天より降る雪
暗雲と白虹が交差する空――
サーシャとミーシャは、五聖爵が一人、レッグハイム侯爵と対峙していた。
遙か黒穹では、魔弾世界エレネシアの巨大戦艦が、氷の繭に閉じ込めたコーストリアに照準を定めている。
眼前のレッグハイムと黒穹の戦艦、ともに動く気配はなく、二人の出方を窺うように待ちに徹していた。
「――ミーシャ」
サーシャの声に、ミーシャがこくりとうなずく。
サーシャの瞳には<終滅の神眼>が、ミーシャの瞳には<源創の神眼>を現れ、その魔力が空域を震撼させた。
「<破壊神降臨>」
「<創造神顕現>」
空の彼方に出現したのは、闇の日輪と白銀の月。それらがゆっくりと重なり合い、<破滅の太陽>サージエルドナーヴェが欠けていく。
『<魔深流失波濤砲>』
黒穹。戦艦の主砲に多重の魔法陣が展開される。そこに膨大な魔力が集い、青き粒子が波打った。
主砲の照準が、二人の権能たる月と太陽に向けられる。
放たれた青き魔弾は轟音を響かせながら一直線に飛来し、<破滅の太陽>と<創造の月>をぶち抜いた。
力を失ったかのように月と太陽は魔力の粒子となって、バラバラと崩壊していく。
機を見るや、レッグハイムが動いた。
「<聖覇魔道>」
奴の周囲に無数の魔法線が走る。道を彷彿させるそれは、複雑に絡み合い、ある形状を象っていく。
二つの門だ。
正確に言えば、門の形をした魔法陣だった。
「我が魔道は、敵の鬼門を作り出す」
奴は門の魔法陣と重ねるように、十字の聖剣を掲げた。
「<鬼門破壊神氷>!」
レッグハイムが聖剣を振り下ろす。
真白な氷雪がサーシャめがけて、勢いよく射出された。彼女は<破滅の魔眼>にて、その魔法を睨みつける。
「だめ」
ミーシャが言う。
<鬼門破壊神氷>は<破滅の魔眼>をものともせずに、サーシャの眼前へ押し迫った。
「氷の盾」
ミーシャがその間に割って入り、<創造建築>で作り上げた氷の盾が、白き氷雪を阻む。
間髪入れず、レッグハイムが突撃してきた。
「<鬼門創造神炎>!」
<聖覇魔道>の門魔法陣から、白き炎が放たれ、十字の聖剣にまとわりつく。
それを振り下ろせば、氷の盾は容易く切断され、ミーシャの胸部が斬り裂かれた。
「このっ……!」
<終滅の神眼>にて、キッとサーシャは睨みつける。レッグハイムは一瞬黒陽に灼かれたものの、すぐさま白き氷がそれを凍結させる。
<鬼門破壊神氷>だ。
パラパラと氷雪が、レッグハイムの体から落ちていく。
ミーシャとサーシャは大きく後退し、奴から距離を取った。
「門の魔法陣が、わたしたちの弱点を生み出す」
レッグハイムが展開している<聖覇魔道>の門魔法陣に神眼を向けながら、ミーシャが言う。
「<鬼門創造神炎>が創造神の、<鬼門破壊神氷>が破壊神の弱点。通常の権能では突破できない」
「厄介ね。頭上をエレネシアの戦艦に押さえられている限り、<微笑みは世界を照らして>は使えないわ」
<創造の月>と<破滅の太陽>による皆既日蝕を起こすには、ある程度の時間が必要だ。
その前に、戦艦の主砲が双方を撃ち抜くだろう。
ミリティア世界でなら耐えることもできただろうが、ここでは彼女らの秩序は十全に発揮できない。
その上――
『<魔深流失波濤砲>』
二人の足が止まったとみるや、エレネシアの戦艦から魔法砲撃が放たれた。大地を抉り、地形を変えるほどの威力を誇るその魔弾は、まっすぐコーストリアを狙っている。
「サーシャ」
「わかってるわ!」
弾き出されたように飛んだサーシャは、氷の繭に包まれたコーストリアを魔力で持ち上げ、魔弾の射線から外れていく。
「<鬼門創造神炎>」
「そうくると思ったわよっ!!」
ミーシャめがけて放たれた<鬼門創造神炎>を、サーシャは<破滅の魔眼>で睨みつけ、消滅させる。
ミーシャの弱点に特化した<鬼門創造神炎>は、サーシャの権能には脆い。だが、それも見越していたか、レッグハイムはミーシャに向かって突進していた。
「我が魔道から、逃れる術はない」
創造魔法で作った盾は効果がない。
ミーシャは咄嗟に反魔法と魔法障壁を張り巡らせた。
「聖十剣、秘奥が漆――」
聖剣が煌めき、十字の閃光が疾走する。
「――<狩場十字>!!」
反魔法と魔法障壁が斬り刻まれ、ミーシャの五体から鮮血が散った。サーシャの瞳が怒りに染まり、彼女はレッグハイムへ突っ込んでいく。
<終滅の神眼>を放つも、<鬼門破壊神氷>によってかき消される。
なおも迫ったその純白の氷へ、サーシャは氷の繭に閉じ込められたコーストリアを飛ばした。
氷の繭はミーシャの権能、<鬼門破壊神氷>では止めることはできない。
そのまま突っ込んでいき、サーシャは右手に魔法陣を描く。それは<深印>を組み込んだ魔法術式――
「<深源死殺>ッ!!!」
漆黒の指先を彼女はレッグハイムに突き出した。
<鬼門破壊神氷>を纏わせた聖十剣にて、奴はその攻撃を受け止める。
しかし、威力は拮抗している。
「破壊神の権能以外には、鬼門じゃないみたいね」
「お望みなら、その魔法の鬼門も作ってやろう」
サーシャの<深源死殺>に魔眼を向け、レッグハイムは再び<聖覇魔道>を展開する。
魔法線が無数に走った瞬間、雪月花が吹雪となりて襲いかかる。レッグハイムは後退し、<鬼門創造神炎>にて雪月花を払った。
「ミーシャ、平気っ?」
コーストリアを<飛行>で引き寄せながら、サーシャが妹のそばによる。
「……傷は浅い。でも……」
聖十剣の秘奥によって斬りつけられたミーシャの胸元には、十字の傷痕ができている。
そして、そこに真っ白な光が走っていた。
「貴様らは狩り場に迷い込んだ哀れな子羊だ」
聖剣を大きく掲げながら、レッグハイムが言う。
「決して逃れられはせん」
聖十剣と共鳴するように、ミーシャにつけられた十字の傷痕が光り輝く。
すると、二人を取り囲むように、十字の光が無数に出現していった。それは上下左右、完全に行き場を塞ぎ、獲物を閉じ込めるための檻と化す。
更には、その十字の光のすべてに<聖覇魔道>の門魔法陣が出現した。
「これが<狩場十字>だ」
<鬼門創造神炎>と<鬼門破壊神氷>が次々と門魔法陣から現れ、光の檻を覆い尽くしていく。
そしてその檻は、ミーシャとサーシャを中心に狭まり始めた。絡み合う真っ白な氷雪と炎は、みるみる二人に近づいてくる。
ミーシャが雪月花を吹雪かせても、サーシャが黒陽で灼こうとも、その檻はびくともしない。
サーシャは、そっとミーシャの手をとった。
「<深源死殺>でこじ開けるわ。コーストリアをお願い」
こくりとうなずき、ミーシャは頭上を見上げた。
「あそこが一番、薄い」
サーシャは握った手に力を入れる。
瞬間、二人はまっすぐ檻の上部へ突っ込んだ。
サーシャの指先が、漆黒に染まっていく。<狩場十字>の一番薄い箇所へ、彼女は渾身の力で叩きつける。
「<深源死殺>ッ!!!」
バチバチと音を立て、白い火の粉と雪が舞う。漆黒の爪を突き立てながら、歯を食いしばり、彼女はぐっと腕を押し込んだ。
「空きなさいよっっっ!!!」
黒き指先が檻を貫き、僅かに空が見えた。
暗雲の立ちこめる空が。
『<魔深流失波濤砲>』
エレネシアの戦艦から主砲が発射される。
遙か彼方から青き魔弾が降り注ぎ、張り巡らせた<狩場十字>ごと、檻の外に出ようとした二人を撃ち抜いた。
青き光が爆発し、その場の大気をかき混ぜる。
暴風と爆炎が渦を巻きながら、辺り一帯を吹き飛ばしていた。
「成敗」
聖剣の血降りをして、レッグハイムはくるりとその身を反転させた。
そのまま下降しようとすれば――
「――おあいにくさま」
「なにっ……?」
振り向いた瞬間、レッグハイムの両手両足が、雪月花によって凍結される。
「大砲一発で終わると思ったかしら?」
彼が見たのは、爆炎の中心に佇む二人の少女だ。
制服はボロボロになり、傷を負ってはいるものの、致命傷というほどではない。
「ちぃっ……!!」
白き炎を全身に纏い、レッグハイムは雪月花の氷を溶かす。
「<鬼門創造神炎>、<鬼門破壊神氷>!!」
凍結を解き、自由になるや否や、奴は白き炎と白き氷雪を撃ち放った。
迎え撃つ双子の姉妹は、互いに手をつないでいる。
「<深魔氷>」
「<深魔炎>」
<深印>を組み込んだ深層魔法。<獄炎殲滅砲>は深化しないため、<深印>を使った場合は、この二つの魔法の方が上位に来る。
それでも、聖剣世界の深層大魔法に迫るほどの威力はない。
だが、彼女らにはその先がある――
「「<深混合同化> 」」
波長の違う魔力同士を結合させることにより、強い魔法反応を生み、元の魔力を十数倍に引き上げる基礎融合魔法<混合同化>。
<深印>を組み込み深化したそれが、<深印>を組み込んだ深層魔法同士を結合させ、桁違いの魔力反応を生み出す。
先の<魔深流失波濤砲>を阻む防壁となったその魔法は――
「「<深魔氷魔炎相克波>ッ!」」
闇を秘めた炎と魔を宿した氷が交わる。
銀に輝く氷炎一体の魔法波は、レッグハイムの放った<鬼門創造神炎>と<鬼門破壊神氷>を飲み込み、<聖覇魔道>の門魔法陣を粉々に破壊していく。
「……ばっ…………!」
押し迫った氷炎に声はかき消され、<深魔氷魔炎相克波>がレッグハイムを飲み込んだ。
その全身は燃やされると同時に凍りつき、根源すらも凍傷と火傷を一度に負う。凍結と燃焼が一瞬の内に幾度となく繰り返されていた。
<深魔氷魔炎相克波>は強力だが、レッグハイムの<聖覇魔道>ならば、その弱点を作り出すことができる。
ゆえに二人はぎりぎりまで手の内を隠していたのだ。
魔法の直撃を受け、落ちていったレッグハイムは、受け身をとることさえできず、地面に激しく衝突した。
意識を手放したかのように、奴はぐったりとそこに倒れた。
「氷の繭」
ぱちぱちとミーシャが二度瞬きをすると、<創造の神眼>がレッグハイムを繭で覆っていく。
これで、しばらくは抵抗できぬだろう。
そのとき、パリンッと氷の割れる音がした。
はっとしたようにサーシャが振り向けば、コーストリアの腕が氷の繭を破り、突き出されていた。
「……やってくれたわね……」
不愉快そうな声が響き、コーストリアがその手を開く。
中には、眼球があった。獅子の魔眼だ。
「<獅子災淵――」
それはナーガの滅びの魔法。
<転写の魔眼>にて、複製していたのだ。
至近距離、サーシャは<終滅の魔眼>を光らせる。だが、僅かに遅い。
滅びの魔法が撃ち放たれようとしたそのとき、突如、浮遊していた獅子の魔眼が凍りついた。
ひらり、ひらり、と雪月花が天から舞い降り、伸ばしたコーストリアの手が凍結された。
「……な、に……このっ……!!」
苛立ちの声は遮断され、再び彼女は氷の繭に閉じ込められる。
彼女が現在転写している<獅子災淵滅水衝黒渦>は、滅びの黒水。
影響が広範囲に及ぶこともあり、閉じ込められた状態で使えば、自らをも滅ぼす危険がある。
ましてコーストリアは本来の使い手ではない。
氷の中にいる限りは、無闇に撃つことはできまい。
「……ミーシャ……今の……?」
不思議そうにサーシャが妹を振り向く。
そばに飛んできた彼女は、ふるふると首を左右に振った。
「わたしじゃない」
「……それって……」
ミーシャは雪月花を使う余裕がなかった。
だが、それは確かに空から降ってきて、サーシャを守ったのだ。
二人は頭上を見上げた。
遙か黒穹、そこにいたはずのエレネシアの戦艦は銀泡の外へ離脱していた。
ミリティア世界に降る雪が、優しく二人に舞い降りて――