勇気の道
凶暴な冷気により凍結していくこの身とは裏腹に、荒れ狂う稲妻に撃ち抜かれた災人が勢いよく弾け飛ぶ。
根源の中心に叩き込んだ<深掌魔灰燼紫滅雷火電界>は、<凍獄の災禍>にて凍結されることはない。
にもかかわらず、災淵世界に大きな損傷が見られぬのは、その威力のすべてが災人イザークの根源に集中しているからだ。
目映い紫電が奴の内側で暴れ回り、その体は空に打ち上げられていく。
そのときだ。
蒼でも、紫でもない。もう一つの純白の光が、鬩ぎ合う魔法に介入した。
虹だ。
それが球状となり、イザークの体を包み込んでいた。
まるで結界のように、奴をそこに縛りつけている。
「……ちっ…………」
イザークが視線を向けた方角に、二隻の船が見えた。
先行しているのは、バルツァロンドの銀水船ネフェウス。そして、その更に後方に聖船エルトフェウスがあった。
白き虹を放ったのは、祝聖天主エイフェである。
狙っていたのだろう。イザークが隙を見せる瞬間を。
今なお<深掌魔灰燼紫滅雷火電界>は奴の根源で暴れ狂っている。そうでなければ、こう易々とは当たらなかった。
そして、それは<氷獄災禍凛令終天凍土>も同じだ。
災人が放った深層大魔法の勢いは衰えることなく、俺の体を凍結させ続けている。
思うように腕が上がらぬ。
「よう、祝聖天主」
球状の虹に拘束されたまま、イザークは<思念通信>を飛ばす。
「オルドフを連れてこいと言ったはずだぜ」
聖船エルトフェウスの甲板にて、エイフェは悼むような表情を返した。
「……いかに偉大とて、終わらぬものはなきかな、災人。先王オルドフにも、その戦いの日々に幕を下ろすときが訪れた。彼が安らかに逝けるよう、このハイフォリアを守り続けるのが、祝聖天主たる私の役目」
聖船エルトフェウスに、白い虹がかかる。
それに共鳴するように、イザークを包み込む虹が光り輝いていた。
聖なる魔力が更に膨れ上がり、その拘束を強めた。
魔力の大元は、祝聖天主でも、聖船エルトフェウスでもない。
聖剣世界ハイフォリアだ。
建てられた五つの狩猟宮殿。そこから、白い虹がかけられるが如く、この災淵世界イーヴェゼイノまで聖なる魔力が送られてきている。
「聖剣世界の力を今ここに。祝聖天主の名と、我らが正しき道をもちて、大災を封じんかな――聖ハイフォリアの祝福」
五重にかけられた白き虹を通じて、聖剣世界の魔力が聖船エルトフェウスに集う。
一点の曇りさえ感じられぬその純然たる祝福の魔力は、恐らく聖剣世界ハイフォリアでしか使えぬ限定秩序。
だが、今、ハイフォリアとイーヴェゼイノは地続きとなっている。
十全でないにせよ、大災を封じるその権能を送ることができると睨んだ。そして、それを当てる機会を見計らっていたというわけか。
「災いの獣よ。汝に、祝福があらんことを」
聖船エルトフェウスの前方に、巨大な魔法陣が描かれる。
それが砲塔の如く変化したかと思えば、白き光を撃ち放った。
白光はさながら、道のように災人へ向かって伸びていく。
イザークは動かない。
否、動けぬのだろう。
俺の<深掌魔灰燼紫滅雷火電界>に加え、祝聖天主エイフェの権能が、奴の体を蝕んでいる。
<凍獄の災禍>も、天敵たる聖剣世界の主神を相手にしては、その真価を存分に発揮することはできぬはずだ。
聖ハイフォリアの祝福、その輝きがまっすぐ災人イザークへ向かっていき、そして――
寸前で防がれた。
「…………」
祝聖天主エイフェが、僅かに息を吐く。
祝福を遮ったのは、バルツァロンドの船だ。
光に包まれ、銀水船は完全に制御を失う。ボロボロと船が分解され始めた。
「バルツァロンド卿、もう舵が利きはしませんっ!」
「申し訳ありませぬ。我々もこれ以上の戦闘は……」
「どうかご武運をっ!」
落ちていく船から、二つの影が飛び出してきた。
「よくぞここまで送り届けてくれた! 戦いを終わらせて向かえに行くっ! 必ず生きろっ! 命令だっ!」
バルツァロンドが従者たちに言葉をかける。
その横にレイが並んだ。
二人は災人を守るように立ちはだかり、遠く聖船エルトフェウスを見据える。
バルツァロンドは弓を構え、祝聖天主エイフェに狙いを定めた。
「天主。引いてください。先王が望んだのは、このような争いの道ではなかった! 我らが偉大なる勇者は虹路よりも正しき道、真の虹路を目指していたのだ!」
彼はそう<思念通信>を飛ばした。
「バルツァロンド」
柔らかく、エイフェの声が響く。
「偉大なる先王の言葉には、敬意と信頼をもって応えるべきこと。先王オルドフが真の虹路たる道を示したならば、それは聖剣世界の行く末を託す価値があることかな」
確固たる意思が込め、彼女は続けた。
「されど今、ここに彼はいない。いないものに聖剣世界の命運を委ねることはなき。勇気を示し、道を歩み続けるものにこそ、奇跡は起こる」
この場にいない男に、奇跡など起こしようがない。
エイフェはそう言いたいのだろう。
「先王オルドフの道は私が継いだ!!」
バルツァロンドが大きく声を張り上げる。
その言葉に、災人がピクリと眉を動かした。
「へーえ」
輝く虹に拘束されながらも、イザークは軽口を叩く。
「てめえにできんのか? オルドフの息子」
「無論だ」
向かってくる聖船エルトフェウスを警戒しながらも、背後のイザークを振り向き、バルツァロンドは堂々と答えた。
「ゆえに牙を収めるのだ、災人。先王オルドフの誓いは、私が果たそう」
「で?」
イザークは問う。
バルツァロンドは僅かに疑問の表情を見せた。
「見つかったのかよ?」
牙を覗かせ、奴は笑った。
その周囲に蒼き冷気が噴出し、自らを束縛する虹の光を凍てつかせようと渦を巻く。
聖ハイフォリアの祝福であろうと、ここは奴のなわばり、災淵世界イーヴェゼイノ。拘束を解けぬ道理はあるまい。
「約束はこうだぜ? 真の虹路がねえなら、ハイフォリアはぶっ潰す」
バルツァロンドは奥歯を噛み、絞り出すような声で言った。
「……まだだ。だが、必ず見つけてみせる」
くくく、と災人は笑声をこぼした。
「いいぜ? だったら、あのオッサンの妄想を継げるぐらい、てめえが大馬鹿野郎だってとこを見せてみな」
イザークの魔力が急激に上昇する。溢れ出す冷気は、イーヴェゼイノの温度を更に低下させ、たちまち極寒の世界へと変貌させた。
それでもなお、虹の祝福は彼を拘束し続けている。純白の輝きは、よりいっそう目映さを増していた。
聖船エルトフェウスが距離を詰めている。ハイフォリアからの虹の架け橋が延び、その秩序が災淵世界にまで広がっていく。
その分だけ、祝聖天主エイフェの権能が強く発揮されているのだ。
「もう遅きかな、災人。汝に、全霊の祝福を」
エイフェが虹の翼を広げる。
聖船エルトフェウスの前方に再び魔法陣が描かれ、神々しい光が放たれた。
流星の如く再び迫るのは、聖ハイフォリアの祝福。
同種の魔力を有す狩猟貴族たちの銀水船でさえ、その力を悉く封じられた。災人に直撃すれば、その効果は彼らの非ではないだろう。
しかし、一人の男が飛び出した。
「霊神人剣、秘奥が伍――」
白虹が聖剣に集う。エヴァンスマナを構え、レイは聖ハイフォリアの祝福に真っ向から立ち向かっていく。
「――<廻天虹刃>っっっ!!」
流星の如き虹の輝きを、レイはエヴァンスマナにて斬り裂いた。
放たれた神々しい光は霊神人剣の秘奥により形を変えていき、レイの背に一本の虹の剣――虹刃を作る。
切断した権能の魔力を変換しているのだ。
レイの背後には、虹刃が二本、三本と増えていく。
恐らくは、虹刃の量には限界がある。それを超えれば、<廻天虹刃>にて、聖ハイフォリアの祝福を防ぐことはできなくなる。
「バルツァロンド」
レイが促すと、すかさず彼は答えた。
「わかっている!」
弓を引き絞り、バルツァロンドは祝聖天主エイフェに狙いを定める。
男爵レオウルフが迎え撃つべく剣を抜いた。彼の守りを突破し、エイフェを射貫かなければ、聖ハイフォリアの祝福は止められぬ。
「下がりなさい、レオウルフ」
僅かにレオウルフは眉をひそめる。
主君の命が不可解だったのだろう。
「……しかし、天主」
「彼の矢が私に当たることはなき」
自ら体を曝すように、祝聖天主エイフェはゆっくりとレオウルフの前に出た。
「その心には迷いがあるゆえに」
祝福するように、エイフェがゆるりと翼をはためかせる。
すると、それに連動するように、バルツァロンドの体が光り輝き、その足下から虹路が現れる。
聖剣世界ハイフォリアにおける正しき道は、エイフェではなく、彼の背ろ、災人イザークへと延びた。
バルツァロンドは、険しい表情で奥歯を噛んだ。
「あなたの良心は災人を討つことが正しいと知っている。獣を狩ることこそが、狩猟貴族の本懐であると」
諭すようにエイフェは言った。
「愛しき、我が世界の子よ。オルドフの道を継ぎたいという気持ちはわかる。時が許せば、私もあなたと語り合いたかった。されど、矢を向けるべき相手を間違えてはならない。私たちは、戦ってはならない」
「このバルツァロンドに、迷いなどありはしないっ!!」
その弓から赤い矢が放たれる。
光の如く猛然と直進したそれは、エイフェの鼻先に迫り、僅かにその頬をかすめて、船の甲板に突き刺さった。
「…………!?」
信じられないと言わんばかりに、バルツァロンドが目を見張る。
エイフェは慈愛の笑みを浮かべた。
「それが、あなたの道。あなたは気高き狩猟貴族。その善き心は聖剣世界ハイフォリアとともにある」
聖船エルトフェウスから、再び聖ハイフォリアの祝福が放たれる。
その光の奔流をレイは<廻天虹刃>にて斬り裂いた。だが、祝福を殺しきれない。先程よりも遙かに勢いの増したその輝きに彼は押され、歯を食いしばった。
「違うっ! 私は狩猟貴族である前に、先王オルドフの息子。私の道は父が歩んだその先にあるっ!!」
数本の矢を番え、次々とバルツァロンドはそれを放っていく。
だが、自らを守ろうとさえしないエイフェに、その矢は一本も当たることはなかった。
「……なぜ…………」
「あなたは優しき狩人。父への弔いと、己の良心との間に板挟みとなった。その葛藤はあなたをより正しき道へと導くかな」
バルツァロンドの虹路がよりいっそう光り輝く。
その道に照らされた災人イザークは、渦中にありながらも、どこか冷めた目で事態を傍観していた。
期待外れ、あるいは、茶番だと言わんばかりに。
「愛しき我が世界の子よ。私があなたを咎めることはなき。あなたはただ道を迷っただけにすぎないのだから」
過ちを受け止めるとでもいうように、エイフェは両腕を広げ、弓を構えるバルツァロンドに無防備を曝す。
迷っていないのなら、この身を撃ち抜けるはず、と。
「違うっ……! 私は、迷ってなど……!」
弓を引き絞るバルツァロンドの手が震える。
彼の視界には、虹路が見える。
燦然と輝く、正しき道が。
それは確かに災人イザークを討てと示しているのだ。
今日に至るまで疑いもなく虹路を邁進してきたバルツァロンドにとって、その道を進まないというのは、抗いがたいことだろう。
なにが間違っていて、なにが正しいのか。
それが、彼ら狩猟貴族には、はっきりと目に見えるのだから。
「この心に……微塵も、迷い、など……」
「バルツァロンド」
霊神人剣にて聖ハイフォリアの祝福を防ぎながらも、レイが口を開く。
「迷うのは悪いことかい?」
柔らかく、彼はそう問いかける。
「僕たちは新しい道を探している。間違えたら引き返せばいい。勇気をもって前に進もう」
彼は微笑む。
鼓舞するでも、牽引するでもなく、ただ優しく語りかけた。
「何度でも迷いながら」
憑きものが落ちたような顔だった。
同時に放たれた矢は魔眼にも映らぬ速度で飛んだ。
その軌道を見抜いたか、レオウルフがエイフェの前に出て、聖剣を抜く。
融和剣。あらゆるものと融合するその剣は、しかし、バルツァロンドの矢を斬り裂くことはできなかった。
レオウルフが守るのを見越していたように、矢の軌道が変わって、刃をかわし、そのまま、祝聖天主エイフェの腹部を貫いたのだ――
勇気の矢は暗雲を突き進むが如く――




