相剣
服の袖で、ジルは涙を拭う。
「……ありがと……それから――」
彼の帽子に魔法陣が描かれる。
帽子が浮き上がり、そこからジルの体へ光が降り注いだ。
魔法具なのだろう。
その髪色が茶色から鋼色に変わった。
少年の体が丸みを帯びて、少女のものへと変わっていく。
見覚えのある姿へと――
「嘘ついて、ゴメン。ぼく……アタシは、ジルじゃない。本当の名前はシルク……」
彼女はまっすぐシンを見つめた。
「シルク・ミューラー」
その少女は、確かに写真に映っていたシルク・ミューラーそのものだった。
「なぜ少年の姿に?」
「……婆サ……魔女の親方が、アタシを連れ戻そうとして人を寄越すんだ……破門にした手前、よろず工房の職人には頼めないから、部外者を雇って。だから、見つからないようにしてた……」
シンがそうだったように、姿を変えてしまえば部外者に見抜くのは難しい。
深淵を覗こうとも、根源を見たことがなければ意味がない。
「私のことも、ベラミーに雇われた者だと思ったのですか?」
シルクはこくりとうなずいた。
「……フィリシアの鞘は、遠くの森に置いてあるから……そこを探している内に、別の場所へ逃げようと思ってた……」
「では、先程の話は?」
「……あれは、嘘じゃなくて……ぜんぶアタシの話……」
口が上手いわけではないのだろう。
咄嗟に嘘も思いつかず、殆どは事実を話した。
シンはシルクのことをあまり知らぬため、やり過ごせると思っていたか。
無論、後々シルクのことを知れば気がつかれるが、その前に行方を暗ますつもりだったに違いない。
騙そうとしたことに負い目を持っているのか、彼女は俯き加減でシンを見つめ、恐る恐るといった風に切り出した。
「その、もう少しだけ……聞いてもらっても……いい…………?」
震えた言葉とは裏腹に、彼女は訴えるような強い瞳をしている。
「ええ」
「……ありがと……」
シルクは歩を進め、ゆっくりとしゃがむ。
視線の先には、折れた翼迅剣の剣先があった。
「……最初は……」
折れた剣身を、悲しげに見つめ、シルクはぽつりと呟いた。
「……最初は、アタシの剣を使いこなせない奴らが悪いんだって、思ってた……アタシは最高の剣を造ってる……魔女の親方にも負けてないって……」
自嘲するような表情で、彼女は指先を剣に触れた。
「だけど、どれだけ良い剣を造っても、どれだけ褒めてもらっても、みんなが認めてないのはわかった。使い手のいない剣が、どんなに名剣だって言われても……実際には紙一枚、斬れやしないから……」
淡々とした言葉に、悔しさが滲む。
「……だから、アタシの剣を使える剣士を探した。呼びかけたら、色んな世界から人がきた。名高い剣豪も、お兄サンより魔力の強い人もいたよ。どこかの元首だって」
暗い表情で、虚ろな目をして、淡々と彼女は言う。
「でも、誰一人、アタシの剣をまともに振れた人はいなかった……」
魔剣や聖剣を掌握するだけの強大な魔力があれば、ねじ伏せることはできよう。
だが、それでは使い捨てることはできても、使い続けることはできぬ。
剣の真価を発揮するとなれば、尚のこと難しいだろう。
「……すぐに魔女の親方に止められたよ。許可を出すまで、アタシの剣は誰にも持たせちゃいけないって……」
下手をすれば、使い手は滅ぶ。
悪評を広めぬための措置だろう。
「アタシは、もう剣士なんか知らないって思った……アタシの剣の価値はアタシがわかってる……ただ良い剣を造れればいいって……だけど……」
顔を上げ、シルクは工房に飾られた剣を見た。
「……喋らない剣たちが、アタシに無言の抗議をしている気がした……どうして使ってくれないんだって……」
シルクはそこに項垂れる。
まるで、剣たちに頭を下げているかのようだった。
「……アタシのエゴなんじゃないかと思えてきた……誰にも使われないこの剣たちがいったいなんのために生まれてきたのかって考えたら……可哀想で……アタシは、剣が打てなくなった……」
それでベラミーにはやる気がないと思われたわけか。
「……親方には叱られたよ……この銀水聖海に使い手が一人しかいない。いつ現れるかもしれない剣士のために、一振りの剣を打つのがバーディルーアの鉄火人だって……」
「納得できなかったのですか?」
「だって」
唇を尖らせ、シルクは不満をあらわにする。
「……剣は道具だ。情をかけたらいずれ痛い目を見るって、くどくどくどくど言ってくるの……あの婆サン……! そんな言い方ってあるっ?」
「一理ありますね」
シンの言葉に、シルクは目を丸くする。
「剣を大切に扱うのは、鍛冶師なら普通のことでしょ」
「あなたには、剣を庇って死にそうな危うさがあります」
率直に言われ、彼女は一瞬答えあぐねる。
「…………しない、と思う……そこまでは…………」
たぶん……と、か細い声で、シルクはつけ足した。
「親方に説教をされて、よろず工房を出たのですか?」
「それは、なんていうか、売り言葉に買い言葉で」
シンは視線で疑問を示す。
「そんなに剣が可哀想なら、たまにはまともに扱えるものを造ってみればいいじゃないかって言われたから、じゃ、造ってやるって啖呵きって――」
折れた翼迅剣に、シルクは再び視線を向けた。
「この剣を作った。誰にも扱えない剣じゃなくて、ちゃんと使ってもらえる剣。魔鋼や炎から聞こえてくる声に初めて逆らった」
折れた剣先を優しく撫でながら、シルクは言う。
「使い手を蝕むことのない聖剣ができたよ……親方もまあまあマシな剣だって言ってた。それから、扱えるように造るべきだって。アタシは使い手に合わせるべきだって……」
剣を打たぬシルクに、どうにか打たせたかったのやもしれぬな。
才気溢れる未熟な彼女を導くのに、ベラミーは相当悪戦苦闘していたと見える。
乏しい経験とはアンバランスなほどに、技量だけが突出しているのだから。
「仲間たちも、ようやく前に進んだって言って……これが正解なんだって……でも……」
彼女の手が震える。目尻には、涙が滲んだ。
「……どうしても……」
シルクは服の袖で涙を拭う。
「……どうしても…………」
拭っても拭っても、とめどなくその雫はこぼれ落ちる。
「……どうしても、アタシ……アタシは……これが良い剣だとは思えなくて……全然まったく思えなくて……ただ、ただ、可哀想で仕方がなくて……」
使い手が使える剣を作る。
鍛冶師として特別、間違ったことをしたわけではない。
むしろ、自然なことだろう。
だが、シルクにとってそれは、本来あるべき生命をねじ曲げる犯してはならない罪だった。
「……それが鍛冶師の仕事だっていうなら、アタシにはできないと思った……だから、なにも造らずにいたら、破門にされた……」
彼女は僅かに唇を噛む。
「……でも、少なくとも一つは親方の言う通りだった……」
シンと彼が手にする屍焔剣ガラギュードスに、シルクは視線を向けた。
「……いつか、この広い海のどこかで、アタシの剣を扱える剣士に出会えるって……そのときは、そんな人いるわけがないって無視したけど……」
彼女は折れた翼迅剣を魔法陣に収納すると、立ち上がった。
「お兄サンの名前は?」
「シン・レグリア」
「じゃ、シン」
涙に濡れた赤い目には、しかし力強さが宿っている。
「アタシに、剣を一本鍛え直して欲しいんだったよね?」
シンはうなずく。
「……じゃ、お願い。どんな剣でも言われた通りに鍛え直すから、その代わりに、アタシの相剣になって……!」
シルクは深く頭を下げる。
「相剣とはなんですか?」
「……あ、そっか」
と、彼女は慌てて説明を始める。
「バーディルーアだと鍛冶師専属の剣士を意味する言葉で……鍛冶師が鍛えた武器を使ってみて、改良点を伝えたり、それと剣比べっていう剣の出来を比べる鍛冶大会があるんだけど、そこで剣士として登録できたりする人のことで……?」
シルクは、シンの反応を窺う。
「私には仕えるべき主君がいます」
「……うん……」
「我が君の命に背かない限りは、あなたの相剣として戦いましょう」
あっと驚いた後、彼女の顔に喜びが広がっていく。
「いいのっ?」
「ええ。この屍焔剣はよい魔剣です。あなたが作る剣でしたら、命を預けるに値するでしょう」
感極まったように、シルクはずいと前へ出た。
「じゃ、それじゃ、どんな剣にしよっかっ? とりあえず何本ぐらいいるっ?」
「そうですね。様々な種類の魔剣を。できれば――千本ほど」
「千本っっっ!?」
びっくりしたようにシルクは声を上げた。
「そんなに使ってくれるのっ!?」
嬉しさを抑えられない様子だ。
「……待ってて、すぐ始めるからっ……!」
足下に魔法陣を描くと、シルクの服が変わっていく。
体には前掛け、両腕にグローブ、頭にゴーグルが装着された。
「いえ」
すぐさま作業を始めようとしたシルクは、ピタリと足を止める。
「鍛え直す方を先に」
「……あ、そうだった、ゴメン。今、その剣は持ってるの?」
「手元にはないのですが、そろそろ――」
足音が響く。
「ちょうど来たようです」
振り返ったシンの視界に、俺とレイ、バルツァロンドの姿が映った。
シルクの視線が、レイが手にした聖剣に釘付けになる。
じっと魔眼を凝らし、そして長い耳を傾ける。
「…………それ……もしかして……?」
「霊神人剣エヴァンスマナです」
シンが言うと、レイがその剣を差し出した。
「天命霊王ディオナテクの声が聞こえるようにして欲しいんだ。できるかな?」
シルクが魔法陣を描き、その上に霊神人剣を載せる。
真剣な面持ちで、彼女は剣の深淵を覗く。
彼女は言った。
「……まず、少なくとも、ここじゃできないよ……」
霊神人剣を鍛え直すために必要なこととは――