叡爵の剣
災淵世界と聖剣世界が交わる大地――
魔王の右腕シン・レグリアとガルンゼスト叡爵が対峙していた。
「白陽剣ロゼス」
ガルンゼストが手を伸ばせば、白い陽光とともに聖剣が召喚された。
先程、投擲したものを回収したのだ。
そうして、ロゼスの剣身を水平にし、検分するように目の高さにまで上げた。
「不可解ですね」
ガルンゼストがぽつりと呟く。
その魔眼は鋭く光り、刃を見据えている。太陽の如き輝きを発する聖剣には、僅かに陰りがあった。刃こぼれしているのだ。
「貴公の魔力は多く見積もって深層二一層といったところ。その魔剣が名工の逸品だったとして、<爆陽>を防ぐには至りません」
奴は聖剣を下ろし、その魔眼にてシンの深淵を覗く。
白陽剣が秘奥を破ったそのカラクリを、警戒しているのだろう。
「貴公の剣技になにか秘密があるのでしょうか?」
「確かめてみますか?」
静かに言い、シンはゆるりと足を踏み出した。
「その身をもって」
二歩目で一気に加速し、シンは間合いを詰める。下段から、顔面を薙ぐように屍焔剣ガラギュードスが疾走した。
予備動作のまるでないシンの歩法に一切動じず、ガルンゼストは上段から白陽剣ロゼスを振り下ろす。
二つの剣閃が交錯し、一方が打ち払われた。
ガルンゼストの白陽剣ロゼスだ。
「……ぬっ!」
素早く剣を返し、シンは屍焔剣を突き出す。
その刃を凝視しながら、ガルンゼストは見切ってかわす。僅かに体勢が崩れたところに、シンの魔剣が追い打ちをかける。
袈裟懸けに、閃光が走った。
「秘奥が参――<堅>」
振り下ろされたガラギュードスを、ガルンゼストは守護剣の防壁にて受け止める。
だが、刃と衝突した瞬間、屍焔剣の威力が爆発するように増加し、ガルンゼストの守護剣が押し込まれる。
奴は素早く白陽剣ロゼスを手放し、鞘から守護剣を引き抜いた。鍔迫り合いをしている守護剣に、もう一本の守護剣を当て、交差させる。
そのまま奴が勢いよく押し返せば、受け流すようにシンは剣を引き、間合いを取った。
静かに睨み合う両者。
ガルンゼストが、片方の聖剣を頭上の上で、もう片方を胸の前で構える。
「……なるほど。<深撃>ですか」
察するや否や、ガルンゼストは瞬時に攻撃へと転じる。躊躇なく、シンの間合いへ踏み込み、守護剣を振り下ろす。
シンがそれを打ち払うと同時、空いた銅へもう一本の守護剣が突きを繰り出す。しかし、シンは身を捻りつつ、屍焔剣にて受け流す。
左胴。右胴。突き。突き。袈裟、左切り上げ。突き。双剣による猛攻を、シンは一本の剣で捌いていく。
ハイフォリア最強の剣士たるガルンゼストの剣は容赦なく、いかにシンとて、まともに一太刀受ければ致命傷になりかねない。
留まることなき剣撃の嵐の真っ只中、しかし、彼は涼しい顔をして更に一歩を刻んだ。
間合いが縮まり、両者の打ち合いがますます激化する。変幻自在に疾走する守護剣を捌きに捌き、双剣が交差した一瞬を見切り、シンは二本の聖剣を同時に打ち払った。
無防備になったガルンゼストへ迫るシン。だが、それは誘いだ。一歩足を引き、奴は素早く体勢を立て直すと、突進してくるシンの出鼻を挫くように守護剣を突き出した。
シンの体が陽炎のようにブレて、ガルンゼストの前から消える。その歩法にて敵を幻惑し、彼は叡爵の後ろを取っていた。
「<聖覇護道>」
シンが魔剣を振り下ろせば、そこに<聖覇護道>の魔法線が出現する。その線をなぞるかのようにガルンゼストの守護剣が走り、屍焔剣の威力を受け流す。
反転し、奴がもう片方の守護剣を振るえば、シンは後退してかわす。
二人の距離が、剣の間合いから離れた。
じっと叡爵が、シンの顔を見つめる。
奴はゆらりと双剣を下げた。
「私は五聖爵が一人、叡爵ガルンゼスト。ハイフォリア一の剣の使い手と自負しております」
戦闘の最中、しかしガルンゼストは丁寧に名乗りを上げた。
「貴公の名とミリティアでの爵位をお聞かせ願えますか?」
「シン・レグリア」
静かに彼は名を告げる。
「爵位はありません。我が君、暴虐の魔王アノス・ヴォルディゴードの右腕とご承知を」
「素晴らしい剣の冴えにございます、シン殿」
それが狩猟貴族として強者への作法とばかりに、ガルンゼストが褒め称える。
「元首アノスが改良した<深撃>は、火露を触媒とせぬため魔力の消耗が大きいご様子。その欠点を補うため、貴公は斬撃の瞬間にのみ<深撃>を行使している」
<深撃>は打撃や剣撃を、より深淵へ至らせる魔法。つまり、必ずしも常時発動する必要はない。
シンが行っているのは、まさに刃が触れるそのとき、斬撃の刹那にのみ<深撃>を発動することだ。
そうすることで、魔力の消耗が激しい<深撃>での打ち合いを可能にしている。
「ならばと攻め手に転じましたが、貴公は私の剣を完全に見切り、<深撃>の防御にて捌ききりました」
戦闘中、敵は常に動き続ける。斬撃の瞬間のみ<深撃>を使うといっても、言うは易し。まして、守勢に回れば尚のことだ。敵は様々な駆け引きを行い、虚実入り乱れた攻撃を繰り出してくる。
その剣筋、速度、魔力や秩序をすべて見切らなければ、瞬間的な<深撃>で防ぐことは不可能だ。
一瞬でも<深撃>を行使するタイミングを誤れば、相手の聖剣を受けきれず、死ぬことになるだろう。なおかつ、それを剣戟と連動させなければならない。
<深撃>に気を取られればガルンゼストの双剣に斬り裂かれ、逆に剣戟に意識を持っていかれれば、今度は力尽くで弾き飛ばされる。
ただ剣を防ぐよりも遙かに難しいその業を、シンはいとも容易くやってのけた。
「聖王陛下の命により、早々に片をつけねばならないところではございますが、聖剣世界の剣士と比較しても、並々ならぬ腕前。どうやら気を急いて仕留められる獲物ではなさそうです」
ガルンゼストは、二本の聖剣をゆったりと構えた。
「我が護道のすべてをもって、お相手いたしましょう」
叡爵から攻め気が消える。
その構えが彷彿させるのは、揺らぐことなき巨大な山だ。
これまでは霊神人剣をハイフォリア側へ落とすという命令が最優先だったのだろう。
だが、シンを手強しと見た奴は、目の前の戦いに全力を注ぐことに意識を切り替えたのだ。
その双剣には一分の隙もない。
護道という言葉通り、護身こそが奴の剣の真骨頂だと言わんばかりに。
シンが打って出なければ、膠着状態に陥る。
だが、人員の少ない魔王学院。シンの実力からして、自分を倒し、他の者の援護に回るため、必ず仕掛けてくると睨んだのだろう。
そして事実、シンは迷いもせずに、ガルンゼストの間合いへ歩を進めた。
「<聖覇護道>」
ガルンゼストの周囲に無数の魔法線が構築される。
シンが屍焔剣ガラギュードスを振り下ろす。<深撃>の一撃を、ガルンゼストは二本の守護剣にて受ける。
刃と刃が衝突した瞬間、シンはくるりと身を反転する。
打ち払われた衝撃を利用するかのように身を沈め、叡爵の足下をめがけて一閃する。
だが、それも守護剣に阻まれる。
低い姿勢から、今度はガラギュードスの突きがガルンゼストの顎を狙った。
寸前のところで奴はそれを回避すると、更に間合いを詰め、肩から体当たりするようにシンを当て身で弾き飛ばす。
剣の間合いまで離れた一瞬を見逃さず、左手に屍焔剣を持ち替えたシンは、ガルンゼストの死角から頭部へ横薙ぎに刃を煌めかせた。
だが、<聖覇護道>の魔法線が走り、そこを通るように守護剣が現れる。
ガギィッと音が鳴り響き、見えていないはずの攻撃をガルンゼストは受けきった。
シンが着地し、ゆっくりと消えていくその魔法線に魔眼を向ける。
「……<聖覇護道>は、剣の通るべき道を示すようですね」
「その通りです」
二本の守護剣を構え、ガルンゼストはシンを見据える。
「この身を護るため、<聖覇護道>は剣の護道を指し示す。いかなる力、いかなる速さ、そしていかなる駆け引きをも、この正しき道がある限り、私には通じません」
恐らくは、秩序に適った剣の道筋だろう。
コーストリアとナーガ。アーツェノンの滅びの獅子二人がかりの攻撃すらも凌いだ護りは並大抵のものではない。
<聖覇護道>を通る刃は、平素よりも速く、鋭く、強い。その上死角はなく、ガルンゼストの技量も相まって、まさに鉄壁と化している。
完全に守勢に回った叡爵を、崩せる者はそうざらにはいまい。
「正しき剣の道ですか」
シンはまた足を踏み出す。
ゆらりと剣先を揺らしながら、躊躇なくガルンゼストへ向かっていく。
彼は言った。
「その護道、本当に正しいのか、この千剣にて確かめて差し上げましょう」
鉄壁なる護道、切り崩せるか――