二つの約束
銀水船に、魔法砲撃が集中していた。
バルツァロンド隊が矢弾の弾幕を張り、反魔法と魔法障壁を展開している。だが、物量は圧倒的にあちらが勝っている。
反魔法と魔法障壁はみるみる削られ、無数の穴が空いていく。火炎や矢が被弾し、船体の損傷は増す一方だ。
霊神人剣を輝かせ、レイは空を駈ける。巨大な災亀やハイフォリアの船に迫り、一撃のもとに落としていく。
だが、きりがない。
最前線だけあって、イーヴェゼイノもハイフォリアも次々と戦力を投入してくる。いかに真価を発揮した霊神人剣が強力といえども、すべてを落としていてはレイの魔力がもたないだろう。
「――メインマスト修復完了っ!」
バルツァロンドの船から声が上がる。
被弾したメインマストを船員たちの創造魔法で創り直したのだ。
すぐさまバルツァロンドが指示を出す。
「進路をイーヴェゼイノへ向けるのだ。全速前進!」
「了解!」
銀水船が大きく舵を切った。
その方向には、災亀を落としたレイがいる。
船が近づくと、彼は船首に降り立った。
「<渇望の災淵>へ向かう。あちら側なら、狩猟貴族は迂闊に追っては来られない。獣を引きつければ、それだけ争いは鈍化するはずだ」
バルツァロンドがレイに言う。
「幻魔族たちが追ってくるかは賭けだけど?」
「どのみち船は長くもたない。落ちる前に災人イザークをどうにかしなければ、この戦を止められはしない」
帆をいっぱいに張り、銀水船は加速していく。
メインマストこそ修復できたものの、船体はすでにボロボロだ。船員たちは必死に応急処置を行っているが、戦闘中に直すのも限度がある。
前方に立ち塞がる幻魔族たちから火炎の集中砲火を浴びせられる。反魔法を集中することにより、それを防いでいくが自らの速度でさえ船はミシミシと軋む。
災人のもとまで辿り着けるかも怪しいところだろう。
だが、それでも、バルツァロンドはまっすぐ前を見ている。
その想いに応えるかのように、銀水船はぐんぐんと速度を増し、幻魔族たちの包囲を突破した。
全速力で船は航行し、暗雲にかかる大きな虹をくぐり抜ける。
両世界が交わる合一エリアを抜け、彼らはイーヴェゼイノの領域へ入った。
魔法障壁と反魔法でも防げぬほどの冷気が、銀水船の内部を冷やし、激しい暴風が帆をはためかせる。
幻獣や幻魔族たちは、わらわらと群がるように後方から追ってきた。
「よし」
更に奴らを挑発するように、バルツァロンドは矢を放つ。
「撃つのだっ! 奴らの渇望をかき立てろ!」
銀水船の砲門が開き、聖なる砲撃を派手に鳴らした。
イーヴェゼイノの兵を引き寄せれば引き寄せるほど、最前線での交戦は減少する。
霊神人剣を警戒してか、レイたちの心配をよそに、かなりの数が彼らに集中していた。
「……む」
バルツァロンドが飛び上がり、メインマストの上に乗る。
「どうしたんだい?」
白虹の斬撃を飛ばし、群がる幻魔族たちを蹴散らしながら、レイが問う。
「聖船エルトフェウスだ」
ハイフォリアの母艦である。
遅れて、レイの視界にも巨大な箱船がイーヴェゼイノ側へ向かうのが見えてきた。
進路は彼らの船と同じだ。
追ってきているのか、それとも<渇望の災淵>が狙いなのだろう。
「乗っているのは?」
「レオウルフ卿……それから、天主の魔力が見える……」
聖船に魔眼を向けながら、バルツァロンドは答えた。
「聖王は?」
「姿は見えない。だが、恐らく、いないはずだ。聖王が境界線から離れれば、イーヴェゼイノの捕食行為は進む。あれを食い止められるのは、ハイフォリアには聖王の他、天主しかいない」
魔王学院で共有している視界から、今は聖王の姿が消えているが、<破邪聖剣王道神覇>の力は衰えず、イーヴェゼイノの捕食を阻み続けている。
その付近にいると見て、間違いはあるまい。
「聖王が、天主をイーヴェゼイノに向かわせたというのか……?」
バルツァロンドの表情は、妙だと言わんばかりだった。
「祝聖天主の判断かもしれないけど、腑に落ちないね。イーヴェゼイノで戦えば災人に勝ち目がないから、ハイフォリアに釣り出そうとしていたはずだ……」
レイがそう疑問を呈す。
ゆっくりと飛ぶ聖船エルトフェウスは、両世界が交わるエリアを越え、確かにイーヴェゼイノの領域へ足を踏み入れた。
バルツァロンドの船とはまだ距離が遠く、矢を放とうとも防ぐのは容易だろう。エルトフェウスはそのまま速度を上げることなく、こちらの動向を探るように緩やかに追ってきている。
祝聖天主をイーヴェゼイノにやるのはリスクが大きい。
いくら母艦と五聖爵を護衛につけているとはいえ、もしも、災人に襲われたなら、最悪ハイフォリアは主神を失うことになる。
つまり、それだけの危険を冒してでも祝聖天主をイーヴェゼイノに向かわせる理由があるということだ。
「なにが狙いなんだろうね……?」
「どのみち、今更引き返すことはできない。私たちの目的は災人だ」
引き返せば、聖船エルトフェウスと鉢合わせになる。
祝聖天主を倒そうと、戦いは終わらぬ。
だが災人が兵を引き上げれば、ハイフォリアは被害を増やしてまで争いを継続しようとはしないだろう。
バルツァロンドが言った通り、災人を止めるのが最優先だ。
「彼を説得する方法があるかい?」
「そんなものはありはしない」
きっぱりとバルツァロンドは断言した。
「だが、筋は通さなければならない。災人イザークは、先王オルドフを待っている。父の代わりは到底務まらないが、それでもその夢を継いだ者がいることを伝えなければならない」
彼はメインマストから飛び上がり、レイのいる船首に着地した。
遠くへ視線を向け、バルツァロンドは矢を放つ。追いすがってきた銀水船ネフェウスの帆を破り、その足を奪った。敵船はゆっくりと減速していく。
「私一人では言葉足らずだろう」
思い詰めた表情で、バルツァロンドは振り返る。
「力を貸してくれるか、レイ」
「力は貸すよ。だけど、どうかな?」
疑問の表情を示すバルツァロンドへ、レイは言う。
「心ない言葉が、イザークに届くとも思えない」
銀水船に迫ってきた災亀に、レイは鋭い視線を放つ。
霊神人剣に白虹の輝きが集った。
「長く争い続けてきた災淵世界と聖剣世界にとって、僕はただの部外者だからね。なにを言っても、無責任で勝手な言葉にしかならない」
言いながら、彼は霊神人剣を一閃する。
白虹の斬撃が空を斬り裂き、追ってきた災亀を真っ二つに両断した。
「言葉が拙くとも、それはオルドフの後を継いだ君の役目じゃないかい?」
レイは霊神人剣エヴァンスマナを、バルツァロンドに差し出すように、甲板に突き刺した。
災人を説得するには、まずその言葉を届けられる力が必要だ。
ならば、その聖剣を持つのは彼こそ相応しいと判断したのだろう。
しかし――バルツァロンドはその聖剣を見つめたまま、手に取ろうとはしなかった。
「……貴公の言葉に心がなければ」
心から絞り出したような声で、彼は言う。
「志半ばで倒れた父があんな安らかな顔はしなかったはずだ」
レイが悼むような表情を見せる。
罪悪感が僅かに滲んだ。
「私にはできなかった……」
「あれは……死者への労いだよ。死にゆく父を前に、言葉が出ない自分を恥じる必要はない」
「私はそうは思わない」
バルツァロンドは揺るぎない口調で言った。
「あのとき、貴公が告げた言葉は死者への労いだったのかもしれない。だが、あの言葉が、空虚な虚言だったとは決して思わない。あれには確かに、貴公の信念が込められていた。世界は違えど、正しき道を進もうと歩み続けてきた者の志があった」
じっとバルツァロンドは、レイの顔を見つめる。
「ハイフォリアにおいて、先王オルドフは、その誇りを勇気を讃えられ、勇者と呼ばれる。貴公も同じだ」
僅かにレイは目を丸くする。
「レイ。違う世界に生まれ落ちた、誇り高き勇者よ。私は貴公が口にした真の虹路に、感銘を受けたのだ」
力強く、バルツァロンドは言う。
「これこそ、先王オルドフの夢見た、ハイフォリアが目指す道、と。ゆえに」
真摯な声で、彼は訴える。
「貴公を信じる。ハイフォリアの住人でなければ無責任だというのであれば、貴公の言動の責はすべて私が負う」
ひたむきな眼差しで、自らの心を信じ、
「私には力が足りない。考えも至らず、良心さえも迷っている。この聖剣が私を選んでくれるとしても、私には最早抜く資格などないのだ。しかし」
正しき道を歩むために、彼は言う。
「今、なすべきことだけはわかっている」
霊神人剣エヴァンスマナが輝きを発し、レイの体を照らし出す。
バルツァロンドはその場に跪き、彼に言った。
「貴公は我が世界の住人ではない。だからこそ、伏して頼みたい。道を指し示してほしい。ともに戦ってほしい! 私の愛する世界のために!」
たとえ頼まずとも、レイは喜んで力を貸しただろう。
ゆえに、バルツァロンドは深く頭を下げたのだ。
この戦いのすべてを自らの責にするために。
「この聖剣は貴公にこそ相応しい。守って欲しいのだ、先王オルドフが夢見た、我らの正しき道を!」
一瞬の間の後、レイは静かに霊神人剣の柄を手にし、それを抜き放った。
「――二つ約束ができた」
バルツァロンドが顔を上げる。
「先王オルドフと、それからバルツァロンド、君との約束だ」
レイが手を差し出す。
バルツァロンドはそれを取り、ゆっくりと立ち上がった。
「聖剣世界の同志のために、僕は命を賭して最後まで戦う。君たちの、正しき道を守るために」
「……感謝する」
約束を交わし、二人は前を向いた。
やがて、前方には水面が凍りついた巨大な水溜まり――<渇望の災淵>が見えてきた。
狩人は、道を見つけた。その人が、そうなのだと――