魔女の武器
バーディルーア工房船内部。
長く伸びた、赤黒い五本の爪――獅子黒爪アンゲルヴをエレオノールの結界が受け止めていた。
ボボンガの魔力は凄まじく、ミシミシと<深聖域羽根結界光>が軋む音が聞こえる。
奴がぐっと力を入れれば、更に亀裂が入る。
いつ突破されてもおかしくはない。
「今だけでいい――」
エレオノールは、背後のベラミーに語りかける。
ボボンガが空けたどでかい穴からは、空が見える。銀水船に幻魔族たちがわらわらとたかっており、その物量の前に狩猟貴族たちは防戦一方だ。
船が落ちるのは時間の問題だろう。ハイフォリアの援軍は間に合うまい。
「――力を合わせて、滅びの獅子と幻魔族たちを撃退しよう。このままじゃ、みんなやられちゃうぞ」
「力を合わせるのは簡単だろうねぇ」
皮肉めいた表情でベラミーは言う。
「で、その後はどうするんだい? あたしたちとあんたらで、おっ始めようってのかい?」
「後なんてないぞ」
結界を突き破ろうとする黒爪を睨みながら、エレオノールは答えた。
「ボクたちの勇者と、魔王様がそれまでに必ずこの戦争を止めてくれる」
「自分の世界の元首を信じるのはけっこうなことだよ。あたしたちは、みんなそうさ。ハイフォリアは災人を狩れると信じているし、イーヴェゼイノはハイフォリアを食らうつもりだ。そう甘かないよ」
「それでも……」
「なにをごちゃごちゃ喋っている!」
ボボンガの声とともに赤黒き粒子が渦を巻き、黒爪の魔力が増大した。
「まとめて死ぬがいいわ! 雑魚どもめ!」
アンゲルヴが結界を貫き、<深聖域羽根結界光>は粉々に砕け散った。
エレオノール、エンネスオーネ、ベラミーは寸前のところで、黒爪を回避する。
「ベラミー、ボクたちは……!」
「ゼシアは……甘いが……好きです……!!」
丸腰のまま、ゼシアは空を飛び、ボボンガに突っ込んでいく。
奴はニヤリと笑い、獅子黒爪アンゲルヴを光らせる。
「およしっ!!」
ベラミーの制止を聞きもせず、ゼシアは更に加速した。
「<災炎業火灼熱砲>」
黒緑の火炎が広範囲にバラまかれる。ゼシアは大きく迂回するように飛行してそれを避け、床に着地する。飛び込むようにボボンガへ突撃した。
ベラミーが魔法陣を描き、そこに手を突っ込んだ。
「現実……甘くない……なら……」
拳に魔力を溜め、ゼシアが走る。
「……蜂蜜漬け……です……!」
「ふん」
一瞬の交錯、ボボンガの獅子黒爪アンゲルヴがゼシアの胸に突き刺さった。
溜飲を下げるように、ボボンガは笑みを覗かせる。
「ガキめ。楽に死ねると思うな。序列戦で舐め腐った真似をしてくれた分は倍にして――」
言いかけ、奴は視線を険しくする。
ゼシアの胸から光がこぼれる。
数本の聖剣が、ボボンガの黒爪を遮っていた。
「舐めて……ません……!」
足で黒爪を蹴飛ばし、跳ね返ったゼシアは床に足をつく。
その右手には、緋色に光り輝く聖剣が握られていた。
浅層世界のものと比べれば、桁外れの魔力を有している。それは鍛冶世界バーディルーアが元首、よろず工房の魔女が鍛えし刃。
「まったく、子供には勝てないねぇ」
ため息交じりに、ベラミーが言った。
彼女は間一髪、その聖剣をゼシアに投げ渡したのだ。
「それがどうした? くたばりぞこないのババアが!」
ボボンガが口を開き、そこに魔法陣を描く。
両手で描いた魔法陣とともに、ベラミーとエレオノール、ゼシアめがけて、<災炎業火灼熱砲>を乱れ撃った。
ゼシアが緋色の聖剣を構えれば、宙には数十本もの聖剣が複製され、舞うように飛んでいく。
「青臭い若造だねぇ。年寄りを舐めるんじゃあないよ」
別方向に放たれた黒緑の火炎が、悉くゼシアの聖剣に切断されていく。
「緋翔煌剣エンハレーティア。ボボンガ、あんたに教えてやるよ。鉄火人の本当の力を」
ゼシアが地面を蹴った。
「行き……ます……!」
手にしたエンハレーティアが輝くと、数十本の複製剣がくるくると回転しながら宙を舞い、ボボンガを包囲していく。
かつてゼシアが使っていた光の聖剣エンハーレの場合は、複製された剣を彼女の動作と連動させることでしかまともに動かせなかった。
だが、ベラミーが鍛え直した緋翔煌剣エンハレーティアはそれぞれが意思を持ったかのように飛翔する。
「それがどうしたと言っている!」
光の複製剣を、ボボンガは獅子の右腕でつかみ、ぐしゃりと握り潰す。
「残らずひねり潰してくれるわ」
次々と複製剣がボボンガに斬りかかるが、しかしどれもその右腕に阻まれる。ゼシアはエンハレーティアを握りながらも、動き回り、奴の隙を窺っていた。
数秒間、戦闘が膠着状態に陥ったそのとき、警戒するようにベラミーが魔眼を光らせた。
外にいる幻魔族たちが、工房船に乗り込もうとしている。
「エレオノール」
魔法陣からベラミーは緋色の旗を引き抜く。
棒の部分は槍のように長い。
「鎧剣軍旗ミゼイオン。あんたに合わせた武器さ。深淵を覗けば、使い方は軍旗が教えてくれる」
差し出されたミゼイオンを、エレオノールは受け取る。
「あんたに渡すのは、分の悪い賭けだがねぇ」
ボボンガを倒せば、ベラミーとエレオノールは完全に敵対関係となる。
後々のことを考えれば、武器を渡すのは得策ではあるまい。
そのリスクを負って、彼女は賭けに出た。
「絶対、止めてみせるぞっ」
幻魔族の一人が、工房船へ乗り込んできた。
そいつは凶暴な爪を伸ばし、ボボンガと対峙するゼシアに背後から迫る。
「いっくぞぉぉーっ!」
振り下ろされた旗が、緋色の魔法陣を描く。
それが空間を湾曲させ、幻魔族を工房船の外へ吹っ飛ばした。
だが、幻魔族たちは次から次へと、どでかく空いた穴から乗り込んできた。
ざっと見たところ、約二〇。その背後――空には一〇〇を超える数の幻魔族と、五匹の災亀が迫っている。
幻魔族たちは、エレオノールを敵と捉えるや否や、すぐさま襲いかかってきた。
「エンネちゃん」
「うんっ!」
<根源降誕母胎>により、一〇〇二二羽のコウノトリが飛び上がる。エンネスオーネの体が光り輝き、背中の翼がぐんと延びた。
「<聖体錬成>」
出現した千の聖水球にコウノトリの羽が舞い降り、ゼシアによく似た少女たちが生まれていく。
約二〇〇体だ。
「幻魔族たちを撃退するぞ、<疑似紀律人形>!」
エレオノールは手にした軍旗を大きくはためかせる。
旗が緋色に輝いたかと思えば、<疑似紀律人形>の体が同じ色に光っていた。
鎧剣軍旗が生み出したのは、緋色の聖剣と聖なる鎧だ。
剣と鎧の一つ一つが、他の剣と鎧に共鳴するように光っていた。
「軍勢鎧剣ミゼイオリオス。魔力の波長を同調させればさせるほど、同調する数が増えれば増えるほど、力を発揮する剣と鎧さ。人形使いにはおあつらえ向きの武装でねぇ」
「やっちゃえ!」
二〇〇体の<疑似紀律人形>が一斉に幻魔族を強襲した。
無論、個々の力は深層世界の幻魔族らが勝る。しかし、それを差し引いてもなおベラミーが作った軍勢鎧剣ミゼイオリオスは強力だった。
倒されても魔力がある限り生み出すことのできる<疑似紀律人形>は、捨て身で幻魔族たちに迫り、ミゼイオリオスの剣によって奴らをあっという間に撃退した。
「銀水船の幻魔族も追い払うぞ」
<聖体錬成>により、更に<疑似紀律人形>を生み出しながら、エレオノールは彼女たちを銀水船に向かわせた。
合計一〇〇〇体。
それだけの数がいれば、このエリアの戦局は覆せるだろう。
問題は――
「ふん」
ボボンガが黒き指爪に魔力を集める。
エンハレーティアの複製剣が次々と奴の体に突き刺さっているが、黒緑の血がそれを腐食させ、まるで意に介さない。
「調子に乗るなよ、雑魚どもが」
赤黒き魔力が集中し、それが魔法陣を描く。
工房船ががたがたと揺れ、天井の破片が降り注いだ。
<極獄界滅灰燼魔砲>級の魔力が解き放たれようとしていた。
「ゼシアッ、あれは撃たせちゃだめだぞっ!」
鎧剣軍旗ミゼイオンを振り下ろし、エレオノールが魔法陣を描く。<根源降誕母胎>の魔力をかき集めた。
「<聖域羽根熾光砲>!」
コウノトリの羽が舞い、光の砲弾が撃ち放たれる。それがボボンガの土手っ腹に直撃したが、やはり黒緑の血がそれを腐食させた。
ダメージがないわけではない。
だが、奴は防御を捨てて、その大魔法を行使することに専念している。
「させま……せんっ!」
ゼシアが飛び込み、複製剣で次々とボボンガを串刺しにする。それを目くらましにしながら、彼女は飛び上がり、奴の両目に本命のエンハレーティアを一閃した。
だが、寸前のところで身を低くして、ボボンガはそれをかわす。
切断されたのは僅かに髪数本だ。
「髪を切ったからなんだ、このガ――がぶぅっ!!」
死角から飛び降りてきたベラミーが、渾身の力で魔力石炭と魔槌を脳天に叩きつける。
<打炭錬火>により、魔力石炭が勢いよく燃え上がり、その炎は傷口を通して、奴の根源を焦がしていく。
だが、それでも奴は倒れず、血を流しながらも不気味に笑う。
その黒爪には、完成した魔法陣があった。
魔力が荒れ狂い、赤黒き粒子がどっと溢れ出す。
「<獅子災淵追滅壊黒球>」
滅びの魔法が撃ち放たれた。
牙を剥く滅びの獅子の大魔法――