鍛冶師の誇り
ばつが悪そうにジルは視線を背けた。
「……嘘じゃない……その魔剣は確かに、シルク・ミューラーが作ったものだ……」
「では、あなたの腕が上だと言うのですか?」
ジルは返事に窮する。
「……お兄サンは、シルクがどんな剣を造るか知らないよね?」
シンはうなずく。
「ただ腕の良い鍛冶師とだけ」
「ぼくとは全然違うよ」
言葉を探すようにしながら、彼は言う。
「ぼくの剣は、見てくれだけだ……切れ味が鋭く、強靱で、莫大な魔力が秘められている。そういう風に見えるよ。だけど、この剣じゃ、なにも斬れない」
ジルは洞窟の工房に置かれている幾本もの魔剣を見つめた。
「……これはぜんぶ剣じゃない……ただの飾り物だよ……」
自嘲するようにジルが言った。
「そうは思えませんが?」
「……どこから話せば信じてもらえるかなぁ……」
困ったように彼は天を仰ぐ。
「ぼくもね、よろず工房の職人で、魔女ベラミーの弟子だった……って言っても、バーディルーアじゃ、鍛冶師の大半がそうなんだけど……」
「今は?」
寂しげな表情で、ジルは目を伏せる。
「やめた。ぼくには才能がなかった」
彼はくるりと振り向いた。
「ぼくたち鉄火人は耳がいい。熟練した鍛冶師は、自分が鍛えた剣の声が聞こえるようになるっていうぐらい。だけど、ぼくは何百年も剣を打って、それを一度も聞いたことがない」
「それで才能がないと?」
ジルはうなずく。
「……ぼくは、剣を造ろうと思ったことがなかった。ただ魔鋼や炎の声に耳を傾けただけ。彼らが訴えるんだ。こういう風に造ってほしい、こういう風に生まれたいって。ぼくはただその通りに、槌を振るう」
彼は歩いていき、置かれていた金属の塊、魔鋼に手を触れる。
「だけど、完成して剣になれば、聞こえていた声は消えてしまう」
悲しげな声がぽとりとこぼれ落ちる。
「ずっと、ぼくはなにかを間違えていると思っていて、ぼくがもっと上手になれば、ちゃんとした剣を打てるようになるって思って……」
言葉に詰まり、ジルは唇を噛んだ。
「……でも結局、一度も造れなかった……」
「鉄火人は、素材の声も聞こえるのですか?」
「……それは、ぼくだけみたい……魔女の親方も、魔鋼の声なんて聞こえてないって……」
自嘲気味に彼は笑う。
「だから、言われたよ。自分の意思で、剣を打ったことがあるのかいって。確かにぼくは、魔鋼の声に従っているだけだった」
感情を押し殺した声が、工房に響く。
「造ることができたのは、使い手を蝕む剣だけ。燃やされ、焼かれ、凍らされ、腐らされ……剣によって色々だけど、手にしただけでただじゃすまない。聖剣でも魔剣でもそれは同じ。剣を振るえば、使い手は滅ぶ……」
目を伏せながら、ジルは語る。
「扱えるように造るべきだって言われたよ。ぼくは使い手に合わせるべきだって。剣はあくまで道具で、誰にも扱えない道具はただの飾り物なんだって。ましてや、振るえば滅びるかもしれない剣なんて、抜こうとする人すらいない」
彼は唇を引き結ぶ。
重苦しい緊張が、しばらく続いた。
「でも、できやしなかった……」
「なぜ?」
「……声を、無視できなくて」
長い耳をぴくりと動かし、ジルはそれを傾ける。
「魔鋼の声、炎の声、空気の声、色んな声がいつも耳に響いてる。それが、ぼくには生まれたがっている生命の声に聞こえて……その子たちをちゃんと生んであげなきゃいけないって思った……」
ジルは拳を握る。
強く、爪が皮膚に食い込むほどに。
「剣はぼくの意思で作るものじゃない。ただぼくの腕を通して、本来あるべき生命を形にしてるだけなんだ……だから……」
「よろず工房をやめたのですか?」
小さくうなずき、ジルが肯定を示す。
「……魔女の親方の言うことはわかる……きっと、剣としてはそれが正しくて……ぼくも、試してみたんだ……」
ジルは言葉に詰まる。
今にも泣き出しそうな声で、彼はその想いを吐き出した。
「……でも、どうしても上手くいかなかった……本来あるべき生命を、ねじ曲げるなんて我慢できなかった……」
表情を歪め、ジルは歯を食いしばる。
理想と現実に折り合いがつけられず、もがき苦しんでいるのだろう。
「私には、あなたが間違っているとは思えませんね」
シンは率直に述べた。
「あなたはあなたのやり方で、その道を極めればいいのでは?」
目を丸くし、ジルは驚きを見せる。
そして、ほんの少し笑った。
「ありがとう。でも、気を遣ってくれなくていいんだ。本来あるべき生命を……なんて言いながら、ぼくは結局、完成した彼らの声を聞いたことは一度もない」
飾られた魔剣の前に歩み出て、ジルはその柄に触れる。
炎が溢れ出し、その指先を焼いた。
だが、意にも介さず、彼は手を柄から放さない。
「……結果は出てる。ぼくのやり方は間違っている。それがわかっているのに、他のやり方が正しいとはどうしても思えない……それは、エゴだよ……」
刃に触れ、剣身を抱き締めるようにジルは魔剣に身を寄せた。
「エゴだから、ぼくの剣は誰にも必要とされないのかもしれない。そんなのは、剣が可哀想だ」
鉄火人というのは、ここまで剣に深い愛情を注ぐものなのだな。
それとも、ジルが特別なのか。
まるで、我が子に懺悔するかのように、彼はその瞳から涙をこぼした。
「……ぼくと違って、シルク・ミューラーの魔剣はちゃんと作れてる……」
炎の魔剣から手を放して、ジルはシルク・ミューラーの作った翼迅剣フィリシアをつかんだ。
それを振るって見せたが、ジルの魔剣のように使い手に牙を剥くことはない。
「ちゃんと人が扱える剣だ……」
「そうでしょうか」
「え……?」
「私にはその剣の悲嘆が見える気がします」
戸惑ったような表情を浮かべるジルをよそに、シンはゆるりと歩いていき、先程彼が手にしていた魔剣の前に立った。
「――屍焔剣ガラギュードス」
深淵を覗き、シンはその銘を見抜く。
「この剣が、なにを求めているかわかりますか?」
しばらく考え、ジルは首を左右に振った。
「……わからない。ぼくには剣の声が聞こえないから……」
彼はシンをじっと見つめる。
「お兄サンには聞こえるの?」
「いいえ。しかし、一つだけわかります」
シンは手を伸ばし、屍焔剣ガラギュードスをつかんだ。
途端に炎が溢れ出し、彼の指先を焼き始める。
「剣は主を求めるものです。自らを振るうに相応しい、その使い手を、彼らは幾星霜でも待ち続けることでしょう」
シンは屍焔剣の鞘に手をかける。
瞬間、炎が全身に燃え移った。
ジルが血相を変える。
「ダメッ! すぐに放してっ! その鞘は魔剣の力を押さえるものなのっ! お兄サンの魔力じゃ、根源ごと焼き尽くされるっ!」
「ジル」
炎に身を焦がされながらも、まるで動じることなく、シンは鞘と柄を握る。
少年はそれを見て、息を呑んだ。
剣に精通したものならば、誰しも目を奪われただろう。
剣と人が一体となったかのような、美しき構えだ。
「あなたほど剣に深い愛を注ぐ鍛冶師を、私は初めて目にしました。その愛と情熱と、研鑽を続けてきた日々に敬意を表し、教えて差し上げましょう」
「わかったからっ! いいから放してっ! 剣を抜く前ならまだっ!」
ジルの言葉に耳を貸さず、シンは静かに目を閉じる。
その魔剣――屍焔剣ガラギュードスに全神経を研ぎ澄ました。
言葉では止められないと悟ったか、ジルは弾き出されたかのように前へ出て、翼迅剣フィリシアを振りかぶる。
魔力が渦巻き、彼の体が一瞬ふわりと浮いた。
「――ごめんっ!」
目にも止まらぬ速度で、翼迅剣フィリシアが迫る。狙いはシンの右手だ。屍焔剣を弾き飛ばすつもりだろう。
その刃が、シンの手の甲に傷をつけたその瞬間だ。
紅い剣閃が空間を斬り裂く。
目を見開き、言葉も発せず、ジルはただただその光景を眺めていた。
根元から綺麗に切断されたのは、少年が振るった翼迅剣フィリシア。
眼前には、抜き身の刃をあらわにした屍焔剣ガラギュードスがあった。
鞘から抜き放てば、使い手の根源を燃やし尽くす魔剣。
溢れ出し、己が身を焼く必滅の炎をシンは見切り、僅かに急所を外した。滅びかけた彼の根源が滅びを超越し、そして同時に屍焔剣を振るったのだ。
己を御した魔族を主と認めるように、ガラギュードスの炎はふっと消えた。
「……う…………そ…………」
信じられないといった様子で、ジルはシンの手の中にある屍焔剣を見つめている。
その表情には驚き以外の感情が溢れ出ていた。
「おわかりでしょうか?」
ザンッとシンはガラギュードスを床に突き刺す。
「あなたが鍛えた魔剣は、シルク・ミューラーの魔剣に勝る。あなたの歩んできた道は、なに一つ間違えてはいません。ただ相応しい使い手がいなかった、それだけのことでしょう」
なおも呆然と、ジルはシンを見つめた。
誰にも扱えないはずだった己の剣を、いとも容易く操る剣士を。
「ジル」
シンは言う。
「あなたにお願いがあります。一本の剣を鍛え直していただけませんか?」
「……シルク・ミューラーに頼むんじゃ……?」
息を呑んで、ジルは尋ねた。
「あなたが相応しいでしょう。翼迅剣フィリシアには魂がこもっていません」
シンがそう言うと、彼は一粒の涙をこぼす。
地獄の底でもがき続けていた者がようやく救済されたような、そんな顔だった。
巡り会った剣士と鍛冶師――