思わぬ願い
「一つ」
五聖爵が一人、男爵レオウルフの声が響く。
隣の船室に身を隠しながら、サーシャとミサは身構えた。
姿を見られれば厄介なことになる。踏み込んで来たところを迎え撃ち、正体を知られぬ内に倒すか、さもなくば逃げる他ない。
ミーシャが天井を見上げた。
僅かに隙間がある。
「二つ」
三人は目配せし、うなずき合う。
『<深悪戯神隠>』
ミサが再び精霊魔法を使い、三人は霧化して天井の隙間へと向かう。
「三つ」
瞬間――天井からぬっと刃が突き出され、ミサの体に突き刺さった。
霧化しているはずの彼女の皮膚が避け、血がどっと溢れ出す。
『くっ……』
追撃とばかりに、天井から伸びた刃が振り下ろされる。
咄嗟に身を翻し、ミサたちは床に着地した。
『ミサ』
サーシャが振り向く。
ミサの胸に、折れた剣先が刺さっている。
奇妙なことに、刃が皮膚と同化し始めていた。回復魔法を使っているが、一向に治る気配はなく、徐々に傷口が広がっていく。
足音が響いた。
船室へレオウルフが入ってくる。
どういう理屈か、彼が手にした聖剣からはミサの血が滴っていた。
「手応えあれど、姿なし。面妖な魔法を使うものだな」
魔眼で見ようとすれば、存在を消すのが神隠しの精霊だ。その特性が備わった精霊魔法<深悪戯神隠>により、レオウルフの魔眼には、ミサたちが映っていない。
にもかかわらず、奴はその瞳をまっすぐ彼女たちの居場所へと向けた。
「されど、運が悪かったな。我が心眼は、貴様らの心を見抜く。姿を消し、魔力を消し、存在を消そうとも、心は消せぬが人の性」
ゆらりとレオウルフは聖剣を構える。
刹那、その魔力が無と化した。
「融和剣、秘奥が弐――」
ミーシャたちは地面を蹴り、三方にバラけた。狙いを分散させ、攻撃を受けなかった者が、レオウルフを倒す算段だ。
「――<同化増刃>!」
聖剣が床に突き刺さる。
直後、壁と床から逃げ場もないほど無数の刃が伸び、三人の体を串刺しにした。
服につけた二枚の羽根が斬り刻まれ、<深悪戯神隠>の効果が消えていく。
彼女らは姿を現した。
「同化した物質の分だけ、刃を増やせるんですの?」
聖剣に体を縫い止められながらも、ミサは不敵な笑みを浮かべる。
「名と所属を言え。目的はなんだ?」
ふふっとミサが笑う。
「なにがおかしい?」
「鍼治療をいくらなさったところで、脅しにはなりませんわ」
「……なるほど。理解した」
眼光を鋭くし、レオウルフは剣を構える。
そうして、地面を蹴った。
「まずは貴様の素っ首を斬り落とす!」
直後、ミサたちを串刺しにしていた無数の刃が、一斉に砕け落ちた。
「むっ……!?」
ミサとレオウルフが話している最中、サーシャが<破滅の魔眼>で聖剣の護りを削り、ミーシャが<源創の神眼>で脆い物質に創り変えたのだ。
「サーシャ」
「いくわよっ!!」
<源創の神眼>により、船室が氷の城内に創り変えられていく。魔力が外部へ伝わらぬように、強固な結界としたのだ。
間髪入れず、サーシャの瞳に<破滅の太陽>が浮かぶ。
その視線がレオウルフに突き刺さり、黒陽を照射する。
「融和剣、秘奥が壱――」
まっすぐレオウルフは聖剣を振り下ろす。
「――<和刃>」
放たれた黒陽を、奴は見事に斬り落とす。
恐らくあの聖剣はあらゆるものと融和する。溶けて混ざり合えば、両者は同質のものとなる。
ならば、破滅の光であろうと後は剣の技量でもって切断できるだろう。
「なかなかに手練れのようだ。三対一では骨が折れる」
レオウルフは<思念通信>を送ろうとしたが、しかしつながらなかった。
ドーム状の闇が、氷の城内を覆い尽くしていた。
<深印>により深化したミサの<深闇域>が、通信魔法を阻害しているのである。
「これでもうあなたは籠の中の鳥。逃げることもできませんわ」
「なるほど」
聖剣を構え、レオウルフは小さく息を吐く。
そうして、右手で融和剣を構え、左手で立体魔法陣を描いていく。
「<聖覇武道>」
奴の足下から魔法の線が延びる。
それは枝分かれし、室内にいくつもの道を構築した。
「我が武道、何人たりとも阻めはせん」
鋭い眼光が、ミサに突き刺さる。
レオウルフは姿勢を低くし、大きく一歩を刻んだ。必殺の一刀を放とうと、融和剣の魔力が桁違いに膨れ上がる。
そのときだ。
光の輪が闇のドームを照らした。
「…………!?」
なにかに気がついたか、飛びかかろうとしていたレオウルフは、寸前で踏みとどまった。
直後、光の輪が<深闇域>を消し去り、ミーシャが創造した氷の城内を瞬く間に溶かしていく。
あっという間に、辺りは元の船室に戻った。
大きな魔力を感じた。
人ではなく、神族のものだ。
それも普通の神ではない。
ドアの向こうから、足音も立てずに歩いてきたのは、純白の法衣を纏った少女である。
背には虹の輝きを放つ二枚の翼。頭には光の輪が浮かぶ。
そして、その全身は清浄としか言いようがないほどに神々しい光を発す。
「……天主……」
少女を庇うように、レオウルフがその前に立った。
「剣をお引きなさい、レオウルフ。彼女らは私の客人として迎えるがゆえに」
僅かに目を丸くしたが、レオウルフは聖剣を魔法陣に収め、<聖覇武道>を消した。
「天主の御心のままに」
ミーシャたちを一瞥した後、レオウルフは踵を返し、去っていく。
逃してはまずいとサーシャが咄嗟に<終滅の神眼>で睨みつけるも、少女の翼が放つ光が黒陽を消し去った。
すると、操舵室の方から複数の足音が聞こえてくる。
「レオウルフ殿っ!」
「先程、こちらから不審な音がっ?」
声が響く。
異変に勘づいた狩猟貴族たちが集まってきたのだろう。
「曲者はいない。ガルンゼスト卿への報告は不要だ。他の者にもそう伝えろ」
「「了解!」」
レオウルフと狩猟貴族らが操舵室から去っていく。
やがて、足音は完全に消え、船室は静寂を取り戻した。
「レオウルフは忠実な狩人。主神の命に背くことはなきゆえ、安心を」
少女の口から神聖な声がこぼれ落ちる。
ミーシャはその神眼を彼女へと向けた。
深淵を覗き、そっと問う。
「あなたが、祝聖天主エイフェ?」
ミーシャが尋ねる。
「ええ」
ミサとサーシャが、不可解そうに目配せをする。
彼女はこの聖剣世界ハイフォリアの主神だ。
その魔力や、男爵レオウルフの振る舞いからも間違いないだろう。
「どうして助けてくれた?」
「よき精霊、よき神と思ったがゆえに」
疑問を向けたミーシャに、エイフェは穏やかな表情を返す。
「……そんな理由で?」
サーシャが訝しむ。
なにか別の狙いがあるのでは、と勘ぐっているのだろう。
「私の神眼には、虹路が見える。虹路というのは、我が世界の住人が歩むべき正道であり、その人の良心が具象化した姿。そして、異世界の者であろうとも、よき者は虹路の片鱗を持つ。其の方らの心に、それは見える。すなわち、今日まで己が良心に背かなかったことの証が」
嫋やかにエイフェは言った。
「私は長きにわたって、ある形の片鱗を持つ者が訪れるのを待っていた。そして、其の方らがここへやってきた」
ゆっくりと祝聖天主は足を踏み出し、ミーシャたちのそばまで歩いてきた。
「どうか、名をお聞かせ願いたい」
ミサとサーシャが、ミーシャに視線を配る。
彼女はこくりとうなずいた。
「ミーシャ」
「ミサですわ」
「サーシャよ」
それぞれの名を、しっかりと受け止めるように彼女は言った。
「ミーシャ、サーシャ、ミサ。其の方らにお願いが。引き受けてくれるのなら、この狩猟宮殿への侵入を咎めることはなき。そして、祝聖天主エイフェの祝福を授けよう」
エイフェの心中を推し量るように、ミーシャは神眼を向けている。
嘘はなさそうだと思ったか、彼女は言った。
「祝福の代わりに、教えて欲しいことがある」
「それは、いかなること?」
「ハイフォリアの先王オルドフの居場所が知りたい」
すると、祝聖天主エイフェはその神眼を丸くし、驚きをあらわにした。
「……ああ……なんということ……」
そう呟いた後に、エイフェは三人を見た。
彼女は言う。
「私の願いもまた、オルドフに会うこと」
ミーシャが二度瞬きをする。
「もう一度彼に会い、確かめたい」
「……なにを?」
憂いに満ちた顔で、エイフェは言った。
「私が……祝聖天主エイフェの心が、真にハイフォリアの主神に相応しいのかを」
悩める主神は、なにを語るのか――