返してもらおう!!」
振り上げられた聖剣が、<渦>によって粉々に砕け散る。エルミデの天道剣が、レオウルフの根源を貫いた。
「がっ……ぁ……天……主…………」
「貴様は遅すぎたのだ、魔王」
レオウルフが放り捨てられる。
絡繰神を中心に<渦>が現れたかと思えば、それはこの水底を覆い尽くす勢いで一気に広がった。
逃げ場もないほどの広範囲に、不干渉の現象が俺とレオウルフの身に迫る。
ガタガタと災淵世界は揺れており、今にも聖剣世界を食らおうと暴れ回っていた。
今、この場は、かつて感じたことがないほどの力に満ちている。
「なるほど」
<渦>を見据え、俺の左目が滅紫に染まった。
その深淵に闇十字が浮かぶ。
「…………!?」
静寂がその場を支配する。
不干渉の現象たる<渦>が、渦巻いたままで制止していた。
<混滅の魔眼>が、その秩序を滅ぼしたのだ。
「つまり、三〇秒以内にお前を倒し、エイフェを救い、災淵世界の捕食行為を止めればいいわけだ」
口にした頃には、俺は奴の眼前に接近を果たしていた。二律剣を振り下ろす。闇の斬撃が絡繰神の体を十字に切断した。
「がっ……!?」
半液体状になり、四つに分かれた体同士が再び融合しようとするが、再び切断されてしまう。その理も、その体も、なにもかもが滅ぼされているのだ。
絡繰神の断面に俺は手を突っ込んだ。
「ぎっ――!」
「手を取れ、エイフェ。無策で取り込まれたわけではあるまい」
俺の手を、確かになにかが握る。
それを感じとるや否や、思いきり引っ張った。絡繰神の断面から、虹の光に包まれた祝聖天主エイフェが引きずり出されてくる。その権能で根源だけは守り、起死回生の機会を窺っていたのだろう。
「わからぬか? 今更エイフェを救おうと、若き聖王は限界だ」
災淵世界が更に激しく震撼する。
エルミデの言葉通り、レブラハルドの<破邪聖剣王道神覇>が限界に達しようとしているのだ。突破されれば、一瞬で聖剣世界は食らい尽くされるだろう。
「元首アノス……」
レオウルフを祝福の光で癒やしながら、祝聖天主エイフェが言った。
「その魔眼の影響下では……私の秩序が失われ……このままでは、ハイフォリアが…………」
「やってみるがよい。魔眼の発動を止めれば、この体が復活する」
水底へ落ちていきながら、エルミデは言った。
「そして、どのみち止める手段はない。選ぶがよい、魔王。聖剣世界を犠牲に我を倒すか。それとも、魔眼の力なしに我と戦うか」
「――ふむ」
落ちていく奴へ向かって行きながら、二律剣を振り上げる。
「つまらぬ駆け引きをするな、隠者エルミデ」
<混滅の魔眼>を発動したまま、闇の斬撃を数度走らせる。絡繰神が更に斬り裂かれ、その銀水は消滅した。
「余程、イーヴェゼイノにハイフォリアを食らわせたいと見える」
「……貴、様……いつそれに……」
俺の思惑に勘づいたようにエルミデは言葉を発す。
二律剣の剣閃は、奴の体のみならず水底を切断していた。
最早、滅びゆくのみの絡繰神へ、不敵な笑みを返してやる。
「理解に遠いと言ったな。なぜ俺が力を捨て、お前の前に姿を現すのか、と」
闇十字の視線が、絡繰神を射抜き、その体が真っ黒な灰に変わっていく。
「お前がどこの誰かは知らぬか、かつての俺は多少力を捨てたところで、なにも変わらぬと思っていただろうな」
滅びていく絡繰神を見つめながらも、エイフェとレオウルフは水底に視線を奪われていた。
深く、深く、底が見えないほど深く、<渇望の災淵>が切断されている。
「元首アノス……これは……?」
エイフェが問う。
「絡繰神の作り出した目に見えぬ<渦>が渇望に干渉し、この災淵世界を狂わせていた。ならば、その<渦>を取り除いてやれば世界は正気に戻るというものだ」
「見えない<渦>を取り除く……」
どうやって、とエイフェが疑問の表情を浮かべ、レオウルフがはっとした。
「まさか……!」
ド、ドドド、ドオオオオオオオォォォと世界の終わりと言わんばかりの轟音が鳴り響き、水底がそっくりそのまま沈んでいく。
信じられないとばかりに、レオウルフは目を見張った。
「この災淵世界の深奥で……秩序そのものである<渇望の災淵>を、切り離すというのか……!?」
「病巣が見えぬ以上、まとめて取り除くしかあるまい」
「災人の権能――<凍獄の災禍>が、この世界の秩序を傷つける可能性を凍らせるはず……」
エイフェが言う。
「その理は混沌に帰した」
闇十字の魔眼で水底を睨む。
荒れ狂う水音がとめどなく響き、やがて、黒穹が見えた。切り離された水底とその下層にあった大地のすべてが、そこをゆっくりと落ちていく。
水底にはどでかい穴が空いている。だが、俺が斬った部分以外の水は、まるで固形化したかのようにそこに留まり、穴から漏れ出ようとはしない。
次の瞬間、<渇望の災淵>に亀裂が走った。
水という水がまるで固形物のように割れていく。理など、その一切を無視して。
<混滅の魔眼>を消す。
水底が失われた今、この魔眼の力を受け止めるものが災淵世界からなくなった。これ以上はイーヴェゼイノが滅ぶだろう。
「……探してみるがいい、我を……」
声が響く。
最早、消滅寸前の絡繰神がこちらに視線を向けていた。
「……前世の貴様も、ついに見つけ出すことはできなかった……」
「気が向けばな」
二律剣を一閃。絡繰神は粉々に砕け散った。
再び轟音が響く。
どでかく空いた穴からは、行き場を失った災淵世界の一部が、黒穹を漂っていくのが見えた。
<渦>を取り除いた世界は、本来の渇望を取り戻していく――
いつもお読みくださりありがとうございます。
魔王学院の不適合者7巻、昨日(7月10日)発売となりましたので、
地域によってはまだ入荷前のところあるかもしれませんが、
ぜひぜひよろしくお願いいたします。