託されたもの
レイは洞窟の工房をぐるりと見回す。
「ここにも立派な設備があるみたいだけど、どんな工房ならいいんだい?」
シルクは首を左右に振った。
「アタシの工房なら、どんな剣でもいける。問題は秩序。霊神人剣エヴァンスマナは、聖剣世界ハイフォリアでしか打つことができない」
「限定秩序か」
俺の言葉に、彼女はうなずいた。
「そう、霊神人剣は祝福の限定秩序を有する。ハイフォリアの主神、祝聖天主エイフェに祝福された聖剣で、つまり彼女の権能だから」
「権能?」
レイが疑問を向ける。
「確か、元々は魔女ベラミーが鍛えた剣じゃなかったかい?」
その問いに、今度はバルツァロンドが答えた。
「権能の有り様は主神により異なるのだ。祝聖天主エイフェが有する権能の一つが、聖エヴァンスマナの祝福。これにより魔女ベラミーが鍛えた剣は、ハイフォリアの象徴へと生まれ変わった」
祝福して初めて、その物体が権能として働くということだ。
「それじゃ、天命霊王ディオナテクも同じ祝福の力を持っているのかい?」
「そうであり、そうでないとも言える」
バルツァロンドが説明する。
「先に述べた通り、ディオナテクはその人物に相応しき天命を下す神、という伝承にて生まれた精霊だ。いつしかディオナテクは第二主神と噂されるようになり、実際にその力を宿すまでとなった。彼女の世界には長らく二名の主神が存在することとなった」
主神の力を宿す精霊か。
霊神人剣にあれだけの力があるのもうなずける。
「転機が訪れたのは遙か昔、彼女の世界サイライナにアーツェノンの滅びの獅子が襲撃を仕掛けた」
サイライナというと、水算女帝リアナプリナの世界か。
「天命霊王ディオナテクはイーヴェゼイノに対抗するため、聖剣世界ハイフォリア、鍛冶世界バーディルーアと手を結んだ」
真剣な面持ちでバルツァロンドは言う。
「滅ぼすことが困難な獣どもを完全に屠るための武器が必要だった。ゆえに、ディオナテクは自らに天命を下した。天命霊王は霊神人剣エヴァンスマナに宿る、と」
己の身を犠牲にしてまで、アーツェノンの滅びの獅子を滅ぼさなければならぬ戦いだったということだろう。
「それにより奇妙なことが起きた。ディオナテクは祝福の限定秩序を持ちながらも、同時にかつての天命を司る力を失ってはいない。その力は聖エヴァンスマナの祝福と交わり、かの聖剣は定められた宿命さえも断ち切るといわれる」
確かに奇妙ではある。
だが、精霊は噂と伝承により不可思議なことを起こすものだ。
天命霊王があくまで宿っているだけと考えれば、聖剣自体の限定秩序に干渉しないのも納得できよう。
「そこのお兄サンの言う通り」
シルクが言った。
「とにかく、ハイフォリアに行かないと鍛え直すことはできないよ。他の世界じゃ、どれだけ条件を整えても祝福以外の秩序に干渉を受けるから」
すると、またバルツァロンドが口を開く。
「一から作るならばそうかもしれないが、鍛え直すだけならば、このバーディルーアで十分ではないのか?」
「普通の剣なら、そう。でも、霊神人剣はよろず工房の魔女ベラミーの最高傑作だ。そもそも普通の鍛冶師には持つことさえできないんだから。ここで鍛え直せるのは、それこそ剣を打った本人ぐらい」
ベラミーに頼めれば早かったのだがな。
事情が事情だ。仕方あるまい。
「ハイフォリアへ行きさえすれば、可能か?」
俺が問うも、シルクは即答しなかった。
「……必要なのは三つ……今言った通り、まずは場所、ハイフォリアじゃないと話にならない。次に頑丈で聖剣を打つのに適した大槌を十本。何本かは折れると思うから。最後に、アーツェノンの爪」
爪?
「なにに使う?」
「霊神人剣の刃は硬すぎて研げない。だから、天敵であるアーツェノンの爪を使って研がれた。その爪を切断できるぐらいに」
アーツェノンの爪と霊神人剣は、互いに相反する属性を持つ。
それを利用するわけか。
「……でも、アーツェノンの爪を手に入れるには、滅びの獅子と戦うしかないし……そもそも、それがあっても、やってみるとしか言えない……」
申し訳なさそうにシルクは、シンの表情を窺う。
「……霊神人剣を打つことができたのは、バーディルーア最高位の鍛冶師だけ……婆サンだけだ……」
「ふむ。では、どれも問題なさそうだな」
「え?」
俺は魔法陣を描き、そこから赤い爪を差し出した。
ボボンガから奪ったものだ。
シルクが驚いたようにそれを手に取り、じっと深淵を覗く。
「これって……?」
「アーツェノンの爪だ。それと」
更に魔法陣に手を入れ、白輝槌ウィゼルハンを手にする。
「霊神人剣を打ったものだそうだ。大槌はこれ一本で足りるだろう」
俺が差し出した大槌をシルクは丁重に受け取った。
そして、その深淵を確かに覗く。
「…………………………嘘……」
半ば放心したようになりながら、彼女は言葉をこぼした。
「これ……どう、して……?」
「お前がやる気になったなら、渡してくれと言われてな」
「……でも、これからイーヴェゼイノと戦争になるのに……? ウィゼルハンがなかったら、いくら婆サンだってまともに戦えやしない……」
そうだろうな。
いかにバーディルーアの元首といえども、本職は鍛冶師だ。
戦闘にそれほど適しているとは思えぬ。
「イーヴェゼイノと戦うからこそ、エヴァンスマナが必要ということだろう。ベラミーは聖剣世界との盟約により、これを自ら鍛え直すわけにはいかぬ。ゆえに、お前にウィゼルハンを託した」
その意味は問うまでもなく明白だ。
「シルク・ミューラー。お前の腕を信頼しているのだろう」
イーヴェゼイノとの交戦までに、シルクならば必ず霊神人剣を鍛え直すことができる。
そう確信しているからこそ、自らの武器を手放してまで、彼女に委ねたのだ。
「……なんで……」
シルクは唇を噛む。
表情には、複雑な心境が見て取れる。
「……いつもいつも……文句と小言と説教ばっかりで……まともに褒めたことだってないくせに……」
本人不在の場でさえ、シルクの話になれば文句ばかりではあったな。
腕については認めていたものの、手放しに褒めようとはしなかった。
才があると思っていたがゆえに、人一倍厳しく接していたのだろう。
こんなもので満足してもらっては困るとな。
だが、その厳しさの意図は、若い弟子にはあまり伝わっていないようだ。
シルクが増長しているとベラミーは言っていたが、真相は異なる。
二人の間に、すれ違いがあるのやもしれぬな。
破門にした後、なかなか戻ってこないのでは、さぞかしベラミーも頭を抱えていたに違いない。
「バーディルーア最高の鍛冶師のお墨付きだ。できぬとは言うまい?」
シルクは唇を尖らせる。
「……婆サンは、ホント時代錯誤……アタシは褒められて伸びるタイプだし……」
そう独り言のように呟き、彼女は顔を上げる。
白輝槌ウィゼルハンをくるくると回し、魔法陣の中に収納した。
「<収納工房>」
洞窟一帯に魔法陣が描かれ、工房がその中に収められていく。
魔法炉、鍛冶道具、魔鋼や、魔剣、聖剣があっという間に消え、ただの洞窟に早変わりした。
「じゃ、行こっか。ハイフォリア」
俺たちは洞窟を出て、船着き場に戻った。
オルドフの情報を得るため、どのみちミーシャたちをハイフォリアへ向かわせる予定だった。
シンやレイも行けるのならば、都合がよい。
「ハイフォリアまで先導する」
バルツァロンドが言う。
銀水船ネフェウスが飛び立ち、それを追って魔王列車が発進する。
俺は<思念通信>を使った。
「エレオノール。状況が変わった。これからハイフォリアへ向かう」
『ええっ? どういうことっ? 今、ゼシアの剣を作ってもらってるんだけどっ?』
「構わぬ。後で合流せよ」
『船はどうすればいいんだ?』
「バーディルーアもハイフォリアへ来るだろう。乗せてもらえ」
『あー、了解。頼んでみるぞ』
銀水船と魔王列車はみるみる上昇していき、黒穹を抜けた。
銀の海をハイフォリアの方角へ全速で進んでいく。
「エールドメード」
銀灯のレールを通じ、今度はパブロヘタラへ<思念通信>を送る。
熾死王の声が返ってきた。
『ハイフォリアへ入る許可は取った』
「条件は?」
『それがまさかのなしだ! オレたちには構っていられないといった様子で、レブラハルドはハイフォリアへ帰っていったぞ。いやいや、いったいなにが起きたのやら?』
「なにかわかれば報せろ」
<思念通信>を切断した。
魔王列車を走らせること数時間、前方に一つの銀泡が見えてきた。
銀灯の明かりと、純白の虹がいくつもかかっているのがはっきりとわかる。
『到着した』
「バルツァロンド。聖剣世界に戻ってはお前は自由が利かなくなるのではないか?」
現在のところ、バルツァロンドは霊神人剣のために独断専行で動いている、ということになっている。
今はまだ連れ戻されるような事態になっていないが、さすがにハイフォリアに戻っては聖王や他の五聖爵が放っておかぬだろう。
『銀水船で入らない限り、狩猟義塾院にもわかりはしない。ネフェウスは入界せずに、近海に潜伏。私は魔王列車に乗り、ハイフォリアに入る』
「ミーシャ」
俺が言うと、彼女はこくりとうなずく。
「射出室、扉を開放」
ミーシャの声とともに、最後尾車両のドアが開く。
銀水船から一人飛んできたバルツァロンドが、そこから魔王列車の中に入った。
「降りていい?」
「問題ない。入界許可を取ったならば、狩猟義塾院の警戒には引っかからない。あちらから接触してくるとしても多少の時間がかかる」
ミーシャの問いに、バルツァロンドが答える。
「では、適当な船着き場におり、霊神人剣とオルドフの調査、二組にわかれる。どちらも聖王には知られぬ方がいい。狩猟義塾院が接触してくる前に魔王列車から出ろ」
そう指示を出した。
「下降開始」
ミーシャの合図で、魔王列車はまっすぐハイフォリアへ入界していく。銀灯のレールを伸ばし、それをハイフォリア内部に固定する。
魔王列車はレールから外れ、黒穹を下降した。
やがて、視界は夜空に代わり、鮮やかな白い虹が目に映る。
そして――
『パブロヘタラ所属の船へ告ぐ』
「……なにっ……?」
と、バルツァロンドが声を上げた。
彼の説明とは違い、ハイフォリアに入るや否や<思念通信>が届いたのだ。
『こちらは狩猟義塾院、叡爵ガルンゼストと申します。所属と長の名、目的を開示願えますか?』
「転生世界ミリティア元首、アノス・ヴォルディゴードだ。先に報せた通り、力を貸しに来た」
そう<思念通信>に応答する。
『承っております。現在ハイフォリアは厳戒態勢にあります。滞在中、船はこちらの監視下へおくため、指定の場所へ下ろしていただくことになります』
ふむ。少々、動きが取りにくくなりそうだな。
「イーヴェゼイノとの交戦までにはまだ猶予があるはずだが、幻獣機関に動きでもあったか?」
『幻獣機関の動きは不明でございます。しかし、銀泡が動いております』
深刻な声で、ガルンゼストは言った。
『イーヴェゼイノ自体がこのハイフォリアに接近しているのです』
災淵世界が、丸ごと動き出す――