三つ巴の戦い
空には巨大な災亀の姿――
その甲羅の上に、ナーガ・アーツェノンが座っていた。
切断された黒き獅子の右脚に、<総魔完全治癒>を使っているが、一向に治癒する気配はない。
霊神人剣につけられた傷のためだ。かの聖剣は、災淵世界の住人――特にアーツェノンの滅びの獅子には絶大な力を発揮する。
右脚の傷を癒やすには、かなりの時間を要するだろう。
「……銀水序列戦のときは、まだまだ聖剣に振り回されていたけれど、こんなに短期間で成長するものなのね」
ナーガは魔法陣を描き、その中心に手をつっこむ。
取り出したのは義足である。
回復しない右脚に装着すると、彼女はすっと立ち上がった。
「上昇してちょうだい」
その指示に従い、災亀はゆっくりと上昇を始めた。
ナーガは頭上を見上げる。
視線の先には、レイが乗ってきた魔王列車があった。
速度は遅く、展開されている反魔法も弱い。
乗員がファンユニオンだけのため、その性能を十分に発揮できていないのだ。
「先に、落としやすいところから行こうかしらね」
災亀の周囲に無数の魔法陣が描かれ、魔王列車に狙いを定める。
大量の<災炎魔弾>が発射された。
すぐに魔王列車は進路を変えた。
「ジェシカ、回避回避ーっ!」
「絶対無理ぃぃっ!!」
「「きゃああああああああぁぁぁぁっ!!!」」
機関室に木霊するファンユニオンの悲鳴とともに、<災炎魔弾>が次々と魔王列車に被弾する。
反魔法は瞬く間に削られていき、車体が激しく振動する。
「だ、弾幕ーーーっ! 撃ち返してーっ!」
「砲撃準備よしっ」
「連射重視で、発射発射ーっ!」
全歯車砲から<断裂欠損歯車>を連射し、彼女たちは<災炎魔弾>を相殺していく。
だが、魔法砲撃に集中するあまり、回避行動が疎かになった魔王列車に、災亀がみるみる近づいてきていた。
甲羅の上にいるナーガは四つの魔法陣を描き、魔王列車の機関室へ狙いを定める。
「<災炎業火灼熱――」
「<深源死殺>」
優美な声とともに、黒き指先が四つの魔法陣を斬り裂いた。
咄嗟に左足で飛び退いたナーガの両腕から、鮮血が溢れ出す。
「あら、<深悪戯神隠>によく気がつきましたわ」
彼女の目の前に着地したのは、檳榔子黒のドレスを纏った少女、真体を現したミサである。
素早くナーガはその魔眼にて、彼女の深淵を覗く。
「この間の序列戦では見なかった子ね」
ナーガとミサは魔力を解放しながら対峙する。
魔眼を光らせ、互いの一挙手一投足を警戒していた。
「消えていたのは精霊の力かしら? それにしては不思議ね。あなたの魔力はアノスによく似ているわ」
ふんわりとミサは微笑する。
「なにも不思議なことはありませんわ。だって――」
瞬間、ナーガの視界からミサが消えた。
どれだけ魔眼を凝らしても、彼女にはその存在すらも知覚できない。
<深悪戯神隠>。
見ている間は存在が消える陰狼ジェンヌルの力を使い、ミサはナーガの背後を取った。
「――わたくしは、暴虐の魔王の伝承にて生まれた精霊ですもの」
その精霊魔法が解除され、彼女の姿が再び現れる。
はっと気がつき、ナーガは素早く反転する。しかし、それよりも早く、黒き<深源死殺>の手が突き出された――
◇
バルツァロンドの船の上。
鎖の盾で体をがんじがらめにされたコーストリア・アーツェノンの姿があった。
<飛行>は使えるだろうが、胸には赤い矢が突き刺さっており、その先は魔力の糸で船につながっている。
飛び上がってもそれに引きずられることになるだろう。
そこから脱出するには、まず魔力の糸と鎖をどうにかせねばなるまい。
彼女は屈辱そうに奥歯を噛みしめながら、動かず、じっと耐え忍んでいた。バルツァロンドとレイの警戒が船内から離れるのを待つことにしたようだ。
やがて、ハイフォリアの船とイーヴェゼイノの災亀が、バルツァロンドの船に挟撃を仕掛けた。
船は合計で四隻だ。
一斉に魔法砲撃が火を噴いたそのとき、バルツァロンドの注意が外へ向けられ、レイが数メートル船から離れた。
すかさず、コーストリアは己の魔眼に魔力を集中する。
漆黒の眼球が八つ、彼女の周囲に浮かび、魔法陣を描く。
「<災炎業火灼熱砲>」
黒緑の火炎を、魔力の糸に集中する。
瞬く間にそれは燃え尽き、コーストリアは獅子の魔眼とともに、<飛行>で飛び上がった。
だが、まだ鎖の盾で体を縛られたままだ。
「レイッ」
バルツァロンドの声に、二匹の災亀を落としたレイが振り向く。
すでに八つの眼球には魔法陣が描かれていた。それはコーストリア自身を縛りつける鎖に照準を向けている。
「<災炎業火灼熱砲>ッ!!」
溢れ出した黒緑の火炎が彼女を包み込む。
それにより、己を拘束する鎖の盾を焼き切るつもりだ。
しかし――
「……なんで……? なにこれっ!?」
鎖の盾は健在であり、未だコーストリアの体を縛りつけている。
どこからともなく氷の壁が彼女の周囲に創造され、<災炎業火灼熱砲>を防いだのだ。
「氷の繭」
淡々とした声が響いた。
コーストリアが見たのは、月の如き神眼を宿した少女――ミーシャ・ネクロン。彼女は<源創の神眼>にて、瞬く間に氷の壁を創り変え、コーストリアの体を球状の氷で覆っていく。
「このっ……!」
<災炎業火灼熱砲>で氷を溶かそうとするが、次から次へと創造されるため、逃れることができない。
氷の繭は、鎖で縛りつけられたコーストリアの体を更に拘束して、<飛行>で逃げられないよう封じた。
滅びの獅子の切り札である彼女の爪――獅子傘爪ヴェガルヴを使えば氷を砕くこともできただろうが、今は鎖に縛られ体が動かせない。
彼女は恨みがましい眼をしながら、内側から氷の繭を燃やし続ける。
「縛られてて助かったわ」
サーシャが空を飛んできて、氷の繭にそっと触れる。
「滅ぼすんならともかく、止めろって言うんだもの。ほんと、うちの魔王さまの無茶ぶりには困ったものよね」
そうぼやきながらも、彼女は好戦的な笑みを浮かべる。
すると、ミーシャがなにかに気がついたように視線を鋭くした。
「サーシャ、上っ」
すぐさま、サーシャが空を見上げる。
暗雲が漂う更にその彼方、黒穹に位置する場所に船があった。
分厚い装甲、長い砲塔が取りつけられた巨大な戦艦だ。
イーヴェゼイノのものでも、ハイフォリアのものでもない。
戦艦につけられているのは炎の紋章。
魔弾世界エレネシアの船である。
指揮しているのは、恐らく深淵総軍一番隊隊長ギー・アンバレッドだろう。
主砲に魔法陣が展開されたかと思えば、そこに膨大な魔力が集う。
青き魔弾がコーストリアめがけて発射された。
「相殺するわっ!!」
<終滅の神眼>にてキッと魔弾を睨みつけ、黒陽をそこに集中する。
だが、破壊神アベルニユーの権能をものともせず、その魔弾は黒き光を貫き、ミーシャが創り出した氷の盾をも破壊し、二人の目前まで押し迫った。
「避けて」
ミーシャが氷に包まれたコーストリアを真横に飛ばし、サーシャはその場から離脱する。
直後、降り注いだ青き魔弾が下方にいた災亀を貫き、大地に馬鹿でかい穴を穿った。
「<聖砲十字覇弾>!」
追撃とばかりに、今度は下方から放たれた十字の砲弾がミーシャとコーストリアを襲い、爆発した。
「ミーシャッ!!」
血相を変えて、サーシャが叫ぶ。
「……大丈夫」
咄嗟にミーシャは氷の盾を創造し、反魔法を張り巡らせていた。
しかし、さすがに無傷というわけにはいかず、手から血がぽたぽたとこぼれ落ちる。
「あくまで獣を庇うか」
その空域に昇ってきたのは、十字の聖剣を手にした狩猟貴族だ。
「貴公らの行いは、ハイフォリアの安全を脅かしている」
彼の前には、この聖剣世界における正しき道――虹路が現れる。
正義は我にあり、とばかりに男は言った。
「五聖爵が一人、このレッグハイム侯爵が、天主に代わり誅伐を下そう」
激闘必至――