魔王の呪い
俺の殺気に恐れをなしたか、エミリアは体を震わせ、じりじり後退する。
「どうした? 下賤な混血がそんなに恐ろしいか?」
「……え、偉そうな口を叩かないでください……恐ろしいわけがないでしょうっ!」
そう言いながらも、エミリアは後ろに下がり、逃げる機会を探っている。
「動くな」
俺がそう言うと、エミリアは<飛行>の魔法を使い、空を飛んだ。
「動くなと言っている」
途端にエミリアは体の動きを止め、魔力さえも自由に操れなくなった。
怒りを込めた俺の言葉に強い魔力がこもり、強制力を発揮した。それはエミリアの反魔法を難なく突破し、体と魔力を拘束したのである。
それでも、エミリアはなんとか逃げようとするが、今や彼女はダルマ同然だ。
みっともなく地面を転がることしかできぬ。
ゆるりと歩いていき、エミリアのそばに立つ。
彼女は屈辱と恐怖に染まった表情を浮かべていた。
「ふむ」
エミリアの首根っこを片腕で無造作につかみ上げる。
「……は、放しなさいっ……! なにをするつもりですか?」
質問を無視し、俺はそのままファンユニオンの少女たちが倒れている場所までやってくる。
そして、エミリアを地面に放り捨てた。
「……が、は……」
身動きできない彼女は受け身すらとれず、みっともなく地面を転がった。
「すぐに遊んでやる。せいぜい、それまで脅えているがいい」
そう言った後、俺はファンユニオンの少女たちに近づき、全員に魔法陣を描いた。
魔眼を働かせたところ、かろうじて息がある。
<治癒>の魔法を使うと、彼女たちの体はみるみる内に癒やされていく。
<創造建築>で焼け焦げた服を新しく創ってやった。
「……アノス様……」
彼女たちは目を覚まし、ゆっくりと俺を見る。
傷は治っても、意識はまだはっきりしていないのだろう。半ば呆然とした様子だ。
「……お母様を守ろうと思ったんです……だけど…………」
守れなかったと思っているのか、彼女は悔しそう顔を俯かせる。
「お前の名を聞こう」
「え……?」
「名だ。なんという?」
「……エレンです。エレン・ミハイス……」
俺はその隣にいた少女に問うた。
「お前は?」
「……ジェシカ・アーネートと申します……」
「お前は?」
「……マイア・ゼムトです……」
次々と俺はファンユニオンの少女たちの名を聞いていく。
ノノ・イノータ。
シア・ミンシェン。
ヒムカ・ホウラ。
カーサ・クルノア。
シェリア・ニジェム。
「エレン。ジェシカ。マイア。ノノ。シア。ヒムカ。カーサ。シェリア」
一人一人に俺は言った。
「お前たちの名を俺は生涯忘れんぞ。大儀だった」
どれだけ騒ぐことかと思えば、ファンユニオンの少女たちは言葉も発せないようで、ただ涙をこぼした。
「後はゆるりと休むがいい」
俺は踵を返し、再びエミリアの元にやってきた。
「さて。待たせたな」
エミリアの首根っこをつかみあげる。
「……わ、わたしをどうするつもりですかっ……!?」
「ここでやっては母さんも心配だろうからな。場所を変えるぞ」
俺は<転移>の魔法を使った。
一瞬、視界が真っ白に染まった後、目の前に映ったのは闘技場の舞台である。
エミリアを放り捨て、俺は言った。
「もう動いていいぞ」
ごろごろと転がったエミリアの方へ<創造建築>で創った魔剣を投げる。
彼女の頭の真横にそれはぐさりと刺さった。
「使え。お前の腐った性根が治るまで、叩きのめしてやろう」
エミリアは立ち上がり、俺に視線を向けた。
「混血のくせに、不適合者のくせに、わたしを見下ろさないでください……!」
「ほう。まだまだ元気そうだな。来い」
エミリアは魔剣を抜き、俺に斬りかかる。
途端に、その魔剣から電流が走り、エミリアの体中を蝕んだ。
「あっ……ぎゃああああああああぁぁぁぁぁっ……!!」
思わず、剣を手放し、エミリアは床に転がる。
「く。くくく。なんだ、エミリア。お前、そんな魔剣も扱えないのか? 大した皇族だな」
這いつくばりながらも、エミリアは俺を睨みつけてくる。
「……不適合者の分際で、偉そうに……ごがっ……!!」
エミリアの頭を踏みつけ、ぐりぐりと床に押しつける。
「口に気をつけろ、エミリア。今日の俺は優しくないぞ」
手を伸ばすと、地面に落ちた魔剣が浮かび上がり俺の手元にやってくる。
「命乞いをしてみたらどうだ?」
「……なにを……」
「俺を暴虐の魔王と認め、命乞いをしろと言っている。そうすれば、気が変わるかもしれんぞ」
エミリアは目に怒りを迸らせ、俺に言った。
「……滑稽なものですね。どんなにいきがったところで、あなたは暴虐の魔王ではありませんよ……。魔皇にすらなれない、下賤で低俗な、できそこのない不適合者なの――」
エミリアの体を地面に縫い止めるように、魔剣を背中から突き刺した。
「……あ……かふ……」
「見上げた態度だ。もう一度言うぞ。命乞いをしろ」
「だ、誰が――ぎゃああああああああああああああああああああああぁぁぁぁっっっ!!!」
魔剣から電流が走り、エミリアの全身に激痛をもたらす。
「……はぁ…………はぁ…………なにをしたって、あなたの血に、尊さがないことは……変わりません……」
「ふむ。別段構わないが。ところでこれは、蠱毒の魔剣と言ってな。なかなか面白い効果のある魔法具だぞ。剣を突き刺した宿主の体内を苗床とし、百匹の毒蠱が互いに食い争う。この毒蠱は宿主の激痛を糧に成長するため、内臓という内臓を食い荒らすことになる」
「……な……あぁ…………あ…………」
「そら、聞こえるだろう? 無数の毒蠱共が貴様の体の中を這いずり回る音が……」
「ぎゃっ……ぎゃあああああああああぁぁぁぁ……ぎええええぇぇぇぇっっっ……!!!」
悲鳴を上げるエミリアの頭に更に体重をかけてやる。
「もう一つ面白いことを教えてやろう。体内の毒蠱が食い争い、最後の一匹になったとき、その力は宿主のものとなる」
「…………ど、どういう…………?」
「わからぬか? 貴様が毒蠱になると言っているのだ。強い呪いだ。二度と元の姿に戻ることはできぬだろうな」
「あ、あなたは…………あなたは、どこまで卑怯なのですか……そのような行為で、皇族の尊さを貶められると思っているのですかっ……!!」
喚くエミリアを、俺は高みから見下ろしてやる。
「痛みが消えたようだな、エミリア」
「……え?」
「お前の体が段々と毒蠱に近づいている証拠だ」
途端に彼女の顔面が蒼白になった。
「……や、やめ…………」
「どうした? 続きを口にするがいい。皇族の尊さとやらに興味があるのだが?」
エミリアは屈辱に染まった顔で、声を絞り出した。
「……やめてください……お願いします…………」
「ふむ。残り一分といったところか。どうだ? 生まれ変わる気持ちは?」
「お願いしますっ! やめてくださいっ!! 助けてくださいっ!!」
「案外悪くはないものだぞ。少なくとも、今のお前よりは格段に強い魔力を得られる。それで俺に復讐してみてはどうだ? ん?」
エミリアはわなわなと体を震わせる。
「……あ、あなたには……血も涙もないのですかっ……!?」
「く、くくく。ははははは。血も涙もない? 俺がか?」
勢いよく、エミリアの顔面を踏みつける。
「笑わせるな、女。貴様は母さんになにをした?」
冷たい声に、エミリアは黙り込む。
「さて、そろそろ頃合いだ」
俺は沈黙し、時間が過ぎるのを待つ。
エミリアの顔からは、刻一刻と恐怖が溢れていくのがわかった。
「…………わ、わかりました…………」
「なにがわかったんだ?」
エミリアはぐっと歯を食いしばり、顔を屈辱に歪めながら、かろうじて、か細い声を絞り出した。
「……ぼ……暴虐の魔王、アノス・ヴォルディゴード様……どうか、あなた様のお情けを……賜りますよう……」
「断る」
エミリアはまるで子供のように、泣き出しそうな表情を浮かべた。
「……う、嘘をついたのですかっ……命乞いをすれば助けると……」
「気が変わるかもしれないと言っただけだ。だが、やはり変わらぬな」
エミリアは絶句する。目尻には涙が浮かんだ。
「残り五秒だ」
最早、エミリアは声を発することもできず、ただただ絶望に打ちひしがれていた。
「三、二、一」
彼女はぎゅっと目を閉じる。
「〇だ」
エミリアの体に変化はない。
更に一〇秒が経ち、二〇秒が経過しても、元の姿のままだ。
彼女は目を開く。
「どうして……」
「く、くくくく。ははははははっ。まだ気がつかぬのか? 蠱毒の魔剣などというのは嘘だ。いやいや、なかなかどうして、傑作だったな、さっきのお前は。あなた様のお情けを賜りますよう、だったか? ずいぶんとしおらしい声が出せるではないか」
汚辱を受け、エミリアの顔が真っ赤に染まる。
「命は助けてやる」
「……許……さない……………………!!」
俺の足をつかみ、エミリアは憎悪の目を向けてきた。
「……絶対に許しませんっ!! あなたがどれだけ強くても、あなたの力にはなんの尊さもないっ! 下劣で低俗な混血の力です! そんなもので皇族にここまでの屈辱を与えたこと、いつか、いつか……必ず後悔させてあげますっ……!! わたしができなくても、わたしの子が、わたしの子にできなくても、その孫が、末代まで、あなたを恨み続けてやりますっ!」
「エミリア」
俺は彼女の目をそっと睨み返す。
エミリアが俺に向けてきた、その何十倍もの憎悪を込めて。
「許さぬのはこちらの方だ。知らぬようだから教えてやるが、命は助けてやる、というのはな。死んで解放されるような生ぬるいことはせぬという意味だぞ」
俺はエミリアを蹴飛ばし、仰向けにする。
そして右腕を彼女の心臓に突き刺した。
「……か……は…………」
「永劫の果てまで呪いを受けよ」
ジタバタと足掻いたエミリアは、しかし、数秒後には息絶え、動かなくなった。
「思い知るがいい。貴様の傲慢さを」
床に魔法陣を描く。
すると、そこに茶色い髪、茶色い目をした少女が生まれた。
<魔族錬成>の魔法だ。
少女は目を開くと、心臓を貫かれているエミリアに驚き、仰け反った。
「わたしが、死んで……だけど、じゃ、このわたしは……?」
混乱した様子の少女に、俺は事実を伝えてやる。
「生まれ変わった気分はどうだ、エミリア?」
「なにこれ……わたしの体が……。魔力が……」
新しい体の魔力の弱さに、エミリアは驚きを隠せぬ様子だ。
「……こんな……こんな魔法で、こんな下賤な力で、わたしに恥辱を与えたつもりですかっ……!?」
腹の底から笑いが漏れる。
「く。くくく。はははははは。なるほど、下賤な力か。まあ、それはいいがな。しかし、エミリア」
見下すように彼女に言った。
「お前はいつまで皇族のつもりだ?」
「………………え?」
「<転生>の魔法でお前を転生させた。人間と魔族の混血にな。よく自分の魔眼で深淵を見つめてみることだ」
「……嘘……です……」
エミリアはがっくりと膝をつく。
全身をがくがくと震わせ、「嘘……嘘だ……」と譫言のように呟く。
何度も何度も魔眼で自分の体に流れる血を確認するが、どこからどう見ても混血のそれに間違いはない。皇族どころか、純粋な魔族ですらないのだ。
彼女は狂気に染まった顔で、ゆらりと立ち上がり、そばにあった魔剣に手を伸ばす。
「違う……。違う……。わたしじゃない……」などと呟きながら、自分の首もとに刃を当て、ぐっと力を込めた。
「死んでも構わぬがな、エミリア。お前の根源には呪いをかけておいた。何度死のうとも、未来永劫、混血の魔族に転生する呪いをな」
エミリアの首筋から血が流れる。
手からこぼれ落ちた魔剣が、カン、カランと床を弾んだ。
「……呪いを、どうやったら……」
「俺の呪いからは逃がれられぬ」
絶望的な言葉だったか、エミリアはその場に崩れ落ちた。
「……いや………………いや…………………………」
エミリアは首を振り、正気をなくしたような目で何度も何度も呟いた。
「違う立場となって、一度このディルヘイドを見直してみるといい。存外、自分の意見が偏っていたことに気がつくかもしれぬぞ」
「いや…………そんな……いやぁ…………」
俺は<転移>の魔法を使い、この場を後にする。
風景が真っ白に染まると、
「…………いやあああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ……!!!」
狂ったような絶叫が響いたのだった。
うーむ、まるで魔王のようではないか……。