魔王と災人
時は僅かに遡る――
<渇望の災淵>に、黒き炎が轟々と燃ゆる。
<極獄界滅灰燼魔砲>によって、俺が乗っていた災亀は瞬く間に灰燼と化し、直撃を食らった災人は漆黒の炎に包まれた。
滅びぬはずのものさえ滅ぼす、終末の火。されど、次の瞬間、その炎が凍りついた。
「……今度は第一魔王アムルの魔法か」
氷が粉々に砕け散り、中から災人イザークが姿を現す。
「やるじゃねえの」
「下がっていろ、アルカナ」
そう口にすると、彼女は<渇望の災淵>の水面へ向かって待避していく。
「まともに食らって無傷とはな」
黒き粒子が俺の両手に集う。
七重螺旋の軌跡を描き、終末の火が掌に現れた。
「カラクリを見せよ」
<極獄界滅灰燼魔砲>を二発、災人イザークへ撃ち放った。
「いいぜ」
不敵に奴が笑えば、蒼き冷気が体から噴出される。
直進する終末の火を避けようともせず、イザークはそのまま真正面から突っ込んでくる。
「暴いてみな!」
<極獄界滅灰燼魔砲>が災人イザークに迫る。だが直撃するより先に、黒き炎が燃え広がった。
そして、それはたちまちに凍りつく。
あっという間に、奴は俺に肉薄した。
「<災牙氷掌>」
蒼く凍てついた手掌が、俺の肩口に襲いかかる。
二律剣を抜き放ち、剣身に魔法陣を描いた。
「<掌握魔手>」
夕闇に染まった剣にて、災人の手掌を斬りつける。
<災牙氷掌>は、<掌握魔手>によって散らされ、奴の掌に二律剣の刃が食い込んだ。
魔力を集中し、俺は左手を黒く染める。
「<深源死殺>」
漆黒の指先が、奴の鎖骨を砕き、肉に突き刺さる。
血がどっと溢れ出た。
イザークは意に介さず、笑みさえたたえていた。
「ふむ。<極獄界滅灰燼魔砲>で無傷なら、この指は通らぬはずだがな」
奴の血がたちまち凍りつき、俺の指を凍結させていく。
だが、確かに傷はついている。
<深源死殺>では傷を負い、<極獄界滅灰燼魔砲>では傷を負わない。
そこに奴の力のカラクリがあるのだろう。
「では、この距離からではどうだ?」
災人の体に突き刺した指先から、七重螺旋の黒き粒子が荒れ狂う。
体内で爆発させるが如く、<極獄界滅灰燼魔砲>を撃ち放った。
災人イザークが黒く炎上し、周囲の水までもが灰に変わっていく。
だが次の瞬間、またしてもその炎のすべてが凍りついた。
「温い」
魔眼が捉えたのは、無傷で笑うイザークの顔だ。
素早く脚が動き出し、その膝が俺の土手っ腹に食い込む。間髪入れず、奴はこの身を蹴り上げた。水を切り裂き、俺の体が上方へ吹っ飛ばされる。
追撃とばかりに、災人が追ってくる。
「本気で来な。イーヴェゼイノを気遣ってんなら、必要ねえぜ」
奴の<災牙氷掌>と、俺の<深源死殺>が衝突し、蒼と黒の火花を散らす。
互いの威力は拮抗している。
だが、莫大な魔力が災人の後ろで弾け、奴はぐんと加速する。
光よりなおも速く、俺を押し上げていくイザーク。みるみる内に水面が見えてくる。分厚い氷に覆われた水面が。
ドゴオォォォォ、と凍てついた氷の表面に俺の体がめり込み、瞬く間にぶち破った。
奴は両手で魔法陣を描く。
その爪が凍りつき、蒼き魔力が集中していく。あたかも主神と共鳴するかのように、災淵世界がガタガタと揺れ、暴風が渦を巻いた。
「界殺災爪ジズエンズベイズ」
獰猛な牙を覗かせ、奴はその五爪を振るう。
「シャッ!」
空間が切断され、災爪は離れた場所にいる俺の体を引き裂いた。
根源から魔王の血がどっと溢れ出す。
空には地平線の彼方まで続く爪痕が残された。
間髪入れず、左手の災爪が振り下ろされる。
「ジャッ!!」
蒼き爪撃が疾走する。
俺の体から黒き血が噴出し、空が五本の爪に引き裂かれる。
「ジアァァァシャッ!!」
両爪が、根源を抉る。魔王の血でも減衰しきれぬほどの一撃は、この深層世界にすら致命的な損傷を与えてもおかしくはない。
だが、無事だ――
「<狂牙氷柱滅多刺>」
俺の周囲に無数の魔法陣が描かれ、そこから鋭く尖った蒼き氷柱がぬっと現れる。
全方位から、避けるすき間なく氷柱が発射された。
俺が張り巡らせた反魔法を貫き、押し潰さんがばかりに、次々と<狂牙氷柱滅多刺>がこの身に突き刺さる。
僅か数秒にも満たず、空には巨大な氷の墓標が構築されていた。
「災淵世界はやわじゃねえ」
「――なに、この世界が壊れぬよう手加減したわけではない」
氷の墓標に紫電が走る。
雷鳴とともに氷に亀裂が走り、すべてが粉々に砕け散った。
<狂牙氷柱滅多刺>の残骸を軽く振り払い、俺は災人に視線を飛ばす。
「お前が思いの外、強いのでな」
野獣のように奴は笑った。
「物足りねえって顔してんぜ。ミリティアの魔王」
狂気の中に歓喜が混ざったような、そんな顔だった。
目の端には、先程奴が空につけた爪痕が凍りつく瞬間が映った。
「災人イザークが目覚める前のイーヴェゼイノであれば、先の災爪にて確実にこの世界は損傷を負っていただろう」
ゆっくりと俺は降下していき、奴がいる氷の大地の上に立った。
「だが、一瞬爪痕が残ったように見えたものの、災淵世界は無傷――似ているな」
「なにがだ?」
平然とした顔で奴は問う。
「<極獄界滅灰燼魔砲>で無傷だったお前とだ」
奴が終末の火の直撃を受け無傷だったのも、この災淵世界が災爪で傷一つつかなかったのも、恐らくは同じ力によるものだ。
魔法陣を構築した素振りはなかった。
災淵世界の主神としての権能といったところか。
「<凍獄の災禍>」
牙を覗かせながら、奴は言った。
それが使用している権能の名なのだろう。
「当ててみな。どんな災いがてめえの身に降りかかってんのか」
「さて、その必要はないやもしれぬ」
氷の大地を踏み締め、俺は一足飛びでイザークへ直進した。
それを読んでいたとばかりに、奴の爪が蒼く凍てつく。
界殺災爪ジズエンズベイズ――
「シャッ!」
「<二律影踏>」
二律剣にて、右手の災爪を打ち払い、間髪入れず奴の影を踏む。
<二律影踏>の効力によって、根源を踏み抜けるはずが、しかし、災人は揺らぎもしない。
代わりに、奴の影が凍りついた。
「ジャッ!」
振るわれた左手の災爪を、二律剣にて打ち落とす。その寸前で爪の軌道が変わった。狙いは俺の影。
イザークは、地面ごとそれを引き裂いた。
<二律影踏>の使用中である今は、影を抉られれば本体が損傷を受ける。
だが、寸前で俺は<二律影踏>を解除した。
大地が弾け飛ぶが、俺は無傷。
「<深源死殺>」
奴の顔を、黒き手刀にて切り裂く。
その額がぱっくりと割れ、血が大地を赤く染める。
「どういう理屈かわからぬが、<凍獄の災禍>とやらは弱い魔法を防げぬようだ」
「一〇〇〇回食らおうと、こんな魔法じゃくたばらねえが、なぁっ!」
地面が凍結していき、俺の足と二律剣を凍りつかせた。
大地を抉った左手が<災牙氷掌>を使ったのだ。
即座に奴は両手を振り上げ、挟み込むように災爪を振るう。
だが、俺の体に当たる前にそれはピタリと止まった。
「――<波身蓋然顕現>」
凍りつくより数瞬早く、可能性の体がそこを離脱していた。そして、奴の両爪を受け止めたのだ。
黒き<深源死殺>の指先に魔力を集中していく。
「ちっ……!」
奴の足が俺の脇腹を狙う。僅かに身をよじってそれを避けるが、蹴りの余波は肉をこそぎ落とした。
構わず俺は黒き指先にて、奴の肩口を切り裂いた。
双方の血が飛び散る中、俺とイザークは視線を交わす。
「千で足りぬならば万――それで足りぬのなら一〇万だ。お前が音を上げるまで、その身に傷を刻んでやろう」
「くっくっく。面白え。やってみな」
俺が不敵に笑えば、奴が獰猛に笑う。
互いの返り血を顔に塗りたくりながら、俺とイザークは手掌を繰り出した――
世界を震わす、魔王と災人の一騎打ち――