食い込む牙
災淵世界イーヴェゼイノ――領海。
唸り声が聞こえた。
獰猛で、狂気に満ち、腹を空かせている。何十匹もの幻獣たちが、銀海を飛び抜け、ハイフォリアの船団に襲いかかっていた。
餌食霊杯を食らわんとばかりに無数の雄叫びが木霊し、銀海が荒れ狂う。
「「「<聖狩場>」」」
銀水船の前方に魔法陣が描かれ、輝く暴風が銀の海をかき混ぜる。
その聖なる風は、獣の視界を遮り、聴覚をかき乱した。
「「「<聖砲十字覇弾>!!」」」
銀水船の砲門が開き、魔法陣が描かれる。
そこから、聖なる十字の砲弾が発射された。
数十隻の船による一斉射撃は、みるみる幻獣たちを飲み込み、その幻体を削る。実体なき獣とて、狩猟貴族たちはその天敵。彼らの魔法攻撃は渇望さえも抉っていく。
「構え。後方の災亀へ狙いを集中」
ガルンゼスト叡爵が、船団に<思念通信>を発する。
銀水船ネフェウスの甲板にいる狩猟貴族たちが、聖なる弓に矢を番えた。
「放ちなさい」
雨あられの如く、聖なる矢が飛来し、災亀が張り巡らせた魔法障壁に次々と突き刺さる。
すぐさま反撃とばかりに、災亀の周囲にいくつもの魔法陣が浮かぶ。
そこから、巨大な岩石が撃ち放たれた。
魔法砲撃と矢により、その岩石を砕いていくが、勢いは衰えず、それは無数の破片となりてハイフォリアの船団に降り注いだ。
魔法障壁は貫かれ、いくつもの破片が船体に突き刺さる。
「砲撃被弾。損傷軽微! ガルンゼスト卿、災亀のダメージは確認できませんっ! やはり、奴らの領海では……!」
「いいえ。これでよいのです。獣を釣り出すのが私どもの使命。その牙が届くと思えば、どこまでも追ってくるでしょう」
動じることなくガルンゼストは言った。
「距離を保ちつつ後退。矢弾を絶やしてはいけません。しかし、実体なき幻獣は極力狩らぬように。できるだけ多くの獣を狩り場へ誘い込みます」
「了――がっ……!?」
返事をしようとした狩猟貴族が、吐血する。
その土手っ腹を、鋭い日傘の先端が貫いていた。
「誘い込む?」
日傘が抜かれ、狩猟貴族がその場に崩れ落ちる。
銀水船ネフェウスに単身乗り込んできたのは、滅びの獅子――コーストリア・アーツェノンだ。
船体に突き刺さった岩石に、自らと相似の品を忍ばせていた。<災禍相似入替>を使い、入れ替わったのである。
「そんな安い手に引っかかると思わないで」
コーストリアは日傘を開く。
傘自体が魔法陣と化し、六本の親骨を通じ、その先端に黒緑の魔弾が作られた。
「<災淵黒獄反撥魔弾>」
勢いよく日傘が回転し、六発の魔弾が四方八方へ発射された。
放たれた砲撃が、周囲に陣取っていた数隻の銀水船を襲う。
避けきれず、魔法障壁にて防いだが、<災淵黒獄反撥魔弾>は威力を増幅させて反射し、別の船を襲う。
密集していては避けきれないため、船団は互いに大きく距離を取っていく。
再びコーストリアは日傘に魔法陣を描いた。
「アーツェノンの滅びの獅子め!」
「一匹で乗り込んできたことを後悔するがいい!」
周囲の狩猟貴族たちが一斉に矢を構え、あるいは聖剣を抜き放った。
「あっそ」
くるくると日傘を回転させ、コーストリアは<災淵黒獄反撥魔弾>を乱れ撃つ。
聖剣を手に突進した狩猟貴族も、放たれた聖なる矢も、その射手も、黒緑の魔弾を受けて弾け飛んだ。
しかし、コーストリアの狙いは彼らではない。
船体にて乱反射した無数の魔弾は、弾け飛んだ狩猟貴族たちに再び衝突し、その軌道を変えた。
「死んじゃえ。狩人」
敵の位置から、弾け飛ぶ場所まで、すべて計算尽くだったのだろう。
一六個もの魔弾が魔力を増幅させ、一斉にガルンゼスト叡爵に襲いかかる。
その刹那――
「<聖覇護道>」
ガルンゼストの周囲に無数の魔法線が広がった。
それはあたかも光の道だ。そこを辿るかのように、彼の聖剣が抜き放たれる。
一六の斬撃音が一度に響き、弾き返された<災淵黒獄反撥魔弾>は船に当たって反射し、互いに衝突して相殺された。
そして、その頃には、叡爵はすでにコーストリアの目前に踏み込んでいた。
「守護剣、秘奥が弐――」
向かってくるガルンゼストの額を狙い、コーストリアが閉じた日傘をまっすぐ突き出す。
動きを先読みしていたのか、叡爵の剣よりも、彼女の方が速い。
「――<延>」
ガルンゼストの聖剣が鈍く輝くと、コーストリアの日傘ががくんと減速した。
額を狙ったその先端は遅々として動かず、遅れて振るったガルンゼストの刃が先にコーストリアの首を薙ぐ。
間一髪で後退したコーストリアの首筋から、血が溢れ出た。
追撃とばかりに大きく一歩を踏み込んだガルンゼストは、視界の端に両足のない人形を捉えた。
「<災禍相似入替>」
コーストリアの魔法と同時に、女の声が響いた。
「――執着の渇望から生まれた、必中のチャクラム。獲物に当たるまで、絶対に止まることはないわ」
人形と入れ替えられたのは、もう一人の滅びの獅子、ナーガ・アーツェノン。
車椅子に乗った彼女は、黒いチャクラムを射出する。背後から迫ったそれを、振り向きもせず、ガルンゼストは弾き返した。
「「<災炎業火灼熱砲>」」
コーストリアとナーガが黒緑の火炎を集中し、ガルンゼストに十字砲火を浴びせる。
叡爵はそれを反魔法で防ぎながら、一瞬の隙をつき、魔力を無にした。
「秘奥が弐――<延>」
守護剣が鈍く輝き、高速で放たれた<災炎業火灼熱砲>ががくんと減速した。
ナーガは魔眼を光らせ、その深淵を即座に見抜く。
「秘奥<延>は、攻撃が届くまでの時間を引き延ばすのね。でも――」
ガルンゼストは十字砲火を回避する。
「次に秘奥を使うまでに時間がかかるんじゃないかしら?」
一度はずれた必中のチャクラムが軌道を変え、ガルンゼストの背後へ迫った。
「守護剣、秘奥が弐――」
叡爵の腰には、残り二本の聖剣が下げられている。手を伸ばし、奴はもう一本の守護剣を抜く。
「<延>」
チャクラムが減速し、すかさずガルンゼストはそれを両断した。
間髪入れず、二方向から放たれた<災炎業火灼熱砲>を、彼は二本の守護剣で迎え撃つ。
「秘奥が壱――」
ガルンゼストが二つの剣先で二つの円を描く。
「<反>」
その秘奥の力により、<災炎業火灼熱砲>が反射される。
ナーガは反魔法で、コーストリアは日傘を広げて、黒緑の火炎を遮断した。
二匹の獅子に対し、ガルンゼストは視線を配り、二本の守護剣を整然と構える。
「私の剣は、聖王を守護する道。この護道、獣風情に崩せる道理はございません」
「むかつく奴」
コーストリアが日傘を広げ、六個の魔弾をぶら下げる。
「さすがハイフォリア最強の剣士さんね。でも、あたしたちの相手ばかりしていていいのかしら?」
ナーガが言ったそのとき、銀海を泳ぐ何匹もの災亀が口から暗雲を吐き出した。
それはみるみる<聖狩場>を押し返し、今度は狩人たちの視界を奪う。
突如、激しい水音が鳴り響き、銀水がハイフォリアの船団を押し流し始めた。
舵が効かぬ中、災亀から飛び出した幻魔族たちの魔法砲撃が降り注ぐ。
銀水船ネフェウスの反魔法や魔法障壁が破れ、次々と船体に被弾していく。
「甘く見ないでいただきたい。私の指揮がなくとも、狩猟貴族は獣などに負けることはございません」
叡爵が告げるより一瞬早く、ナーガとコーストリアが動き出す。
<災淵黒獄反撥魔弾>と必中のチャクラムが同時に放たれた。
ガルンゼストはそれを難なく防ぐが、コーストリアは<災淵黒獄反撥魔弾>を次々と放ち、ナーガは必中のチャクラムを量産していく。
放っておけば延々と追いかけてくるチャクラムと、反射するごとに魔力を増幅する魔弾。二本の守護剣でも、それらすべて斬り裂くことはできず、刻一刻とチャクラムと魔弾は増え続けた。
ハイフォリア側には、まだ五聖爵の一人、レッグハイム侯爵がいる。
ガルンゼストの指揮がなくとも、幻魔族たちにすぐさまやられてしまうことはなく、統率の取れた撤退を続けていた。
夥しい数の魔弾とチャクラム。滅びの獅子であるコーストリアとナーガの猛攻を、しかしガルンゼストは見事に防ぎきっていた。
叡爵の名に相応しい剣の冴え。
その鉄壁の防御の前に、彼は未だかすり傷一つ負ってはいない。
だが、それはコーストリアとナーガもさして変わらない。
防戦一方のガルンゼストは攻め手にかけ、彼女らに有効な一撃を入れることができないでいた。
みるみる激しさを増していく戦闘とは裏腹に、両陣営は膠着状態に陥っている。互いに隙を窺い、致命的な機会を待ち続けているのだろう。
数十分が経過したが状況は変わらず――そのまま数時間、激しい鬩ぎ合いが続いた。
そして、そのときはきた。
無数の<災淵黒獄反撥魔弾>が、無数のチャクラムを乱反射して、ガルンゼストの頭上に降り注ぐ。
「守護剣、秘奥が壱――<反>」
ガルンゼストは<災淵黒獄反撥魔弾>をはね返し、降り注ぐ<災淵黒獄反撥魔弾>を相殺していく。
その最中、今度は無数のチャクラムが迫った。
「――秘奥が弐、<延>」
がくんと減速したチャクラムの隙間をくぐり抜けるとともに、ガルンゼスト叡爵はそれらを斬り裂いていく。
周囲のチャクラムがすべて落下していく中、彼の視界の端には、両足のない人形が映った。
ガルンゼストは、はっと魔眼を見開く。
「<獅子災淵――」
ナーガの声と同時に、人形と彼女の体が入れ替えられる。
至近距離に現れた彼女は義足を外し、黒き獅子の足先で黒水の魔法陣を描いている――そして、それを蹴り抜く寸前だった。
咄嗟に魔力を無にして、二本の守護剣を盾にするガルンゼスト。
その剣身にナーガの足が触れた。
攻撃の到達時間を延長する守護剣秘奥が弐<延>を使おうとも、すでに足先が触れている以上、避けられはしないだろう。
秘奥が壱<反>を使うには、剣で円を描かねばならぬ。
「――滅水衝黒渦>」
ナーガが黒き水の魔法陣をまっすぐ蹴り抜き、黒緑の水がどっと溢れ出す。
飛沫が船の甲板をどろりと溶かし、一秒にも満たず、銀水船は水に変わった。
周囲の銀水船は、怒濤の如く広がっていく黒渦を全速力で回避していく。数隻が飲み込まれ、狩猟貴族たちは必死の形相で脱出した。
「ハイフォリアが見えたからって油断しちゃって。つまんない」
黒水が渦巻く銀海の中、コーストリアが車椅子を持って飛んでくる。
彼女の義眼は、間近に迫った銀泡、聖剣世界ハイフォリアに注がれている。
狩猟貴族らが撤退戦を繰り広げる中、もう目と鼻の先に迫っていたのだ。
「ナーガ姉様があえてここまで来たのがわかんないなんて」
「――守護剣、秘奥が弐・参」
ナーガとコーストリアが、視線を険しくする。
響いたのはガルンゼストの声だ。
「<延堅>」
黒緑の飛沫が完全に消える。
二本の守護剣を十字にし、ガルンゼストは<獅子災淵滅水衝黒渦>を受けきっていた。
「コーストリアッ! 下がって!」
「残念ですが――」
完全に警戒を解いていたコーストリアへ、瞬く間にガルンゼストは迫り、二本の守護剣でその体を貫いた。
「――遅かったですね」
「……こ、の……」
車椅子を捨て、魔法陣から日傘を引き抜くコーストリア。彼女がそれをガルンゼストに振るうも、秘奥が弐<延>にて減速された。
「ガルンゼスト叡爵!」
「よくぞ来ました!」
飛んできた部下の銀水船ネフェウスに、ガルンゼストはコーストリアを貫いたまま飛び込んだ。
「ハイフォリアへ!」
「は! 全速前進!」
ガルンゼストとコーストリアを乗せたまま、銀水船は全速力でハイフォリアへ向かう。
ナーガが追いすがるも、無数の矢が飛来し、その体を貫いた。
「コーストリアッ!!」
「私たち狩猟貴族の勝ちでございます」
確信に満ちた顔で叡爵が言い放つ。
だが、ナーガは微笑していた。
「あなたは強いけれども素直ね、叡爵さん。前にお相手した人は、底意地が悪くて苦労したけれど」
不気味な水音がした。
津波のような、洪水のような、激しい水害を連想させる。
ハイフォリアの領海が荒れ狂っているのだ。
まるでここがイーヴェゼイノの領海かの如く。
「あたしたちと戦うのに夢中になって、魔眼を離したんじゃないかしらね? 今、イーヴェゼイノはどの辺りにあると思う?」
「……………………………………まさか………………」
ド、ドドド、ドドドドドドドと爆音が鳴り響く。
叡爵の目に映ったのは、暗雲を纏いし、巨大な銀泡。
勢いよく加速してきたイーヴェゼイノが、戦闘中だった者どもを残らずその世界の内側に飲み込み、まるで獰猛な獣の如く、聖剣世界ハイフォリアに突っ込んだ――
災淵世界が食らいつく――
いつもお読みくださりありがとうございます。
お知らせするのを忘れていたのですが、
魔王学院の不適合者6巻、3月10日発売予定となっております。
ぜひぜひ、よろしくお願いいたします。