鍛冶世界バーディルーア
窓の外には、銀水が見える。
銀灯のレールを敷きながら、魔王列車は銀水聖海を走っていた。
バルツァロンドが乗る銀水船ネフェウスが、鍛冶世界までの道を先導している。
『なるほどなるほど。つまり、オマエたちがバーディルーアに立ち寄っている間に、聖王からハイフォリアへ入る許可を取りつけておけ、と』
銀灯のレールを通し、第七エレネシアにいる熾死王の声が<思念通信>にて届く。
『まあ、災人イザークと一戦交えるならば、戦力はいくらあっても困らないとは思うが、いやいや、しかしだ。あの男も相当にきな臭い。一筋縄でいくかどうか?』
厄介事を楽しむかのような、もったいつけた言い回しである。
「ハイフォリアに入る口実があればよい。手法はお前に任せる」
機関室の玉座より、俺はそう命ずる。
『任せてもらうのは構わないが、こちらにはお目付役がいない。後がどうなるか?』
愉快そうな声が響く。熾死王の含み笑いが目に浮かぶようだ。
「構わぬ。なるべく穏便に済ませろ」
『さすが魔王、剛気ではないか。ああ、それとオマエが術式改良を施した<深印>の件だが、使い物になりそうだ』
第七エレネシアを出る前に、改良した術式をエールドメードに教え、検証するように言いつけておいた。
『生徒一〇人に試してもらったが、三人が魔法陣の構築、一人が魔法行使まで達成した。もう少し訓練すれば、実戦でも使えるレベルになりそうだ』
すると、不思議そうにサーシャが首を捻った。
「うちの生徒たちが使えるって、<深印>は火露を触媒にする魔法よね? 火露を使わない術式に改良したんだったら、それこそアノスみたいに、莫大な魔力が必要なんじゃないの?」
『カカカ、無論、火露を使ったときほどの効果はないがね。<深印>が火露を必要としていたのは魔力増幅の役割の他、属性変換に使われるからだ』
「属性変換? 魔法属性の変換をするってこと?」
耳慣れぬ言葉に、サーシャは疑問を浮かべている。
「<深印>は、潜水属性の限定秩序」
淡々とミーシャが行った。
「潜水属性ってことは、<水中活動>と同じ?」
こくりとミーシャがうなずく。
「魔法の深度を海と捉え、そこへ魔法を潜らせる術式。だから、浅層魔法が深くなる」
『その通り。もっとも、どこまで深く潜れるかは魔法によるようだ。たとえば、<灼熱炎黒>の魔法は<深印>でもまったく変化しないが、<火炎>ならば深層魔法に変わるといった具合に』
つまり、<深印>を使う場合に限っては、本来上位の魔法である<灼熱炎黒>は、最低位の<火炎>に劣る。
どの程度深化するかは、魔法によって千差万別。
今のところ、法則性は見当たらぬ。
「んー? ちょっと待って。話が飛んでるぞ」
エレオノールが目線を上へ向けながら、人差し指を立てる。
「魔法属性の変換はどうなったんだ?」
『よく考えてみたまえ。オレたちの常識では<深印>が限定秩序だったところで、<水中活動>より上位魔法というだけだ。しかし、他の世界の住人はどうだ?』
エールドメードの説明に、彼女ははっとした。
「あー! そっかそっか。限定秩序の魔法は他の小世界だと殆ど使えないんだっ!」
銀城世界バランディアスならば築城属性、思念世界ライニーエリオンならば思念属性の魔法以外、限定秩序の魔法は使うことができない。
「でも、それってなんか変よね。わたしだって、破壊神の秩序は持ってるけど、それを抑えて、限定秩序の潜水属性魔法を使うことぐらいできるわ。創造魔法はさすがにちょっと難しいけど」
サーシャが言う。
『それは転生世界ミリティアならではの特性だ』
バルツァロンドの声が響く。
この距離ならば銀水聖海といえども、魔法線をつなげ<思念通信>を使うことはできる。
『ハイフォリアにも破壊神は存在するが、どれだけ抑えようともハイフォリアの限定秩序である祝福属性の魔力を消し、魔法行使などできはしない。ミリティア世界が主神のいない不完全な世界であるがゆえに、その自由さがもたらされているのだろう』
『つ・ま・り・だぁっ! 限定秩序である<深印>を行使するために、他世界の者は火露を触媒としなければならない。しかし、我らがミリティア世界の住人はその秩序の枠に収まらないというわけだ。カカカカ、これではどちらが不完全な世界かわからないではないかっ!!』
痛快そうにエールドメードが言い放つ。
「第三魔王ヒーストニアとやらは別らしいがな」
災人の言葉を思い出しながら、俺は言った。
「ミリティア世界以外の住人でも、他世界の限定秩序を使える人がいるってことかしら?」
「いたとしても不思議はあるまい」
主神のいない世界が、ミリティアだけとは限らぬ。
それ以外に別の方法があるのやもしれぬ。
銀海の魔王たちは不可侵領海、パブロヘタラには情報もないことだしな。
「あるいは、その第三魔王が潜水属性の世界出身といったことも考えられる」
どちらにせよ、今はさほど気にすることではあるまい。
「<深撃>はどうだ?」
『そっちを使いこなせたのは冥王ぐらいだ。同じく潜水魔法だが、これは魔法ではなく打撃や剣撃などをより深いところへ届かせる。<武装強化>に近い使い方になるが、魔力の消耗が大きすぎると言っていた。魔王の右腕や勇者の見解を聞きたいところだが?』
霊神人剣を見ていたレイが、顔を上げる。
「一応、試してはみたよ。イージェスが言う通り、魔力の消耗が大きいから常用は難しい。勝負どころで使うのが一番いいかな」
『カカカ、勇者はこう言っているが、魔王の右腕?』
熾死王の問いに、シンは静かに口を開く。
「私と彼はさほど魔力量に差はありませんが、彼の一〇倍は長く<深撃>での戦闘を行えるでしょうね」
『なるほどぉ。そうかそうか。そうではないかと思っていた』
シンがどういった<深撃>の使い方をするか、予想がついていたのだろう。エールドメードは楽しげにひとりごちる。
『そのやり方でいけるのなら、アイツらも一撃ぐらいは<深撃>が使えるかもしれんな』
「では、<深印>と相性のよい魔法を探し、戦闘訓練を行え。可能ならば切り札に<深撃>も覚えさせよ」
『偉大なる魔王の仰せのままに』
大仰に言って、エールドメードは<思念通信>を切断した。
「さて、バーディルーアに着くまで残りの者にも<深印>と<深撃>を叩き込む。ハイフォリアでは災人イザーク、あるいは五聖爵と戦うことになろう。相手にとって不足はあるまい」
「不足はあってくれても全然いいんだけど……」
ぼやくサーシャの隣で、ミーシャが微笑む。
「アノスが言うならできる」
「でも、絶対めちゃくちゃ厳しいやつだわ」
「安心せよ、サーシャ」
笑みをたたえ、不安がっている彼女へ言った。
「懇切丁寧に優しく教えてやる」
サーシャの表情が無に近づいた。
「くはは。感動して言葉もないか」
「絶句してるんでしょうがっ!」
騒がしいサーシャの言葉をよそに、俺は早速、魔法教練を始めることにした。
とはいえ、魔王学院の生徒たちはほぼ熾死王に預けてきた。こちらで時間がかかりそうなのは、エレンたちファンユニオンぐらいだろう。
ひとまず、覚えが良さそうなミーシャやミサに教え込み、他の者たちへ広めてもらう。その間、俺は直々にファンユニオンに教練を行った。
時間は瞬く間にすぎていき――
『まもなく到着する。前方にあるのが、鍛冶世界バーディルーアだ』
バルツァロンドから<思念通信>が届く。
魔法水晶の<遠隔透視>に映っているのは、巨大な銀泡である。降下していく銀水船を追いかける形で、魔王列車もゆっくりと下りていく。
銀灯の明かりを抜け、黒穹へ入る。
「線路固定――完了。脱線」
ミーシャの声とともに、銀灯のレールがそこに固定され、魔王列車の車輪が線路から外れる。
俺は魔法線を延ばし、そのレールとつないでおいた。
これで第七エレネシアにいる熾死王といつでも通信できる。
更に魔王列車が下降していけば、見えたのは星明かりの夜空にもうもうと立ち上る幾本もの煙である。
地上には都市が形成されており、数多の鍛冶工房がある。煙突から噴き出される煙が、バーディルーア中を覆い尽くしていた。
耳に遠く響くのは、魔鋼を打つ大槌の音。
そこかしこから絶え間なく、鍛冶世界に響き渡っている。
「ベラミーは戻っているか?」
バルツァロンドに問う。
第七エレネシアを発ったのはこちらが先だが、その後まもなくベラミーもバーディルーアへ向かったというのをエールドメードが確認している。
全速運行はしていないため、あちらが先についてもおかしくはない。
『連絡が取れた。これから、よろず工房で会う。船着き場からは少々離れている場所だ。船は任せ、ここで下りた方がいい』
「レイ」
声をかければ、俺の横にレイが並ぶ。
「ミーシャ。魔王列車を停車させた後は、連絡があるまでその場で待機せよ。視界は共有している。なにかあれば駆けつける」
彼女はこくりとうなずく。
「機関室、扉を開放」
ミーシャの声とともに、機関室の扉が開く。
俺とレイはそこから<飛行>を使い、空へ飛び出した。
煙を切り裂くようにしてしばらく下降していくと、上方から声が響く。
「……こらぁっ、ゼシア、エンネちゃんっ! 勝手についてったら、だめだぞっ……!」
振り返れば、ゼシアとエンネスオーネがこちらへ向かって飛んできており、エレオノールが必死でそれを捕まえようとしている。
「……ゼシアも……行きます……」
「よろず工房、見たいよねっ」
「もーっ。お留守番って言われたでしょっ。ほら、帰るぞっ」
空を飛びながら、エレオノールの手を、ひょいひょいと二人はかいくぐる。
ふむ。仕方のない。
「よい。ならば、ともに来い」
俺がそう言うと、ゼシアはぱっと表情を輝かせた。
「……許可……出ました……」
自慢げに胸を張るゼシアを、エレオノールはどうしてくれようかという目で見ている。
エンネスオーネが頭の翼を小さくし、彼女からカミナリが落ちそうな気配を察知していた。
煙を抜ければ、銀水船から飛び降りたバルツァロンドの姿が見えた。
「あれがよろず工房だ」
眼下を、バルツァロンドが指さす。
無数の煙突が取りつけられた、まるでハリネズミのような外観の建物だ。
「煙が出ていないところが入り口にあたる」
煙の出ていない煙突は十数本、そのどれもが仄かな光を発している。
その内一本を選び、バルツァロンドが中へ入っていく。
煙突の中はトンネルのような通路となっていた。
まっすぐそこを飛んでいけば、ぱっと視界が開けた。
辿り着いた一室は、鍛冶設備の整えられた工房である。
中央付近には安楽椅子があり、そこにバーディルーアの元首ベラミーが座っていた。
「おやまあ」
俺たちを目にして、彼女はそう声を漏らした。
「一人かと思えば、バルツァロンド君はいつからそんなにミリティアと仲良くなったんだい?」
「お互い時間のない身、単刀直入に要件を申し伝えます」
バルツァロンドはベラミーの前へ歩み出る。
その隣にレイが並び、手にした聖剣を彼女に見せた。
「霊神人剣エヴァンスマナを鍛え直してもらいたい」
ベラミーはため息をつく。
「……イーヴェゼイノとやり合うなら、確かに必要だろうねぇ……」
独りごちて、彼女はバルツァロンドの方を向く。
そして、言った。
「だけど、そりゃ引き受けられないね」
その理由とは――?