理想と現実
ハイフォリア空域。
バーディルーアの工房船が煙を噴きながら飛んでいた。ハイフォリアの銀水船八隻と隊列を組み、交戦地帯へと向かっている。
船内に描かれた魔法陣には、災淵世界と聖剣世界の交わるところ、合一エリアの状況が映し出されていた。
ハイフォリアとイーヴェゼイノ、そしてミリティアの魔王学院が、今まさに三つ巴の激しい戦闘を繰り広げている。
「――しかし、正気の沙汰とは思えないねぇ」
船内の工房にて、バーディルーアの元首ベラミーが言った。
「災淵世界が突っ込んできたんだ。もうここまで来たら止まりゃしないよ。バルツァロンド君も、あんたんとこの元首も、どうかしちまったんじゃないかい?」
彼女の大槌が、床に突き刺さっている。
破壊された床は再構築され、そこには牢獄ができていた。
中に閉じ込められているのは、一人の少女と二人の子供。エレオノール、ゼシア、エンネスオーネである。
「なあ、エレオノール」
牢獄は頑丈だ。
反魔法も多重に張り巡らされている。
それでも、エレオノールは、自分たちの力ならば、壊せると理解しているだろう。
それをすれば、ただちにベラミーと交戦することになるというのも。
「あんたが悪いとは言わないよ。兵士は上に従うものさ。意に沿わない命令だってごまんとある」
言いながら、ベラミーは牢獄の前まで歩いていく。
「あたしも歳でねぇ。自分の膝の上に乗せた子供に大槌を振るうのは忍びない」
彼女はしゃがみ混み、鉄格子の隙間からゼシアの頭を撫でた。
「ゼシア、あんたはばぁばと戦いたいのかい?」
ゼシアはぶるぶると首を左右に振った。
「……ばぁば、戦う……なしです……」
ベラミーはくしゃっと顔を崩し、笑った。
「安心おし。ばぁばがなんとかしてやろうじゃないか」
そう口にして、彼女はエレオノールへ視線を向ける。
「あんたらは捕虜になった。悪いようにはしないさ。それでいいだろう?」
この牢獄から出なければ、魔王学院が負けようとも、手厚く扱う。だから、大人しくしていろという意味だろう。
エレオノールは思い詰めた表情を浮かべる。
「……ベラミー。ボクたちは」
言葉を遮るように、ベラミーはすっと立ち上がり、踵を返す。
「死ぬのは老い先短い老人だけで沢山さ」
そのとき、爆発音が大きく鳴り響き、工房船が揺れた。
ベラミーは<遠隔透視>の魔法陣に魔力を送り、映像を切り替える。
周囲を飛んでいた銀水船八隻から黒煙が上がっていた。
次々と銀水船にとりついていくのは、イーヴェゼイノの幻魔族だ。ハイフォリアの秩序が働く場所だというのに、構わず突っ込んできたのだ。
奴らはあっという間に船の甲板に乗り込み、船員に襲いかかる。
「放てっ!」
すかさず、狩猟貴族たちは聖なる矢を射って応戦する。
秩序の恩恵を受けた無数の矢は、ぐんと加速して幻魔族たちに悉く突き刺さった。
「とどめだ!」
狩猟貴族らが聖剣を抜き放ち、一足飛びに間合いを詰める。幻魔族の腕や足、首を斬り裂いた。
だが、止まらない。
切断された箇所から泥のような液体が溢れ、それが代わりの腕や足、首を象った。
幻体だ。
取り憑いている幻獣が、幻魔族に力を与えている。
いや、それだけではない。
「なんだ、こいつらは……」
「……ギ、ギガガ……!」
どれだけ斬っても、矢で射貫こうとも、幻魔族たちは止まらない。
足がなくなろうと、腕がなくなろうと、その根源と魔力がある限り、奴らは獣の如く猛進した。
言葉を忘れてしまったかのように唸り声を上げながら狩猟貴族らに飛びかかり、その牙にて食らいついた。
「ぐ、あ、あぁぁぁっ……!」
肩を噛みきり、幻魔族はその肉を食む。
狩猟貴族はそれを渾身の力で振り払った。
「おのれっ!! とうとう渇望に狂ったか! 獣どもめ! 理性を捨てては戦に勝てぬぞっ!!」
剣でもなく、魔法でもなく、食らう。
とても最善の攻撃とは思えなかったが、どの幻魔族も次々と狩猟貴族に噛みついていく。
まるで獣がそうするかのように。
幻獣が、餌食霊杯に授肉しようとするかのように。
渇望に突き動かされ、幻魔族たちはひたすら突っ込んでいく。
「やれやれ。ありゃ、ちいとまずいねぇ」
その様子を見ていたベラミーが言葉をこぼす。
「いくらハイフォリア側じゃ有利といっても、如何せん数が違う。あたしらも出るよ」
声は船内に<思念通信>で伝わっているのだろう。
すぐに次々とバーディルーアの鉄火人らが、そこに転移してきた。
大槌を担いだ鍛冶師は大半が女性、そして老人である。
「一隻ずつ片付ける。油断するんじゃないよ」
「「「あいよ、魔女の親方!」」」
老鍛冶師らが声を揃え、<飛行>で飛び上がる。天井に設けられた丸い通路を抜け、工房船の煙突から外へ出ていく。
「ベラミー!」
飛び上がったベラミーを、エレオノールが呼び止める。
「約束通り、イーヴェゼイノとはボクたちが戦うぞ。鉄火人は援護だけしてくれればいいから」
真剣な表情のエレオノールに、ベラミーの呆れた視線が突き刺さる。
「馬鹿なことを言い出すんじゃないよ」
ため息交じりに、彼女は言う。
「あんたたちミリティアはあの獣どもを殺すなって言うんだろう? そんな戦い方をしてたら、命がいくつあっても足りやしないね」
「それでも、死ぬのはボクたちだけだ。バーディルーアに迷惑はかけないぞ」
ゼシアとエンネスオーネが大きくうなずく。
「あそこの幻魔族を片付けるまではいいさ。それからどうするんだい? 最前戦では滅びの獅子と五聖爵、魔王学院の幹部連中が派手にやり合ってる。わかってるだろう、エレオノール。あたしは、あんたらを野放しにするわけにはいかないのさ」
ベラミーは<飛行>でゆるりと上昇する。
「もし、その牢獄から一歩でも出たなら、そんときはバーディルーアの元首としてあたしがケリをつけなきゃいけない」
頭の上のゴーグルを魔眼にはめ、彼女は言う。
「大人しくしといておくれよ。あんたらだって元首の馬鹿な理想に付き合わされて、死にたくはないだろう」
ベラミーは勢いよく飛び、煙突をくぐって工房船の外へ出た。
「親方」
鉄火人の一人が、ベラミーの元へ飛んでくる。
「北側の一隻がやばそうです。まずはあそこから――」
瞬間、ベラミーの視界に、高速で飛来する影が映った。
「お避けっ!!」
その鉄火人が危機を察知するより早く、黒き異形の右腕が脇腹を抉り取る。咄嗟に張った魔法障壁も反魔法も、紙を破るように引き裂かれていた。
「……が……ぁ……滅、びの…………」
「狩人の腰巾着風情が、のこのこ現れおって」
滅びの獅子、ボボンガ・アーツェノンだ。
奴はふらりと落下し始めた鉄火人を、足蹴にし、勢いよく大地へ叩き落とした。
「「「どぅおりゃぁぁっ!!」」」
気勢を上げ、三人の鉄火人が大槌をボボンガに打ちつける。
小さな城ほどの重量がありそうなその鈍器三つを、しかし、獅子の右腕は難なく防いでいた。
「なんだ、そのひ弱な攻撃は」
異様に長い漆黒の右腕を振り回し、ボボンガは鉄火人三人を薙ぎ払う。
「がっ……!!」
「ぐぉっ……!!」
「ごっ……!!」
元々戦闘が不得手な老鍛冶師たちに、アーツェノンの滅びの獅子を止める力はなく、僅か一撃で地上へ落とされる。
それを見下しながら、ボボンガは追撃とばかりに魔法陣を描く。
「魔鋼を打つしか能のない、脆弱な種族が」
「そうかい?」
声の方向へ振り向いた瞬間、ボボンガは射出された十数個の魔力石炭を全身に叩きつけられていた。
「ぐ、ぬっ……!!」
ベラミーが手にした魔槌を思いきり振り上げる。
「重魔槌、秘奥が壱――」
ボボンガめがけて、その巨大な槌が振り下ろされる。
「――<打炭錬火>」
ダ、ガガガンッと重魔槌はボボンガを叩きつけながら、同時に魔力石炭を砕いていた。
<打炭錬火>の力により、十数個の石炭は一気に燃え上がり、超高温の炎が奴の体を包み込む。
「あんたの顔は、魔鋼よりも柔そうだけどねぇ」
更に魔法陣から魔力石炭を射出し、ベラミーは<打炭錬火>を繰り出す。
鈍い音を響かせ、魔力石炭がますます燃える。
炉がないとはいえ、その炎は凄まじいまでの高温で、ボボンガの反魔法を突破し、皮膚を焼き、肉を炙っては、骨を焦がす。
その異形の右腕を除いては――
「白輝槌はどうした? こんなチャチな槌で」
ボボンガの右手が重魔槌をつかむ。
ミシ、ミシ、と鈍い音が鳴り響く。
「己と戦うつもりか、工房の魔女っ!」
ビシィィッと重魔槌が粉々に砕け散る。
「ちっ……!」
ベラミーが魔法陣を描き、新たな大槌を引き抜く。ボボンガはその手にアーツェノンの爪を握っていた。
「馬鹿力だねぇっ!」
ベラミーが大槌を振り下ろす。しかし、その赤い爪はいとも容易く柄を切断し、彼女の土手っ腹を貫いた。
「……か、は………………っ!」
そのままの勢いでボボンガはベラミーを押し込んでいき、バーディルーアの工房船にぶつけた。
けたたましい音を響かせながら外壁がぶち破られ、内部にまで入ってようやく止まる。
「ふん。この程度か」
「……おや……まあ……」
爪に体を貫かれながらも、ベラミーは薄く笑った。
「……青いねぇ、坊や。もう勝ったつもりかい? 戦いってのはねぇ、相手の根源が消えるまではわからないものさ」
再度、ベラミーは魔法陣を描く。
ボボンガが左腕でそれを切り裂くと、背後から、先程柄を切断した大槌が飛んできた。
奴は魔法障壁を展開する。
しかし、飛んできた大槌はそれを避け、付近にあった柱を打ち砕いた。
瞬間、室内がぐにゃりと変形して、無数の柱がボボンガに向かって突き出される。その先端には、聖剣が埋め込まれていた。
「ふん!」
ボボンガは、異形の右腕を振り回し、迫ってきた柱を砕き、聖剣を打ち払う。
「<災炎業火灼熱砲>」
奴が描いた魔法陣から、黒緑の火炎が放たれる。
ベラミーは飛び退き、魔法陣から取り出した大槌で床を砕く。
すると、床がぐんと伸びていき、ベラミーはそれに乗って<災炎業火灼熱砲>を避ける。
大槌を勢いよく振り上げた。
「ぐぅっ……!」
ベラミーが苦痛に表情をしかめ、大槌がその手からこぼれ落ちる。
足と手に、子災亀が噛みついていた。
外壁を破った際に侵入させていたのだろう。
見れば、ボボンガの周囲に何匹もの子災亀がいた。
不気味な笑いを見せ、奴はアーツェノンの爪を掲げる。
すると、そこから赤黒い魔力が溢れ出す。
「獅子黒爪アンゲルヴ!」
黒き異形の右腕にアーツェノンの爪が宿り、長き漆黒の五爪が生える。
それがぐにぃと伸びていき、子災亀に噛みつかれたベラミーへ押し迫った。
「<深聖域羽根結界光>」
無数の羽が舞い降り、それが聖なる結界と化す。
伸びてきた獅子黒爪は、<深聖域羽根結界光>に阻まれ、ジジジジと激しい火花を散らした。
ベラミーが目を丸くする。
エレオノールとエンネスオーネ、ゼシアが彼女を守るようにボボンガの前に立ちはだかっていた。
「……エレオノール……」
やりきれない表情で、ベラミーは敵である自らを助けに来た三人を見た。
「馬鹿な理想だって、ボクも思うぞ。きっと、彼に救われなかったら、ボクはずっとそう思ってた。思い込んでた」
ボボンガの黒爪が更に勢いを増す。バチバチと結界を破らんが如く、黒き爪が火花を散らす。
それに対抗するように、エレオノールは更に魔力を結界へ注ぎ込んだ。
「ベラミー。ボクたちの世界では、その馬鹿な理想がどんな現実よりも強かったんだ」
覆すは、魔王の魔法――