錆の原因
ガルンゼスト狩猟宮殿。大鏡の間。
イザーク討伐作戦について、聖王レブラハルドが説明をしていた。
「――しかし、上手く災人を釣り出せたとして、ハイフォリアまで撤退するのは至難だ。銀海では船を破壊されれば、こちらの足は止まったも同然。災人の速さには対抗できない。先王もイーヴェゼイノからの撤退戦でかなりの被害を出してしまった」
ガルンゼスト叡爵は、丁重に耳を傾けている。
「ゆえに、イーヴェゼイノをギリギリまで引きつける。ハイフォリアまで十分に撤退可能な距離まで縮まるのを待ち、そこで仕掛ける」
「一度失敗すれば、イーヴェゼイノとの衝突は避けられませんが?」
「だからこそ、幻獣を釣り出しやすくもある。その機を逃せば、餌食霊杯を食らえる機会がなくなってしまうからね」
「幻獣や幻魔族を釣り出せたとて、イザークが雑魚に目をくれるものか?」
俺の問いに、レブラハルドはこう答えた。
「もし災人が出てこなくとも、幻獣をハイフォリアにおびき寄せれば、そこには祝聖天主がいる。その権能、聖エウロピアネスの祝福は、本来同意のもと、他世界の住人をハイフォリアに迎え入れる際に使うものだが、これが獣にはよく効く」
「つまり、同意なしでハイフォリアの住人にできるというわけか?」
レブラハルドがうなずく。
「渇望から解放し、人に戻す祝福だよ。奴ら獣は、仲間がそれをされると群れとなって襲ってくる習性がある。災人も例外ではない」
「習性? 同胞の尊厳が踏みにじられれば当然だと思うがな。お前たちとて、狩猟貴族が餌食霊杯とされれば、それを助けに行くだろう」
「踏みとどまる理性があるからこそ、私たちは人なのだと思うね。餌食霊杯となった狩猟貴族も、自分のためにハイフォリアが犠牲になることを良しとはしない」
滑らかにレブラハルドは説明する。
「獣を祝福するとは言っていないよ。そう思わせるだけで、彼らは渇望を抑えきれずに追ってくるということだ」
「どうかな?」
追ってこなければ、この男にそれをしない理由はあるまい。
「では、聖王陛下。私は準備を整えて参ります」
ガルンゼスト叡爵は固定魔法陣を使い、この場から転移していった。
「元首アノス。そなたの言い分も理解できる。双方の被害を減らしたい気持ちは私も同じ。しかし、彼らの尊厳とこの聖剣世界を秤にかけることはできない」
「要はイーヴェゼイノを止めればいいのだろう?」
そう告げて、俺は踵を返す。
アルカナが後に続いた。
「なにか手立てが?」
「イザークに直接問い質す。ちょうど聞きたいこともあるのでな」
固定魔法陣の上に乗り、魔力を送る。
「彼が答えるとは思えない」
「そのときは力尽くで止める。イーヴェゼイノが停止したなら、兵を引け」
一瞬考え、聖王は言った。
「獣どもも止まるのなら、争う理由はない」
「なら、よく覚えておけ」
転移の固定魔法陣を起動しながら、俺は言う。
「祝福とは無理矢理押しつけるようなものではない」
真顔で応じ、奴は言った。
「肝に銘じておこう」
俺とアルカナはその場から転移した。
やってきたのは船着き場だ。すぐに俺とアルカナは空を飛び、まっすぐ黒穹へ上がった。アルカナと手をつなぎ、<掌握魔手>を使って、銀泡の外へ出た。
魔法障壁を張り、銀水を遮断すると、そのままイーヴェゼイノの方角を目指して飛んでいく。
「皆は大丈夫だろうか?」
「見られるぞ。銀灯のレールがあれば魔法線はつなげられる」
バーディルーアとイーヴェゼイノは途中までは方角が同じだ。今、俺たちは魔王列車がバーディルーアから敷いてきたレールの上を飛んでいる。
そこにつなげた<魔王軍>の魔法線にて、視界を共有する。
見えてきたのは――虹水湖だ。
虹の橋がかかる幻想的な湖の畔を、レイたちは歩いていた。
先導しているのはシルク。彼女は急ぐわけでもなく、のんびりと歩きながら、時折立ち止まり、せせらぎに耳をすます。
そしてまた歩き出すのを繰り返している。
「シルク。のんびりしていられる時間などありはしない。急げないのか?」
焦るようにバルツァロンドが言う。
「霊神人剣を鍛え直すには、水質が大事なの。虹水湖も場所によってそれが全然違うから、探すのには時間がかかるよ」
「そこをなんとか頼みたい。もう日付が変わってしまった。災人がハイフォリアに来るまで、二日しかない」
災人がパブロヘタラに来たのは昨日の夕刻、今は深夜だ。
イザークは三日待つと言っていたが、ご丁寧に夕刻まで待つとは限らない。バルツァロンドの言う通り、猶予は残り二日と考えた方がいいだろう。
「なんとかできることと、なんとかできないことがあるの。そんなに言うなら、水質の良いところ教えてよ」
「それがわかれば苦労はしない」
不服そうに彼女が唇を尖らせる。
「お気になさらず。我が君がイーヴェゼイノへ向かいましたので」
さらりとシンが言った。
「……え? って、それむしろ大丈夫なの?」
「災人イザークの心配はしなければいけませんね」
彼はそう断言する。
シルクは怪訝そうな反応を見せたが、考えても仕方がないと思い直したか、やがてまた歩き出した。
湖の周囲を探索すること一時間。
シルクの耳がぴくりと反応した。
すぐさま彼女は浅瀬に入り、その水を手ですくう。
再びそれを湖に戻して、水面に当たる音に耳をすました。
「見つけた」
シルクは更に沖へ進んでいき、腰まで水につかる。
魔法陣を描き、そこから白輝槌ウィゼルハンを取り出した。
「せーのっ」
両手でウィゼルハンを振りかぶり、シルクは大きく跳躍する。水面めがけ、その聖槌を振り下しては、水を割って、水底を砕いた。
すると、砕かれた大地がみるみる変形していき、四角い小屋を作り出す。にょきにょきと二本の煙突が生えてきた。
割れた水が元に戻り、建物を覆い隠す。
二本の煙突だけが、僅かに水面から覗いていた。
「この中でやるから。入って」
シルクは片方の煙突から中へ入る。
レイたちもその後を追って、小屋の中へ入った。
作られたのは箱だけのようで、室内にはなにもない。
シルクは床に魔法陣を描いた。
「<収納工房>」
ぬっと収納されていた工房の設備が魔法陣から出現する。バーディルーアの洞窟にあった道具や魔剣がそっくりそのまま、小屋の中に備えられた。
「じゃ、レイ……だっけ? キミが扱う聖剣だから、手伝ってくれる?」
「ああ」
「ハイフォリアの魔力石炭を、ぜんぶそこの鉄火炉に置いて。ゆっくりね」
レイは石炭置き場に魔眼を向ける。
産地の違う石炭が並べられているようで、僅かだが発せられる魔力が異なる。彼はそこからハイフォリアの魔力石炭を選ぶと、鉄火炉に置いていく。
その間、シルクは十数本の配管をいじっていた。
彼女は耳をすまし、配管のバルブを一つ回す。すると、虹水湖の水が供給され、水桶に溜められていく。
続けて残りの配管のバルブを回す。
取り込み口が違うだけで、やはり水桶に水が流れ込んできた。
その音に耳をすましながら、シルクはバルブを微調整していく。
すると、水面がキラキラと七色に光り始めた。
「……少し多い……」
そう呟き、シルクはバルブを絞る。
水面の光は七色から三色――赤、緑、青のみになった。
「よし」
彼女は聖槌をくるくると手元で回し、自らの魔力を無にした。
「白輝槌、秘奥が弐――」
回転するウィゼルハンが光と水をかき混ぜる。
「――<攪拌錬水>」
水しぶき一つ上がらず、光と水が攪拌される。
キラキラと反射する三色が混ざり合い、白い光に変わった。
「レイ。できた?」
「これでいいかい?」
シルクが鉄火炉に並べられた魔力石炭を眺める。
「バッチリ」
と言いながら、シルクは魔力を無にして、白輝槌を振り上げる。
「白輝槌、秘奥が壱――」
ウィゼルハンを思いきり、魔力石炭に叩きつけた。
「――<打炭錬火>」
ダ、ガガガンッと魔力石炭の一つが砕け散ると同時に、一気に炎上し、他の石炭に燃え広がる。
更にもう一度、二度と炎ごと石炭を打ちつければ、まるで炎を鍛えるかのように、みるみる火力が増していった。
ふうー、と息を吐き、彼女はレイを振り返った。
「鍛え直す手順は簡単。まず聖剣を鉄火炉に入れる。錬火と反応し、剣は赤く染まる。ウィゼルハンで輝きの錆を叩き出す。錬水に入れ、失った魔力を補給する。また鉄火炉に入れる。その繰り返しで、仕上げにはアーツェノンの爪を使う」
「僕がすることは?」
「錆を叩き出すときに、霊神人剣を押さえてほしい。たぶん、霊神人剣と相反する魔力に曝されすぎたんだと思う。折れていた霊神人剣じゃ、それを浄化しきれず、錆が溜まっていったんだ。叩き出せば、封じられた力が一気に溢れ返る」
微笑みながらも、レイは押し黙る。
二千年前、霊神人剣がいったいなにを斬りつけてきたのか、思い当たる節があったのだろう。
「それは……ちょっと手強そうだね」
真剣な顔つきで、彼は霊神人剣に向かい合う。
「始めるよ」
レイがうなずき、霊神人剣をシルクに差し出す。
彼女はそれを受け取った。
鉄火人だからか、それとも分厚いグローブの特性か、持ち主を選ぶ霊神人剣は、シルクに牙を剥くことはない。
シルクはエヴァンスマナを鉄火炉に入れる。
錬火に加熱され、みるみる聖剣は赤く染まっていく。素早く、シルクは金床にそれを置くと、くるりと柄をレイの方へ向けた。
彼が両手でそれを押さえつけ、シルクが白輝槌を振り下ろす。
瞬間、ガタガタとエヴァンスマナが暴れ出し、レイの両手が裂傷する。飛び散った黒き火花が粒子となり、一気に弾けた。
「……っは……!?」
シルクが後方へ吹き飛ばされた。
荒れ狂う黒き火花が、バルツァロンドが張った結界を容易く貫通し、鍛冶工房に無数の穴を空ける。湖の水が一気に流入してきた。
「大丈夫ですか?」
シルクの肩を、シンが抱きとめていた。
「……もっと細く……」
シンの言葉が聞こえていないかのように、すぐさまシルクは歩き出し、聖槌で工房の床をたたき割る。
それにより、みるみる工房に空いた穴が塞がり、水が排水されていく。
彼女は再び、白輝槌を霊神人剣に叩きつけた。
だが、今度は金属音が鳴り響くばかりだ。
「……違う……もっと深く……」
試行錯誤をするように、シルクは霊神人剣に聖槌を打ちつけていく。
「バルツァロンド」
煙突から声が響いた。
ひょっこりと顔を出していたのは、ミーシャである。
「いい?」
バルツァロンドは飛び上がり、煙突から外へ出た。
サーシャとミサもそこにいる。
「先王の居場所がわかったか?」
「まだ。バーディルーア鉄火島に手がかりがあるかもしれない」
ミーシャが淡々と言い、サーシャが続けて口を開く。
「鉄火人しか入れないって聞いたんだけど、ベラミーに許可を取ってもらえないかしら?」
「……鉄火島はバーディルーアの自治領。元首ベラミーは先王の戦友だ。一枚噛んでいてもおかしくはないが、そうだとすれば立ち入らせてはくれないだろう」
「逆に断られれば、怪しいということではありませんの?」
ミサが言うと、バルツァロンドはうなずいた。
「確かに……それはそうだが……」
と、そのとき、ミーシャがなにかに気がついたように空を見上げた。
暗闇の中、飛んでいるのは、ハリネズミのような工房である。
バーディルーアの船だった。
「来た」
「問題は、どう切り出すのが最善かだが……」
『あー、ミーシャちゃん、いる?』
エレオノールから<思念通信>が届く。
バーディルーアの工房船に乗っているのだ。
ミーシャはそれを全員に聞こえるようにした。
「いる。どうかした?」
『あ、うん。ゼシアが駄々こねて、ついでにバーディルーアのなんとか島を観に行くって言ってるんだけど、そんな余裕ないよね? あっちの人にも悪いし』
『構やしないさ。どうせ、まだ武器も仕上がってないんだ。なあ』
『ばぁばと……ゼシア……仲良しさん……です……』
『エンネスオーネも仲良しだよっ!』
『おー、そうだねぇ。仲良しさんだねぇ。あー、よしとくれよ、二人も乗せたら、ばぁばの膝が満員になってしまうよ。ほら、見えた。あれがこれから行く、ばぁばの島だよぉ』
これまで聞いたことがないほど甘い声が聞こえ、ミーシャたちは顔を見合わせる。
「……今の声は、誰か?」
眉根を寄せ、怪訝そうにバルツァロンドが言った。
子供に甘いおばあちゃん――