切り札の人形
「ゼシアッ! 飛んでっ!」
エレオノールの言葉と同時に、ゼシアは<飛行>で飛び上がった。一直線に飛来した滅びの黒球は狙いを外すも、まるで彼女を追尾するかのようにかくんと曲がった。
エレオノールが素早く魔法陣を描く。
「<深聖域羽根結界光>!」
コウノトリの羽が舞い、魔を阻む聖なる結界がゼシアの壁となる。
だが、ボボンガが放った<獅子災淵追滅壊黒球>は、その結界をバキバキと破壊し、なおもゼシアに押し迫った。
逃げ続けるゼシアに、ボボンガは異形の右腕を大きく振り上げ、黒爪を伸ばそうとする。
「ふん。逃げられると思ったか」
「よそ見してんじゃないよ」
ドドドドッと魔力石炭をボボンガの体に撃ち込み、ベラミーは大きく魔追を振りかぶった。
「――<打炭錬火>!!」
炎がボボンガを包み込み、その身を焦がす。
だが、奴は怯まない。
「邪魔だっ!」
異形の右腕がしなるように、横薙ぎに振るわれる。飛び退いてベラミーがそれをかわせば、援護射撃とばかりに、エレオノールの<聖域羽根熾光砲>が降り注ぐ。
そのすべてを被弾しながらも、ボボンガは力尽くで獅子黒爪を伸ばす。
「重魔槌、秘奥が肆――」
ズン、とベラミーの足が床にめり込む。
その魔槌の重量が急激に増幅していく。
「重打練剣っ!!」
黒爪に、魔槌が振り下ろされ、床に叩きつけられた。
「ぬ、ぐっ……!」
ボボンガが右腕を持ち上げようと力を入れる。
だが、魔槌に押さえつけられた黒爪は、途方もない重量の重しを乗せられているかのように、ぴくりとも動かせない。
「右腕を切り離しちまいなっ、エレオノール!」
「<疑似紀律人形>ッ!」
四体の<疑似紀律人形>が生み出され、軍勢鎧剣ミゼイオリオスで武装される。
「いっけぇっ!」
上方からまっすぐおりてきたその人形たちは、ミゼイオリオスの剣をボボンガの肩口めがけて振り下ろす。
奴は左腕で迎え撃った。
「人形風情がっ!」
鮮血が散った。
二体の<疑似紀律人形>が吹っ飛ばされ、二本の剣がボボンガの肩にめり込んだ。
肉を斬り裂き、骨まで刃が達しているが、まだ切断にはいたらない。
「雑魚どもが!」
ガタガタと震動が響き、重魔槌に押さえつけられているはずの右腕が僅かに動いた。ベラミーが険しい表情をしながら、魔力と膂力を振り絞り、押さえつけようとする。次の瞬間、重魔槌が粉々に砕け散った。
ボボンガは全身を回転させ、とりついていた二体の<疑似紀律人形>を弾き飛ばす。
「お前からだ、ガキ! 序列戦の借りを返してくれるわっ!」
異様なまでの執着心で、ボボンガは上空のゼシアを睨む。
彼女は<獅子災淵追滅壊黒球>を避け続けている。反魔法をどれだけ破壊し、何度避けられようとも、その黒球はどこまでも執拗に追ってくる。
恐らく目標を滅ぼすまで止まることはあるまい。
全速力で逃げるゼシアの進行方向へ、ボボンガは右腕を突き出す。
黒き異形の右腕から、黒爪がぐにぃと伸びてゼシアの脇腹をかすめた。
真っ赤な血が、上空から雨のように降り注ぐ。
「ゼシアッ!!」
エレオノールが叫びながら、彼女の救出へ向かう。
同時に、ベラミーはある物をゼシアに向かって投擲した。
「――使いなっ!」
飛んできた物体をゼシアはキャッチする。
それは、赤いわら人形だ。禍々しい鋼線が巻き付いていた。
「ボボンガの髪の毛を埋め込んである。そいつに釘を打てば――」
地面に着地したゼシアのもとへ、ボボンガが待っていた言わんばかりに突っ込んでいく。
頭上からは<獅子災淵追滅壊黒球>が、エレオノールの張ったいくつもの結界を破壊しながら、降り注いできている。
「逃げられると思うな」
「逃げる……なしです……!」
宙に舞っていた複製剣の一本が五寸釘へと変化し、ゼシアが手にしていた緋翔煌剣エンハレーティアが光とともに、ハンマーへと変わった。
「ゼシアは……戦います……!」
赤いわら人形の肩――右腕の付け根に五寸釘を刺し、ゼシアは思いきりハンマーを打ちつけた。
「ぎゃあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」
と、赤いわら人形が、どこかで聞き覚えのある声を上げる。
それと同時だ。
「があぁぁっ……!!」
猛突進を仕掛けていたボボンガの足が止まる。
右腕の付け根から血が溢れ出していた。
「パリントン人形の呪いは効くだろう? なにせ、元ルツェンドフォルト元首の根源が、材料だから――ねぇっ!!」
すかさず、ベラミーが魔力石炭を魔法陣から射出する。
ボボンガは振り向き、口を大きく開いた。
「かあぁぁっ!!」
<災炎業火灼熱砲>が魔力石炭を飲み込み、大爆発が発生する。咄嗟に反魔法を張ったベラミーは、しかし吹き飛ばされた。
「うっぎゃああああああああぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」
再びゼシアがパリントン人形に五寸釘を打ち込み、ボボンガの腕の付け根から血が溢れ出す。
「ぐ、ぬぅ……それが、どうしたぁぁっ……!!」
奴は構わず、負傷した右腕を突き出した。
滅びの獅子の黒爪が伸びる。咄嗟に回避しようとしたゼシアだったが、僅かに遅い。その右胸を容赦なく貫かれた。
「……ぁっ…………!」
赤い血が滲む。
黒き爪は彼女の根源に突き刺さっていた。
「捕まえたぞ。もう離さん。終わりだ」
無慈悲な宣告とともに、ボボンガは僅かに頭上を見た。エレオノールの<深聖域羽根結界光>がすべて砕かれ、<獅子災淵追滅壊黒球>が降り注ぐ。
黒爪に貫かれたゼシアに、回避する術はない。
「ゼシアッ!!」
必死にエレオノールが空を飛ぶが、滅びの黒球には追いつけない。
「……現実……蜂蜜漬け……です……!」
黒爪に縫い止められながらも、ゼシアはハンマーを振り上げる。
だが、<獅子災淵追滅壊黒球>の方が早い。
それは冷たい滅びの気配を漂わせながら、幼い体に猛然と牙を剥いた。
黒き光が弾け、船内を闇が覆い尽くす。
獅子黒爪アンゲルヴで根源を貫かれた上、その滅びの黒球が直撃すれば完全に滅する。
だが、ゼシアは無事だった。
「やれ……やれ…………」
間に飛び込んだベラミーが、その全身を盾にして、<獅子災淵追滅壊黒球>を受け止めていたのだ。
張り巡らせた反魔法という反魔法がいとも容易く砕け散り、ベラミーの全身から血が溢れ出す。
直撃した黒球は彼女の体の中で暴れ回り、その根源をグシャグシャに破壊していく。
彼女の滅びは目前だ。
にもかかわらず、ベラミーは不敵に笑った。
「……やっちまいな……」
瞳に闘志を燃やし、ゼシアがハンマーを思いきり振り下ろす。
ありったけの魔力がそこに集中した。
「<深撃>ッ!!」
五寸釘がパリントン人形に更に深く突き刺さると、その不気味な悲鳴とともにボボンガの異形の右腕が、付け根から千切れ飛んだ。
「がっ……あ、うがああああああああああああああああああああああぁぁぁっ…………!!」
宙を舞うエンハレーティアの複製剣が、切り離された右腕とボボンガの体に次々と突き刺さっていく。
「あ……がっ……は…………」
ぐらりとボボンガの体が傾き、床に倒れた。
「<深聖域羽根結界光>ッ!」
すかさずエレオノールの結界が、異形の右腕とボボンガを幾重にも取り囲み、両者を隔離した。
ボボンガは動けない。
全身に力を入れ、拘束を振り払おうとしているが、その傷ついた体では結界を破壊することができなかった。
「……おのれぇぇ……!」
斬り離された獅子の右腕は、それでも動いた。
結界を破ろうと、黒緑の魔力を発せられる。
「……だめ……ですっ……」
ゼシアがパリントン人形に五寸釘を打ち込むと、異形の右腕が動きを鈍くした。すぐさま、エレオノールが結界を重ねる。
「……お、おの、おの……れ……」
血走った魔眼で、ボボンガはゼシアを恨めしそうに睨む。
その表情は屈辱に染まっていた。
「おのれぇぇぇぇ……!!! 体が……あればぁぁ……完全体で生まれていればぁぁ、貴様なんぞにぃぃっ……!」
「静かに……です……!」
ハンマーが撃ち込まれ、五寸釘がパリントン人形に突き刺さる。
「がっはぁぁっ……!!」
更に多重にエレオノールの結界が重ねられ、声さえも遮断された。
このままパリントン人形を使い、結界を張り直し続ければ、しばらくは無力化することができるだろう。
「…………やれやれ……」
ドスン、とその場に腰を落とし、ベラミーは仰向けに倒れた。
右腕を切り離したことで、<獅子災淵追滅壊黒球>が消え、かろうじて生き延びることができたのだ。
だが、滅びの獅子の力で傷つけられた根源はすぐには回復しない。
これ以上の戦闘は不可能だろう。
「……歳だねぇ……ヤキが回っちまったよ……」
ゼシアに<獅子災淵追滅壊黒球>が迫ったとき、ボボンガの右腕はもう切り離せる寸前だった。
ベラミーの力ならば、単独でもそれが可能だっただろう。
ゼシアを見殺しにしさえすれば。
「……ばぁば……」
とことことゼシアが、ベラミーに駆け寄っていく。
エレオノールはふわりと空からおりてきた。
「……あんたらの勝ちだよ……」
ベラミーが言う。
「だけど、あたしとボボンガをやった程度じゃ、なにも変わりゃしないさ。ただ被害が増えるだけじゃないかねぇ」
「ぜんぶ勝つぞ。滅びの獅子も五聖爵も、聖王も祝聖天主も災人も、ぜんぶ。ボクたちの仲間が倒す」
こくりゼシアはうなずき、エンハレーティアを掲げる。
「蜂蜜漬け……です……」
傷ついた体で、彼女は踵を返す。
外の戦いは、まだ終わっていない。
エレオノールは銀水船の上で戦闘中の<疑似紀律人形>に視線を向け、鎧剣軍旗ミゼイオンを掲げた。
「どんな敵が相手だって、ボクたち魔王軍は常勝無敗なんだ」
切り札は、呪いのわら人形――