蠢く暗雲
地上に光が見えた。
上空を走る魔王列車がその明かりに照らされる。
誘導用のものだろう。
魔眼室が捉えた映像を、ミーシャが水晶に映し出した。山岳地帯だ。山肌と一体化した城がいくつも立っており、光はその内の一角から放たれているようだ。
『詳しい説明は、私の狩猟宮殿にていたします。どうぞ、その光を辿ってお越しください』
ガルンゼスト叡爵が言い、<思念通信>は切断された。
「バルツァロンド、このまま降りるとどうなる?」
ちょうど機関室に入ってきたバルツァロンドに俺は問う。
「狩猟宮殿の船着き場には、船を取り調べる術式が備わっている。勘の鋭い連中もいる。隠蔽魔法を使おうと、隠しきれるとは限らない」
イーヴェゼイノ接近に伴い、ハイフォリアに入ってくる船への警戒を強めているのだろう。
バルツァロンドやシルクをこのまま乗せておくのは得策ではなさそうだ。
「しかし、あそこはガルンゼスト狩猟宮殿。叡爵の本拠地だ。もしも先王の情報をガルンゼスト卿が握っているなら、その痕跡があるはず」
そうバルツァロンドがつけ加えた。
先王オルドフと通信できるなら、記録を残しているやもしれぬ。
そうでなくとも、叡爵の部下が情報を握っている可能性はある。
「シルク。霊神人剣を鍛え直す場所はどちらがよろしいですか?」
シンが問う。
「虹水湖の水が必要だから、できればそこがいいけど。アタシもハイフォリアには殆ど来たことがなくて……」
「虹水湖はガルンゼスト狩猟宮殿がある山の麓だ」
バルツァロンドが言うと、魔法水晶の映像が切り替わった。
「……目と鼻の先だけど、気がつかれないかしら……?」
ガルンゼスト狩猟宮殿下方にある湖へ視線を向けながら、サーシャが頭を捻る。
湖の水面では光が反射し、キラキラと虹のような輝きを発していた。
「虹水湖はガルンゼスト卿の管轄外だ。派手な動きを取らなければ、問題はない」
バルツァロンドがはっきりと断言した。
「でも、静かに鍛え直すなんてできるのかしら? バーディルーアじゃ、剣を打つ音が山を越えて響き渡ってたわ」
「う……!」
考えていなかったとばかりに、バルツァロンドは表情を歪める。
「音を遮断すれば問題あるまい。結界は不得手か?」
「甘く見るな。この伯爵のバルツァロンド、それしきの結界を作るぐらいわけもない」
「できるなら、なんで困ってたのよ」
サーシャの鋭い追求に、バルツァロンドは堂々と答えた。
「狩猟貴族は狩りが本分。獣を狩る以外の頭を待ち合わせてはいない」
「ちょっとは持ち合わせた方がいいと思うわ……」
呆れたようにサーシャは言った。
「では、霊神人剣組とバルツァロンドはここで降り、狩猟義塾院に気がつかれぬように虹水湖へ向かえ」
「御意」
シンが言い、彼らは最後尾の射出室へ向かう。
「ミサ」
「あ、はい。そうですよね」
ミサがシンたちを追いかけていき、レイの隣に並ぶ。
「……今回は、別行動ですね」
「戦いに行くわけじゃないし、ちゃんと帰ってくるよ」
「あはは……心配はしてませんけど、お父さんもいますし……あぅっ」
ミサが鼻の頭をシンの背中にぶつける。
突然、立ち止まった彼は眼光鋭く言った。
「油断なさらぬように。無駄口を叩けば、帰りが遅くなるかもしれません」
ミサとレイは苦笑いで顔を見合わせる。
「ミサ、そろそろ」
「はいっ」
ミサが白い指先を頭上へ伸ばせば、溢れ出した暗黒が彼女の身を包み込む。
そこに、無数の雷が走った。
檳榔子黒のドレスと、背には六枚の精霊の羽。深海の如き髪が伸び、彼女の真体があらわになった。
「<深印>」
水の紋章が現れ、それをミサは描いた魔法陣に組み込み、深化させる。
「<深悪戯神隠>」
シンやレイ、シルクたちの胸に、二枚の輝く羽根が現れ、ぴたりとくっついた。
一枚は妖精の羽根、もう一枚は隠狼の羽根である。
術式に<深印>を組み込み、深層魔法となった<深悪戯神隠>ならば、この聖剣世界の秩序の中でもそれなりの隠蔽が利くだろう。
射出室にたどり着くと、シンは立ち止まった。
「準備は?」
シルクはうなずく。
「行きましょう」
「<深悪戯神隠>は湖に着いたら解除されますわ。気をつけてくださいな」
シンたちの体が霧に変わり、射出室のドアの隙間からすうっと外へ抜けていく。
魔王列車があるため、ガルンゼスト狩猟宮殿からは死角になっている。<深悪戯神隠>を使っているため、そう滅多なことでは気がつかれまい。
彼らはそのままゆっくりと虹水湖を目指していった。
「ミサ。ミーシャ、サーシャ。狩猟宮殿到着後、隙を見て抜け出せ」
ミーシャがこくりとうなずき、サーシャが言った。
「狩猟宮殿に忍び込んで、オルドフの手がかりを探せばいいのよね」
「そうだ」
ミサは再び<深悪戯神隠>を使い、現われた羽根を自分たちにくっつける。
魔王列車はそのまま下降していき、狩猟宮殿の屋上に設けられた船着き場で停車した。
バルツァロンドの話では、船を取り調べる術式が備わっているとのことだ。
<深悪戯神隠>を使っているとはいえ、どこまで隠せるかが問題だろうな。
術式よりもむしろ、勘の鋭い連中とやらが厄介やもしれぬ。
「アルカナ、ともに来い」
機関室の扉を開け、俺とアルカナは魔王列車から降りた。
船着き場には多くの銀水船が停泊している。
俺たちを出迎えるように、正装の狩猟貴族たちがずらりと並んでいる。
中央にいた一人が前へ出た。
紳士然としたくせっ毛の男だ。腰に聖剣を三本下げ、羽帽子を被っている
「お初にお目にかかります。聖王より本狩猟宮殿の守護を任されました、叡爵のガルンゼストと申します」
羽帽子を取り、ガルンゼストは丁重にお辞儀をした。
「アノス・ヴォルディゴードだ。こちらは妹のアルカナという」
「よろしく、羽帽子の子」
一瞬鋭い視線でアルカナの深淵を覗いた後、ガルンゼストは微笑みを返した。
「どうぞ、こちらへ。状況を説明いたします」
ガルンゼストの足下で固定魔法陣が光輝く。
その上に俺とアルカナが乗れば、視界が真っ白に染まった。
次の瞬間、転移してきたのは大鏡が何枚も並べられた一室だ。
中央にある大鏡の前にいたのは、聖王レブラハルドである。
「魔王学院の助力に感謝する」
彼は振り向き、社交辞令のように言った。
「これだけ早く来訪したのは、事態に気がついてのことかな?」
「いいや、偶然だ」
大鏡に映っているのは、巨大な暗雲に包まれた銀泡――災淵世界イーヴェゼイノである。
巨大すぎて判別しづらいが、確かに刻一刻と移動している。
「この映像はどうやって映している?」
「偵察船からの映像です。界間通信となるため、現在の術式構成では一五分から三〇分ほど遅れていますが」
ガルンゼストが答える。
「ハイフォリアに接触するのはいつだ?」
「イーヴェゼイノは少しずつ速度を上げています。恐らくは、三、四日かと存じます」
ちょうどイザークが提示した期限を切った辺りか。
ハイフォリアを滅ぼすと言ったのは、脅しではないようだな。
「迎え撃つ予定だったけれど、これでただ待つわけにもいかなくなった」
努めて冷静にレブラハルドが言う。
「このまま衝突すれば、イーヴェゼイノもハイフォリアも無事には済まない」
ハイフォリアとイーヴェゼイノは天敵同士、聖王レブラハルドの見立てが確かなら、両者の戦力にそこまで大きな差はない。
戦場がハイフォリアならば狩猟貴族が勝ち、イーヴェゼイノならば災人が勝つ。
ゆえに民を危険に曝すのを覚悟の上で、ハイフォリアで迎え撃つ算段だった。
つまり――
「本来は小世界を動かす手段がなかったということか?」
「外から銀泡に触れようとしても、すり抜けてしまうのが秩序だからね。強い力で中から押せば、動く前に世界が壊れる」
「イーヴェゼイノをどうやって動かしているか調べる必要がある、か」
動かし方がわかれば、止めることもできよう。
さもなくば両世界とも、銀海の藻屑に消える。
「理想でいえば、そうなるだろうね」
「私見ですが、イーヴェゼイノを滅ぼす方が早いでしょう」
ガルンゼストが言う。
確かに、妥当な考えではある。
時間があるならばともかく、猶予は早くて三日だ。
「災淵世界の移動には、少なくとも災人が関わっているはず。奴を狩れば、止まる公算も高いと考えております」
「だが、それにはイーヴェゼイノへ乗り込まねばなるまい」
イーヴェゼイノが戦場ならば、あちらが有利だ。むざむざ死にに行くようなものだろう。
「最悪の場合は、そうでしょう。しかし、このまま衝突すれば、共倒れになります。災人は私たちが我慢できず、先に飛び出してくるのを待っているでしょう」
丁寧な口調でガルンゼストが言う。
「勇気を持って、引きつけるべきです。災人たちは獣。餌食霊杯を前にしてやれば、待つことができないのが彼らの本能というもの」
「ふむ。イーヴェゼイノに囮を向かわせ、災人どもを釣り出すわけか?」
俺の問いにガルンゼストがうなずく。
そうして、レブラハルドに進言した。
「いかがでしょう、聖王陛下? ご命令とあらば、このガルンゼスト、喜んで死地へ――」
「やめておけ」
ガルンゼストが俺を睨む。
「あちらが玉砕覚悟ならば、度胸試しにはならぬ」
「獣の牙がハイフォリアまで届くことはない。この世界は祝聖天主エイフェに守護された聖域だからね」
さらりとレブラハルドが言った。
「狩人の理性と獣の本能、どちらが上か教えてあげるといい」
その命に、ガルンゼストが深々と頭を下げる。
「必ずや、陛下のご期待に応えてみせます」
タイムリミットは僅か……。アノスはどう動く――