主と従者
転生世界ミリティア。デルゾゲード深奥部。
球形の室内には、魔王列車と銀水船が停められている。
ハイフォリアを出たレイたちは、銀水聖海を全速力で飛び抜け、ここまでやってきた。
転生の準備はすでに始められている。
部屋の中央には魔法陣が描かれ、先王オルドフが横たわっていた。
傍らでレイは手をかざし、魔力を送る。
バルツァロンドとその従者たちは、緊迫した面持ちで<転生>の術式に魔眼を凝らしていた。
「……レイ」
バルツァロンドが声を発する。
彼は申し訳なさそうな表情をたたえながら、静かに切り出した。
「ハイフォリアでは成せぬこと……非礼は承知の上で申し上げるが、父は偉大なる先王、勇者オルドフ。転生魔法を施すのならば、ミリティア最高の術者にお願いしたい」
微笑みをたたえ、レイは答えた。
「僕がそうだよ。根源魔法においてはアノスよりも、ミーシャよりも、<転生>の力を引き出せる」
バルツァロンドは一瞬驚きの表情を見せた後、頭を下げた。
「非礼を詫びよう。父を頼む」
レイはうなずく。
「オルドフの根源は滅びかけている。僕がやっても、<転生>が成功するかは五分と五分。霊神人剣と、この世界の秩序の力を借りようと思う」
そう言って、彼は神界の門を振り向いた。
延々と水路が続く、その向こう側が、神々しい光を放った。
目映く目を眩ました明かりが次第に消え去っていくと、バルツァロンドがなにかに気がついたようにはっとした。
オルドフの四方に、四名の神が立っていたのだ。
一人は長い布を体に巻きつけた女性。
まっすぐ長い髪と薄緑の神眼を持っている。
「生誕神ウェンゼル、人との友好のため、参りました」
一人は草花で編まれた服と、木の葉のマント、木の冠を身につけた賢者。
「深化神ディルフレッド、召喚に応じ参上した」
一人は白いマントとターバン、曲刀を身につけた男。
「終焉神アナヘム、推参」
一人は羽根付き帽子を被り、長い笛を手にした吟遊詩人。
「転変神ギェテナロス、お呼びかい?」
ミリティア世界における根源の基本原則を司る、樹理四神である。
エクエスとの戦いを経て世界は生まれ変わった。樹理四神たる彼らもまた転生し、その身に愛を宿し、人に優しき神となった。
彼らは世界を見守り、時としてそこに生きる者に手を差し伸べる。
「彼を転生させたい。力を借りられるかい?」
レイがそう用件を切り出す。
すると、深化神ディルフレッドが<深奥の神眼>を光らせ、先王オルドフの深淵を覗く。
今にも滅びようとしている、その根源を。
「深く突き刺さった魔弾に干渉すれば、根源の形が崩壊し、滅尽する。魔弾を動かさず、慎重に、かつ遅々として<転生>を行使する必要がある。我々は輪廻を遅滞させ、根源の崩壊を停留させよう」
「ありがとう」
「だけど、この人間はなにかが変さ。ボクたちの秩序からはみ出してないかい?」
歌うような声で、転変神ギェテナロスが言う。
「オルドフはこの世界の住人じゃないからね」
レイは簡潔に説明した。
「魔王が仮説した外の世界か。想定以上に深淵は深い」
興味深そうにディルフレッドが言う。
「くたばりぞこないだ。このアナヘムの権能から逃れる術もなし」
「ええ、アナヘムの言う通り、大丈夫でしょう。<転生>を使えば、彼の根源は、わたくしたちの秩序に乗せられると思います」
生誕神ウェンゼルが言った。
レイがバルツァロンドに視線を向ける。
数秒の――しかし重々しい沈黙の後、彼は覚悟を決めたようにこくりうなずいた。
光とともに、レイの手に霊神人剣が現れる。
彼はそれを床に描かれていた魔法陣に突き刺した。
「――<転生>」
魔法陣から漏れる温かな光に、オルドフの体が包まれていく。
「すべての根源は、生誕から――」
生誕神ウェンゼルは、紺碧の盾を掲げる。
「――その始まりの一滴が、やがて池となり、母なる海となるでしょう。優しい我が子、起きてちょうだい。生誕命盾アヴロヘリアン」
淡い光が、オルドフの体を包み込み、彼女の秩序がその根源にゆっくりと浸透していく。
「生誕後、根源は更なる深化を遂げる――」
手にした杖に、黙祷を捧げるように深化神ディルフレッドは詠唱する。
「螺旋の森に旅人ぞ知る……この葉は深き迷いと浅き悟り……。底知れぬ、底知れぬ、貴君は未だ底知れぬ。螺旋の旅人永久に、沈みゆくは思考の果てか。ついぞ及ばぬ、迷宮然り。深化考杖ボストゥム」
オルドフの左胸に、赤い木の葉が出現する。
それが体の隅々にまで、深化神の秩序を送り込んでいった。
「深化後、根源は老い、やがて終焉を迎える――」
枯焉刀グゼラミの鳴き声が、不気味に響く。
「あがけどもあがけども、うぬらが築くは砂上の楼閣」
砂塵が周囲に渦を巻く。
蜃気楼のように薄らと見えるのは、巨大な砂の楼閣だった。
「グゼラミの一鳴きに、すべては崩れ、枯れ落ちる」
さらさらとオルドフの体が砂となり風に流されていく。
「歌おう。詠おう。ああ、謡おう。それはそれは風のように、ときに晴天の霹靂のように。転変神笛イディードロエンド」
ギェテナロスの笛から、死者を送る鎮魂歌が聞こえ始める。
光輝くオルドフが浮かび上がり、魔弾に干渉をせぬよう、静かに、そしてゆっくりと終焉から転変へ向かっていく。
深化神ディルフレッドは、その根源をしばし見つめていた。
「――転生まで、約二日」
ぽつり、と彼は言う。
「順当にいくならば、終焉が転変に変わるその境にて、オルドフの根源は最後の輝きを放つ。あるいは、言葉を交わすことも可能となる」
張り詰めていた緊張が和らぎ、安堵のため息が漏れる。
バルツァロンドの部下たちが、表情を明るくし、うなずき合っていた。
「深く感謝を」
そう口にして、バルツァロンドは自らの剣を、床に突き刺す。
「このバルツァロンド、貴公らの恩に報いることをこの剣に誓おう」
彼は身を翻し、制服につけた五本剣の勲章をレイに見せた。
「私が亡き後、このハインリエル勲章を回収してくれ。貴公に私のすべてを譲る<聖遺言>を遺す」
レイは彼の顔を見つめた。
覚悟を決めた、そんな表情であった。
「それは……縁起でもない話だね」
「最早、生きて帰れる保証はない」
くるりと踵を返し、バルツァロンドは自ら乗ってきた銀水船へ向かう。
狩猟貴族たちが、すでにその前に整列している。
立ち止まり、バルツァロンドは従者たちとまっすぐ向き合った。
「私は行かねばならない」
大きな声で、堂々とバルツァロンドは告げる。
「我が父、先王オルドフの名誉のために」
一人一人の顔を見て、彼は従者たちに語りかける。
「災淵世界イーヴェゼイノは加速し、今にも我らが世界に突っ込まんばかりだ。ハイフォリアはそれを阻止すべく、全軍を上げて迎え撃つだろう。だが――今、ここで災人を討つわけにはいかない」
誇りを持って、バルツァロンドは宣言した。
「無論、ハイフォリアを滅ぼすわけにもいかない。父の目指した真の虹路のため、私は災人イザークと聖王レブラハルドを止めなければならない。この命に代えようとも」
狩猟貴族たちは、事情を知らされていない。
だが、それでも彼らは皆真剣な面持ちで、主の言葉に耳を傾けていた。
「先王オルドフの真意を知らば、多くの味方が立つだろう。だが、それは父の誇りにかけ決してできはしない。偉大なる父は義理を果たし、それを最期まで、限られた人物にしか明かさなかった。私は守らなければならない」
重たい言葉が、室内を木霊する。
「孤立無援の戦いだ。勝機は万に一つもありはしない。そして――」
バルツァロンドが魔力を発すれば、そこに虹路が現れた。
だが、その道は彼が向いている銀水船ではなく、オルドフのもとへ続いている。
「虹路は、父を看取るように告げている。聖王への反逆が、正しき道であるはずもない。だが、それでも」
歯を食いしばり、理性を振り切るように彼は心から訴えた。
「私は行かねばならないのだ。聖剣世界ハイフォリアが、正義はなしと示そうとも。私だけは先王の歩んだ道を継がなければ、生まれ変わった父にとても顔向けできはしない」
整列する従者たちへ、バルツァロンドは言う。
「お前たちはここに残れ。正道を逸れた狩猟貴族に、もはや爵位はない」
一瞬、従者たちは驚きの表情を浮かべた。
「バルツァロンド隊は、本日をもって解散する! これが最後の命令だ。伯爵のバルツァロンドという馬鹿な男がいたのだと、後生のハイフォリアに語り継げ!」
バルツァロンドは従者たちが整列する間を抜けて、一人、銀水船へ歩いていく。
その瞳に、死をも恐れぬ覚悟を秘め。
その胸には、父から受け継いだ誇りを抱き。
彼は、死地へと向かう。
だが――乗れなかった。
「む……これは……?」
バルツァロンドは、銀水船に魔力を送っている。
だが、まるで反応しない。
どうやらタラップの下げ方がわからぬ様子だ。
「くくっ」
と、従者の一人が笑った。
「いけませんね。うちの伯爵様はタラップ一つ下ろせない」
「ああ、本当に放っておけない御方だ」
狩猟貴族が魔法陣を描けば、途端に船からタラップが下りてきて、乗船するための魔法障壁が開かれた。
「助か――」
バルツァロンドが返事をするより先に、従者たちが次々とタラップを上っていく。
虚を突かれたか、バルツァロンドはその様子を呆然と見上げた。
「……ま、待て待てっ!」
数秒後、思わずといった風に彼は大声を上げた。
だが、彼らは止まらない。
「ええい、待てと言っているだろうにっ! お前たち、どういうつもりだっ? ここに残れと命じたはずだっ!」
「申し訳ございませんが、バルツァロンド卿。その命令は聞けません」
振り向いた狩猟貴族が、はっきりと言った。
彼の従者の誰一人として、船に乗ろうとしない者はいない。
いつもと変わらぬとばかりに、狩猟貴族たちは続々と乗船していく。
「あんたは一人も見捨てなかった。敵があの二律僭主でも」
「誇り高き伯爵の従者である我々に、主を見捨てるような真似をしろとおっしゃるのですか?」
「大体、一人じゃ船を動かせないでしょう。バルツァロンド卿は」
バルツァロンドが、部下たちを見上げる。
皆覚悟が決まったような顔で、視線を向けていた。
バルツァロンドは俯き、絞り出したかのような声で言った。
「……すまん。私のために死んでくれ……」
部下たちは僅かに笑った。
「この船に乗ったときから、いつかこんな日が来ると思ってましたよ」
「行きましょう。急がなければ、狩りが始まってしまいます」
うなずき、バルツァロンドはタラップを上がった。
そうして堂々と言った。
「船を出せっ! イーヴェゼイノとハイフォリアの争いを止めるっ!!」
「「「了解っ!!!」」」
彼らの気持ちに呼応するよう、銀水船は勢いよくミリティアの空に飛び上がった。
伯爵は父の遺志を継ぎ、孤立無援の戦いへ――